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太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

六月天

2009年12月04日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
ご存知のかたも多いと思うが、「六月天」というのは「木綿のハンカチーフ」の広東語バージョンである。歌っている人の名前もわかるが、このブログの文字コードが「EUC-JP」なので中国語繁体字が表示できないため、書くことができない。

歌詞を画像としてアップロードしてみた。うまく表示できればいいのだが。妻が広東語を読み書きできるので、どういう意味なのか聞いてみたところ、六月の海辺を二人で歩きながら.......忘れた。まあそういう意味らしい。「六月天」でGoogleで検索するとヒットする。

「木綿のハンカチーフ」は北京語(台湾)バージョンもあるらしいが、そちらはまた歌詞が違うようだ。妻は北京語も読み書きできるので、いつかその歌詞の意味を聞いておこう。忘れなければいつか紹介したい。



以下追記

最初『「木綿のハンカチーフ」は北京語(大陸)バージョンもあるらしい』としたが、大陸でなく台湾で発表されたようなので、一部修正した。

コメントで指摘していただいたように、いわゆる中国語は実際にはかなりたくさんの言語に分類することができて、大きく分けても「北京語」「広東語」「上海語」とか「長沙語」とかたくさんあるようだ(7つの大方言。正確には、北方、呉、かん、湘、びん、客家、えつ)。これらは「方言」とされているが、広東語だけで7000万人とか8000万人の人口がいるらしい。まあ面積も人口も日本人には想像できないような規模なので、方言と言っても日本の人口くらいの規模になってしまう。

歴史的には、中国共産党が北京語(正確には北方方言の役人が使う言葉(官話)というらしい)をベースに「普通話」(文中では日本人にわかりやすく「北京語」としている。「プートンホア」みたいな発音)を制定した。一方、台湾に脱出した国民党は北京語をそのまま使っていたため、台湾も北京語ベースになっていて、台湾ではこの言葉を「國語」と呼んでいる(「台湾語」と呼ぶともともと台湾に住んでいた民族の言語を呼ぶらしい)。俗説では、台湾の「北京語」は大陸の中国人が聞くと「おねえ言葉」のような感じに思えるようだ。日本でいうと京都のお公家言葉みたいな感じだろうか。

文字に関しては、中国共産党が簡体字政策を進めたため、大陸では簡体字が使われ、台湾ではそのまま繁体字が使われ続けた。現在、大陸「北京語ベースの普通話-簡体字」、台湾「北京語ベースの國語-繁体字」、香港「広東語-繁体字」みたいな状態になってしまっている。

とまあ、いちおう説明らしきものをしてみたが、自信はない。ほとんどが妻からの話の聞きかじりである。この追記がまたもや誤っている可能性もある。情けなや.....

かなしみ葉書

2009年12月01日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
アルバム「心が風邪をひいた日」では「夕焼け」の次にこの「かなしみ葉書」という曲が続く。彼から一枚の絵葉書が届き、別離の言葉が書かれている。それを読んで彼女が泣く。というアイドル歌謡曲? みたいな曲である。

このころの太田裕美作品のほとんどのように彼女は彼をけっして悪くは思わない。「あなた遠い町でさよなら書いたのは せめてもの私へのいたわりね」となってしまう。私なんかは、別れ話をちゃんとしないで絵葉書で書き記すなんてあまりよくないんじゃないかと思うが、彼女はそうは思わない。しかし、吊り橋の写真を見て「吊り橋の写真 選んだ理由は 心の架け橋がなかったせいかしら」となるとまるで暗号解読のような気がしてしまうなぁ。

それはともかく「旅立ちの前にここに来たあなた せめてその隣に私を横たえて なぐさめる事ぐらいできたはずだわ」である。う~ん。「その隣に私を横たえて なぐさめる事ぐらいできた」とは....そういうこと? 裕美ちゃん、それはいけないと思うんだよ、おじさんは、とPTAのような気になってしまう。

それもともかく「去りゆく季節を追いかけてみても あなたはもう帰らないの」にあるように、松本隆作詞の世界で別離の原因が出てくるとこのころから「季節が変わった」「時間がたった」というように時間の流れで別れることになったということになっている。

現実的には、彼か彼女かのどちらかか、あるいは両方に原因があったように思うが、原因はすべて時間の経過である。時間の経過が原因なので、巻き戻すわけにはゆかず、ただ主人公は悲嘆にくれるだけである。これでは進歩がないではないかと憤慨しても始まらない。それがこのころの太田裕美の世界なのだから。ああ。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄

泣きはらした目に絵葉書が揺れる
あなた遠い町でさよなら書いたのは
せめてもの私へのいたわりね

吊り橋の写真 選んだ理由は
心の架け橋がなかったせいかしら
やさしさを読みとれば胸がつまるわ

あなたと私の淋しさを足せば
それが愛と信じていたの

(略)



夕焼けふたたび

2009年11月04日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
「夕焼け」の項で、「パランポロンピリンポロン パランポリンピリンポロンみたいなイントロは印象的で、耳に入りやすい曲なのだが、この曲でいったいなにがしたかったのか、さっぱりわからない。でもって、書きようのない曲である。」と書いてしまった。先日、太田裕美オフィシャルサイトの「Special Interview」というコーナー? に松本隆のインタビューが掲示されていることに気がついた。オフィシャルサイトなんてロクに見てないもんだから気がつかなかった.....

