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太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

夜のヒットスタジオ出演記録

2013年12月30日 | あまり関係のない話
「夜のヒットスタジオ」太田裕美出演回(★は録画済み)


■4
殿さまキングス、天地真理、平山三紀、太田裕美、ザ・ピーナッツ

★10
1975年7月28日放送
山口百恵「夏ひらく青春」/中条きよし「よる」/夏木マリ「愛情の瞬間」/森田健作「はだしの青春」/テレサ・テン「夜の乗客」/太田裕美「夕焼け」/布施明「シクラメンのかほり」/天地真理「初めての涙」


★34
1976年7月5日放送
キャンディーズ「夏が来た」/橋幸夫「おとこ酒」/細川たかし「置き手紙」/布施明「愛の香り」/井上順「君にあげよう」/松本ちえこ「恋人試験」/布施明※演奏:グラスホッパーズ「陽ざしの中で」/太田裕美「赤いハイヒール」/八代亜紀「ふたりづれ」

■40
1976年9月13日放送
郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」/八代亜紀「もう一度逢いたい」/太田裕美「最後の一葉」/森田公一とトップギャラン「青春時代」/黒沢年男「ゆきずりの花」/水前寺清子「にっぽん流行歌」/野口五郎「針葉樹」/沢田研二「コバルトの季節の中で」

★47
1976年11月22日放送
和田アキ子「ダンス・ウィズ・ミ-」/新沼謙治「兄いもうと」/芹洋子「四季の歌」/千田彩子「あけぼの荘」/太田裕美「白いあなた」→「最後の一葉」(メドレー)/野口五郎「針葉樹」/ちあきなおみ「酒場川」/森進一「さざんか」

★50
1976年12月27日放送
内藤やす子「想い出ぼろぼろ」/五木ひろし「どこへ帰る」/太田裕美「最後の一葉」/子門真人「およげ!たいやきくん」/都はるみ「わかって下さい→おまえさん→シクラメンのかほり(メドレー)」/布施明 ※演奏 グラスホッパーズ「落葉が雪に」/都はるみ「北の宿から」/芹洋子 ※コーラス 東京混声合唱団「四季の歌」

★52
1977年1月31日放送
太田裕美「しあわせ未満」/内藤やす子「手のひらの中の地図」/小柳ルミ子「思い出にだかれて」/あいざき進也「ミッドナイト急行」/岸 洋子「カスバの女」/布施 明「落葉が雪に」※演奏 グラスホッパーズ/片平なぎさ「恋のかげろう」/細川たかし「北の旅愁」

■68
1977年8月29日放送
岡田奈々「らぶ・すてっぷ・じゃんぷ」/八代亜紀「恋歌」/桑名正博「哀愁トゥナイト」/敏いとうとハッピー&ブルー「星降る街角」/太田裕美「九月の雨」/ダーク・ダックス「男が酒を飲む夜は」/テレサ・テン「あなたと生きる」/森田公一とトップギャラン「過ぎてしまえば」/小柳ルミ子「湖の祈り」

■71
1977年10月10日放送
太田裕美「九月の雨」/角川博「捨てぜりふ」/小柳ルミ子 ※ムックル演奏 杉村京子「湖の祈り」/ものえ和恵「帰っちまえ!」/五輪真弓「煙草のけむり→ゲーム(メドレー)」/麻丘めぐみ「ねえ」/奥村チヨ「走馬燈」/布施明「旅愁-斑鳩にて-」


■★74
1977年10月31日放送
太田裕美「九月の雨」/細川たかし「ひとり旅」/南沙織「木枯しの精」/岡田奈々「求愛専科」/大上留利子「GOOD-BYE BABY LOVE」 ※演奏ベーカーズショップ・ホーンスペクトラム/大上留利子「SEXY WOMAN」/五十嵐夕紀「私が選んだあなたです」/森進一「東京物語」/和田アキ子「夜更けのレストラン」

