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CACAO通信パート2

食べ物、思い出、その他、不定期に更新しています。
また、母校の県立生田高校3期生の連絡も。

草枕/夏目漱石

2009年05月02日 | 本と雑誌

山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 ・・・ という有名な一節で始まる漱石初期の代表作です。どうもこの出だしが堅苦しそうで敬遠していたのですが、旧かなを新かなづかいに改めた新潮文庫は、なかなかとっつき易く、一気に読めました。青年画家が温泉場に出かける話しですが、那美という一風変わった出戻りの美女と出会ったり、近くの寺の和尚と話したりという場面はあるものの、全体を通しての筋らしいものはありません。漱石の文明や芸術に対する、あるいは人生観などが主人公の口を通して語られるという感じです。と言っても堅苦かったり難しかったりという感じではなく、田舎の温泉場らしいゆったりとした時間が流れ、そんな中で那美の存在(出現)がアクセントとなり、心地よく読み進んでいくことが出来ました。漱石の作品は、どうも良いのですがやはりどこかビターな味わいがあって、それが読書後に残るのですが、これはなかなか爽やかでよいです。

5日程前からどうも足に変なしびれというか違和感があるので、市内の整形へ行ってきました。問診の後レントゲンも取り下された診断が、年をとることにより椎間板の働きが悪くなったりして、腰の骨がずれ、骨の中を通る神経が圧迫されることによるものだろう、というものでした。年齢の影響は、「加齢臭(!)」だけではなかったのです・・・。とりあえず簡単なコルセットというかバンドを購入してつけることになったのですが、どうにも先の思いやられることです。まぁ、もうすぐ54歳、あと1年で四捨五入すると60歳(ドンブリ過ぎる?)というところまできてしまったのですから、気持ち的にはとにかく体の方はあっちこっちガタが来始めても仕方ないということでしょうけどね。

このところ元アナウンサーのウッチーこと内田恭子がなんとなく気になっていまして、「グータン ヌーボ」がきっかけなのですが、チェックしています。4人のメンバーのうちの一人が、女性ゲスト二人と食事をしたりして話しをするというメインのコーナーがおもしろく、そこを担当の回のウッチーの天然ぶりというか独自の雰囲気が、どってことないんですが妙に後を引くのです。他のレギュラーの「ポストマン」とか「ジャンクスポーツ」なんかは、アシスタントという域を出ていなくて魅力があまり感じられなく、また4月の始めに「徹子の部屋」に出て幸せな結婚生活などについて語ってましたが、これもちょっとまともすぎておもしろくなかったです。前回のグータン佐は木佐彩子が出ていて、彼女もなんか雰囲気が気になるタイプなので、特によかったなぁ。若い女の子もいいけど、やっぱ30代半ばとか、人によっては40代とかの女性には、若い女の子が逆立ちしても持てない魅力があるよねぇ。最近そういうのがすごく気になるのでした。(だから何!?)


明暗/夏目漱石

2009年04月25日 | 本と雑誌

時々書いているように、このところ夏目漱石の作品を読んでいます。我慢出来ずに先を急ぎ(!?)「明暗」に行ってしまいました。これも著名な作品ですので、下手くそな説明は避けますが、中心となる視点を持って書かれる登場人物が複数いて、互いの関係=「他者」具合が描かれているところが特徴です。特に主人公的設定である津田の妻お延の描かれようは、これまでになく女性の内面にまで踏み込んでいて、「漱石先生、新境地か!」とわくわくさせられるのですが、途中で終わってしまっています。また、わずか10日ばかりの出来事について細かく深く書き込んであって、読み応えがあります。それにしても、絶筆は残念でなりません。この後は、前期の名作と言われる「草枕」に挑戦です。

その「明暗」と「草枕」の間に、開高健の食に関するアンソロジーを読んだのですが、やっぱり開高先生素晴らしいですね。本の性質上、多分、前に他の本で読んだことのあるものがほとんどだと思いますし、扱われている題材自体はお馴染みなのですが、なんというか飲み屋の煮込みというかドテ煮というか、口の中で腸だなとか筋だなとか分かるけれど、そのなんとも言えない味わいとある種懐かしさを確かめるように食べ進む、読み進むとでもいうのでしょうか。素晴らしい文章というのは、何度読んでも飽きないものだと思います。

