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CACAO通信パート2

食べ物、思い出、その他、不定期に更新しています。
また、母校の県立生田高校3期生の連絡も。

20世紀少年 もうひとつの第2章

2009年08月30日 | インポート

先週に引き続き、最終章公開に先駆けてTV特別編集篇が放送されました。今回は、ケンヂの姪カンナを中心としたストーリー展開になっています。少年時代の切ない感じは、前作の方が強かったですが、今作品もそれなりにおもしろかったです。カンナ役の平愛梨は、演技はまだまだという印象でしたが、役にぴったりでした。顔見ると食べ歩き番組という感じの石塚英彦もなかなかいい味出してました。三波春夫を思わせる歌手役の古田新太も、まさにはまり役。最終章も早く見たいような、見たら終わり!のような、複雑な今の気持ちです。ちなみにウィキペディアには詳細に書いてありますが、ネタばれのようなので、見る前には読むな!?でしょうか。


納棺夫日記/青木新門

2009年03月28日 | インポート

納棺夫日記/青木新門

15年前に、本木雅弘がこの本を読んで感動し、「おくりびと」を作るきっかけとなったという本です。第一章と第二章は、自身が納棺夫となった経緯や仕事の様子について書かれています。第三章は、高見順、親鸞、金子みすず等を引用しながらの死生論です。自身の経緯や出会った遺体についてのエピソードのいくつかは、「おくりびと」にも使われています。元となった日記がかなり簡略だったようで、それほど詳細には書かれていません。むしろ映画でイメージを膨らませる感じでしょうか。あまりにプライベートなためか(?)、映画には使われなかった、しかし最も印象的なエピソードがふたつあります。ひとつは、叔父との別れです。叔父は、著者が納棺の仕事を始めたと知り絶縁を申し渡すのですが、死を目前に見舞いに行くと朦朧とした状態だったにもかかわらず「ありがとう」と口を動かしたという話し。もうひとつは、故郷に戻って最初につきあった恋人の父の納棺の話し。当時は家の前まで行くことはあっても、結局会うことはなかった父親に納棺という形で会うことに。汗をかきながら作業する著者の傍らにいつのまにかその彼女が座り、目に涙を溜めながら汗を拭いてくれていたそうです。言葉は交わしませんでしたが、皆が見ている前でのその行為とまなざしにより、自分の全存在が認められたと感じていました。

あの悲しみと驚きの美しい目の奥に見た何かが、全てを解決してくれた。人を恨み、社会を恨み、自分の不遇を恨み、すべてが他者の所為だと思っていた人間が、己をまるごと認めてくれるものがこの世にあると分かっただけで生きていける。(3031ページ)

また、引用されている、有名な宮沢賢治の詩「永訣の朝」も、著者のみぞれについての記述と共に読むことで、一層心に染み渡ります。まさに雪国の風土、みぞれの冷たさと湿った感じが伝わってきます。

列車への飛び込み自殺の轢死体から散乱した脳を、木の枝を箸代わりにして拾い上げるというエピソードもあります。これを読んで思い出したのは、ずっと昔に読んだ記事で記憶が曖昧なのですが、母親(祖母?)が交通事故(トラックに轢かれた?)に合った子供の、やはり散乱した脳を涙ながらに拾い集めるというものです。どう表現されていたか忘れましたが、ひとかけでもそのままにして拾いそこなったら、息子の脳は完全でないからというような思いが込められているとあったような気がします。行為の生々しさと子を思う切なさがあまりにくっきりとコントラストを描いた話で、未だに忘れることが出来ません。

さて、「ひかりといのち」と題された第三章ですが、これが力作であります。中の引用文やエピソードは分かりやすいのですが、宗教用語を使って述べられる本論の部分は、いかんせん難しい。残念ながら途中で挫折しました。こういう文章を読んでいつも感じるのは、宗教というのは難しいということです。そして、次のような危惧もおぼろげながら感じるのです。

どんな教義でも、それが具体的な言葉として主張されると、危うくなる。どんなに立派な世界観でも、囚われてしまうことに対する警戒心が、共感する心とせめぎ合う。私が「実行」の問題としては今までのところどんな宗教にも帰依していないには、そのような事情がある。(今ここからすべての場所へ/茂木健一郎)