★81
1978年1月30日放送
あおい輝彦「バラの渚」/太田裕美「恋人たちの100の偽り」/森進一「甘ったれ」/和田アキ子「夜更けのレストラン」/河島英五「酒と泪と男と女」/原田真二「シャドー・ボクサー」/石川さゆり「沈丁花」/沢田研二 ※演奏 井上堯之バンド「サムライ」

★88
1978年4月24日放送
太田裕美「失恋魔術師」/内山田洋とクールファイブ「愛の扉」/五輪真弓「さよならだけは言わないで」/ザ・リリーズ  ※ピアノ 太田裕美「春風の中でつかまえて」/久保田育子「翔びなさい」/黒沢年男「時には娼婦のように」/小柳ルミ子「夢追い列車」/シグナル「黄昏のあらし」/野口五郎「泣き上手」

★102
1978年11月27日放送
榊原郁恵「Do it Bang Bang」/アグネス・チャン「やさしさ知らず」/五木ひろし「熱愛」/太田裕美「振り向けばイェスタデイ」/ハイ・ファイ・セット「燃える秋」/野口五郎「グッド・ラック」/由紀さおり「ト-キョ-・バビロン」/小柳ルミ子「雨…」

■106
1979年1月8日放送
野口五郎「送春曲」/都はるみ「あゝ放浪」/さとう宗幸「岩尾別旅情」/新沼謙治「ごめんよ」/桜田淳子「冬色の街」/太田裕美「振り向けばイエスタディ」/郷ひろみ「地上の恋人」/伊東ゆかり「あなたの隣に」

■108
1979年2月12日放送
高田みづえ「ドリーム・オン・ドリーム」/あおい輝彦「北アルプス」/渥美二郎「夢追い酒」/庄野真代 ※演奏 ターゲット54「マスカレード」/大橋純子 ※演奏 美乃家セントラル・ステイション「サファリ・ナイト」/太田裕美「振り向けばイエスタディ」/ツイスト「性(サガ)」/西城秀樹 ※踊り チアガール(横田パンサーズ)/スクールメイツ「ヤングマン」

■114
1979年5月21日放送
サマー・エンジェル/あおい輝彦
ジャングル・コング/庄野真代 ※演奏 ターゲット'54
青空の翳り/太田裕美
魅せられて/ジュディ・オング
蝉時雨/五木ひろし
くわえ煙草/安倍律子
OH!ギャル/沢田研二 ※演奏 井上堯之バンド
海岸通/イルカ

★130
1980年4月28日放送
南風-SOUTH WIND-/太田裕美
一緒に暮らそう/細川たかし
25時/久保田早紀 ※演奏 SOUND BANK
裸足の季節/松田聖子
YOKOHAMA HONKY TONK BLUES→白昼夢→BONY MORNIE(メドレー)/松田優作 
※演奏 エディ藩グループ
恋しくて/三沢あけみ
南回帰線/堀内孝雄・滝ともはる ※演奏 ムーンライダース
カルチェラタンの雪/布施明

白いあなた

2009年12月18日 | アルバム「手作りの画集」
これはいつの放送なのだろうか。YouTubeに「夜のヒットスタジオ」で太田裕美が「白いあなた」と「最後の一葉」を白いピアノを弾きながら続けて歌う場面がある。1974年から1976年の間で太田裕美が「夜ヒット」に出演したのは、

1974年11月11日 (たぶん)雨だれ
1975年3月31日  たんぽぽ
1975年7月28日  夕焼け(ご対面)
1976年3月8日  (たぶん)木綿のハンカチーフ
1976年7月5日  赤いハイヒール
1976年11月22日 
1976年12月27日 最後の一葉

の7回のようなので(だんだん興信所みたいになってきた(笑))、消去法で行けば1976年11月22日の回のようだ。「白いあなた」という曲を実際に歌っているのを私は初めて見たが、この放送では少し曲のテンポが速く、のびやかというより可愛らしい感じで歌っている。同じ番組で「夕焼け」を歌っていた1年半前と比べるとずいぶん大人らしくなっていて、「赤いハイヒール」を歌っていた5カ月ほど前と比べても、女性らしい大人びた感じになっている。

