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CACAO通信パート2

食べ物、思い出、その他、不定期に更新しています。
また、母校の県立生田高校3期生の連絡も。

「おくりびと」と「納棺夫日記」

2009年04月04日 | 映画

上記の題で、田代俊孝という大学教授で寺の住職でもある方が、中日新聞に記事を書いていました。それによると、「納棺夫日記」の著者青木新門は、本木雅弘から映画にしたいという申し出を快諾したものの、シナリオを読んで宗教が全く排除されていることから、原作者として自分の名前を出すことを拒んだのだそうです。その気持ちは分かる気がします。私のように途中で挫折した者にさえ、納棺の話しよりも、親鸞を中心とした仏教について書きたかったのだということが伝わるからです。しかし田代は、「おくりびと」は「納棺夫日記」の哲学を映像と役者の動きで表現していた、としています。死と生は連続しているという哲学、具体的には、腐敗した遺体に群がる蛆のシーン、社長とふぐの白子を食べるシーン、クリスマスに事務所でフライドチキンを三人でむさぼり骨を写すシーンだといいます。さらに、最後に自分を捨てた父の納棺をするという場面もそうだとします。また、死をタブー視する差別と偏見への問題提起の例として、妻が自分に近づく主人公にたいして、汚らわしいと言って実家に帰る場面があるとしています。そして、

「おくりびと」には、「納棺夫日記」に見られるような哲学が言葉としては、表現されていないが、映像の上で、それを出す工夫が充分にされていた。むしろ、その哲学性こそがこの作品に重みを出している。

としています。いくらなんでも「充分」は言い過ぎだと思います。難しい宗教用語や引用をしての「納棺夫日記」の専門的な宗教の部分を取らず、極めて日常的なレベルでの原始的とも言える死と生に対する人々の想いのレベルで描いた所に、ヒットの理由があるように思うのです。納棺や最後の別れのシーンなどに、見る人がそれぞれの経験を重ね合わせて、さらに思いを深くして涙するというところがあるのではないでしょうか。

先日のTV「とんねるずのみなさんのおかげです」特集の食わず嫌いのコーナーで、所ジョージが、私の実家のある川崎市登戸(向ヶ丘遊園)の「肉の伊勢屋」という肉屋を紹介したそうです。私は見ていなくて妻が見ていて教えてくれました。私はこの店を知らず、同郷の会社の同僚に聞いたところ、知らないの?!と逆に言われてしまいました。番組で紹介された和風ビーフジャーキーや、ギフトに引っ張りだこのコーンビーフ、さらにベーコンやソーセージ、レバーパテなどもあるそうで、今度帰った時には是非行ってみたいと思っています。ただし、それでなくても手作りなところにTVで紹介されて、待ち状態という話も・・・。

今日は午前中は泌尿器科(前立腺肥大)、耳鼻科(花粉症)のハシゴ、昼は誕生日の三男とガストでステーキランチ(!?)、午後は雨でジョギングが出来ないので近くのDSで買った安いボルドーの赤ワインを飲みながら、川崎フロンターレと名古屋グランパスのTV中継を観戦です。解説がうるさいので、音を消して見ています。楽しみにチェックしている「安ワイン道場」の4月1日の記事ではないですが、ボルドーの安いのは大外れはないもののあたりも無い、のでしょうかね。可も不可もなく、ちょっと食傷気味です。これなら同じ店で売っていて試飲したバッグインボックス(箱入り)のボルドーの方が、まだ良かったなぁ。


おくりびととTVドラマ最終回

2009年03月20日 | 映画

アカデミー賞外国映画部門等多くの賞を受賞した「おくりびと」のDVDを見ました。様々にメディアで紹介されているので詳細は省きますが、もっと納棺師という仕事や納棺の儀式をメインに据えた映画かと思っていました。予想よりしっかりとストーリーがあり、映画として見応えがありました。前半は笑いが中心、後半からは涙をさそうシーンが多くなります。なにげないところで涙が流れたりもしました。詳細には語られませんが、様々な死者とそれを送る人達もこの映画の大事な出演者です。始めにも出てくる女性と見まがう美しい、練炭自殺した若い男性。主人公が始めて対面する遺体は、死後2週間程経ったという設定の一人暮らしの老婆。部屋は蛆のわいた食べ物なども散乱しています。教会で、野球をしていた時の写真が祭壇に飾られた少年の遺体。ひな壇の前で、妻、娘、孫娘にキスマークをつけてもらう老人の遺体。暴走行為の事故で亡くなった女子高校生の遺体と生き残った男子生徒。また家族では、たった5分遅刻したことを怒りちらしていたのに帰るときには、「妻はいままでで一番きれいだった」と礼を述べる夫。最初の若者の母が、「女に生んでやれば良かった」というセリフも忘れられません。スタッフは、脚本は料理の鉄人などを手掛けた小山薫堂、音楽はジブリでお馴染みの久石譲、チェロ奏者には古川展生が参加しています。エンディングは、バックの映像に納棺前に体を清めたりする所作が映し出されていて、音楽と共に質が高く、映画館ではきっと皆席を立たずに見入っていたのではないかと想像されます。キャストでは、本木雅弘、山崎努が芸達者なところを見せていました。最近気になっている広末涼子も普通っぽさが良かったです。アイドルとしてデビューしたころは、何とも好きになれなかったのですが、年を重ねてきていい味が出てきているような気がします。主人公の勤務先の事務員役の余貴美子が適度に色っぽく、また子供を置いて家庭を捨ててきたという影の部分も感じられ、良かったです。実は、以前書きましたがほぼ同時にamazonに注文したノベライズ版を先に読んでいたので、筋は既に分かっていました。そのため、展開という意味で驚きが無かったというマイナス面はあったのですが、一度映像を見ただけでは見逃してしまいそうな細部や映画では詳しく説明されない設定・説明などが分かっていたので、より深く理解することが出来、そういう意味では良かったです。今日あたり、この映画のきっかけのひとつとなったらしい「納棺夫日記」という本が、やっと届きます。読んだら感想を書きたいと思います。DVDも発売され、レンタルも開始すると思いますので、是非一度見てください。

