ひとり井戸端会議

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続 外国人参政権反対論

2009年10月12日 | 外国人の人権
外国人参政権 地方に限っても禍根を残す(読売新聞) - goo ニュース

 地方選挙に限るとしても、外国人に参政権を認めることは、憲法の規定や国のあり方という観点から、問題が大きい。
 鳩山首相が、ソウルでの日韓首脳共同会見で、永住外国人への地方選挙権付与について、「私個人の意見としては、前向きに結論を出したい」と述べた。
 韓国側の記者の質問に答えたもので、首相は「国民感情は必ずしも統一されていない」とも付け加えた。日本国内の議論が割れていることを意識したのだろう。
 民主党は、1998年の結党時の基本政策に、永住外国人への地方選挙権付与の実現を掲げた。首相のほか、小沢幹事長や岡田外相など推進派が少なくない。
 選挙権付与に積極的な論者が根拠とするのは、在日韓国人が地方選挙権を求めた訴訟での95年最高裁判決だ。傍論部分で、憲法上は禁止されておらず、国の立法政策にかかわる問題としている。
 だが、判決の本論は、国民主権の原理に立って、憲法15条の公務員を選定・罷免する権利は、日本国籍を持つ「日本国民」にあると明示した。93条の地方自治体の首長・議員を選出する「住民」も日本国民を指すとしている。
 法的拘束力のない傍論だけを根拠にするのは強引過ぎる。




 日本における在日外国人の国別割合は、2008年現在、中国がトップで次いで韓国・朝鮮であり、この両国(中韓)だけで6割近くを占めている。その中でも在日韓国人のための組織である民団は、特に外国人参政権獲得に熱心で、各党の党首等を招いたパネルディスカッション等を開催してきた。したがってここでは、在日韓国人を念頭に置いて外国人参政権反対論を展開していきたい。


 しばしば外国人参政権賛成の論者は、在日外国人も日本人と同じく納税の義務を果たしているのだから参政権を付与すべきだと言う。しかし、納税の見返りは公共サービスの享受であり、これは日本人であるか外国人であるかを問わず享受できている。それどころか、納税の義務を果たしていなくても享受しようと思えばできる代物である。

 また、納税の義務の履行を参政権獲得の基準に据えることは、戦前の日本が納税額によって参政権を付与していたのと同じ発想であり、これは現行憲法の保障する参政権についての考え方とことごとく対立するものであり、反対解釈をすれば、納税の義務を果たしていない者からは参政権をはく奪することも可能ということになる。

 しかし、周知のようにわが国における憲法が保障する参政権は成人に達すれば、日本人であれば誰でも等しく行使できるものであるため、納税云々というこうした考え方は、現行憲法に反する理解であり、許されない。

 そもそも、納税の義務の履行で参政権を付与できるとするならば、どうして納税をしている未成年者には参政権が付与されないのだろうか。彼らの論理からすればこれは許されないことであり、即刻関連法規の改正をしなければならないということになるはずだ。



 次に、首都大学東京の鄭大均教授によれば、韓国では公選法が今年2月に改正され、2012年以降、韓国籍を持つ在日は韓国の国政選挙に参加することができるようになったという(平成21年10月6日産経新聞)。

 そうすると、在日韓国人は祖国(韓国)の大統領選をはじめとした国政選挙にも参政権を行使でき、かつわが国でも参政権を行使できることになり、これは鄭教授が指摘するように、在日韓国人に「特権」が与えられるに等しい結果になる。

 このことは、祖国でも参政権を行使できる状態でわが国でも参政権を行使できるということを意味し、特権を禁止する憲法14条に抵触することになりかねない(ただし、この解釈は14条に言う「国民」に在日外国人が含まれるとした上での解釈であるため、14条の「国民」とは日本国民のみを指すと解釈すればこうした議論は起こらない)。

 憲法学における支配的見解は、14条の「国民」には在日外国人も含まれるとするので、参政権賛成派の依って立つ解釈であろうこの見解にしたがえば、まず上記のような事態が果たして憲法14条の禁止する「特権」に当たらないか、判断するべきである。私からすれば、この見解にしたがって在日韓国人の参政権について考えれば、間違いなく14条の禁止する「特権の付与」に該当するように思えてならない。



 もし在日韓国人が帰化をせずにわが国の政治に参画することを望むならば、それは祖国での選挙権の行使ができる現状からいえば虫のよすぎる話であり、到底容認できるものではない。わが国において参政権を行使したいならば、帰化をするしかない。本来ならば、それが嫌ならば諦めるべき問題なのである。

 思うに、ここには在日韓国人独自の宙ぶらりんなアイデンティティが見てとれる。これは以前鄭教授も指摘していたが、在日韓国人は日本への帰属意識も、祖国韓国への帰属意識もともに曖昧で、アイデンティティの面において宙ぶらりんな在日韓国人が多いという。

 もし宙ぶらりんなアイデンティティがゆえに日韓両国で参政権を行使したいというのであれば、問題は立法の不備とか相互主義の不徹底とか良き隣人としとかではなく、彼らが自己を何人か定義できないがゆえの問題であり、それを参政権の問題にするのはおかしな話である。



 ところで、以前、外国人参政権は「付与される」ものなのだから、逆にはく奪することも可能であるから、後に外国人参政権廃止法を成立させればいいという指摘を受けたが、これには賛成できない。

 というのは、確かに外国人参政権は「付与される」ものであるが、これは社会保障における諸手当等の付与とは権利の性質上異なり、したがって一度付与してしまえば、母子加算のようにその時々の社会情勢等を考慮して廃止したりすることは非常に難しいと思われるからだ。



 最後に、外国人参政権付与の拠りどころとなっている最高裁平成7年判決についての私なりの見解を述べておきたい。

 外国人参政権賛成派は平成7年判決は外国人に対して選挙権を付与しても憲法上違憲ではないとするが、平成7年判決が引用したマクリーン事件判決では、「政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。」としている。

 現在でも判例としての地位を失っていないこの文言を反対解釈すれば、外国人参政権は違憲であり、到底認められないものという結論に至るのではないだろうか。

 また、平成7年判決でも、「主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。」と述べている。

 このように先の文言が、参政権は「住民」すなわち「日本国民のみに」保障されていると解釈していたにもかかわらず、こう解釈した「住民」について、日本国民以外の「住民」に参政権を付与することが違憲ではないとする園部裁判官の解釈はこれに矛盾するものではないかと思う。したがって、そもそもこの平成7年判決それ自体が矛盾を孕んだものであり、先例としての意味を有さないとしたほうが妥当ではないかと考える。

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