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太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

回転木馬

2009年10月14日 | アルバム「短編集」
しかし、それにしてもアルバム「短編集」は太田裕美の生々しい歌声が収録されている。息継ぎの音まで収録されていて、あきらかにわざとそうしている。

ジャケット写真では、洋館の丸い部屋のレースのカーテンがかかった窓を背景に、白いピアノに座った白いドレスの太田裕美。窓からは樹木がうっすらと見える。これはどこだ。軽井沢あたりか。このイメージから「清楚」「可憐」などと語られてしまうが、声の生々しさからして、製作者たちには別の隠されたイメージがあったように思う。それは「性」だ。もちろんそれはむきだしのものではなく、かなりひそやかで悩ましい、うずきのようなものだ。

それを私が感じるのは、「回転木馬」。遊園地によくある回転木馬は、詩でもよく題材とされ、童話的なイメージに満ちている。この少女趣味的な題材で松本隆は、20歳の女性の体の奥深くにうずく性を巧妙に描いている。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平

まわれまわれ回転木馬
ふたりきりでくるくる
向い風よ さみしい愛の行方
邪魔しちゃいけない
黒い馬で逃げるあなた 白い馬で追うのよ
追いつけずにいるうち季節だけめぐるの

掴みそこねた倖せだって
めぐって来る いつかまた
だから涙を風にあずけて
今微笑って手を振るの

まわれまわれ回転木馬
浮き沈んで生きるの
夏の海が飛び去り
落葉みちをぬけても あなたと


この曲を聴いていて、ふと井上陽水の「二色の独楽」(1974年10月1日)を思い出した。

作詞・作曲:井上陽水

まわれまわれ 二色の独楽よ
色をまぜてきれいになれ
女はさみしい
男は悲しい
さみしい 悲しい独楽がある
まわれよ 止まるな いつまでも
止まった時 春も終るよ

どちらも「まわれまわれ」で始まっているが、「二色の独楽」はあきらかに性がテーマである。陽水はさらに続く「君と僕のブルース」で男女の性愛を歌う。しかし、太田裕美の場合は、このあと「木綿のハンカチーフ」がヒットしてしまったせいか、アイドル(っぽい)路線を踏み出せなかったのか、私にはわからないが、以降、性的なテーマをとりあげることはなかったようだ。
(かなり不確か。この項あとで書き直す可能性あり)

2009年10月07日 | アルバム「短編集」
この古めかしい楽器はなんだろうか? 「妹」は大正琴のような音色で始まる。その音色の古めかしさに似て、姉が妹を思う気持ちも古風ないろどりだ。

恋人ができ、まぶしく輝いている妹に対して、姉は恋に破れ、失意にくれている。姉は自分が持っている水色のブローチを妹にあげようと思っている。いまの自分にはブローチの水色も涙色にしか見えないが、妹のあなたには明るい色に輝くだろう、と。

「まごころ」「短編集」の中で、明瞭に失恋をうたった曲は少ない。そのほとんどが、恋に落ちた喜びや恋の芽ばえとその不安をうたっている。「まごころ」に収録された「白い季節」が唯一「いま胸の中で切れたのです 愛の糸が」と別離をうたってはいるが、明るい曲調もあって、むしろ再生の歌になっている。そういう意味で、愛に破れ失意に泣く女性の感情をうたった最初の曲が、この「妹」になるだろう。相手の男性を登場させることなく、男性とのやりとりを描写することもなく、ただ輝いている妹と自分を対比させて、姉の喪失感を描くあたりは、やはり松本隆は単純ではない。

太田裕美には、実際に1つ違いの妹さんがいるらしい。そのことがこの歌詞にどれくらい影響を与えているのかはわからない。「妹よ ひとつ違いのあなたは 妹よ いちねん前の私ね」とうらやむような、妹の幸福を祈るような、微妙な表現はあいまいなまま受けとめたい。1年の違いでそれほど成熟の度合いが違うものだろうかという素朴な疑問もなくはないが、思春期とか青春とかいう時代は、人は変わるときには大きく変わることがあるということを思い出す。

妹に向かって「早く かけてゆきなさい」と呼びかけているが、気持ちの中では、幸福に向かってかけてゆくことができなかった恋に落ちたばかりの自分に向かって語りかけているのかもしれない。あのとき、もっと早くかけてゆければ、愛を失うことはなかったのではないか、と。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平

恋人が出来たお祝いに
この水色のブローチをあなたにあげる
その清々しさ きらめきが
愛を失くした私には似合わないから

私がつければ涙色のブローチも
あなたの胸なら明るい色

妹よ ひとつ違いのあなたは
妹よ いちねん前の私ね
早く早く かけてゆきなさい 幸福に向って


たんぽぽ

2009年10月07日 | アルバム「短編集」
「たんぽぽ」は他愛もない歌詞である。

恋に恋していた女の子が、たぶんはじめてまともな恋に落ちる。ふいに彼の声が聞きたくて公衆電話から電話をかけてみたが、電話は話し中だった。彼が電話している相手はだれなのだろうかと思い始めると不安でいっぱいになってゆく。彼と来たことがある公園にやってきてみれば、彼に目隠しされたことを思い出す。いまうしろを振り返ってもだれもいない...

恋といっても、片思いとほとんど変わらないような恋なのかもしれない。彼女は歩道の隅で花を咲かせるたんぽぽを見て、「そんな小さな花のように そばにおいて下さい」といじらしく控えめな願いを持つ。

少女趣味とも乙女チックともこの歌詞を酷評することはたやすい。またこの歌で歌われている少女の気持ちを批判することもむずかしくはないだろう。しかし、恋した人に愛されたいと乞い願う気持ちをここまでまっすぐに歌われると、言葉に詰まってしまう。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄

あなたの声が聞きたくて
街の電話をかけたのに
話し中の相手は誰 誰ですか

雲のようにひろがる胸の中の淋しさ
どうぞ あなたのはずむ声で涙けして下さい

いつかあなたに後ろから
目かくしされた公園よ
振り向いても誰もいない 風の音

灰色した舗道の隅に咲いた たんぽぽ
そんな小さな花のようにそばにおいて下さい

そんな小さな花のようにそばにおいて下さい

前半の控えめな歌い方から「雲のように~ひろが~る」と転調するくだりは、本当に胸の中でさびしい感情がにわかに広がってゆく気分を表現している。

太田裕美の「そんなちぃ~さな はなのように~ そばに~おいて~くださ~い」というサビの歌い方は、かならずしも安定した歌い方ではない。ふらふらしたような歌い方だ。しかし、熱唱するタイプの、たとえば岩崎宏美とか、布施明とか、が熱唱するとき、音楽的素養もなく、そもそもひどい音痴の私のような人間は、「うまいなぁ」とは思っても、みょうな疎外感を持ってしまう。その点、太田裕美の歌い方は、不安定なぶん妙な魅力があり、この曲の「不安定な心理」というテーマともあって、異様な雰囲気になっている。

可憐なイメージをたんぽぽに託しているが、アスファルトの隙間からでも花を咲かせるほど、実際にはたんぽぽは生命力に満ちた植物だという。スミレなどでは、都会という設定とあわないなどあったのかもしれないが、松本隆のことなので、そんな意味合いも持たせたうえで、ありふれて庶民的なたんぽぽをあえて選んだに違いない。

「たんぽぽ」は、1975年4月21日発売の2枚目のシングルで、「短編集」に収録されている。