いつ頃のインタビューなのかわからないが、話の内容からするとどうも「魂のピリオド」というミニアルバムが発売されたころのもののようだ。このインタビューではなかなかおもしろいことが語られていて、たとえば次のようなことを語っている。

『「夕焼け」の詩を作っていたとき、詩を直せ直せって言われて、直しすぎてわけわかんなくなっちゃったことがあった。しまいにこの詩で何を訴えたいのかもわかんなくなって、これじゃあ、自分が作詩家になった意味がないような気がした。こんなことをやりたいために、はっぴいえんどからずっと生きてきたわけじゃないよなって思って。こんなことじゃ駄目だよなって凄く悩んだ。』

「夕焼け」の歌詞を直すよう指示されて直しているうちに「わけわかんなくなっちゃった」というわけだ。「わけわかんなくなっちゃった」ままリリースしてしまったのか、もう一度わけわかるように直したのか.....その後、どうなったのかインタビューの中では語られていないのでわからない。

が、そんなこんなで「夕焼け」の歌詞はなんかふにゃふにゃしているような気がする。ふにゃふにゃしている大きな原因は、たぶん当初は恋しい心をテーマにしていたのが、2番に入って「真夏が過ぎた 海辺の駅で 別れたの あなたと 結んでた指も離れて 汽車は秋へと 走り出したの」と二人が別れてもう二度と会えないみたいな状況にしてしまい(なってしまい)、テーマが恋心から未練心に変質してしまったせいではなかろうかと勝手に推測する。別れたのではなく、なんらかの事情があって会えないとすれば、かえって恋心があぶりだされて、聴いていて感情が移入しやすかったような気がする。ま、34年も前の曲の歌詞をいまごろとやかく言ってもしょうがないのだが。

このインタビューはそのほかにもシングルとアルバムの関係とか、製作現場のあらっぽさとか、なかなか興味深い話が続いている。

で、インタビューと言えば、「Musicman」という音楽業界の年間誌? を発行しているエフ・ビー・コミュニケーションズ(株)という会社が運営している「Musicman-NET」がある。「音楽業界の総合情報・求人サイト」らしいが、そのサイトの中に「Musicman's RELAY」というインタビューコーナーがあって........説明するのがなんかめんどくさくなった。ようするにある音楽業界サイトのインタビューのコーナーに丸山茂雄が登場している。

丸山茂雄というのはたぶん太田裕美の宣伝を担当していた方で、設立されたばかりのCBSソニーレコードに入り、やがて太田裕美を担当する。インタビューの中で以下のような個所がある。

質問:その頃の印象深いお仕事は何ですか?
丸山:太田裕美ですね。彼女はもともとアイドル志望だったんですが、20才を過ぎちゃって「20才を過ぎてアイドルは無理だろう」ということになって、それでディレクターの白川(隆三)と相談して、ちょうど小坂明子が『あなた』を出したときだったんですが、「あの曲は良すぎる。次から次へあんなにいい曲を書けるわけがない」というすごく乱暴な発想をしまして(笑)、「小坂明子はこの曲の後はしばらく出てこないだろうから、太田裕美をピアノの弾き語りでデビューさせれば、小坂明子の後釜として上手くいくかもしれない」と思ったんですよ。それでこっちは本人が曲を作るんじゃなくて筒美京平・松本隆コンビで、この二人を使っていれば曲を次々と作れる(笑)。それが大成功で、本当に考えたとおりになったんですね。
(「Musicman-NET」の「Musicman's RELAY」第48回)

ヤクザな(笑)音楽業界の人間らしい語り口である。この方は1978年にEPICソニーレコードを設立して佐野元春も担当したようだ。その後もソニー・ミュージックエンタテインメントやらソニー・コンピュータエンタテインメントのお偉いさんになり、現在は「(株)に・よん・なな・みゅーじっく」の代表取締役とのこと。

あ、念のために書き添えておくが、私は「夕焼け」という作品をクサしているわけではない。とくに筒美京平の曲がよく、どちらかといえば好きな曲だ。ただ歌詞がなんというかスパッと切れていないような感じがすると言いたいだけである。

青春のしおり

2009年11月02日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
「青春のしおり」はファンに人気の高い作品のようだ。女性の視点から学生時代、といってもたぶん高校生の時代を追憶した曲で、同級生か上級生かわからないが(同級生のような気がする)男子学生とのことを描いている。

この曲に似た世界を描いているのが「手作りの画集」の「茶色の鞄」だ。「茶色の鞄」では「あいつ」は「のばした髪に帽子をのせた」り、「学生服に煙草かくして 代返させてサボった」り、「人間らしく生きたいんだ」と言ったりしているが、あまりカルチャーの香りはしない。いわゆる不良っぽい。

