昨日、ケータイから少し投稿しましたが。
私の実家のある、山口県防府市が舞台の、映画『マイマイ新子と千年の魔法』の感想です。
この映画は、原作者・高樹のぶ子さんが自らの少女時代を描いた『マイマイ新子』のアニメ映画化。
昭和30年の防府市を舞台に、想像力豊かな9歳の新子の目を通して見る日常、空想の世界などが描かれています。
物語は、というと。
戦争が終わって、10年経った昭和30年。
瀬戸内海に面した街・防府市は一面の麦畑で、何もない田舎です。
けれども、この町には、千年前・・・平安時代には「周防の国」と呼ばれ、国衙跡をはじめ、当時の遺跡、当時の地名がそのまま残っている土地です。
普段、何気なく通っている道も、千年前からあった・・・祖父からそう教えられた新子は、千年前の防府の様子を空想しては楽しむのが大好きでした。
そんなある時。
東京からの転校生・貴伊子がやってきます。
母を亡くし、引っ込み思案な貴伊子でしたが、新子の明るさや行動力のお陰で、次第にまわりに馴染んでいきます。そして、新子と貴伊子は、千年前の世界を一緒に想像して遊んだりしていました。
毎日が楽しい冒険の連続・・・。
ずっと終わらないように思えた、キラキラと輝く子供時代の日常でしたが、人気者だった保健室の先生の結婚話や、皆で飼っていた金魚の死、友人の父親の自殺・・・など、大人の世界の現実がチラチラと垣間見えてきて・・・。
一つだった仲間の心もバラバラになりかけてくるのでした・・・・・・・・・。
アニメなのですが、特に、何か大きな冒険があるとか、魔法があるとか、そういうファンタジックなお話ではないのですよ。
タイトルには「千年の魔法」とありますが、実際、ハリーポッターみたいな魔法が出てくる訳ではありません。
千年前から続いている街だから、きっと、何か不思議な力がある・・・と、主人公の新子が子供らしい空想力で思っているだけなのです。
本当に、普通の日常物なお話なのですが。
でも、なぜか、切ないような、懐かしいような気持ちにさせてくれる映画でした。
私の場合、実際に自分が通っていた小学校が舞台にもなっているご当地映画、全編山口弁というのもあって、余計に思い入れが強いだけかもしれないのですが。
でもでも、何があるわけでもないのに、心が洗われるようなお話でした。
映画では、新子たちの日常と、彼女が想像する平安時代の少女の日常が、平行して描かれます。
東京から来て、周りになかなか馴染めない貴伊子が、徐々に、友達が増えていって、毎日を楽しむようになるのと比例するように、京の都から来て、周防に馴染めない、平安時代の少女も、友達を増やしていき、毎日を楽しむようになっていきます。
現実の世界と、空想の中の少女の話が、時々、リンクするのです。
平安時代の少女は、あくまでも、新子達の想像の世界の人物なのですが・・・でも、そのように描かれることによって、本当に「千年の魔法」で、現在と千年前が繋がって、時を越えて、人々の想いが重なっているようにも見えて。ファンタジーっぽくも感じられて良かったです。
そして、映画を見て思ったのが。
昭和30年の防府って、何もないのですよ。
この映画は本当に、ご当地映画なので、私が知っている地区・・・というか、私が子供の頃、普通に過ごしていた場所場所が出てくるのですが。
私の知っている光景とは、全然違います。
本当に、何もない、ただただ麦畑や舗装されない道だけ・・・みたいな。
でも。
何もないからこそ、逆に、遊ぶことはいっぱいある。
建物が何もないからこそ、いっぱい、冒険できるのですよね。
今みたいに、色々な玩具やゲームもないからこそ、子供達は、自然と触れ合ったり、想像力を働かせたりして、目一杯遊べる。
そして、その遊びの中で、「死」というものに触れたりしつつ、徐々に自然に大人になっていく。
戦後まもなく、まだまだ貧しい時代だったのでしょうが、でも、人の心は、今よりも豊かだったのかもしれない。良い時代だったのかもしれませんね。
そして、そんな楽しい毎日の中で、少しずつ見えてしまう、大人の世界。
これは、ちょっと切なかったです。
みんなが大好きだった、保健室の先生。若くて綺麗で、優しくて・・みんなの憧れの女性でした。
でも、彼女には、何やら、ヒミツがありそうだったのですよね。
机の引き出しに、投函できないままの手紙を大量に溜め込んでいて。そして、ある時、思い切ったように、その大量の手紙を燃やす・・・。
その直後の結婚退職の話。
大好きな先生には幸せになって欲しい~と心から思う子供達ですが、どこからとなく、大人の事情の噂は流れ込んでくるもので。