TVドラマも、続々と最終回を迎えています。今シーズン見たのは、結局「トライアングル」と「ありふれた奇跡」の二本でした。「トライアングル」は終わってしまえば、内容はあぁなるほどという感じですが、主人公の同僚で一緒になって捜査をしていたが実は犯人だったという警部補役の小日向文世のなんともやりきれない笑い顔が印象に残りました。25年前に殺されたさちこ役の女の子もかわいらしかったです。「ありふれた奇跡」は、さすが山田太一という感じで、最終回は一応ハッピーエンド風なのですが、普通のドラマなら書き切ってしまう幸せな一杯の姿は、エンディングのバックに流れるそれぞれの家族が記念写真を撮るという形にしている辺りは抑制が効いました。今回の中では、加瀬亮の母が仲間由紀恵の母の「幸せか」という質問に答えて「幸せかどうかで生きていないから」言ったセリフが印象に残りました。ふたつの家族が集まって、話しをするところも、この話の総決算という感じで、聞き応えがありました。連続ドラマはこれが最後ということですが、それにふさわしい作品だったと思います。もっとも「あれは嘘で、もう一回やります」というのもありだと思いますけどね()


レミーのおいしいレストラン

2009年03月14日 | 映画

2年程前のディズニー/ピクサーアニメです。嗅覚や味覚が優れ、人間の言葉が分かり、料理本も読めるネズミと、シェフの息子ながら(本人は知らない)料理はまるで駄目な若者が、パリのレストランで力を合わせて素晴らしい料理を作るという話し。詳細は、こちら。公開時から気になっていたのですが、DVDがレンタルされだしてからもそのままになっていました。三男が見たいと言っていたこともあり、やっと借りてきました。それなりにおもしろいだろうと思っていましたが、見終わって、正直ここまでとは思いませんでした。良く出来ています。原題は「ラタトゥイユ」(南フランスの野菜のごった煮)で、これが最後の方で重要な意味を持ってきます。フランスやカリフォルニアのレストランの協力もあって、厨房やホールの様子も上手く描かれています。クレジットには、ギィ サヴォアやトゥール ダルジャン、そして今は亡きタイユヴァンのクロード ヴリナの名前もありました。日本語訳には、名誉料理の鉄人石鍋裕が監修をしています。前シェフが作り上げた星付きレストランの名前を使って冷凍食品を売ろうとするシェフや、辛口批評を売りにするグルメ評論家、男ばかりの厨房で奮闘する女性料理人など、設定もなかなかです。そういったしっかりしたディテールと、ネズミがフランス一の料理を作ってしまうという荒唐無稽な設定は、ちょっと考えるとちぐはぐそうですが、案外無理なく進行していきます。ワインは、シャトー ラトゥールとシュヴァル ブラン位しか出てこないのが若干残念ですが、子供も見るということを想定すると、仕方ないかもしれません。そうそう、HPではソムリエの田崎真也や、「おくりびと」の脚本を書き、食通としても著名な小山薫堂などがコメントを寄せています。子供向けに家族愛というテーマも盛り込まれていますが、どちかと言うと大人、特に料理に興味のある方が見た方がより楽しめるアニメという気がします。

前回書きました棋聖戦ですが、山下棋聖が勝ち、タイトル防衛しました。ずっと正座で足を崩さず、封じ手を書く為に別室へ立つ時も何事もなく立ち上がった姿が妙に印象に残った棋聖でした。そうそう、武宮9段は私より4つ程年上なだけだと言うことが分かりました。そう言われれば、肌の感じとかそれ程の年ではなかったなぁと、思い返したりしています。

Jリーグが始まりました。今年も故郷川崎のフロンターレを応援していきたいと思っています。しかし、なかなか勝てないですね。ホームでの初戦引き分け、アウェイでの二戦目は負けという結果です。二戦目はTV放送があって見ていたのですが、どうもパスとかシュートとか、かみ合ってないですね。忙しくて、練習不足?これまでも、最後で僅かな勝ち点差で涙を呑んでいるだけに、シーズンは長いとは言え、初めから頑張って欲しいものです。