フォトアルバムに外装箱をアップした「四日市とんてきソース」ですが、試してみました。豚ロースを焼いてソースを絡めるだけで、簡単でなかなかおいしいです。外で食べて真似しようと思いやってみたこともあるのですが、ウスターソース主体というのは分かるものの、素人がそれなりの味にするのは難しいものです。おいしかったので、今度長男が帰ってきたら、人数分準備して作ってみたいと思っています。

今週は、タレントの清水由貴子の自殺が報じられました。4歳ほど年下になりますが、ほぼ同世代。一般的にも、年老いた親のことや、自分自身の老いというものも意識し始める年齢で、さらに彼女がどういう理由でそういう選択をしてしまったのか分からない訳ですが、なんともやりきれない、重く暗い気持ちになったニュースです。ただただ、残念でなりません。


行人/夏目漱石

2009年03月22日 | 本と雑誌

先に読んだ「こころ」の前の作品なのですが、後先になりました。文庫本の裏表紙の、「妻の愛情を疑い、弟にひと晩よそに一緒に泊まってくれと頼む・・・」と書いてあるのをを読んで、そういう恋愛話かと思って読み出したのですが、そんなに簡単ではありませんでした。「こころ」の先生の手紙にはボリューム的に及ばないものの、実質的な主人公である兄と旅行した兄の知人からの、兄の様子を知らせる手紙が、話しを締めくくる重要な意味を持つという構成になっています。最初は妻が信じられないというのが、だんだん家族や友人など回りの人間全部が信じられないという風に広がっていきます。頭脳明晰であるが故に、心の平安が得られないという病的で不幸な状態に陥ってしまったのです。その本質は一朗の言う、「他の心は外から研究は出来る。けれどもその心に為って見る事は出来ない。」というということなのでしょう。他人の心が分からないなりに、分かったような気になったり、分からないということを忘れたりして生きていくのが、世間一般の人々です。実際、疑いだしたらキリがないわけです。そのキリのない世界に迷い込んだ近代人の典型的な姿を、漱石は一郎として描いています。と言うわけで、読んでいていささか気が滅入る感じがします。そこが、良くも悪くも道徳やら規範やらに縛られていた江戸時代までとは大きく異なった時代を生き始めた、近代の知識人の苦悩というものなのでしょう。終わりの方で、印象に残った部分を引用したいと思います。

「君は結婚前の女と、結婚後の女と同じ女だと思っているのか」「どんな人の所へ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪(よこしま)になるのだ。そういう僕が既に妻をどの位悪くしたか分からない。自分が悪くした妻(さい)から、幸福を求めるのは押しが強すぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損なわれた女からは要求出来るものじゃないよ。」(何とも耳の痛い話しであります)。

あなた方は兄さんが傍(はた)のものを不愉快にすると云って、気の毒な兄さんに多少非難の意味を持たせている様ですが、自分が幸福でないものに、他(ひと)を幸福にする力がある筈(はず)がありません。(先日書いた自分を愛することと他人を愛することに通ずるような一節です)。

久し振りに図書館に、天気ははっきりしないものの雨は降っていなかったので、歩いて行ってきました。時間にして4~5分というところですが、ゆっくり歩いていくと、木や草の様子が目にと心に沁みました。植物や土は、何故こんなにも人の心を癒すのでしょう?人間の解釈を拒否しているからなのか、はたまたどんな勝手な解釈も許すからなのか・・・。亀山は田舎で他所に比べれば緑や土は多い方でしょうが、私が子供の頃に比べればはるかに少なくなっていると思います。そんな環境の変化が人の心に与える影響は小さくないのでしょう。


