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CACAO通信パート2

食べ物、思い出、その他、不定期に更新しています。
また、母校の県立生田高校3期生の連絡も。

明日があるさ/重松清

2006年09月10日 | 本と雑誌

重松清のエッセイを集めた本です。作家の原点を集めた本と言えるかと思います。直接自身の作品に触れた部分は少ないですけど。

一番印象に残ったのは、ドラえもんについて書いたエッセイです。ドラえもんは本当に私たちに夢を与えてくれたのか?と問いかけます。のび太がドラえもんから道具をもらってするのは、ジャイアンやスネ夫に仕返しすることであり、宿題をしないですますことじゃないか!という訳です。そして、ドラえもんは実は愛すべき居候ではなく、「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造のようなメフィストなんじゃないか、と締めくくります。あと、何箇所かに出てくるフレーズがありす。中高生に向けた言葉で、「負ける」ことに負けるな、というもの。失敗しても失恋してもいいから、負けを正面から受け止める気持ちを持って欲しいというものです。もうひとつ、ページの端を折った部分は、親子について書いた、「親になってからの日々は、時間が重層的に流れる」というところです。子供を見ているとその頃の自分が思い出され、その頃の自分の父が思い出される。そして、その頃の父親の思いが分かるような気がするというのです。どうも上手く説明出来なくて残念ですが。

以前重松清が、NHKの若者の心をさぐるみたいな子供も大人も参加してというような討論番組に出たのを見て、当時ちょっとだけ著書を読んでいたので、何かうんちくのある言葉が聞けるかと期待していたのですが、そんなのは無く、な~んだとがっかりしたことがありました。でも、今はちょっと違います。なんというか、この一見歯切れの悪い、決め付けないとこが、重松の良さじゃないかと、思うようになりました。スパッと一刀両断というのは、カッコいいし何だか分かったような感じでいいのですが、余りにも乱暴に一くくりにしていると思うのです。月並みですが、10人いれば10の人生があり、その多くは平凡でもう一度同じことをやりなおしたくなるようなものではなくても、そこまでコツコツと生きてきたということ自体に相応の重みがある訳で・・・。くくれないということにこだわるのが重松流かと思うのです。


再読

2006年09月03日 | 本と雑誌

通勤の際、必ず何か本を1冊、リユックの中に入れて行きます。昼食時とか、帰りの電車を待つ間とかに読むためです。先週、読みたい本が無かったので仕方なく、読み終わったばかりの重松清の「カカシの夏休み」を持って行きました。同じ本をまた読むということは、これまでにも無かったわけではありませんでしたが、今回のように、読み終わってすぐというのは初めてでした。正直、小説だし、読んだばかりだしと気乗りしていなかったのですが、新たな発見がありました。細部の言葉とかの見落としが結構あるんですね。それによって微妙にニュアンスが違ってくるというか、くみ取れてなかった部分があることに気づきました。小説の場合特に、筋の展開が気になって、どうしても先を急いでしまう傾向があります。それによる弊害といえると思えるのですが・・・。それが、このすぐの再読によって拾える、ということに気づきました。(もっとも細部だけでなく、結末の部分も意外とちゃんと読めていませんでした(>_<) これは大きいですよね) 気に入った本は、間を置かずに、すぐに読んでみる。筋を追う必要がないので、細かいニュアンスや、キーワードにこめられた作者の思いとかが良く分かっていいですよ。おすすめです。


目に留まった言葉

2006年08月19日 | 本と雑誌

私は本は好きで、活字依存症といっていいと思っています。本の世界に逃げているというか、特に高校時代、登校するのがしんどくなり始めた頃は特にそうでした。日本文学全集のソフトカバーのがあって、片っ端から読んでいました。で、読むのは小説が多いのですが、読んでいると「あぁ、この人はこの一言を書きたいがためにこの小説を書いたのではないか!?」という一節に出会うことがあります。それとまた別に、主題ではないけど、妙に感心してしまう一節というのもあります。自分で買った本の場合、思わず折り目をつけてしまいます。最近読んだ本から、そのあたりを。

「東京下町殺人慕色」(宮部みゆき) 道雄が近づいて行くと、しゃがんでいた女は立ち上がり、子供を抱く腕に力を込めた。すがりついたのだと、道雄は思った。我々大人は、怯えたときにすがりつく相手が欲しいから子供をもうける。子供こそが、どんなことも乗り切っていくことのできる力を与えてくれるように思うから。 《すがっているのは子供じゃなくて、親なのかもしれません。そのことに気づいて素直にすがったら、児童虐待も減るかもしれませんね。》

「カカシの夏休み」(重松清) いまの暮らしを捨てる気はない。だが、もしももう一度生まれ変わったら、この暮らしを選ばないような気がする。 《あの時、違う学校を選んでいたら、違う勤め先を選んでいたら、違う伴侶を選んでいたら、いくつものもしもが人生にはあります。でも、振り返ってノスタルジーに浸るのは、ひょっとしたらイエローカードかもしれません。》

「ライオン先生」(重松清) 親や教師はお手本なんかじゃない。ただ、オトナなんです。努力や我慢がほんとうは報われないことをコドモより知っていて、でも、いつか報われるんだとコドモより信じてて・・・信じたいですよね、ぼくら・・・」 《親も教師も、ただ先に生きてるだけで、同じ迷い多い人間ですねぇ。時代とか環境とかはもちろん違うので、比較は出来ないんですけどね。言えるのは、生きているだけで尊いということかな。重松清が、子供に唯一言えるのは、死ぬな殺すな、だけだと言っていたのも印象に残っています。》


R.P.G./宮部みゆき

2006年01月31日 | 本と雑誌

ストーリー展開や犯人さがしやこの話ならではのからくりのおもしろさにどうしても目が行ってしまうのは、ミステリーの宿命なのだと思いますが、実は読み終わってしばらくして思い返した時に浮かんでくる事柄(たとえば殺された「お父さん」の持ったいろんな顔、娘の父の顔、社会人としての顔、夫としての顔、男としての顔の多面性)が、本当は深い深い味わいなのではないか、と思ったりします。そして、いつもながら最後は哀しく切ないです。今回は西條八十の詩の引用が、効いてますね。

話は飛びますが、中日新聞の連載小説が石田衣良に変わります。石田流「坊ちゃん」だそうです。楽しみです。


玉蘭/桐野夏生

2006年01月22日 | 本と雑誌

解説とかを読んだ感じでは「おもしろいと思えないのではないか」とあまり期待していなかったのですが、良かったです。さすが!主人公が章によって変わり、それによって同じ出来事が異なって見えるという(ある意味当たり前のことなのですが)、ちょっと分かりづらい展開ではありますが、それゆえに現実の重さというかリアリティというかがとても強く感じられます。古着だったり、自分の親戚だったり、社会的に注目を集めた事件だったり、色々なことや物に触発されて、物語を紡ぎ出すこの作家には、これまで経験したことのなかった、いい意味で裏切られる楽しさを感じます。