映画2題「異人たちとの夏」&「しゃべれども しゃべれども」

2008年03月23日 | 映画

「異人たちとの夏」は、山田太一原作の映画です。原作は随分と前に読み、感動した覚えがあります。主人公が地下鉄の駅を出ると、タイムスリップしているという設定。(浅田次郎の「地下鉄に乗って」もそんなでしたが。)そこで若くして亡くなった両親に出会います。アパートの二階の部屋を訪れ、子供の頃に戻って至福のひと時を過ごします。原作もそしてこの映画でも一番胸を打たれるのは、その両親とのやりとりです。映画では、主人公が風間杜夫、父が片岡鶴太郎、母が秋吉久美子という配役。三人とも年恰好は同じ位なのですが、主人公は完全に子供扱いで、下町のことですから言葉は乱暴ですが、なんともいえない子への慈しみの情にあふれています。その絶妙なこと。特に、秋吉久美子の演技は絶品です。幸せな時間が長く続かないのは、物語の定め。別れの時が来ます。最後にとすき焼きを食べに行き、そこで二人は消えてしまうのです。原作ではここが一番泣けました。映画でも?と思っていたのですが、映画では部屋で会っている時の方が良かったです。他にも主人公の住むマンションに美女がいて云々という部分もあり、テーマは大人のホラーということかと思いますが、正直なところ本も映画もどうもその辺がピンときません。でも、三人の演技は一見の価値があると思います。レンタルであるようです。私は近所に無かったので、買いましたが。

「しゃべれども しゃべれども」は、今ブームの落語家の話しです。古典落語一本やりの二つ目の落語家が、ひょんなことから自宅で話し方教室のようなものを始めるはめに。いやいややっていくうちに、落語に目覚めていくというものです。生徒は、知り合いから頼まれた関西から転校してきた小学生、美人だけど口下手で愛想のない若い女性、そして解説の下手な元野球選手です。この小学生が、上手い!よく上手いけどそれが鼻につく子役というのがいますが、全然そういう感じが無くて、おもしろい。元野球選手は、朝ドラ「ちりとてちん」で父親役の松重豊。美人役は香里菜。見事なまでに無愛想に演じています。いい~すねぇ、彼女。普段もコミュファのTVCMなんかやると一人でこっそり喜んでいるのですが、これに出ているとは知りませんでした。全体としては、やや地味目ですが、ほのぼのとして楽しめました。当然落語のシーンも織り込まれています。小学生が、枝雀の「まんじゅうこわい」を覚えて、クラスメイトの前で演じるというところがあるのですが、なかなか上手です。香里菜もその後で「火焔太鼓」をやるのですが、結構さまになってます。同じ落語を扱ったTVドラマの「タイガー アンド ドラゴン」のような派手さはないですけど、落語好きや下町の雰囲気の好きな方にはおすすめかも。


東京物語/小津安二郎

2007年06月19日 | 映画

キッカケは、茂木健一郎が講演などで、人生を変えた映画とか、原節子さまとか盛んに言うので、どんな映画か興味を持ったのです。世界的にも評価が高く、かなり有名な映画なので、説明は省いて、早速感想へ。まず、その原節子ですが、永遠の処女とか言われる位なので、日本的な美人かと思ったら、どちらかというと欧米系の顔立ちだし、鼻が若干大きめだなと思いました。けなしている訳ではなくて、素敵だし、痩せ過ぎてないところも色気があって魅力的でした。全般としては、女性の言葉遣いが美しいなと強く印象に残りました。今だとそれこそ、ドラマで気取った感じをだすのに使われそうな、「ごきげんよう」とかそういう感じの言い回しですが、これが実に耳に心地よかったです。それと、これも女性達の所作の美しさ。演技だからなのかもしれませんが、それだけで惚れてしまうなという感じです。終戦後8年経った頃の風俗も興味深かったです。ただ、いかんせん映画の進行のテンポが遅いのには参りました。

茂木もそういい、ネット上の説明など見てもそうなのですが、田舎から出てきた両親の相手をしない子供達とか、母親が亡くなってすぐ形見を貰いたがる、一人になった父を置いてさっさと帰る薄情な子供達という言い方をしますが、現実はそんなものではないでしょうか?重松清の話しによく使われるモチーフに、帰ったらやさしい言葉のひとつもかけてやってとか思いつつ帰省するのだけど、実際には両親の言葉やすることにイライラしたり、邪険にしたりして、結局早々に戻ってきてしまう、というのがありますが、とても共感を覚えます。気持ちの上では、ありがたいとか、うれしいとか、やさしく温かい気持ちがあるのに、素直に出せない。小津も批判的にではなく、人間なんてしょうがないな、そんなものだろうという、若干の諦観を交えながら、淡々と描いてみたのではないかと思います。終盤、原節子が、自分の苦悩を義父に打ち明けるところや、薄情な兄や姉を批判する言葉を吐く香川美子をさとすところに、それを感じるのです。義理の父母の世話をするけなげな原節子も、一見薄情な義兄姉も、実は同じ人の裏表に過ぎないということなのだと思います。