快川国師によると、三条の方は
大変に美しく、周りを温かく包み込むようなお人柄であったこと
また仏への信仰も篤く、信玄公との夫婦仲もよかったようです
三条の方を悪く描かれたりしたため
お寺さんはこのような標を立てなければならない程迷惑だったようです
三条の方より円光院に納められた仏像など
ここを右に曲り高みへと上っていきます
上ってきた方を振りかえるとこの風景
三条夫人の墓所です
皇室から菊花のご紋の使用を許されていた方のようです
外側の紋は武田菱です
三条の方は享年50
信玄公からうつった労咳が死因ではないかと言うことです
信玄もそうでしたが三条の方も
自分の遺体を三年間円光院に密葬させるよう遺言したとの事。
身近で見ていた快川国師の言葉通りの方であったのだろうと思いながら手を合わせて来ました