追記 「夜ヒット」の放送で1976年9月13日放送分(40)で太田裕美が「最後の一葉」を歌っているらしく、これが抜けていた。

これは短期間で大人びたということと、作品にあわせて衣装や化粧、雰囲気を変えて歌っていることがいりまじっているからだろう。太田裕美というシンガーは作品世界にあわせて「演じる」ことがあまり上手でないシンガーだったと思うが、太田裕美大人化計画はちゃくちゃくと進んでいるようだ。

で、「白いあなた」なのだが、太田裕美本人の作詞・作曲で、「まごころ」の「ひとりごと」「グレー&ブルー」、「短編集」の「ねえ……!」(作詞は松本隆との共作)、「心が風邪をひいた日」の「水車」に続く5曲目ということになる。だんだんこなれてきて、次の「恋の予感」なんてなかなかいいんじゃないでしょうかと思うが、この曲では「いつも静かなあなただけれども 今日は激しく愛してほしい」というファンへのくすぐりがあるが、少し平板だ。

作詞・作曲:太田裕美 編曲:萩田光雄

夕焼けが白いゲレンデに映る
あなたの透き徹った言葉が
夕陽に染まって赤く燃える
いつも静かなあなただけれども
今日は激しく愛してほしい

(略)

1960年代終わりから1970年代に登場してきたミュージシャンで、いまでも人気があるたとえばサザンオールスターズとか、松任谷由美とか、中島みゆきとか、ついでに井上陽水とか小椋佳とか、先日なくなったRCサクセションの忌野清志郎とか、シンガーソングライターが多い。あとは作詞家とか作曲家とかでシンガーを変えながら生き延びている人も多い。

これに対してシンガーは、もちろん現役の人もかなり多いが、活動的には地味と言わざるをえない。やはり自分で曲が作れないとずっとバリバリというわけにもいかないのだろうか。アルバム「君と歩いた青春」で太田裕美がそのほとんどを作曲していて、けっこういい感じなのだが、遅すぎたのだろうか。いや、まだそう断言するのは早すぎるだろう。

そういえば、フジテレビTWOで12月30日と12月31日の2日間「夜ヒット」の再放送を連続して放送するようだ。さすがに全部録画していたら妻にどやしつけられてしまう。1975年7月28日の「夕焼け」とピアノの先生とのご対面の回(10)と放送日不明の回(4)は録画しておこう。


赤い花緒

2009年12月16日 | アルバム「12ページの詩集」
ニューミュージック色というかフォーク色というかが強い「12ページの詩集」の中でももっともフォーク色が強いのが「赤い花緒」である。作詞・作曲がアリスの谷村新司なのだが、どちらかというと山田パンダあたりが作っていそうな感じの曲である。

「12ページの詩集」は1976年12月5日発売なので、このころのアリスは初めてのヒット曲「今はもうだれも」(1975年9月5日 作詞・作曲:佐竹俊郎)に続き、「帰らざる日々」(1976年4月5日 作詞・作曲:谷村新司)、「遠くで汽笛を聞きながら」(1976年9月20日 作詞:谷村新司 作曲:堀内孝雄)とけっこうのぼり調子のときだったようだ。

私が大学に入学したとき、京都の大学を中退して大学に入りなおした同級生がいた。同級生といっても、経緯が経緯なのでかなり年上で、何事に対しても熱い男だった。その彼が好きだと言っていたのがアリスで、アリスという名前を聞くとそいつのことを思い出す。なんというか熱い心を持てばなんでも乗り越えられる、乗り越えるんだぁ~ という感じで、アリスのファンというのはそういう傾向があるのでしょうかね? 別に悪い感じではなく、言っていることはもっともなのだが、もっともすぎていささか困るというのだろうか.......憎めないんですけど。

「赤い花緒」は、幼なじみの女性に思いを寄せる男の話で、女性は別の男と結婚してしまい、「何もできずに僕は一人で ひざをかかえて泣いていました」と片思いの恋は終わってしまう。そこからがある意味ですごく「こんなかたちの愛があるなんて きっと誰にもわかりはしない 赤い花緒とおさげの君を 心の妻と生きてゆきたい」と決意するのである。こういう話は茶化してはいけない(笑)