先生は、本当は、妻子ある人が好きだっだけど、結ばれない関係を諦めて、別の人と結婚する。
「自棄になったんだって~」、「なんか、ガッカリだね」
という男子の言葉。
先生の結婚話については、これ以上描かれないので、その噂が本当なのか否なのかは分かりません。でも、手紙を書いては破りを繰り返し、投函できない手紙を哀しそうに燃やしていた先生の姿を見ると・・・なにか事情がありそうな雰囲気でもあります。そういった、大人の事情が、子供達の日常とは対照的だったり。
また、よかれと思ってやったことが裏目に出て、大切にしていた金魚を死なせてしまったことも。
「千年の魔法で生き返るよね?」
と願いながら、でも、死んだものは返ってこないということも、ちゃんと理解してはいるのですよね。
だからこそ、みんな、ショックを受けて、仲間の心がバラバラになっていく・・・。
そして、警官だった友人の父親の自殺も・・・。
この事件の後、新子は、決して子供が行くような場所ではない、飲み屋街へと繰り出したりしていきます。
そこで出会った、ヤクザやホステスさん・・・。賭博に酒に女。
子供には分からない大人の世界があることを知るのです。
まだまだ、ず~っと、冒険の世界に居たいだろうに、少しずつ見えてくる現実。
でも、その現実を受け入れながらも、まだまだ、いっぱいいっぱい遊んでいる姿は、千年の魔法に包まれて輝いているように見えました。
だから、ラスト、金魚が戻ってきたのは・・・たまたまの偶然なのか、それとも、本当に千年の魔法?と不思議な気持ちになりした。
そして、物語の最後の最後で、東京から来た貴伊子が、すっかり防府に馴染み、山口弁になっている姿に、まだまだ千年の魔法は続いて居るんだな~と思えて。
嬉しかったです。
遊べる内に、子供で居られる内に、目一杯遊んでおかなくては~と思いました。
で、その魔法が解けるときが大人になる時なのかな~と。
でも、今は、まだその時期じゃない・・・。
いつかは、必ず終わってしまう子供の時代を、精一杯楽しんでいる登場人物達の姿は眩しくて・・・感動でした。
古き良き時代とでも言うのでしょうかね?
今の時代では感じられない、大切な何かを思い出させてくれる・・・そんな映画でした。
私の実家のある、山口県防府市が舞台の、映画『マイマイ新子と千年の魔法』の感想です。
この映画は、原作者・高樹のぶ子さんが自らの少女時代を描いた『マイマイ新子』のアニメ映画化。
昭和30年の防府市を舞台に、想像力豊かな9歳の新子の目を通して見る日常、空想の世界などが描かれています。
物語は、というと。
戦争が終わって、10年経った昭和30年。
瀬戸内海に面した街・防府市は一面の麦畑で、何もない田舎です。
けれども、この町には、千年前・・・平安時代には「周防の国」と呼ばれ、国衙跡をはじめ、当時の遺跡、当時の地名がそのまま残っている土地です。
普段、何気なく通っている道も、千年前からあった・・・祖父からそう教えられた新子は、千年前の防府の様子を空想しては楽しむのが大好きでした。
そんなある時。
東京からの転校生・貴伊子がやってきます。
母を亡くし、引っ込み思案な貴伊子でしたが、新子の明るさや行動力のお陰で、次第にまわりに馴染んでいきます。そして、新子と貴伊子は、千年前の世界を一緒に想像して遊んだりしていました。
毎日が楽しい冒険の連続・・・。
ずっと終わらないように思えた、キラキラと輝く子供時代の日常でしたが、人気者だった保健室の先生の結婚話や、皆で飼っていた金魚の死、友人の父親の自殺・・・など、大人の世界の現実がチラチラと垣間見えてきて・・・。
一つだった仲間の心もバラバラになりかけてくるのでした・・・・・・・・・。
アニメなのですが、特に、何か大きな冒険があるとか、魔法があるとか、そういうファンタジックなお話ではないのですよ。
タイトルには「千年の魔法」とありますが、実際、ハリーポッターみたいな魔法が出てくる訳ではありません。
千年前から続いている街だから、きっと、何か不思議な力がある・・・と、主人公の新子が子供らしい空想力で思っているだけなのです。
本当に、普通の日常物なお話なのですが。
でも、なぜか、切ないような、懐かしいような気持ちにさせてくれる映画でした。
私の場合、実際に自分が通っていた小学校が舞台にもなっているご当地映画、全編山口弁というのもあって、余計に思い入れが強いだけかもしれないのですが。
でもでも、何があるわけでもないのに、心が洗われるようなお話でした。