「青春のしおり」の「あなた」は、同じように「髪をのばして授業をさぼ」るが、その背景には、CSNYを聴いたり「自由に生きてみたい」という台詞を吐いたりして、どこかカウンターカルチャーの匂いがする。

この「あなた」に対比するかのように、主人公の女性は「赤毛のアン」を読み、アンに似てソバカスが多いのが悩みというようないいところのお嬢さんだ。この曲は「赤毛のアン」を開いて、その中にしおりのようにはさんであったあなたからの手紙を見つけ、手紙の青いインクが自分の涙でにじんでいることを思い出すところから始まる。

世間知らずのいいところのお嬢さんと「不良」みたいな男が出会って、お嬢さんが悲しい目にあうというストーリーは、このころの松本隆作品では多いが、「茶色の鞄」では時間がたち、傷が癒えた時期のいわゆる郷愁のようだが、「青春のしおり」ではかなり、痛い。傷がまだ癒えておらず、グジグジと痛んでいるようだ。それは「味気ない日々」で終わっているところに表われていて、幻滅のような断念のような思いが込められている。

さて、あらためてこの曲を聴いてみて、というか歌詞をながめてみて、じつは私にはよくわからなくなってしまった。1番と3番だけならいいところのお嬢さんが恋を失った物語でしかなく、3番の「他の娘連れたあなたの背中 ウインドウ越しに元町で見た 背のびをしてた自分の影を 舗道の上に見つけて泣いた」というあたりは、情景描写のうまさに感心するしかない。ところが2番でCSNYだとかウッドストックだとか小道具が登場してきて、なんとなく70年代の雰囲気や気分を出している。昔の私はそのあたりに、なんとなくただよっていた「時代の喪失感」とか感じて納得していたように思うが、あらためてながめてみると、なんかへんなのだ。

「若い季節のかわり目だから 誰も心の風邪をひくのね」は、アルバムタイトルのもとになっているフレーズで重要な一片なのだろうが、「若い季節のかわり目」からはやはり学生運動とかカウンターカルチャーの終焉とか言ったようなことを感じるが、「心が風邪をひいた」のはだれ? あなた? 彼女? 二人とも? 彼女だとすると、彼女は彼にひっぱられるように彼の世界に入っていったというような話?

話がまるくおさまるのは「彼女は彼に引かれて彼の世界に入っていった」という展開かもしれない。たしかに当時、カルチャー的なものにしろ、イデオロギー的なものにしろ、なにか「進んでいるもの」を「かついでいる」人間は格好よく見えたものだ。しかしそんな人間と後年ばったりあったりすると、すっかりその当時のことを忘れて、けっこう小市民として生きていたりする。そんな人間の影響を受けて「らしくない人生」を歩んでいたりする人がいるから複雑な気持ちもする。「こいつらにとっては、文化も思想も飽きたらポイッてか」そんな皮肉のひとつも言いたくなる。

ああ、いかん。話がずれた。うん? ずれてないか? そういう話なの? 元町で彼をみかけたときの「背のびをしてた自分の影」というのは、そんな彼にあわせようと必死に背のびしていたかつての彼女の姿?

「童話の本を閉じてしまえば 全てまぼろし味気ない日々」というフレーズでこの曲は終わる。「童話」とはたぶん冒頭に登場した「赤毛のアン」のことで、「赤毛のアン」を童話と呼ぶと作家の松本侑子にどやしつけられそうだが、それはさておき、「赤毛のアン」を開いたところから話は始まり、閉じたところで話は終わる。「全てまぼろし」の「全て」とはいったいなにをさしているのだろうか?

私はこの曲をけなそうとしているわけではない。むしろ好きな曲だ。このころ松本隆は「命を削って詩を書いている」とかなんとか言ったらしいが、たしかに1文字1文字にかなり神経を使い、とくに状況設定が綿密であるように思う。綿密な状況設定の上で歌詞を書いていることはなくても、書き終わったときにはかなり状況設定は綿密になっていたのではないだろうか。登場する男性と女性に名前を付けているに違いないとすら思えてしまう。まぁ、さすがに名前までは付けていないだろうが、年齢や人物たちの関係やらは組み上がっていただろう。そう思うとこの曲は、細部があいまいで、わかったようなわからないような個所があるように思う。

そしてそんな個所が逆にこの曲を魅力的にみせて、なにか深い印象を与えているような気がする。名曲というのはそういうものなのかもしれない。

作詞:松本隆 作曲:佐藤健 編曲:萩田光雄

机の上の赤毛のアンに
しおりがわりのあなたの手紙
涙にしみた青いインクが
遠い昨日ににじんでいるわ
悩みといえばソバカスなんて
今おもったら夢のようだわ
キスがちっとも甘くないこと
気付いてからの味気ない日々

CSNYなど聞き出してから
あなたは人が変わったようね
髪をのばして授業をさぼり
自由に生きてみたいと言った
みんな自分のウッドストック
緑の園を探していたの
夢ひとつずつ消えてゆくたび
大人になった味気ない日々

他の娘連れたあなたの背中
ウインドウ越しに元町で見た
背のびをしてた自分の影を
舗道の上に見つけて泣いた
若い季節のかわり目だから
誰も心の風邪をひくのね
童話の本を閉じてしまえば
全てまぼろし味気ない日々

木綿のハンカチーフ

2009年10月30日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
太田裕美について語ろうと思ったら、この「木綿のハンカチーフ」について語らないわけにはいかない。いかないのだが.....いまや国民ソングになってしまったこの曲についていったいなにを語ればいいのだろうか.....

