ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

秋葉原での事件に対する世論やマスコミの反応について

2008年06月12日 | 偏向マスコミ
 秋葉原連続無差別殺傷事件から4日経った。改めて亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々の一日も早い回復を切に願います。
 さて、今回の事件をめぐり、マスコミをはじめとした世論の中から、「昔なら考えられなかった」「今の若者は・・・」といった批判がよく聞こえてくるが、これら批判は本当に的を射たものであろうか。今回はこのことについて、自分なりに考えていきたいと思う。



 まず、結論から言えば、このような事件はここ数年で起こるようになったものではない。1938年5月21日に岡山県の集落で起こった一晩で30人を殺害した、いわゆる「津山事件」の犯人は21歳の若者であったし、1950年7月2日に金閣寺を放火し逮捕されたのも21歳の若者であった。更に、1960年に起こった社会党の浅沼稲次郎殺害事件の犯人は17歳であった。1965年に発生した「少年ライフル魔事件」の犯人もまた18歳の少年だった。その他枚挙に暇なくあるが、詳しくは「少年犯罪データベース」を参照されたい。

 このように、若者による犯罪は最近になって凶悪化したものでも、ましてやはじまったものでもない。確かにネットなどの普及によって犯罪の態様は変わったが、それは科学技術の発達などによる生活環境の変化に過ぎず、よって凶悪犯罪を行う手段は変化しても(自動車の使用など)、凶悪犯罪自体がそれらによってもたらされたという確たる証拠はないはずだ。
 
 否、若者による犯罪それ自体は世論の考えとは反対に減少しているのである。少年による犯罪の総数は、平成に入ってから20万件を超えたことはなく、平成10年以降減少しつづけている。少年による殺人件数は平成18年は73件であったのに対し、一番高かった昭和36年は448件である。これでもまだ、「昔はこんなことなかった」と嘯くつもりか。

 むろん、今回の犯人は25歳であって、分類上もはや「少年」ではない。しかしながら、「昨今の若者の凶悪化」「若者による凶悪犯罪の増加」といった類の主張が、いかに根拠のないモラルパニック的なものであるかは分かるはずだ。「昔なら考えられなかった」というその「昔」にも、見方によっては現在の若者による犯罪よりも凶悪な犯罪が起こっていたのである。戦前の教育がわざわざ「修身」というものを導入していたのも、戦前の日本人の道徳心や倫理観の希薄さと無関係ではないのだ。このことは、いつの時代も同じようなことが繰り返し叫ばれるということであろう。



 これは以前どこかで聞いた話であるが、人間というのは、昔の記憶から殊、嫌な記憶や忘れたい記憶、負の記憶などは無意識のうちに消す傾向があるのだという。よって残った記憶は、自分にとって肯定的な記憶や「輝かしい」過去ばかりになる。そしてなかには、これもまた無意識のうちに、過去の記憶を自分に都合のいいように修正してしまうこともあるという。

 この仮説に立って今回のマスコミや世論の反応を見ると、昔の忌々しい記憶や負の部分の過去(=昔も思っているほど良くはなかったという事実)には(無意識的に?)触れず、美化された過去を基準に今の事件を見ることにより、美化された過去と事件との落差に嘆き、上記のような反応をするというのも、十分に説得的であると思われる。もう一度言おう。今回のようなことは、今にはじまったものではない。



 それから、お決まりの反応のように出てくるのが、犯人の挙動や言動をマスコミ等から聞きかじり、「○○は規制すべき」といった安易な規制論である。これは極めて短絡的であり、問題の解決には何も貢献しないことなど、これまでの流れからすぐに分かりそうなものであるのだが、未だにこういった「愚論」が大手を振って蔓延ることに怒りを禁じえない。

 (今回の事件と対比する喩えとして出すのが適切であるかどうかいささか自信はないが)たとえば麻薬を規制し、市場への流出を禁止したところで、麻薬使用者はいなくなったか。銃刀法を強化したことによって、銃器による犯罪はなくなったか。これら問いへの答えは全て「否」であろう。

 規制を強化すれば、この手の犯罪は減りはするだろう。しかし、規制を強化しても、この手の犯罪はどうして起こるのかという問題の本質に迫ることはできない。子供があぶないことをしたからといって、子供にそれを禁止するだけでは何の教育にもなっていないのと同じである。しかしながら、減らすこと自体が目的であるならば話は別であろうが。



 ナイフやアニメ、ゲームなど、犯人が興味をもったものをことごとく批判の槍玉に挙げ、これらを敵視し規制ればするほど、これらが好きな他の何の危害もない人々は社会から色メガネで見られ、ますます偏見や蔑視を広げることになる。そしてこれがまた第二第三の同様の事件を起こす可能性だって否定できないはずだ。

 当ブログの管理人である自分も、ナイフには興味はないが、アニメやゲームは大好きである。恐らくこの犯人と同じゲームやアニメだってやってきたし観てきたと思う。残虐な描写で有名な「バイオハザード」だってやったことあるし、アキバ系な「萌え」アニメだって観た。けれども、少なくとも自分にはそれらによって犯罪性が惹起されたり、人を殺したりしようと思うことはなかった。もちろん今でもない。ほとんどの大多数の人たちはそうではないだろうか。

 今回の事件によって上記のようなものを規制せよと唱える人たちは、一回これらゲームをやってみればいいし、アニメも観てみたらいい。批判をするからにはその客体を知ってからである。まずは批判の前に自分で体験をされてみたらどうか。

 まぁ、これらゲームやアニメを見て犯罪性が起こる人は、普段のテレビなどによって十分に犯罪性を養われると思うが。換言すれば、これらアニメやゲームよりも家庭に普及しているテレビによる放送を通じて犯罪性が養われる可能性のほうが高いということだ。バラエティ番組などのなかには、いじめを助長するものや、食べ物を粗末に扱うものなどが多い。これらによる害悪性のほうが危険なはずである。



 アニメやゲーム、ナイフの規制に賛同したり、懐古趣味的に昔はよかったと考えがちだが、こういう発想をする人間の方が、実は犯人並に危険思想の持ち主なのではないかと思う次第である。

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