この曲では、花緒に浴衣、すだれ、路地、ふろ屋、かなかな蝉と和風このうえない小道具がたくさん登場する。京都の話か? ところで「赤い花緒」って「赤いハイヒール」の和風バージョン? そういえば嫁いでいってしまった彼女は「おさげ」髪だったようだ。

作詞・作曲:谷村新司 編曲:萩田光雄

赤い花緒に浴衣の君を
まだはっきり覚えています
幼なじみの君を妻にと
心に決めて何年過ぎたのか

二階の窓にすだれがおりて
黄色い灯りが路地にもれるころ
ふろ屋の帰りに君の姿が
うすぼんやりとゆれて見えた

(略)


冬の蜂

2009年12月15日 | アルバム「エレガンス」
「冬蜂の死にどころなく歩きけり」

村上鬼城(本名 村上荘太郎 1865年生1938年没)という俳人の句で、冬の蜂が死に場所を探している様子を歌っているらしい。雌蜂は冬を越すが、雄は冬を越すことなく死に絶える。鬼城は重度の聴覚障害者だったようで、いまでいう司法書士のさきがけのような人だったようだ。耳が不自由だったせいか、弱いものや冬の蜂のように感傷をさそうような生物の姿にひかれている。

そんな冬の蜂の姿に男女の愛をからめて歌いあげているのが「冬の蜂」。アルバム「エレガンス」(1978年8月1日)の最後を飾る曲である。場所は日光の中禅寺湖とその湖畔の宿。季節はもちろん冬で、中禅寺湖あたりは雪が積もるようだが、この曲では紅葉の終わりごろの冬の初めくらいか。

二人ははじめ中禅寺湖でボートに乗るが、やがて雨雲が出てくる。舞台は宿に移動し、やがて雨が降りだす。いくばくかの時間が流れ、湖にたれこめていた霧が薄れ、雲間から陽が差してくる、と時間経過とともに変化する気候がきっちりと描かれている。

冬の蜂は、死に絶える寸前の弱々しさを見せながらも最後に飛び去り、主人公の女性は「刺せない蜂さえあんなに飛べるなら 私も独りできっと生きてゆけるわ」と決意のようなものを抱く。

めずらしく和風の小道具を登場させ、時間経過どおりに物語を進行させ、比較的ていねいに描かれた歌詞なのだが、「急に私の髪撫でて 君に触れることが出来るのも 今日が最後だねと言った」とあたりから、私にはこの二人は普通の恋愛関係にないように思える。まぎれもなく別れの前の旅行で、嫌いになったり、憎み合って別れる話とは思えないので、そうだとするとやはり不倫関係なんだろうな....そう考えれば、舞台が箱根でなく中禅寺湖だったり、季節が夏でなく冬だったり、別れるはずなのにみょうにお互いにひかれあったりしているのもうなづける。そうか太田裕美も不倫関係を歌うようになったか....

もちろん不倫以外にも、たとえば彼が突然海外に転勤するとか、いろいろ別れなければならない理由が考えられなくはないが、紅葉した葉を見て「こんな小さな葉も死ぬ前は 炎えて美しくなるのね」とか、冬の蜂とか、死とか生とかいりまじったイメージは不倫関係を想像させる。まかりまちがえば心中である。

1分近いピアノの旋律で始まり、全体的にはドラマティックな仕上がりで、へたすると「中禅寺湖 不倫カップル謎の変死」みたいな2時間ドラマになりそうなところを、そうならず一気にかけぬける。湿りがちな松本隆の歌詞を、筒美京平と萩田光雄の作・編曲がそうさせず、むしろ主人公の女性のけな気さや意志の美しさみたいなものを感じる。太田裕美はまだ23歳で、このテーマには荷が重すぎるような気がするが、声が若い分、悲壮な感じにおぼれることがなく、かえってよかったのではないかと思う。これが実力派と呼ばれるようなシンガーで、声がしっとりした感じで歌われたら、ますます火曜サスペンス劇場になってしまう。

