「冬蜂の死にどころなく歩きけり」
村上鬼城(本名 村上荘太郎 1865年生1938年没)という俳人の句で、冬の蜂が死に場所を探している様子を歌っているらしい。雌蜂は冬を越すが、雄は冬を越すことなく死に絶える。鬼城は重度の聴覚障害者だったようで、いまでいう司法書士のさきがけのような人だったようだ。耳が不自由だったせいか、弱いものや冬の蜂のように感傷をさそうような生物の姿にひかれている。
そんな冬の蜂の姿に男女の愛をからめて歌いあげているのが「冬の蜂」。アルバム「エレガンス」(1978年8月1日)の最後を飾る曲である。場所は日光の中禅寺湖とその湖畔の宿。季節はもちろん冬で、中禅寺湖あたりは雪が積もるようだが、この曲では紅葉の終わりごろの冬の初めくらいか。
二人ははじめ中禅寺湖でボートに乗るが、やがて雨雲が出てくる。舞台は宿に移動し、やがて雨が降りだす。いくばくかの時間が流れ、湖にたれこめていた霧が薄れ、雲間から陽が差してくる、と時間経過とともに変化する気候がきっちりと描かれている。
冬の蜂は、死に絶える寸前の弱々しさを見せながらも最後に飛び去り、主人公の女性は「刺せない蜂さえあんなに飛べるなら 私も独りできっと生きてゆけるわ」と決意のようなものを抱く。
めずらしく和風の小道具を登場させ、時間経過どおりに物語を進行させ、比較的ていねいに描かれた歌詞なのだが、「急に私の髪撫でて 君に触れることが出来るのも 今日が最後だねと言った」とあたりから、私にはこの二人は普通の恋愛関係にないように思える。まぎれもなく別れの前の旅行で、嫌いになったり、憎み合って別れる話とは思えないので、そうだとするとやはり不倫関係なんだろうな....そう考えれば、舞台が箱根でなく中禅寺湖だったり、季節が夏でなく冬だったり、別れるはずなのにみょうにお互いにひかれあったりしているのもうなづける。そうか太田裕美も不倫関係を歌うようになったか....
もちろん不倫以外にも、たとえば彼が突然海外に転勤するとか、いろいろ別れなければならない理由が考えられなくはないが、紅葉した葉を見て「こんな小さな葉も死ぬ前は 炎えて美しくなるのね」とか、冬の蜂とか、死とか生とかいりまじったイメージは不倫関係を想像させる。まかりまちがえば心中である。
1分近いピアノの旋律で始まり、全体的にはドラマティックな仕上がりで、へたすると「中禅寺湖 不倫カップル謎の変死」みたいな2時間ドラマになりそうなところを、そうならず一気にかけぬける。湿りがちな松本隆の歌詞を、筒美京平と萩田光雄の作・編曲がそうさせず、むしろ主人公の女性のけな気さや意志の美しさみたいなものを感じる。太田裕美はまだ23歳で、このテーマには荷が重すぎるような気がするが、声が若い分、悲壮な感じにおぼれることがなく、かえってよかったのではないかと思う。これが実力派と呼ばれるようなシンガーで、声がしっとりした感じで歌われたら、ますます火曜サスペンス劇場になってしまう。
作詞家松本隆はある時期現代詩をよみふけったというが、「細い糸を張った眼差しを たてに切るような葉の雨」というあたりはその影響だろうか。こういうフレーズと現代詩とはまったくなんの関係もないが、この曲のいくつかの個所で独りよがりのわかりにくい部分がある。
松本隆の歌詞はある時代から、よく言えば「現代詩風」、悪く言えば「言葉の遊び」に傾きすぎてゆき、全体の構成も虚構性が高くなって、正直私はあまり好きでない。というか「心が刺せない歌詞も仕方ないよね」と皮肉のひとつも言いたくなってしまうのだ。
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄
あれは中善寺の山影の
赤や黄色も褪せる頃
水藻絡むオールふと止めて
ボート岸に寄せたあなた
細い糸を張った眼差しを
たてに切るような葉の雨
こんな小さな葉も死ぬ前は
炎えて美しくなるのね
指先に止まる冬の蜂
弱々しく薄い羽が小刻みに震えた
翡翠の色した雨雲背に置いて
くちびる翳らせ あなたはポツリ言う
飛び交う蜂すら刺せなくなるのなら
心が刺せない愛も仕方ないよね
(略)
蜂と言えば、ロッキード事件で証言にたった首相秘書官榎本敏夫夫人の三恵子さんが、夫が受領を認める発言をしていたと証言し、その証言が「蜂の一刺し」と言われたことがあった。1976年の田中角栄逮捕のころかと思ったが、裁判が始まってしばらくたった1981年10月28日のことだった。
注 中禅寺湖にあまりよくないイメージを持っているのは、私の偏った知識によるもので、実際の中禅寺湖はたぶんそんなことはありません。中禅寺湖の観光関係の人もそう思っているはずです。
