今回は何か特異な事件なりを取り上げて意見を述べるのではなく、左右の論壇状況を嘆くだけです。今からここに書いていくことは、その殆どが筆者の愚かな視点から見えている状況を書きなぐるだけです。
最近特に、左右の言論空間の閉鎖性ならびに、言うなればその金太郎飴的に、いつまで経っても同じことばかりを、同じメンツが言い続けている論壇に辟易し、食傷しているのです。右はひたすらに「朝日新聞死ね!」、「反日分子を許すな!」の繰り返し。左は「日本は過去の侵略を謝罪しろ!」、「憲法9条擁護!」の繰り返し。しかもそれを「いつもの人たち」が、「いつものトーンで」繰り返し繰り返し、来る日も来る日も言い続けています。
同じことを繰り返すことにも一定の価値は認めます。しかし、個人的にはもう飽きたのです。いつも同じメンツを揃え、同じことを、ちょっと言葉のニュアンスを変えて主張してるだけ。昨今の論壇は私にとってこう見えるのです。
思うに、これではいつまで経っても双方は平行線で、中身のある、有意味な議論ってできないんだろうなぁ。これって、両者とも国家にとってマイナスでしかないのでは。
しかもこのテの「信者」の方々は、彼ら同じメンツが主張しつづけていることを、それを何の検証もなしに自分の中に入れて、それをそっくりそのまま自分の口から吐き出して、悦に入ってるように見えるのです。これじゃあ、永久に進歩は期待できません。自分の頭で考えることを怠ってるように見えるのです。何かこう、長いものに巻かれていればいい、強いものの上に乗っかっていればいい、そんなふうに映るのです。特に最近それは右に顕著に見える傾向のように思えるのです。
右の期待のエース、安倍氏が思ってた以上に国民の支持を受けず、右の期待とは裏腹に政治の表舞台から姿を消した。私の杞憂でしょうが、この数年間に、左は右の言うような「お花畑しか見えていない人々」も未だにいることは事実ですが、彼らはお花畑から理論武装し力をつけてきたように思うのです。
しかしながら、翻って右はどうか。末端の者はただの「アンチ左翼」に成り果て、中国・韓国という言葉が出ると条件反射のごとく批判する輩に成り下がってしまったように思うのです。しかも彼らは視野が恐ろしいほど狭い。これではとてもじゃないですが、右の論壇の将来はお寒いもののように思えてしまい、期待できないです。
何が言いたいのかと言うと、言論空間というのは、右ばかりが力をつけてもダメだし、左にばかりスライドしてもダメになる。ということはバランスを保つ必要がある。左が力をつけてきているように思える中、右はこのような有様でいいのか。右は左への強力な対立軸を育てることができているのか、ということです。左右問わず、もっと考えて欲しい。自分の頭を使って物事を判断してもらいたい。誰かの言っていることの受け売りではなく、それを一回自分の中で咀嚼し、検証して欲しい。
互いに自分たちの意見に賛同してくれるイエスマンばかりを取り揃えて、その中で、あーでもない、こーでもない、と言っていても、それでは国は良くならないし、自分たちの目指す方向へ舵を切ることもできない。閉鎖的な空間で互いの悪口を言い合っていても、ことは前進しません。
自分の立ち位置を定め、そこから動かず、その立ち位置が右であっても、立ち位置からして賛同できないものには、それが同じ右の主張であっても容赦なくノーを突きつける。これが大切なんだと思います。
以上、乱文を承知で思いつくまま、言葉を並べて書いてみました。
かく言う自分も不甲斐ない限りですし、人様のことを偉そうに言えるものではありません。ただ、これは自分に言い聞かすためにも書きました。要するに、左右の垣根を越え議論を積み重ねることによって、アウフヘーベンしていくことが大事なんだと思います。
今年の新規投稿はこれで終了にします。ブログを始めてから今までに多くの方々に訪問して頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。皆様の健康をお祈りしております。それでは良いお年を。失礼します。
最近特に、左右の言論空間の閉鎖性ならびに、言うなればその金太郎飴的に、いつまで経っても同じことばかりを、同じメンツが言い続けている論壇に辟易し、食傷しているのです。右はひたすらに「朝日新聞死ね!」、「反日分子を許すな!」の繰り返し。左は「日本は過去の侵略を謝罪しろ!」、「憲法9条擁護!」の繰り返し。しかもそれを「いつもの人たち」が、「いつものトーンで」繰り返し繰り返し、来る日も来る日も言い続けています。
同じことを繰り返すことにも一定の価値は認めます。しかし、個人的にはもう飽きたのです。いつも同じメンツを揃え、同じことを、ちょっと言葉のニュアンスを変えて主張してるだけ。昨今の論壇は私にとってこう見えるのです。
思うに、これではいつまで経っても双方は平行線で、中身のある、有意味な議論ってできないんだろうなぁ。これって、両者とも国家にとってマイナスでしかないのでは。
しかもこのテの「信者」の方々は、彼ら同じメンツが主張しつづけていることを、それを何の検証もなしに自分の中に入れて、それをそっくりそのまま自分の口から吐き出して、悦に入ってるように見えるのです。これじゃあ、永久に進歩は期待できません。自分の頭で考えることを怠ってるように見えるのです。何かこう、長いものに巻かれていればいい、強いものの上に乗っかっていればいい、そんなふうに映るのです。特に最近それは右に顕著に見える傾向のように思えるのです。
右の期待のエース、安倍氏が思ってた以上に国民の支持を受けず、右の期待とは裏腹に政治の表舞台から姿を消した。私の杞憂でしょうが、この数年間に、左は右の言うような「お花畑しか見えていない人々」も未だにいることは事実ですが、彼らはお花畑から理論武装し力をつけてきたように思うのです。
しかしながら、翻って右はどうか。末端の者はただの「アンチ左翼」に成り果て、中国・韓国という言葉が出ると条件反射のごとく批判する輩に成り下がってしまったように思うのです。しかも彼らは視野が恐ろしいほど狭い。これではとてもじゃないですが、右の論壇の将来はお寒いもののように思えてしまい、期待できないです。
何が言いたいのかと言うと、言論空間というのは、右ばかりが力をつけてもダメだし、左にばかりスライドしてもダメになる。ということはバランスを保つ必要がある。左が力をつけてきているように思える中、右はこのような有様でいいのか。右は左への強力な対立軸を育てることができているのか、ということです。左右問わず、もっと考えて欲しい。自分の頭を使って物事を判断してもらいたい。誰かの言っていることの受け売りではなく、それを一回自分の中で咀嚼し、検証して欲しい。
互いに自分たちの意見に賛同してくれるイエスマンばかりを取り揃えて、その中で、あーでもない、こーでもない、と言っていても、それでは国は良くならないし、自分たちの目指す方向へ舵を切ることもできない。閉鎖的な空間で互いの悪口を言い合っていても、ことは前進しません。
自分の立ち位置を定め、そこから動かず、その立ち位置が右であっても、立ち位置からして賛同できないものには、それが同じ右の主張であっても容赦なくノーを突きつける。これが大切なんだと思います。
以上、乱文を承知で思いつくまま、言葉を並べて書いてみました。
かく言う自分も不甲斐ない限りですし、人様のことを偉そうに言えるものではありません。ただ、これは自分に言い聞かすためにも書きました。要するに、左右の垣根を越え議論を積み重ねることによって、アウフヘーベンしていくことが大事なんだと思います。
今年の新規投稿はこれで終了にします。ブログを始めてから今までに多くの方々に訪問して頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。皆様の健康をお祈りしております。それでは良いお年を。失礼します。