goo blog サービス終了のお知らせ 

太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

白い季節

2009年11月03日 | アルバム「まごころ」
なにげなく太田裕美のオフィシャルサイトにある「心の雑記帳」というのをみたら、本人がファンにあてて「2009年11月02日 やっぱり雨に迎えられて・・・ デビュー記念日に、たくさんのメッセージ、贈り物をありがとうございました。」とメッセージを送っていた。デビュー記念日? なんですか、それは? と思って調べてみたら、たしかにシングル「雨だれ」が発売されたのが、1974年11月1日で、つまり前日の11月1日にファンのみなさんからメッセージや贈り物をいただいてありがとうという感謝のメッセージだった。

.......私は怠惰なうえに、そんなことも覚えていない......ま、もっとも生まれてこのかた、だれかのファンクラブに入ったこともなく、ラジオにリクエストをしたこともなく、ファンレターなども書いたこともなく、まして贈り物をしたことがない。というか、そういう発想がまったくない。なんかみんな真面目というかいい人が多いんだなぁ、と皮肉とかではなく思った。

1974年というからちょうど35年前ということになる。35年と言えば四半世紀にさらに10年足さなければならない年月だ。ためしにWikiPediaで調べてみたら、同じ1974年にデビューしているのは、テレサ・テン「今夜かしら明日かしら」(3月1日)、伊藤咲子「ひまわり娘」(4月20日)、ずうとるび「みかん色の恋」(11月10日)となり、おもしろいのはTHE ALFEEが「夏しぐれ」(8月25日)で、4日後の11月5日に甲斐バンドが「バス通り」でデビューしている。ほかには、板東英二が10月10日に「燃えよドラゴンズ!」で、コント55号の坂上二郎が「学校の先生」で太田裕美と同じ11月1日 にデビューしている。板東英二や坂上二郎はともかく、THE ALFEEや甲斐バンドと同期とは、知らなかった。

デビュー記念日ということで、私も書きこむことにする。「白い季節」は「雨だれ」のB面の曲で、「雨だれ」とコンペでA面、B面が決まったというような話をみかけた。私は、手元に資料の類がなにもないので真偽のほどはわからない。
(追記 アルバム「まごころ」に収録)

ドラマティック? な感じで始まってそのまま明るい曲調でこの曲は続くのだが、歌詞をみるまでもなく、失恋の歌なのである。「いつか消えます愛した傷あと 涙かわくその日を待ちます また燃える愛にめぐり逢える日まで きっと」ということで、恋を失った悲しみから立ち上がろうとしている歌と言おうか。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:筒美京平

雪が降ります沈んだ心に
白く深く哀しみ色して

ああ あなたなしで過ごす午後はとても辛い
吹雪に埋もれたポスト 届いたあなたの手紙
さよならの文字を涙に浮かべ泣きました
ふるえながら

いつか消えます愛した傷あと
涙かわくその日を待ちます
また燃える愛にめぐり逢える日まで きっと

(略)

なにはともあれ、少し遅くなってしまいましたが、太田裕美さん、デビュー35周年おめでとうございます。

あなたがいて あなたが歌を歌ってくれれば 他に何もいらない



グレー&ブルー

2009年10月12日 | アルバム「まごころ」
太田裕美はときどき自分で作詞し、場合によってみずから作曲までしている。アルバム「まごころ」には彼女が作詞作曲した曲が2つ収録されていて、1曲が「ひとりごと」、もう1曲がこの「グレー&ブルー」である。

「ひとりごと」は当時のアイドル歌謡曲の典型のような曲だが、この「グレー&ブルー」は一転してみょうに作詞を意識しすぎて少しカラ回り気味だ。

作詞:太田裕美 作曲:太田裕美 編曲:萩田光雄

空がグレーで心がブルーな日は
部屋の暖炉に火をくべて
ビートルズを聞きながら 彼のセーターを編むの
空がグレーで心がブルーな日は
オレンジかじりながら リルケを読むのもいいわ
だって淋しいんだもの
だってせつないんだもの
ピンクのびんせんで 手紙を書くのもいいわ

「空がグレーで心がブルーな日は」と語呂のいい感じで始まるが、「暖炉」「ビートルズ」「彼のセーターを編む」「オレンジ」「リルケ」「ピンクのびんせん」と小道具にこりすぎて、どこの世界の話やらと私は思ってしまう。とくに詩人リルケの名前が登場した時点で、なにかたまらなく恥ずかしく、それこそ舌をかんで死んでしまいたいような気持ちになる。

この曲とは関係ないが、新潮文庫の「リルケ詩集」(富士川秀郎訳)を私は持っている。訳者が書いているそのあとがきは「ライナー・マリア・リルケはシュテフォン・ゲオルゲと並んで、二十世紀前半のドイツにおけるもっとも偉大な詩人であるが」で始まっている。私はすっかりリルケはドイツの詩人だとばかり思っていたが、調べてみたらプラハ生まれのオーストリアの詩人だった。

