芭蕉の故郷である伊賀上野へ行ってきました。以前俳人黛まどかが奥の細道を歩くという本を読んで以来、芭蕉が気になっていました。忍者で有名な伊賀上野は、今住んでいる亀山市から電車でも車でも約40分程で行けるところにあります。まずは「芭蕉翁記念館」を訪問。思っていたより小さく、少しがっかりしたのですが、ちょうど絵巻物の展示をしていました。とても興味深く見ることが出来ました。文章の部分は達筆すぎてほとんど読めませんが、絵を見ているだけでも興味深いものでした。例えば、「野ざらし紀行」の「汝が性のつたなきを泣け」というシーンでは、泣く子供とそれを見る芭蕉達の姿が描かれていたりという風に、有名な場面を絵に仕立てています。句の展示では、口述で筆記させたという
旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる
の書かれた紙が、ありあわせに書き付けたという風で印象に残りました。最後の句ではあるが、辞世として書いた句ではないようです。「昨日の発句が今日の辞世、今日の発句が明日の辞世、一句として辞世ならざるはなし」という凄まじい姿勢で句作をしていたそうです。
その後、芭蕉翁生家へ。 当然その時代の建物そのままでは無く、手が入っているとのことでしたが、昔の建物ということで見ても、興味深く見ることが出来ました。大きな特徴は、天井をはじめとして、全ての高さが低いということです。くぐり戸などは、本当に気をつけて通らないと、私など(身長164cm)でも頭を打ちます。裏庭の記念碑とその名の由来となった芭蕉があり、パチリ。
旧里や臍の緒に泣としの暮
生家に戻った芭蕉が自分の臍の緒を大事にとっておいてくれた母を思い涙するという句だそうです。ストレートに伝わってくる句です。
すぐ近くの愛染院へ。芭蕉の家の菩提寺だそうです。こじんまりとしたお寺です。
家はみな杖にしら髪の墓参り
お盆に家族で墓参りをした際の句とのことですが、元があって少し違ったようです。杖だかしら髪が無かったとか句碑に書いてあったように思うのですが、定かではありません。この句に限らず、はじめに作った句を後で変えてみたり、ひとつの句が出来るまでの推敲したりという様子を句碑でいくつか目にしましたが、とても興味深いものがありました。ちょっとユーモラスでもある、ほのぼのとした句です。写真は途中で目にした燃料店の看板です。壁面に直接広告が書かれていたり、古い看板を外さずその上に新しい看板をかぶせ、それが一部落ちて古い方が見えているなんて、なかな風情があるでしょう?!こういう昭和を感じさせてくれる看板が結構好きです。
「貝おほひ」という仲間と作った句集を奉納した、上野天神宮へ。
そこから表通りをかなり歩いて、蓑虫庵へ。芭蕉五庵のひとつで、現存する唯一のものだそうです。
蓑虫の音を聞に来よ草の庵
弟子の服部土芳の庵で、この句は庵開きの祝いとして贈ったものだそうです。蓑虫は鳴くわけではないようなので、移動する際の音(?)が聞こえる位静かであるということなのでしょう。無音を聞くという感じでしょうか、心で聞く音とでもいうのでしょうか。有名な
古池や蛙飛びこむ水の音
の句碑もありました。当時、蛙といえば跳ねると歌うというのが決まりだったそうで、飛びこむという発想は新しかったようです。こういったことは、言われなければ分からないことですね。
今度は、他の場所、たとえば東京とか大阪の、芭蕉ゆかりの地を訪れることが出来たらと思ったりしています。また、同じ三重の松阪にある本居宣長に関する施設も訪れてみたいものです。