「ねぇ私たち恋するのって 鞄ひとつでバスに乗ったの」というフレーズで「ひぐらし」は始まる。「ねぇ私たち恋するの」という台詞に当時の私はどこか違和感があった。「私たち恋するの」って言ってバスに乗る?? 不思議に思いながら30年以上が過ぎて、この曲に下敷き(というのか着想のヒントというのか)があって、その曲が「Let us be lovers」で始まっていたのだということを初めて知って、なんとなく納得できた。
この下敷きになった曲というのは、サイモン&ガーファンクルの「America」という曲で、1968年に発表になった「Bookends」というアルバムの中の1曲のようだ。日本でも1971年ころちょいとしたヒットになっているらしい。セントラル・パークでの再結成ライヴの模様が公開されていたので見てみたが、私にはこの曲の記憶がない。私より5歳くらい上の方なら知っているかもしれない。
歌詞を見比べてみると冒頭の一節以外でも「So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies.」(「ひぐらし」では、「マクドナルドのハンバーガーと 煙草はイブをポケットに入れ」)とか、似たような個所が多い。Americaではグレイハウンドバスに乗って男女が「アメリカを探して」旅するが、「ひぐらし」ではどうも東名バスかなにかで東京から京都に向かっている。そのほかAmericaでは男の視点から語られ、「ひぐらし」では女の視点から語られていることや、magazineを読んでいるのが女だったのが、「ひぐらし」では男が漫画を読んでいるとか、「煙草をくれ」と頼んだら「1時間前に最後の煙草を吸ったじゃないの」に対して「最後に吸った煙草を消して 空の銀紙くしゃくしゃにした」になっているとか、いろいろ違ってはいる。
「スーツを着ているあいつを見ろよ 三億円に似てないかって」という「ひぐらし」の個所はAmericaでは、「She said the man in the gabardine suit was a spy.」「I said "Be careful his bowtie is really a camera".」(彼女が「ギャバジンのスーツを着た人はスパイよ」と言った。「あいつのボウタイは本当はカメラなんだ注意しろ」と僕が言った)になっていたりして、むしろ笑ってしまいそうになる。「三億円」とはもちろん「三億円事件の犯人」のことだ。
そのため「あぁこれはたしかにAmericaが下敷きになっているなぁ」と思わずにいられない。まぁ、でもこのことは作詞家である松本隆(および製作スタッフ)の問題であって、20歳の太田裕美にとやかくいうのは酷というものだろう。
類似した点が多くても、歌詞のテーマみたいなものは大きく異なっていて、Americaでは「アメリカを探す」といいながら自分探しの旅みたいなものをテーマにしていて、主人公も「I'm empty and aching and I don't know why.」とつぶやく。「ひぐらし」でも「生きている事が空しいなんて 指先みつめ考えてたの」と女性が思っているが、かなり表層的だ。「ひぐらし」はどちらかというと、青春(というより思春期か)の根拠のない生活からくる浮遊感みたいなものをすくっている。この曲のふわふわした感じには、荒井由美の曲が影響し、またよくあっている。
作詞:松本隆 作曲:荒井由実 編曲:林哲司
ねぇ私たち恋するのって
鞄ひとつでバスに乗ったの
マクドナルドのハンバーガーと
煙草はイブをポケットに入れ
御殿場までが矢のように過ぎ
緑の匂い胸にしみるわ
昔はカゴで通ったなんて
雪の白富士まるで絵のよう
読んだ漫画をあなたはふせて
内緒の声で耳打ちばなし
スーツを着ているあいつを見ろよ
三億円に似てないかって
(略)
LPならB面がこの曲で始まって、「あなぁたを待っていたの~」で始まる「水曜日の約束」が続く。「ひぐらし」は「心が風をひいた日」より次のアルバム「手作りの画集」のほうがあっているように思う。ファンの方に非難されるかもしれないが、「手作りの画集」の「都忘れ」と入れ替えるわけにはいかんかねぇ? キミ?