たとえば、アルバムに収録されているものと、シングルで発売されたものでアレンジが異なっていて(シングルは筒美京平と萩田光雄の編曲、アルバムは萩田光雄の編曲らしい)、ラジオでよく聴いていたものはシングル盤のものでかなり歌謡曲っぽいが、アルバムのものはもっと明るい曲調になっているとか。シングル盤とアルバムのものとで一部歌詞が違っているとか。

当時、男と女のかけあいの形態をとっている歌詞がめずらしかったが、Bob Dylanの1964年発売「The Times They Are A-Changin'」(邦題「時代は変る」)に収録されていた「Boots of Spanish Leather」(スペイン革のブーツ)を下敷きにしていたとか。じつは私はつい最近までそのことを知らなくて、「え、そうなの?」と思ったとか。「時代は変る」ならよく聴いていたがまったく気づかなかった......お恥ずかしい......とか。そういえば晶文社から発売されていた「ボブ・ディラン全詩集」(片桐ユズル・中山容訳)はたしか箱入りで、欲しかったが高くて手が出ず、書店でずっとながめていたなぁ....とか。

シングルが1975年に発売されているが12月21日ということで、実際には翌年1976年の前半によく聴こえてきて、ちょうど私が大学に入学した時期だったなぁ。東へと向かったけど、列車でなくて父親が運転する軽トラックに下宿生活で必要なもの(と言ったって小さな箪笥と机くらい)を積んで、東名高速を行ったっけ....とか。そのとき車のラジオから「木綿のハンカチーフ」が流れた、とでもなればまだいいが、そんな記憶はないし....とか。そもそも高校では理系の進学クラスに押し込められたものだから、周囲に女子はほとんどおらず、木綿のハンカチーフを欲しがる人などいなかったじゃないかとか。それでも「気分は木綿のハンカチーフ」だったようなとか。きっとそんな「気分は~」の男がけっこうこのころいたんだろうなぁとか。

まったくこの曲の男は自己中心的で、1番はまだしも、2番では「都会で流行の指輪を送るよ 君に君に似合うはずだ」とモノでつろうとしているし、3番では「見間違うような スーツ着たぼくの 写真 写真を見てくれ」と自慢げに写真を送っている。それでも女性は「星のダイヤも 海に眠る真珠も」いらないとこたえ、自慢されても怒るどころか「木枯しのビル街 からだに気をつけてね」と男の体の心配さえしている。涙を拭く木綿のハンカチーフを送ってもらおうという、そんなささやかな願いすら自分の「わがまま」だと思っている。いじらしい女性だなぁとか。最近、太田裕美本人は、この曲は「母親と息子」の関係を描いているのではないかと言っているらしい。う~ん。母親に対しては私はずいぶん自己中心的だったなぁとか。

4番まで歌詞があるものだから、歌番組ではよく2番か3番をはしょっていて、2番だったかなぁとか。「およげ!たいやきくん」もヒットしていたけど、そうかオリコンじゃ結局抜けなかったのか。太田裕美は賞とかそういうものには恵まれなかったなぁとか。それでも1976年の年間売上金額では1位だったんだぁとか。この年、太田裕美は21歳、松本隆が27歳、筒美京平36歳、萩田光雄30歳で、なかなかいい年齢構成だなぁとか。

雑然といろいろなものが浮かんでは消えてゆく。私はこの曲を嫌いではないが、好きでもない。シチュエーションがぴったり自分にあてはまりすぎていたせいもあるし、太田裕美の名前を出すと「ああ、あの木綿のハンカチーフの」と話がなってゆく決まりごとがこのあと続くのもいけなかった。

しかし、なぜこの曲は1976年にあんなにヒットしたのだろうか。と考えてもなんとなく答えがわかるような気もするが、説明しようとするとうまくできない。ただ、1975年でも1977年でもなく、1976年でなければならなかったような気はたしかにする。

いずれにしろこの曲はヒットしてしまった。そのことで、すでに売れっ子だったはずの筒美京平はともかく、駆け出しの作詞家松本隆が業界の中である程度のポジションを占めることとなり、仕事がしやすくなっただろうことは想像できる。歌謡曲という手かせ足かせの中で、それまでなかったような実験をこころみて、結果的に少し風変わりな歌謡曲が誕生していたように思うが、この曲のヒットでそんな時代がやがて終わろうとしている。