作詞家松本隆はある時期現代詩をよみふけったというが、「細い糸を張った眼差しを たてに切るような葉の雨」というあたりはその影響だろうか。こういうフレーズと現代詩とはまったくなんの関係もないが、この曲のいくつかの個所で独りよがりのわかりにくい部分がある。

松本隆の歌詞はある時代から、よく言えば「現代詩風」、悪く言えば「言葉の遊び」に傾きすぎてゆき、全体の構成も虚構性が高くなって、正直私はあまり好きでない。というか「心が刺せない歌詞も仕方ないよね」と皮肉のひとつも言いたくなってしまうのだ。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄

あれは中善寺の山影の
赤や黄色も褪せる頃
水藻絡むオールふと止めて
ボート岸に寄せたあなた

細い糸を張った眼差しを
たてに切るような葉の雨
こんな小さな葉も死ぬ前は
炎えて美しくなるのね
指先に止まる冬の蜂
弱々しく薄い羽が小刻みに震えた
翡翠の色した雨雲背に置いて
くちびる翳らせ あなたはポツリ言う
飛び交う蜂すら刺せなくなるのなら
心が刺せない愛も仕方ないよね

(略)

蜂と言えば、ロッキード事件で証言にたった首相秘書官榎本敏夫夫人の三恵子さんが、夫が受領を認める発言をしていたと証言し、その証言が「蜂の一刺し」と言われたことがあった。1976年の田中角栄逮捕のころかと思ったが、裁判が始まってしばらくたった1981年10月28日のことだった。

注 中禅寺湖にあまりよくないイメージを持っているのは、私の偏った知識によるもので、実際の中禅寺湖はたぶんそんなことはありません。中禅寺湖の観光関係の人もそう思っているはずです。



またも一回お休み

2009年12月14日 | あまり関係のない話
漫画家の東海林さだおはエッセイストとしても有名だ。なんとかの「丸かじり」とかいうシリーズが面白いかどうか読んだことがないのでわからないが、「ショージ君の青春記」は間違いなく面白かった。この本だったと思うが、青春時代に割り算ばかりしていたというくだりがあった。割り算とは、手元にあるお金の金額を、次の収入があるまでの日数で割る計算のことだ。

たしかに学生時代はよく割り算をしていた。奨学金やアルバイトの収入が入ると、残りの日数で割る。当時の横浜の下宿代は1万円前後で、1か月に6万円くらいあればなんとか過ごせるのだが、酒を飲んだり、麻雀したり、パチンコなんかやったりするもんだから、月末あたりになると割り算をしなおさないといけなくなる。手元に1万円あって残り日数が10日なら1日あたり1000円ということになる。ところが思わぬ出費があったりすると、割り算をしなおすことになり、残り5日で2000円しかなかったりすると、1日あたり400円ということになる。さらに出費があったりすると、残り1000円で3日をやりくりしなければならなくなり、1日あたり300円ちょっと。煙草を吸っていたからもう食費がない......0円にならないかぎり計算式は成り立つが、人間はいつか暮せなくなってしまうわけだ。

なんの話をしたかったんだったか.....そうそう新聞が読めなかったのでテレビやラジオでなにがやっていたかわからなかったということに似て、音楽雑誌がまわりになにもなかったということが語りたかった。

高校時代にはこづかいというものがあって本を買ったり雑誌を買ったりでき、なにもしなくても食事がでてきたのだから、自由はなくても飢えて死ぬことはない。しかし、下宿生活を始めてからは、自由を手に入れたかわりに、こづかいというものがなくなってしまった。生活費とこづかいの境目がなくなってしまったのだ。すべてが生活費であるといえばそうだし、すべてがこづかいといえばそう言えなくもない。すべてがこづかいと言ったって、食事をしないわけにもゆかないので、気分的には生活費を削ってこづかいにあてるといったほうが実態に近い。

当然、高校時代にはよく買っていて、目にしていた音楽雑誌のようなものはまわりになにもない生活となった。自分で楽器を演奏していたような友人の下宿にいったりするとたまに音楽雑誌があったりしたが、そのほとんどが洋楽、とくにロック系の雑誌で(個人的にはそちらのほうが趣味なのだが)、そんな雑誌には太田裕美のことなどどこにも載っていない。で、情報という点では完全に隔離されたような状態になってしまった。