この下敷きになった曲というのは、サイモン&ガーファンクルの「America」という曲で、1968年に発表になった「Bookends」というアルバムの中の1曲のようだ。日本でも1971年ころちょいとしたヒットになっているらしい。セントラル・パークでの再結成ライヴの模様が公開されていたので見てみたが、私にはこの曲の記憶がない。私より5歳くらい上の方なら知っているかもしれない。
歌詞を見比べてみると冒頭の一節以外でも「So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies.」(「ひぐらし」では、「マクドナルドのハンバーガーと 煙草はイブをポケットに入れ」)とか、似たような個所が多い。Americaではグレイハウンドバスに乗って男女が「アメリカを探して」旅するが、「ひぐらし」ではどうも東名バスかなにかで東京から京都に向かっている。そのほかAmericaでは男の視点から語られ、「ひぐらし」では女の視点から語られていることや、magazineを読んでいるのが女だったのが、「ひぐらし」では男が漫画を読んでいるとか、「煙草をくれ」と頼んだら「1時間前に最後の煙草を吸ったじゃないの」に対して「最後に吸った煙草を消して 空の銀紙くしゃくしゃにした」になっているとか、いろいろ違ってはいる。
「スーツを着ているあいつを見ろよ 三億円に似てないかって」という「ひぐらし」の個所はAmericaでは、「She said the man in the gabardine suit was a spy.」「I said "Be careful his bowtie is really a camera".」(彼女が「ギャバジンのスーツを着た人はスパイよ」と言った。「あいつのボウタイは本当はカメラなんだ注意しろ」と僕が言った)になっていたりして、むしろ笑ってしまいそうになる。「三億円」とはもちろん「三億円事件の犯人」のことだ。
そのため「あぁこれはたしかにAmericaが下敷きになっているなぁ」と思わずにいられない。まぁ、でもこのことは作詞家である松本隆(および製作スタッフ)の問題であって、20歳の太田裕美にとやかくいうのは酷というものだろう。
類似した点が多くても、歌詞のテーマみたいなものは大きく異なっていて、Americaでは「アメリカを探す」といいながら自分探しの旅みたいなものをテーマにしていて、主人公も「I'm empty and aching and I don't know why.」とつぶやく。「ひぐらし」でも「生きている事が空しいなんて 指先みつめ考えてたの」と女性が思っているが、かなり表層的だ。「ひぐらし」はどちらかというと、青春(というより思春期か)の根拠のない生活からくる浮遊感みたいなものをすくっている。この曲のふわふわした感じには、荒井由美の曲が影響し、またよくあっている。
作詞:松本隆 作曲:荒井由実 編曲:林哲司
ねぇ私たち恋するのって
鞄ひとつでバスに乗ったの
マクドナルドのハンバーガーと
煙草はイブをポケットに入れ
御殿場までが矢のように過ぎ
緑の匂い胸にしみるわ
昔はカゴで通ったなんて
雪の白富士まるで絵のよう
読んだ漫画をあなたはふせて
内緒の声で耳打ちばなし
スーツを着ているあいつを見ろよ
三億円に似てないかって
(略)
LPならB面がこの曲で始まって、「あなぁたを待っていたの~」で始まる「水曜日の約束」が続く。「ひぐらし」は「心が風をひいた日」より次のアルバム「手作りの画集」のほうがあっているように思う。ファンの方に非難されるかもしれないが、「手作りの画集」の「都忘れ」と入れ替えるわけにはいかんかねぇ? キミ?
着想を得たと言うより安易な焼き直しと私は感じます。
松本隆というビッグネームに傷をつけた一曲ではないでしょうか?
S&Gの「アメリカ」が名曲なんです。
スーツ・・三億円、ではなく
ギャバディンスーツ・・・スパイなんだぜ、
のほうが10倍素敵です。
松本隆自身は「ディランの曲から着想を得た」とハッキリ言ってるようですね。
最後の一葉がオー・ヘンリーの同名小説が原作になってるのとはちょっと意味合いが違いますけどね。
まぁヒロミストとしてはどっちでも良いことですが(笑)