ひぐらし

2009年10月28日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
「ねぇ私たち恋するのって 鞄ひとつでバスに乗ったの」というフレーズで「ひぐらし」は始まる。「ねぇ私たち恋するの」という台詞に当時の私はどこか違和感があった。「私たち恋するの」って言ってバスに乗る?? 不思議に思いながら30年以上が過ぎて、この曲に下敷き(というのか着想のヒントというのか)があって、その曲が「Let us be lovers」で始まっていたのだということを初めて知って、なんとなく納得できた。

この下敷きになった曲というのは、サイモン&ガーファンクルの「America」という曲で、1968年に発表になった「Bookends」というアルバムの中の1曲のようだ。日本でも1971年ころちょいとしたヒットになっているらしい。セントラル・パークでの再結成ライヴの模様が公開されていたので見てみたが、私にはこの曲の記憶がない。私より5歳くらい上の方なら知っているかもしれない。

歌詞を見比べてみると冒頭の一節以外でも「So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies.」(「ひぐらし」では、「マクドナルドのハンバーガーと 煙草はイブをポケットに入れ」)とか、似たような個所が多い。Americaではグレイハウンドバスに乗って男女が「アメリカを探して」旅するが、「ひぐらし」ではどうも東名バスかなにかで東京から京都に向かっている。そのほかAmericaでは男の視点から語られ、「ひぐらし」では女の視点から語られていることや、magazineを読んでいるのが女だったのが、「ひぐらし」では男が漫画を読んでいるとか、「煙草をくれ」と頼んだら「1時間前に最後の煙草を吸ったじゃないの」に対して「最後に吸った煙草を消して 空の銀紙くしゃくしゃにした」になっているとか、いろいろ違ってはいる。

「スーツを着ているあいつを見ろよ 三億円に似てないかって」という「ひぐらし」の個所はAmericaでは、「She said the man in the gabardine suit was a spy.」「I said "Be careful his bowtie is really a camera".」(彼女が「ギャバジンのスーツを着た人はスパイよ」と言った。「あいつのボウタイは本当はカメラなんだ注意しろ」と僕が言った)になっていたりして、むしろ笑ってしまいそうになる。「三億円」とはもちろん「三億円事件の犯人」のことだ。

そのため「あぁこれはたしかにAmericaが下敷きになっているなぁ」と思わずにいられない。まぁ、でもこのことは作詞家である松本隆(および製作スタッフ)の問題であって、20歳の太田裕美にとやかくいうのは酷というものだろう。

類似した点が多くても、歌詞のテーマみたいなものは大きく異なっていて、Americaでは「アメリカを探す」といいながら自分探しの旅みたいなものをテーマにしていて、主人公も「I'm empty and aching and I don't know why.」とつぶやく。「ひぐらし」でも「生きている事が空しいなんて 指先みつめ考えてたの」と女性が思っているが、かなり表層的だ。「ひぐらし」はどちらかというと、青春(というより思春期か)の根拠のない生活からくる浮遊感みたいなものをすくっている。この曲のふわふわした感じには、荒井由美の曲が影響し、またよくあっている。

作詞:松本隆 作曲:荒井由実 編曲:林哲司

ねぇ私たち恋するのって
鞄ひとつでバスに乗ったの
マクドナルドのハンバーガーと
煙草はイブをポケットに入れ

御殿場までが矢のように過ぎ
緑の匂い胸にしみるわ
昔はカゴで通ったなんて
雪の白富士まるで絵のよう

読んだ漫画をあなたはふせて
内緒の声で耳打ちばなし
スーツを着ているあいつを見ろよ
三億円に似てないかって

(略)

LPならB面がこの曲で始まって、「あなぁたを待っていたの~」で始まる「水曜日の約束」が続く。「ひぐらし」は「心が風をひいた日」より次のアルバム「手作りの画集」のほうがあっているように思う。ファンの方に非難されるかもしれないが、「手作りの画集」の「都忘れ」と入れ替えるわけにはいかんかねぇ? キミ?



水車

2009年10月27日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
FM東京で放送していた「パイオニア・サウンド・アプローチ」の1977年2月6日放送分は、スタジオライブという形で太田裕美のミニミニコンサートをしていたらしい。私はYouTubeでこのときの放送を(たぶん)初めて聴いた。

当時、地方から上京してきた下宿生はあまり電化製品を持っておらず、2年生、3年生となるにつれて買いそろえたりしていたが、1年生のころにはテレビ1つ持っていないことも多かった。それでも多くの学生がラジオくらいは持っていたが、なにしろ周囲に新聞をとっているものがいないので、いつなにが放送されるのかさっぱりわからない。

私は、ラジオと小さいテレビも持っていたが、同じように新聞がないのだから、スイッチをひねって点けたときが見るとき、聴くときで、まったくゆきあたりばったりこのうえない。そのため太田裕美が歌番組に出ていようが、ラジオでコンサートをやろうがさっぱり知りようがなかった。これでもリアルタイムで聴いていたと言えるのだろうか?? まぁリアルタイムはリアルタイムなんだろうが、ひどく偶然にたよりきったリアルタイムではある。