映画では、新子たちの日常と、彼女が想像する平安時代の少女の日常が、平行して描かれます。
東京から来て、周りになかなか馴染めない貴伊子が、徐々に、友達が増えていって、毎日を楽しむようになるのと比例するように、京の都から来て、周防に馴染めない、平安時代の少女も、友達を増やしていき、毎日を楽しむようになっていきます。
現実の世界と、空想の中の少女の話が、時々、リンクするのです。
平安時代の少女は、あくまでも、新子達の想像の世界の人物なのですが・・・でも、そのように描かれることによって、本当に「千年の魔法」で、現在と千年前が繋がって、時を越えて、人々の想いが重なっているようにも見えて。ファンタジーっぽくも感じられて良かったです。
そして、映画を見て思ったのが。
昭和30年の防府って、何もないのですよ。
この映画は本当に、ご当地映画なので、私が知っている地区・・・というか、私が子供の頃、普通に過ごしていた場所場所が出てくるのですが。
私の知っている光景とは、全然違います。
本当に、何もない、ただただ麦畑や舗装されない道だけ・・・みたいな。
でも。
何もないからこそ、逆に、遊ぶことはいっぱいある。
建物が何もないからこそ、いっぱい、冒険できるのですよね。
今みたいに、色々な玩具やゲームもないからこそ、子供達は、自然と触れ合ったり、想像力を働かせたりして、目一杯遊べる。
そして、その遊びの中で、「死」というものに触れたりしつつ、徐々に自然に大人になっていく。
戦後まもなく、まだまだ貧しい時代だったのでしょうが、でも、人の心は、今よりも豊かだったのかもしれない。良い時代だったのかもしれませんね。
そして、そんな楽しい毎日の中で、少しずつ見えてしまう、大人の世界。
これは、ちょっと切なかったです。
みんなが大好きだった、保健室の先生。若くて綺麗で、優しくて・・みんなの憧れの女性でした。
でも、彼女には、何やら、ヒミツがありそうだったのですよね。
机の引き出しに、投函できないままの手紙を大量に溜め込んでいて。そして、ある時、思い切ったように、その大量の手紙を燃やす・・・。
その直後の結婚退職の話。
大好きな先生には幸せになって欲しい~と心から思う子供達ですが、どこからとなく、大人の事情の噂は流れ込んでくるもので。
先生は、本当は、妻子ある人が好きだっだけど、結ばれない関係を諦めて、別の人と結婚する。
「自棄になったんだって~」、「なんか、ガッカリだね」
という男子の言葉。
先生の結婚話については、これ以上描かれないので、その噂が本当なのか否なのかは分かりません。でも、手紙を書いては破りを繰り返し、投函できない手紙を哀しそうに燃やしていた先生の姿を見ると・・・なにか事情がありそうな雰囲気でもあります。そういった、大人の事情が、子供達の日常とは対照的だったり。
また、よかれと思ってやったことが裏目に出て、大切にしていた金魚を死なせてしまったことも。
「千年の魔法で生き返るよね?」
と願いながら、でも、死んだものは返ってこないということも、ちゃんと理解してはいるのですよね。
だからこそ、みんな、ショックを受けて、仲間の心がバラバラになっていく・・・。
そして、警官だった友人の父親の自殺も・・・。
この事件の後、新子は、決して子供が行くような場所ではない、飲み屋街へと繰り出したりしていきます。
そこで出会った、ヤクザやホステスさん・・・。賭博に酒に女。
子供には分からない大人の世界があることを知るのです。
まだまだ、ず~っと、冒険の世界に居たいだろうに、少しずつ見えてくる現実。
でも、その現実を受け入れながらも、まだまだ、いっぱいいっぱい遊んでいる姿は、千年の魔法に包まれて輝いているように見えました。
だから、ラスト、金魚が戻ってきたのは・・・たまたまの偶然なのか、それとも、本当に千年の魔法?と不思議な気持ちになりした。
そして、物語の最後の最後で、東京から来た貴伊子が、すっかり防府に馴染み、山口弁になっている姿に、まだまだ千年の魔法は続いて居るんだな~と思えて。
嬉しかったです。
遊べる内に、子供で居られる内に、目一杯遊んでおかなくては~と思いました。
で、その魔法が解けるときが大人になる時なのかな~と。
でも、今は、まだその時期じゃない・・・。
いつかは、必ず終わってしまう子供の時代を、精一杯楽しんでいる登場人物達の姿は眩しくて・・・感動でした。
古き良き時代とでも言うのでしょうかね?
今の時代では感じられない、大切な何かを思い出させてくれる・・・そんな映画でした。