ちなみに文庫本最後に掲載の高史明の解説は、この本を平易にまとめ要約しています。



ブランケット・キャッツ/重松清

ブランケット・キャッツと呼ばれる、3日間だけのレンタル猫を共通項として書かれた連作小説です。ちなみに猫はその都度変わります。といっても猫の物語ではなく、猫をレンタルした人々、家族のお話です。登場するのは、子供の出来ない40代の夫婦、会社の金を横領して旅に出る独身女性、いじめをして友達を自殺未遂に追い込んだ主犯格の子供のいる家庭、痴呆の始まった老母の最後の家での夜を迎える家族、内緒で猫をマンションで飼おうとする若いカップル、新しい母親に馴染めず家出をくわだてた兄妹、家を売り払うことになった家族といった具合です。始めの印象は、amazonの書評にもありますが、上手いけどまたこのパターン?!というところでした。ありふれた家庭、事件的な場合でも新聞の三面の隅にも載らない様な設定。ハッピーエンドにはしないけれど、未来への希望を匂わせる。長さもやや短いし。ですが、これがスルメの干物みたいで、あとで思い返してみるとなかなか味わい深い。さすが!と思ってしまいました。それぞれ良いのですが、自分の年齢もあり、痴呆の老母が出てくる話はジンときました。会社の昼休み、昼食をとりながら読んでいたのですが、回りに同僚がいるのに泣きそうになりました。さすがにこらえましたが。若い娘と恋人が口論するところに、「介護って絶対に、死ぬほど大変だと思うけど、そっちより親を施設に入れちゃうほうがもっと悲しいひとだって、いるよ」とあるセリフが気になりました。時々TVの街頭インタビューなどで聞かれる、「家族に迷惑をかけないように~(老いる、死ぬ)。」というフレーズが常々気になっていました。もちろん、その方が本人も回りもいいに決まっています。でも、老いて死んでいく存在としての自分を考えた時に、そういう風に言うということに、なんとも複雑なものを感じます。「迷惑かけたっていいじゃないか!」と言いたい気持ちと、迷惑かけない方がいいという気持ちと。でも、たとえば痴呆になるならないについても、環境や本人の資質といった分析すれば色々な客観的に把握出来る要素はあるにしても、また成りにくくする方法とかあるにしても、どうなるかは皆違う、言ってみればなるようにしかならないわけで、その中で状況に合わせてそこそこ頑張っていくしかないというのが現実でしょう。泣いたり笑ったり、怒鳴ったり喧嘩したり。ときには手が出ることもあるかもしれないし、最悪事件に発展する場合だってあるわけです。それを、いくら言葉の上とはいえ希望とはいえ、「迷惑をかけないで~」というのは、傲慢?!ということかなぁ・・・。大分話しがそれましたが、傑作ではないですが、なかなkの佳作だと思います。


あなたの隣人を愛するように、あなた自身を愛しなさい

2009年03月20日 | インポート

茂木健一朗のブログで知った、内田樹のブログの2009.03.19が興味深いです。聖書にある「自分を愛するように他人を愛しなさない」という言葉を取り上げています。一般にそれの言葉を「自分を愛することは容易だが、隣人を愛することは困難であると解釈するが、本当だろうか?」というのです。詳しくはブログを見ていただくとして、自分なりにピックアップすると以下のようになります。《要約》人は、実は自分を愛するすべを熟知していないのではないか。年間3万人を超える自殺者だが、これは「今の自分に満足できない」「自分自身をうまく愛せない」一番の例ではないか。そもそも向上心というもの自体、今の自分に満足できないことによるもので、言い換えれば「もっと自分を嫌いになること」を推奨すべきだということになる。そのために有効なのは隣人に対して「私はお前が嫌いだ」ということだろう。そんなこと!と思ってしまうが、実際にはそういうことを日常している。権力、財貨、知識等々によって「他人から承認され、尊敬される」という形でしか自分を愛せない人間の方が多い。資本主義経済、高度情報社会、格差社会なども、「自分を愛せない」という自己評価の上に成り立っている。自己評価の低さによって競争に勝ちのぼっていこうとする。自分を愛せない人間が「自分を愛するように隣人を愛せるだろうか」ということになる。《要約ここまで》。《以下最後の部分の引用》「人を愛すること」自体はそれほどむずかしいことではない。けれども愛し続けることはむずかしい。四六時中いっしょにいて、その欠点をぜんぶ見せつけられて、それでも愛し続けることはきわめてむずかしい。けれども、努力によって、それも可能である。そのように人を愛することが、「だいたい10人中7人くらいについてはできる」ようになったら、その人は「自分を愛する」境地に近づいたと申し上げてよろしいであろう。《引用ここまで》。どうですか?!ちょっととっかかりが無理やりという感じもしないではありませんが、常識となっているような前提をいちど無理やりにでもひっくり返して考えてみるというのは、意味があることではないかと思います。話をもとに戻すと、他人を愛することと自分を愛すると、他人を(ありのままに)評価するということと自分を評価するということ、特に他人が極近しい、先の表現で言えば四六時中いっしょにいる人に対してそうするということは、表裏一体というような密接な関係があると言えます。たとえば、家庭内での暴力、親から子へ、夫から妻へという、肉体的に強い立場のものから弱いものへの暴力にそれが顕著に現れているように思います。それらの関係は、通常であれば愛を持って接するのがあたりまえと言えます。それが何故暴力という、まったく逆な行為に及ぶのか。きっかけとなるのはきっと、相手が自分のいうことを聞かないとかいったことでしょうけれど、その根底にあるのは相手のありのままを容認できない、許せない、愛せないということだと思うのです。では、それは何故か?さらに探っていくと、自分自身のありのままを容認出来ない、愛せないというところへ行きつきます。それからくる苛立ち、焦り、もやもや。これが全ての元になっていると思います。それらを生み出す原因となっているのが、上記の内田のブログにある、「愛する」「自己評価」の構造にあるのではと思ったのです。自己評価の低さ=向上心とするならば、評価の低さを排除することは出来ないわけですが、それと平行して、相反することのようですが、自分を評価する、愛する努力、同時に他人を評価する、愛することが大切なのだろうと思います。簡単ではないでしょうが、ひとつの答えが先の引用にある、他人を愛し続ける努力をしてみる、ということのように思います。あるいは、一度、自己評価の基準のレベルを今より下げて、評価を上げてみる。そこで楽になった分だけ自分を愛し、他人を愛し、しばらく休憩してからまた頑張ってみる。そんなやり方もあるような気がします。