それはともかくこの放送で、太田裕美はアルバムよりもずっとのびのあるきれいな声で「水車」を歌っている。「水車」は「みずぐるま」と呼び、彼女の作詞作曲だが、彼女はこの曲は片思いをしていたときに作った曲であることと、周囲のスタッフは「とても素直でいい」と評価する人と「幼稚な歌ばかり作る」といじわるく言う人がいるというようなことを語っている。

たしかに「水車」はこれまた他愛もないことを歌っている。当時聴いていたときには「素直かもしれないが幼稚」と受け止めていたように思う。しかし、いま聴いてみると、「幼稚かもしれないが素直」と思えてしまう。こちらが年をとったせいだろう。

作詞・作曲:太田裕美 編曲:萩田光雄

水車が回ります カタコト カタコト
あなたへの愛がまわります カタコト カタコト
背中向けた あなたの姿
私の思い から回り
愛する気持ちが 弱すぎると
水車も動きが止まります
もっと 強く愛して下さい

水車が回ります カタコト カタコト
あなたへの言葉がまわります カタコト カタコト
あんまり 強く見つめないで
消えてしまうわ 水しぶき
あなたへの愛が 強すぎると
私はついてゆけないの
もっと ゆっくり愛して下さい

この曲は、TVドラマで太田裕美がブランコに乗りながら挿入歌として歌っていたらしいが、先のような理由でそのTVドラマを私は見ていないし、ドラマの名前すらしらない。調べてみたら「バケタン家族」というらしい。さらに調べてみると、1976年7月12日から9月27日に、月曜日の夜8時から放送していて、

『岩佐陽一「70年代カルトTV図鑑」によると1976年に放送されて人気を博した「見ごろ!たべごろ!笑いごろ!!」の前番組に、オバケ屋敷を舞台にしたドラマがあって「見ごろ~」の前身になったという。東京下町にあるお化け屋敷を舞台にPTAや地上げ屋の望海(原文ママ)にあいながらも行きて行く姿を描いたものだという。父親役が有島一郎、長男が松鶴屋千とせ、次男が西田敏行、三男があいざき進也、そして屋敷のマスコットシンボルがバケタンという人形らしい。で、小柳ルミ子が長女で主題歌も歌っている。でそんな家族の所に萩島真一演ずる風来坊がやってくる。そんでおじいちゃん役が黒澤映画に書かせない志村喬だったという。それでこの地上げ屋が小松政夫で、このドラマのバラエティ色豊かな雰囲気が「見ごろ」につながったのではないかという。企画は渡辺プロダクション。ちなみにバケタンはオバQに三角頭巾をかぶせたような他愛も無いキャラクター、だという。』(関心空間から引用)

とのことだった。「水車」が挿入歌というからしっとりしたドラマかと思っていたが、そうではないようだ。ああ、新聞をとっていれば.....

全然、曲の話になっていない...この曲を聴くと、なんとなくだが、若い女性の健康的な色気みたいなものを感じる。これもきっと私が年をとったせいなのだろう。

ふきのとうも1977年に「水車」(みずくるま)と題したアルバムを発表していて、タイトル曲「水車」もYouTubeで聴くことができた。太田裕美作「水車」とはまったく関係がなく、たんに偶然に同じタイトルになっただけのようだ。



袋小路

2009年10月14日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
太田裕美の3枚目のアルバム「心が風邪をひいた日」は、それまでの「まごころ」「短編集」のようにアルバムとしてのコンセプトがかなりはっきりしていたものと比べると、なにがコンセプトなんだかさっぱりわからない不思議なアルバムである。

かなり歌謡曲によったものであることはたしかだが、「心が風邪をひいた」というわかったような、じつはさっぱりよくわからないテーマでくくってアルバムの体裁をとっているが、B面の「銀河急行に乗って」をアレンジした「THE MILKY WAY EXPRESS」をA面にも収録して、かろうじてアルバムらしき雰囲気を出しているだけで、まとまりはない。「心が風邪をひいた」が恋することや恋を失うことを意味するなら、ずっと以前から太田裕美はそんな歌ばかり歌っていて、いまさら掲げるべくもない。

にもかかわらず、このアルバムは非常に不思議な魅力に満ちあふれている。玉石混交とも、渾然一体とも、ごちゃごちゃとも言えるこのアルバムは、「アルバムコンセプトなんて本当に必要なのか?」と考えたくなるようなアルバムだ。

まるでアルバムとしてまったくまとまりがないものと決めつけているようだが、これまた不思議とそんなことはない。全体としては調和がとれていて、それも「かろうじて」ではなく、「しっかりと」それなりにまとまっているので、ややこしい。

そんなややこしい「心が風邪をひいた日」は「木綿のハンカチーフ」で始まり、3曲目にはシングルカットされた「夕焼け」が収録されている。この2つの曲の間で地味だが、存在感がある世界を描いているのが「袋小路」である。

