『検死審問 インクエスト』パーシヴァル・ワイルド著/
1950年代に『検屍裁判 インクエスト』という邦題で、三つの版が出ていたそうですが、当然生まれてもいない私が知るはずも無く、今回の復刊でこの存在を知った次第。
江戸川乱歩が賞賛し、推理小説が嫌いだというレイモンド・チャンドラーをも魅了したという作品に、期待大で取りかかりました。
犯人を明かしてはいませんが、未読のかた、ネタバレ、先入観はダメだというかたは、ここで引き返してくださいませ。
巻末の解説を書かれた杉江松恋さんが端的に読みどころをついてらっしゃるので(さすがプロ)、今更何を書くこともないのでしょうが…。
コネチカット州トーントンという小さな村に住む女流作家の家で、殺人事件が発生した。
検死官リー・スローカムは直ちに検死陪審員を招集し、事件の審議にあたることになった。
が、この検視官、事件現場に居合わせた関係者の証言を先に口述させておいて、その証言をただ読み上げるに止めたり、審問一日あたりの日当だの供述調書1ページにつき10セントの手当てが出るだの長引けばそれだけ日当が増えるだの、真面目に審問をする気があるのかどうかも疑わしい感じ。
そしてまた陪審員もその日当をあてにしていたり、唯一この審問の進め方に意義を唱える人物が(これが普通の考え方なんですが)堅物に受け取られたりと、大丈夫かいなと一抹の不安が…。
この作品は、審問を、関係者の証言と、その証言についての質疑応答という形式で進めていくのみで進行します。
その証人がまたクセのある人たち揃いで、でも読み進めていくうちに誠実な人物であったり(リーの義弟や出版業者ピーボティー)、実直であったり(村の芝刈り職人ベン・ウィリット、執事のタムズ)、やはり周囲の見立てどおりに嫌に奴だったり(ベネットの縁者の一人ウィリアム・ミンターン)、そして、救いようのない高慢な性格と怜悧な判断力を併せ持つ作家、オーレリア・ベネット。
何と言っても芝刈り職人のウィリット老人の証言が光ります。
筆記者のフィリスに一切の質問を許さず、自分の喋りたいようにさせろと宣言した老人ですが、少年の頃からずっと芝を刈りながら堅実に考えつつ生きてきたこの老人の話は、とてもわかりやすい。
作家の70歳の誕生日パーティーに集まったゲストたちの人間関係やその動きを、最大限によく覚えていて、またその観察眼も素晴らしい。そして、この老人の証言の中に、事件のヒントが数多く隠されているのです。
事件そのものはトリッキーとかアリバイ崩しとかいった現代ミステリとは違って、人間観察の方に重点をおいたものですね。
でも、そういったミステリを書いた女王クリスティとはまた違う、乾いた雰囲気もありました。登場人物全てを疑えとばかりに変人や狂人、嫌われ者ばかりを登場させるよりも、検死審問という裁判の一要素であることを何度も検視官スローカムの口を借りて強調しています。
そのうちに、事件の真相に近づいた人物が召喚されますが、この人物に好きに話させる事までもがスローカムの術中にあったとは!
だからページ数も少なくなってきたこの段階で、この人物が探偵役だったのか?スローカムはやっぱり昼行灯てこと?と勘違いさせられてしまうのですよ。
事件の真相を明かすことがこの審問の主旨ではない、とか言いながら、そうやって時間を稼いでいたらしいスローカムの、さて犯人は誰?という解決部分、驚きましたよ。犯人の正体とかトリックとかじゃなくて、スローカムと言う人物の探偵としての資質や、事件の根幹に関わることの全体の伏線の張り方が。
ものすごくあからさまに書いてあるのが、なんと冒頭部分!再読してびっくりしました。
確かに杉江さんの書かれたように、これは3回くらい読んでやっと、名作だと言われた意味が分かるような気がします。
再読時は、伏線拾いに勤しんで、もう一度全体をじっくりと読む。すると、犯人の意外性は薄いものの構成が見事なので結局「面白いわこれ!」という感想になる。
なるほど、チャンドラーが褒めたはずだわ、というくだりがあって、推理小説、探偵小説なんて嫌い!という人たちの声をコンパクトに纏めた部分があるのですよ。p231~p232にかけてなんですけど。
これは、ミステリなんて嫌いだと公言していらっしゃる某大作家センセイが読んだら、諸手を挙げて喜ぶんじゃないかね(苦笑)。
こういう非難があることをミステリ作家の先生方もミステリ読みも勿論承知の上で、それでもミステリが好きだと言える自分が、何故か誇らしくも思えてきましたよvvくっしっし♪
まあ、トリッキーとかパズル性が強い方が好きだー!という人には、物足りないかもしれませんが、構成の巧さと人物の配置の仕方の妙、大作家に対する皮肉のようなものもあるので、読んで損はないと思います。