落語昭和の名人

2009年03月01日 | 本と雑誌

のん木さんのおすすめもあり、刊行開始から気になっていた小学館の「落語昭和の名人/CD付きマガジン」を購入しました。とりあえずは、そののん木さんが流しっ放しにしているという「六代目三遊亭圓生 壱」と、初回特別価格の「三代目古今亭志ん朝 壱」を選びました。志ん朝の号は、端正というのでしょうか、欠ける所がないというか、江戸落語の集大成、落語のスタンダートと言われるも成る程と肯ける感じを持ちました。圓生の号は、表現が古いですが、ぶっ飛び!です。演目三題もバラエティに飛んでいることもあると思うのですが、見事というしかありません。勘当した親子の再会を描く「火事息子」、江戸っ子と田舎者のかみ合わない会話のおもしろさの「百川」、子供義太夫の経歴も生きた「豊竹屋」。特に印象に残ったのは、それぞれの台詞の演じ分けの見事さです。「火事息子」のクライマックスでは、勘当した息子と再会した父母の台詞が、また「百川」では江戸っ子と田舎から出てきたばかりの訛りの強い男との掛け合いが聞き所なのですが、当然一人で演じているのに複数の人が喋っているように思えるのです。程度の差はあれ、上手い人が演じればあることだと思うのですが、ここまでとは恐れ入りました。もちろん、話し全体も上手くおもしろいです。付録(?)の写真や図版がふんだんに使われた冊子もなかなかです。のん木さんも言われるように、これで1190円は安いと言えます。まだ店頭にある所も多いと思える創刊の「志ん朝 壱」は、特価490円ですので、とりあえず買ってみるのも良いのではないでしょうか。

名人/川端康成」を読みました。囲碁の本因坊名人の引退碁の話しです。実際に碁好きの川端が当時新聞に観戦記を書き、それを元に小説にしています。途中名人の病気があり、一局の碁に半年以上かかっています。囲碁の対戦を題材としていますが、そこで書かれているのはほとんどは名人と対戦相手の様子です。自分としては随分と久し振りの川端康成ですが、さすがと言うしかありません。汚いものを克明に描いて、別に美しくなるわけではないのですが、読ませてしまう筆の力には今更ながら感心しました。対局の1年あまり後、亡くなった名人の死に顔を撮影し、出来上がった写真を見る場面は圧巻です。

映画「おくりびと」、アカデミー賞を受賞して改めて話題になっていますが、見たいとおもいつつまだ見ていません。DVDの購入予約はしました。楽しみにしています。やはり50歳を過ぎると、親の世代はもとより、自分達とっても死は他人事ではなくなってきました。映画では現代の様々な死についても描いているようです。見て、感想を書きたいと思います。


虞美人草/夏目漱石

2009年01月17日 | 本と雑誌

いや~凄いですね、漱石は。圧倒されました。読んだのは岩波文庫です。

解説にもありますが、とにかくその文語調の文章は凄まじい。解説2の冒頭の「作者がもっとも苦心したのは文章である。」や「『文選』を三度くりかえしてよみ、ひとくぎりの文章を俳句をひねるように苦心して書きついでいったという。」に端的に表されているように、凝縮されきっています。新聞小説という性格上、美文という技法を選んだと書かれています。主に情景描写などに使われている様々な修飾の技法や洋の東西の古典からの引用は、私には字面を眺めるのがせいぜいでほとんど分かってないのですが、それでも何かを感じてしまう程のパワーにあふれています。それぞれの登場人物のキャラクターの設定や描写も見事です。ちなみに話の方は、「道義の徒が我意や利害打算の徒を打倒し制裁する」という勧善懲悪がテーマとなっています。

もうひとつ感じたのは、時間の流れ方のゆっくりだったのだなということです。特にそれを感じさせるのは、今なら電話なりメールで即時するような訪問の連絡とかを、当時は手紙でしていたということです。そんなゆっくりとした時間の流れと美文がかもし出す雰囲気は、まさに明治の大文豪という感じです。この後も漱石を読んでみようかと思っています。

写真コーナー、アップしました。のん木さん、ソラの写真はまだ撮っていないので、もうしばらくお待ちください。