ファンにも人気があるこの「袋小路」は、当時まだ結婚していなかった荒井由美が作曲している。めりはりのきいたリズムで、筒美京平の歌謡曲ノリとはかなり違う。調べてみると、荒井由美は1975年12月に婚約し、1976年11月に結婚しているようなので、ちょうど「心が風邪をひいた日」が発表されたころ、婚約していることになる。

荒井由美作曲ということで、作詞も荒井由美と勘違いされることも多いが、作詞は松本隆で、荒井由美がひっぱりだされたのは松本隆人脈からという説もあって、そうなのかもしれない。荒井由美が作詞しても違和感はない歌詞だが、ただ一か所、登場する男が「君といるのが辛い」という台詞を吐くところがあって、そんなところで松本隆の匂いがしてしまう。

作詞:松本隆 作曲:荒井由美 編曲:林哲司(てつじ)

うす陽のあたる石だたみ道
つきあたりにはあの店がある
ビルの狭間の硝子窓から
アイビー越しにタワーが見えた

ぼんやり座る椅子のきしみが
遠い想い出 呼び醒ますのよ
あなたはレモンひと口噛んで
「君といるのが辛い」と言った
もしどちらかにひとつまみでも
やさしさがあったなら
袋小路をぬけだせたのに
袋小路をぬけだせたのに


「青春時代」へのノスタルジーがテーマになっていて、若かったころ通っていた店に行き、当時つきあっていた彼氏とのことを思い出す女性の心境を歌っている。

歌詞の出だしが見事だ。薄日のあたった石だたみの道をまっすぐ行ったつきあたりに店がある。聴くものも歌い手といっしょに道をたどり、店の扉の前にいざなわれる。続いて店の中のシーンだ。「ビルの狭間の硝子窓から アイビー越しにタワーが見えた」アイビー(つた)がはっているガラス窓ということから、昔はよくあった古い喫茶店の情景が浮かぶ。ジャズ喫茶か。

木製の古い椅子は体を動かすたびにきしむ音がする。その音が青春時代のワンシーンを呼び起こしてしまう。レモンティーのレモンをかじりながら彼は「君といるのが辛い」と言った。あのとき二人が入り込んでしまった袋小路は、もしかしたらほんの少しのやさしさやあたたかさを持てば、抜け出せたのではないだろうか。

主人公の女性がそのとき未婚なのか結婚しているのかはわからないが、いずれにしろ失った青春時代と昔の恋を思っていることから、いまけっして幸福ではないのだろうと思われる。ノスタルジーというより悔いの気持ちというべきだろうか。

「もしどちらかにひとつまみでも やさしさがあったなら 袋小路をぬけだせたのに」と歌うが、もしそんなやさしさがあったとしても、その袋小路は抜け出せなかったのではないだろうか。破綻した恋は、破綻すべくして破綻したのではないだろうか。

松本隆は慶應大学中退という。JR田町駅(都営三田線三田駅)の近くは、2階建てくらいの飲食街が固まっていて、それこそ袋小路のようになっている。慶應大学沿いの桜田通り(国道1号線)に出ると東京タワーの全体が残らず見える。

七つの願いごと

2009年10月13日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
「七つの願いごと」は、4月の出会いから10月の別れまでの7ヶ月間の恋を歌った作品である。「四月になれば何かが変わる」「五月になれば何かが変わる」と同じフレーズで始まる短い歌詞が7回繰り返される。

4月は恋が芽生え、道端の花にもふと心ひかれる。5月は彼の白くまぶしいズックが彼女の赤い靴を引きよせる。雨の季節の6月は、あえないかわりの手紙が待ち遠しく、7月は彼を思って眠れない彼女は羊の数を数えてすごす....二人の恋の進展具合と急速に恋に落ちてゆく彼女の心の具合を、松本隆は短い歌詞で簡潔に表現している。とくに最高潮に達した8月の夏の「見つめあう瞳がはずんでる サイダーびんから気球が飛んでゆく」というフレーズでは、サイダー瓶の中の無数の泡立った気泡と彼女の舞いあがるような気持ちとがうまく重なって見える。

伴奏も、最初はピアノだけで始まり、5月になるとギターが加わり、6月になるとベースギターが、フルートが、ドラムが、としだいに増えてゆく。太田裕美も最初は小さなつぶやくような歌い方だったのが、じょじょに力強い歌い方になってゆく。こういう構成になっているため、スピーカで聴いていると最初に「あれ、音がしない」とボリュームを上げると、最後には大音量になってしまい、あわててボリュームを下げるはめになる。

なにかが起こったという胸騒ぎを起こすのが9月だ。「すれ違ってくふたりの会話 ふみ切り越しのボール投げ」と二人の間に隙間風が吹くようになる。原因は(たぶん彼氏のついた)ひとつの嘘だ。そして最後の10月は「十月になれば全てが変わる」で始まる。かなりドスのきいた太田裕美の歌い方で「なにか」でなく「全て」が変わってしまったことが身にしみる。