まぁ、そうは言っても本屋さんで立ち読みという手段もあるわけだから、やはり音楽そのものへの関心が薄れていったのだろう。なにより生活のためにアルバイトしないといけないとか、自己防衛のために社会学系の本を読まないといけないとか、音楽どころじゃなかった。

そんな当時でも「ニューミュージック論争」があったことは記憶している。そんな当時としてしまったが、たしか私が高校生のころの1974年や1975年にはもうニューミュージックという用語があったような記憶がある。

ニューミュージックは、歌謡曲でもフォークでもない音楽として話題になったその当時の音楽で、私の個人的見解ではそれ以降の日本の音楽の流れを決定づけた重要な動向である。しかし、そんなニューミューッジックについてネットで調べてみると、私にとっては意外なことが書かれていることが多い。たとえばWikiPediaで「1978年の音楽」の項を見ると、「ニューミュージックが台頭する」とあって、「1979年の音楽」の項には「ニューミュージックが全盛期を迎える」とある。えっ、だいぶ遅いような.....

WikiPediaは特定の編纂者が項目を記述していないため、項目によって齟齬があるのは想像できるが、とうの「ニューミュージック」の項では「ニューミュージックの始まりは、おおむね、1972年ごろ、といわれている。具体的には、1972年の吉田拓郎『結婚しようよ』、井上陽水『傘がない』、荒井由実『返事はいらない』、そして、1973年のかぐや姫『神田川』などを、始まりとすることが多い。」とある。

どちらかという私の記憶では後者である。当時の雑誌では、たくろうのある時期から、陽水はちょっと微妙だが含めている人が多かったような....荒井由美はまさにその典型というより、個人的見解では荒井由美以前と以降で大きく違い、かぐや姫はニューミュージックではなくまったくのフォーク。風になってからはニューミュージック。小椋佳もニューミュージック。そんなイメージなのだが......そのため1975年ころにはすでにあるピークを迎え、それ以降はじょじょに歌謡曲に取り込まれていってしまったようなイメージなのだ。

そんなあいまいなニューミュージックなのでWikiPediaでも記述に苦心がうかがえる。太田裕美が登場するくだりでは、「歌謡曲とニューミュージックとJ-POPの境界線自体が定かではなく、例えば太田裕美や渡辺真知子はどれに属するのかは論者によってまちまちになるだろうと考えられ、また分類すること自体に意味があるのかどうかという意見もあり得る。」とまでなってしまっている。

困ってしまうのはWikiPediaの次の一節だ。

「ニューミュージックをその内容の一部に含むこのようなガイドブックはいろいろ出版されているが、ニューミュージックというジャンルが確立しているにもかかわらず(範囲があいまいではあるが)、2005年4月現在、ニューミュージックだけを対象とするこのようなガイドブックは存在しない。そのような文献が存在しないことは不思議であり、また、その理由も不明であるが、上記評価(反感)と関係する可能性もある。」

たしかにあれほど騒がれたニューミュージックに関するまとまった文献が存在しないことは不思議だ。で、困っていたら、朝日新聞社が発行する「どらく」という雑誌の一部(昭和50年)をネットで見ることができ、富澤一誠が冒頭で定義していた。

「ニューミュージック」という言葉が使われ始めたのは昭和50年のことだが、その頃、この言葉には二つの意味合いがあった。ひとつは、荒井由実(現・松任谷由実/ユーミン)、ティン・パン・アレーなど新しいタイプのアーティストが出現したことで、それまでのロック、フォークという言葉ではくくりきれなくなったので、それらに対して“新しい音楽”ということで、「ニューミュージック」という言葉が使われ始めた。もうひとつは、吉田拓郎、井上陽水らのフォークから、新しく出現した荒井由実などの全部をひっくるめて便宜的にいう「ニューミュージック」である。
(「どらく」昭和50年)

まあ、このへんで落ち着くしかないのかな。