私がリルケの名前を知ったのは、少女マンガだったか萩尾望都のSFマンガだったかのように思うが、それくらいリルケの名は「深窓の令嬢が手にする詩集」とイメージがつながりやすかった。「まごころ」とか「短編集」とかのジャケット写真は「深窓の令嬢」のイメージに近い。たぶん私がこの2枚のアルバムジャケットに気恥ずかしさを感じてしまうのは、このイメージが苦手なのだ。男性の中には「虫酸がはしる」と感じるものもいるだろう。

でも、私はこの曲の「だぁって~さびしんだもの~ だぁって~せつないんだもの~」というサビが、ちょびっと舌足らずで、意外と好きなのである。「だぁって~せつないんだもの」のあとに続く、歌詞カードの書き方だと「オヽヽ」「アヽヽ」という表現になる個所も好きである。

「もっと寒い山々からの」(リルケ詩集 富士川秀郎訳)
到るところ埃をかぶった
藪の下を
生きいきと水が走っている
水はなんと幸福そうに言っていることだろう
走ることは歌うことだと

雨だれ

2009年09月30日 | アルバム「まごころ」
「雨だれ」はいまさら言うまでもなく、太田裕美のデビュー曲である。1974年11月1日リリースとのことで、実質的には1975年に耳にすることが 多かったように思う。彼女はこの曲で、この年(1975年)の日本レコード大賞新人賞を受賞している。

同じ時に新人賞を受賞したのが、岩崎宏美(ロマンス)、小川順子(夜の訪問者)、片平なぎさ(美しい契り)、細川たかし(心のこり) で、最優秀新人賞は細川たかしが受賞している。

YouTubeに第17回日本レコード大賞新人賞受賞時の映像がアップされていて、「一生一度のチャンスをものにするでしょうか?」というアナウンサーの紹介を聞くことができるが、受賞にはいたらなかった。このときの記憶は私もはっきりしている。最優秀新人賞発表のとき、場内が暗くなり、スポットライトが行き来する中で、うつむきながら発表を待っていた姿はいまでも目を閉じれば鮮やかに浮かぶ。私にとっては、大学受験直前のおおみそかだったため、みょうに記憶がはっきりしているのかもしれない。

「雨だれ」が収録された「まごころ」は、その恥ずかしげもないタイトルもそうだが、ジャケット写真もかなり気恥ずかしい。ヨーロッパ?風の窓際に、なんというのかアルプスの少女ハイジかぁ? というようなドレスで座っている彼女は、もうなんとも気恥ずかしく、大学生になっていたなら(実際になっていたが)、そんなもの持っていることはゼッタイに知られてはならないものであった。

このアルバムから「短編集」を通過し、「心が風邪を引いた日」までが、初期の太田裕美で、そのテーマは、可愛らしさとも、一途さとも、けなげさとも、素直さとも、幼さとも、いじらさとも、控えめさとも、引っ込み思案的とも表現できるものである。いずれも平成になってからはちとお目にかかることのないものであるが、発表当時の1975年から1976年あたりでも、この悪く言えば少女趣味な路線は、めずらしかったように記憶している。

しかし30年以上がたち、あらためてアルバム「まごころ」を聴いてみると、心が癒される思いが強い。けなげさとか、一途さとかは、失ってしまったわけではないのだろうが、暗黙のうちに時代が否定してきてしまったように思える。

雨だれ
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:荻田光雄

ひとり 雨だれは淋しすぎて あなた 呼びだしたりしてみたの
ふたりに傘がひとつ 冬の街をはしゃぐ風のように
寒くはないかと気づかうあなたの さりげない仕草に気持がときめく
淋しがりやどうし 肩よせあって つたえあうのよ 弾む恋の芽ばえ

何故か あなたに甘えたくなって そっと 腕を組んだ街角よ
ふたりの影はひとつ いつか愛に優しく包まれて
見つめる瞳にふれあい探すの 心がほのかに高まってゆくのよ
淋しがりやどうし そっと寄りそい 感じあうのよ 熱い恋の芽ばえ

こう歌詞を引用していても「淋しがりや」「さりげない」「ときめく」「弾む」「芽ばえ」などなど、いまでは死語になってしまったような単語が続いていることがわかる。基本的に恋とか愛とかに肯定的で、ひたすら単純である。ニューミュージック系の短編小説的な情景はまだこの曲では描かれていない。

ズンチャカチャッチャーという単調な歌謡曲ノリのメロディが続くが、「見つめる 瞳に ふれあい 探すの~ 心が ほのかに 高まって ゆく~のよ~」 というくだりの、鼻にかかったような「ふれあい さがすの~」という個所が私の萌えポイントである。

こんな歌詞の曲をピアノの弾き語りで可愛かった太田裕美に歌われてはたまらない。ピアノの弾き語りと言えば、前年の1974年に(曲の発表は1973年だったようだ)小坂明子の「あなた」があるが、小坂明子ではこの曲は破綻してしまう。まだ19歳だった太田裕美だからこそ、成り立っている世界である。

追記 なんだかわかったようなことを書いているが、調べてみたら小坂明子は太田裕美よりも2歳ほど年下だった(1957年1月2日生まれ)....あたたッ