この作品の歌詞でいいなぁと思うのは、10月の別れで、「青空を見て胸いたむのは 大事なものを失った 心のすき間に青さがしみるから」と彼氏のことにはいっさいふれず、青空の青さが心にしみるとだけ言いきっているところだ。未練がましい言葉はないが、彼女が恋を失い、涙にくれた日々があり、やがて涙もかれ、ただ心の中にぽっかり空いたすき間に秋の青空の青さがしみるとすることで、いさぎよさというか、すっくと立ち上がったりりしさのようなものを私は感じる。

作曲と編曲が萩田光雄で、じつのところ作曲者と編曲者がどう役割分担しているのか、私にはわからないが、太田裕美の曲というとすぐに「松本隆・筒美京平」のコンビに話題が言ってしまうが、萩田光雄の存在なくして太田裕美の初期の曲は語れないのではないかと思う。

作詞 松本隆 作曲:編曲 萩田光雄

(略)

八月になれば何かが変わる
白いペンキの避暑地の店で
見つめあう瞳がはずんでる
サイダーびんから気球が飛んでゆく

九月になれば何かが変わる
すれ違ってくふたりの会話
ふみ切り越しのボール投げ
ひとつの嘘から谷間が広がった

十月になれば全てが変わる
青空を見て胸いたむのは
大事なものを失った
心のすき間に青さがしみるから

なぜ7か月の恋の歌のタイトルが「七つの願いごと」なのだろうか。不思議に思って調べていたら、NASAの天体望遠鏡が撮影した「神の目」と呼ばれる目の形をした星の写真があった。星に星雲がかかって目のように見え、「この目を見つめる者には多くの奇跡が訪れるといわれており、見るものがこれを信じる信じないは関係なく、7つの願いが聞き届けられると言われています。」というメールとともに一時出回ったようだ。結局、チェーンメールのようなものらしいが、地球から約690光年離れたみずがめ座惑星状星雲の星の爆発した写真は不気味でもあり、美しくもあった。

で、なぜ、「七つの願いごと」なのだろうか。



夕焼け

2009年10月11日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
便利な世の中になったもので、YouTubeなどで昔のテレビ番組に出演し、歌っている太田裕美を見ることができる。そんな中に1975年7月28日放送の「夜のヒットスタジオ」らしき動画があって、太田裕美のじつの父親と母親、そして妹さんが登場するシーンがある。司会が三波伸介と芳村真理で、三波伸介が「雨だれ」を「あまったれ」とダジャレた昔のことを繰り返し言っている。そのあとで、太田裕美の幼かったころのピアノの先生が登場し、ひさしぶりの体面に彼女は涙を見せるが、涙をふきながら彼女は「夕焼け」を歌った。3枚目のシングル「夕焼け」は、1975年8月1日発売ということから、発売直前のワンシーンである。

あらためて見てみると、当時20歳の太田裕美の顔はほんとにまん丸でいかにも幼い。女性が一般的にそうであるように、この後の数年の間にいかに大人っぽくなっていったかがよくわかる。また、涙をぬぐうようなしぐさなど簡単な振り付けもしていて、キャンディーズほど派手ではないが、それなりにアイドルっぽいこともしていたんだなぁとあらためて認識した。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄

あなたに逢えた まぶしい夏が
目に浮かぶ 夕焼け
陽に灼けた やさしい顔が
「元気だせ」って叱ってくれる

泣いてはいけませんか 一人で
あなたがとっても 好きだから
青い波 はしゃいだ手に
もう一度ふれたいの

真夏が過ぎた 海辺の駅で
別れたの あなたと
結んでた指も離れて
汽車は秋へと 走り出したの

泣き虫 そうよ私 あれから
逢いたい逢えない あなたなの
街角でよく似た人
逢えば心さわぐの

泣き虫 そうよ私 あれから
素肌の夏さえうすれても
この胸に消えないのよ
あなたの愛の炎

「夕焼け」もかなり他愛もない歌詞である。当時の歌謡曲風に表現すれば「ひと夏の恋」とでもいうべきもので、それもかなり淡い恋と別離を歌っている。曲調が明るく、太田裕美がのびやかに歌っているため、ともすればこれが失恋の曲だといういうことに気づかないほどだ。

二人は、夏といってもすでに日差しのまぶしくなった夏にであい、海で過ごし、真夏とは呼べなくなったころ駅で別れる。秋が近づいたころ、美しい夕焼けを見て、彼女は彼を思い出し、心の中でまだ燃えている彼への思いに苦しむ...この曲はアルバム「心が風邪をひいた日」に収録されているが、曲の感じからすると「短編集」に収録されていておかしくない。

パランポロンピリンポロン パランポリンピリンポロンみたいなイントロは印象的で、耳に入りやすい曲なのだが、この曲でいったいなにがしたかったのか、さっぱりわからない。でもって、書きようのない曲である。

2枚目のシングル「たんぽぽ」(1975年4月21日)と2枚目のアルバム「短編集」(1975年6月21日)をリリースしたあと、この「夕焼け」を発表。「木綿のハンカチーフ」まであとわずかだ。