村上鬼城(本名 村上荘太郎 1865年生1938年没)という俳人の句で、冬の蜂が死に場所を探している様子を歌っているらしい。雌蜂は冬を越すが、雄は冬を越すことなく死に絶える。鬼城は重度の聴覚障害者だったようで、いまでいう司法書士のさきがけのような人だったようだ。耳が不自由だったせいか、弱いものや冬の蜂のように感傷をさそうような生物の姿にひかれている。
そんな冬の蜂の姿に男女の愛をからめて歌いあげているのが「冬の蜂」。アルバム「エレガンス」(1978年8月1日)の最後を飾る曲である。場所は日光の中禅寺湖とその湖畔の宿。季節はもちろん冬で、中禅寺湖あたりは雪が積もるようだが、この曲では紅葉の終わりごろの冬の初めくらいか。
二人ははじめ中禅寺湖でボートに乗るが、やがて雨雲が出てくる。舞台は宿に移動し、やがて雨が降りだす。いくばくかの時間が流れ、湖にたれこめていた霧が薄れ、雲間から陽が差してくる、と時間経過とともに変化する気候がきっちりと描かれている。
冬の蜂は、死に絶える寸前の弱々しさを見せながらも最後に飛び去り、主人公の女性は「刺せない蜂さえあんなに飛べるなら 私も独りできっと生きてゆけるわ」と決意のようなものを抱く。
めずらしく和風の小道具を登場させ、時間経過どおりに物語を進行させ、比較的ていねいに描かれた歌詞なのだが、「急に私の髪撫でて 君に触れることが出来るのも 今日が最後だねと言った」とあたりから、私にはこの二人は普通の恋愛関係にないように思える。まぎれもなく別れの前の旅行で、嫌いになったり、憎み合って別れる話とは思えないので、そうだとするとやはり不倫関係なんだろうな....そう考えれば、舞台が箱根でなく中禅寺湖だったり、季節が夏でなく冬だったり、別れるはずなのにみょうにお互いにひかれあったりしているのもうなづける。そうか太田裕美も不倫関係を歌うようになったか....
もちろん不倫以外にも、たとえば彼が突然海外に転勤するとか、いろいろ別れなければならない理由が考えられなくはないが、紅葉した葉を見て「こんな小さな葉も死ぬ前は 炎えて美しくなるのね」とか、冬の蜂とか、死とか生とかいりまじったイメージは不倫関係を想像させる。まかりまちがえば心中である。
1分近いピアノの旋律で始まり、全体的にはドラマティックな仕上がりで、へたすると「中禅寺湖 不倫カップル謎の変死」みたいな2時間ドラマになりそうなところを、そうならず一気にかけぬける。湿りがちな松本隆の歌詞を、筒美京平と萩田光雄の作・編曲がそうさせず、むしろ主人公の女性のけな気さや意志の美しさみたいなものを感じる。太田裕美はまだ23歳で、このテーマには荷が重すぎるような気がするが、声が若い分、悲壮な感じにおぼれることがなく、かえってよかったのではないかと思う。これが実力派と呼ばれるようなシンガーで、声がしっとりした感じで歌われたら、ますます火曜サスペンス劇場になってしまう。
作詞家松本隆はある時期現代詩をよみふけったというが、「細い糸を張った眼差しを たてに切るような葉の雨」というあたりはその影響だろうか。こういうフレーズと現代詩とはまったくなんの関係もないが、この曲のいくつかの個所で独りよがりのわかりにくい部分がある。
松本隆の歌詞はある時代から、よく言えば「現代詩風」、悪く言えば「言葉の遊び」に傾きすぎてゆき、全体の構成も虚構性が高くなって、正直私はあまり好きでない。というか「心が刺せない歌詞も仕方ないよね」と皮肉のひとつも言いたくなってしまうのだ。
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄
あれは中善寺の山影の
赤や黄色も褪せる頃
水藻絡むオールふと止めて
ボート岸に寄せたあなた
細い糸を張った眼差しを
たてに切るような葉の雨
こんな小さな葉も死ぬ前は
炎えて美しくなるのね
指先に止まる冬の蜂
弱々しく薄い羽が小刻みに震えた
翡翠の色した雨雲背に置いて
くちびる翳らせ あなたはポツリ言う
飛び交う蜂すら刺せなくなるのなら
心が刺せない愛も仕方ないよね
(略)
蜂と言えば、ロッキード事件で証言にたった首相秘書官榎本敏夫夫人の三恵子さんが、夫が受領を認める発言をしていたと証言し、その証言が「蜂の一刺し」と言われたことがあった。1976年の田中角栄逮捕のころかと思ったが、裁判が始まってしばらくたった1981年10月28日のことだった。
注 中禅寺湖にあまりよくないイメージを持っているのは、私の偏った知識によるもので、実際の中禅寺湖はたぶんそんなことはありません。中禅寺湖の観光関係の人もそう思っているはずです。