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太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

赤いハイヒール・破

2009年11月13日 | アルバム「手作りの画集」
いまのこの時期は、大学なら大学祭が行なわれている時期だ。私が通っていた大学でも大学祭が秋に行なわれていた。当時の先輩に言わせれば、昔の大学祭は学生が問題を提起する場所だったが、どんどんミーハー化してきている、となる。ミーハー化とは、芸能人を呼んでコンサートを開いたり、スナックのような店を開いて酒をだしたり、おでんなどの屋台を出したりといったような傾向だ。

「ミーハー」といったあとでこういってはなんだが、横浜の片隅にあった私の大学でなぜか太田裕美のコンサートが開かれた。私が1年生のときだったか、2年生のときだったか記憶があやふやだ。1年生のときはAlfeeが電車でやってきて(笑)コンサートしたという話もあって、もしかしたら2年生のときだったのかもしれない。1年生といえば1976年だし、2年生といえば1977年だ。1976年ならセールス的にピークだったころだし、1977年なら人気面でピークだったころだ。

1年生のときの大学祭では、当時実行委員をしていた知り合いの女性に誘われて、夜中の体育館で行なわれた試写会で映画を見ている。上映された映画は「いちご白書」で、1975年にバンバンがヒットさせた「『いちご白書』をもう一度」(作詞・作曲:荒井由実 編曲:瀬尾一三)の影響で、映画「いちご白書」があらためて注目されていたのである。いま思えば、問題意識があるんだかないんだかよくわからない発想である。そのほかにも大森一樹の自主制作映画「暗くなるまで待てない!」(1975年)のタイトルを立て看で見た記憶がある。

まあ、そんな雰囲気の中で太田裕美のコンサートが開かれることになった。体育館でたぶんパイプ椅子を並べて行なわれたのだろうが、このコンサートに行っていておかしくない状況で、行っていればいまごろ少しくらいは自慢できたように思うが、私はこのコンサートに行っていない。まったくあちゃ~ というような話だ。しかし、私の同級生たちのだれに聞いても、だれもこのコンサートに行っていないのである。ましてミリタリールックでうろうろしていた私の上級生たちは、そんなコンサートが開かれたことすら覚えていないだろう。小さい体育館とはいえ、数百人くらいは入る大きさだ。いったいだれが行っていたのだろうか。まさか外部の人たちだけで埋まっていたわけでもないだろう。

このコンサートが始まる直前、なんの用事があったのか忘れたが、私が体育館から校門に向かって歩いていたら、反対側から実行委員(たぶん自治会の学生)に「太田さん。こちらです」と連れられて太田裕美が歩いてきて目の前を通りすぎた。これが私が太田裕美本人を目にした最初で最後だ(最後とはかぎらないが)。たしか白いドレスと白いハイヒールで、ちょうど「赤いハイヒール」を歌っている「夜ヒット」の映像(YouTube)の衣装のような感じだった。

1年生のときだったとすれば、私が18歳で彼女が21歳。学年で言えば、当時の4年生の年代だ。当時の4年生の女性の先輩たちは、「米軍放出」みたいなミリタリールックであぐらをかき、煙草をスパッスパッと吸いながら「○○クン、それじゃだめなのよ~」と言うような感じで、当時の太田裕美とは対極にいたようだ。というより、当時の私の大学に太田裕美ほど似つかわしくない存在はなかったかもしれない。

それにしても「ミーハー」でもなんでもいいから素直に行っておけばよかった....30何年か前の私が目の前にいたのなら「いま行かないと、もう少しして音楽がどんどん変わっていってしまい、そのうちニューヨークに行ってしまい、帰ってきたかと思ったらもっと変わってしまい、なんだかんだ混乱しているうちに長期休業してしまうゾ」と説教のひとつもしたくなる。

たったひとり、私の友人で運動部だった男は、体育館の中にあったらしい用務員室でただ見したらしい。おい、なぜ呼ばんっ。

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