ひとしちゃん

2008年12月31日 | インポート

実家に帰って思わぬ人の名前を聞きました。ひとしちゃんこと斉藤均君です。1つ年上で、実家の前にあった日本住宅公団の社宅に住んでいました。小学校から彼が中学を卒業するまで、本当に良く遊びました。高校も同じ県立生田高校に入ったのですが、その頃からぱったりと行き来しなくなってしまいました。そして気がつくと引っ越していて、全く行方知らず。思い出すこともなく過ごして来ていました。その彼が少し前、社宅が無くなる事を聞いて、今のは当時彼が住んでいた建物ではないのですが、写真を撮りに来たのだそうです。その折りに我が家に寄ってくれたようです。意外だったのは、私の両親が、そんな説明しても、覚えていなかったことです。彼の家で遊ぶ事が殆どだったからでしょうか。 彼からは当時本当に色々な影響を受けました。1つは音楽で、ビートルズやピンク フロイドなどは、彼の家でオープンリールのテープレコーダーから聞かせてもらいました。サージャントペパーズや原子心母を聞いた時のことは、今でもはっきり覚えています。それをきっかけに私もロックを聞くようになって行きました。もう1つは、当時レーシングカーと呼ばれていたスロットルレーシングカーです。当時でも1万円位したコースを持っていて、よく走らせたものでした。その後私は、中学の工作部でベニヤでコースを手作りしたり、ハンダ付けでシャーシの自作をしたりしました。実物のレースカーにも興味を持ち、富士スピードウェイへ行ったりもしました。どちらも彼がきっかけとなり、自分でのめり込んでいった感じです。その頃には彼は一緒ではないんですが(苦笑)。 訪問してくれた彼の応対に出た父は連絡先を聞いておらず、とにかく残念です。ひとしちゃんがこのブログを読んでくれるとは思えませんが、懐かしさを抑えきれず、携帯から書き込む次第です。もし読んだら連絡してね!

追記:そうそう、彼から受けた影響で大事なことを忘れていました。 自転車です。私が小6、彼が中1の時、彼がドロップハンドルのサイクリング車を買ってもらったのです。一緒に遊んでいる私も欲しく親にねだって買ってもらいました。もっとも、ドロップハンドルは中学までおあずけで、もう少しおとなしい奴に変えられてしまいましたが。スピードと走行距離の分かるメーターも付いていて、新しく出来たバイパスで40km出して、得意になってました(これは一人でですが)。それと、中学位かな、屑屋さんで廃棄された子供用自転車を買って来て、サドルを外し、後ろの荷台に座ってレーサー気取りで、例の社宅の庭をぐるぐる回ったこともありました。


河合隼雄追悼シンポジウムから/茂木健一郎講演

2008年07月23日 | インポート

河合隼雄が亡くなってから、1年が経とうとしています。様々な人が巨人と評するこの方の本を何冊も読みましたが、私には肩透かしをくらわされたようで、どうもよく分かりません。それはさて置き、我らが茂木健一郎が上記のシンポジウムにおいて、追悼講演を行った音声ファイルが公開されています(7月22日付け)。是非お聞きください。冒頭で、亡くなった人の魂は、物理的には存在しないと考えられるが、実はその人のことを覚えている人の心の中に生き続けるのだ、といった趣旨のことを小林秀雄が言っているというあたりから始まります。そして、亡くなった人と、心の中で対話を続けることこそが、大事なことであると結んでいます。この春から初夏にかけておじを二人続けて亡くし、また50を越えて、棺おけに足をつっこまないまでもその影が時おりちらちらと遠景のようによぎるようになった今、深く心に感じるところがあります。