お付き合いくださって、ありがとうございました。
1950年代に『検屍裁判 インクエスト』という邦題で、三つの版が出ていたそうですが、当然生まれてもいない私が知るはずも無く、今回の復刊でこの存在を知った次第。
江戸川乱歩が賞賛し、推理小説が嫌いだというレイモンド・チャンドラーをも魅了したという作品に、期待大で取りかかりました。
犯人を明かしてはいませんが、未読のかた、ネタバレ、先入観はダメだというかたは、ここで引き返してくださいませ。
巻末の解説を書かれた杉江松恋さんが端的に読みどころをついてらっしゃるので(さすがプロ)、今更何を書くこともないのでしょうが…。
コネチカット州トーントンという小さな村に住む女流作家の家で、殺人事件が発生した。
検死官リー・スローカムは直ちに検死陪審員を招集し、事件の審議にあたることになった。
が、この検視官、事件現場に居合わせた関係者の証言を先に口述させておいて、その証言をただ読み上げるに止めたり、審問一日あたりの日当だの供述調書1ページにつき10セントの手当てが出るだの長引けばそれだけ日当が増えるだの、真面目に審問をする気があるのかどうかも疑わしい感じ。
そしてまた陪審員もその日当をあてにしていたり、唯一この審問の進め方に意義を唱える人物が(これが普通の考え方なんですが)堅物に受け取られたりと、大丈夫かいなと一抹の不安が…。
この作品は、審問を、関係者の証言と、その証言についての質疑応答という形式で進めていくのみで進行します。
その証人がまたクセのある人たち揃いで、でも読み進めていくうちに誠実な人物であったり(リーの義弟や出版業者ピーボティー)、実直であったり(村の芝刈り職人ベン・ウィリット、執事のタムズ)、やはり周囲の見立てどおりに嫌に奴だったり(ベネットの縁者の一人ウィリアム・ミンターン)、そして、救いようのない高慢な性格と怜悧な判断力を併せ持つ作家、オーレリア・ベネット。
何と言っても芝刈り職人のウィリット老人の証言が光ります。
筆記者のフィリスに一切の質問を許さず、自分の喋りたいようにさせろと宣言した老人ですが、少年の頃からずっと芝を刈りながら堅実に考えつつ生きてきたこの老人の話は、とてもわかりやすい。
作家の70歳の誕生日パーティーに集まったゲストたちの人間関係やその動きを、最大限によく覚えていて、またその観察眼も素晴らしい。そして、この老人の証言の中に、事件のヒントが数多く隠されているのです。
事件そのものはトリッキーとかアリバイ崩しとかいった現代ミステリとは違って、人間観察の方に重点をおいたものですね。
でも、そういったミステリを書いた女王クリスティとはまた違う、乾いた雰囲気もありました。登場人物全てを疑えとばかりに変人や狂人、嫌われ者ばかりを登場させるよりも、検死審問という裁判の一要素であることを何度も検視官スローカムの口を借りて強調しています。
そのうちに、事件の真相に近づいた人物が召喚されますが、この人物に好きに話させる事までもがスローカムの術中にあったとは!
だからページ数も少なくなってきたこの段階で、この人物が探偵役だったのか?スローカムはやっぱり昼行灯てこと?と勘違いさせられてしまうのですよ。
事件の真相を明かすことがこの審問の主旨ではない、とか言いながら、そうやって時間を稼いでいたらしいスローカムの、さて犯人は誰?という解決部分、驚きましたよ。犯人の正体とかトリックとかじゃなくて、スローカムと言う人物の探偵としての資質や、事件の根幹に関わることの全体の伏線の張り方が。
ものすごくあからさまに書いてあるのが、なんと冒頭部分!再読してびっくりしました。
確かに杉江さんの書かれたように、これは3回くらい読んでやっと、名作だと言われた意味が分かるような気がします。
再読時は、伏線拾いに勤しんで、もう一度全体をじっくりと読む。すると、犯人の意外性は薄いものの構成が見事なので結局「面白いわこれ!」という感想になる。
なるほど、チャンドラーが褒めたはずだわ、というくだりがあって、推理小説、探偵小説なんて嫌い!という人たちの声をコンパクトに纏めた部分があるのですよ。p231~p232にかけてなんですけど。
これは、ミステリなんて嫌いだと公言していらっしゃる某大作家センセイが読んだら、諸手を挙げて喜ぶんじゃないかね(苦笑)。
こういう非難があることをミステリ作家の先生方もミステリ読みも勿論承知の上で、それでもミステリが好きだと言える自分が、何故か誇らしくも思えてきましたよvvくっしっし♪
まあ、トリッキーとかパズル性が強い方が好きだー!という人には、物足りないかもしれませんが、構成の巧さと人物の配置の仕方の妙、大作家に対する皮肉のようなものもあるので、読んで損はないと思います。
お付き合いくださって、ありがとうございました。