『日本探偵小説全集5 浜尾四郎集』 浜尾四郎 著(創元推理文庫)
最近このブログで浜尾浜尾と書いてますが、これは浜尾さん違いです(笑)
戦前、というか明治29年、男爵家の四男としてのお生まれという貴族様で、検事から弁護士ののちに探偵小説作家になったかたです。
お名前だけは知ってたんですけどねえ、なかなか読むタイミングが……。
いや、すごいですよ、法律的探偵小説ってそのとおりだった。そして面白かった!
ええとですね、かなり分厚い文庫なんですけどさもありなん、大長編で別に一冊作られててもいいくらいのページ数がある〈殺人鬼〉が、この文庫の2/3を占めてます。
ただ、解説によるとこの浜尾四郎さんてそうたくさんの作品を残されてはいないらしく(病気で四十歳で亡くなったとか)、短編は十五編、長編は四編(うち一編は未完)?短編集を別に編むのは難しかったのかな。
でもこれはこれで、傑作ばかりが集められたということなのでありがたいです。
収録順とは逆になるけど、やっぱり傑作と名高い長編〈殺人鬼〉から書きたい。
いやーこれ面白いですわー♪
戦前、というかこの作品が新聞連載としてスタートしたの、昭和六年ですってよ奥さん!←誰
そんな時代に、これほどのフーダニットとハウダニット、ホワイダニットの大長編。
ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』をモチーフに書かれた作品で、なるほどグリーン家の影響はかなり強いです。
でもわたしは本家グリーン家よりも好きだわ。
その理由はかなりはっきり分かってて、『グリーン家殺人事件』及びヴァン・ダインに触発されて書かれたものなのに、そのヴァン・ダインに喧嘩売ってるから(笑)
根っからの天の邪鬼なわたしは、こういうのに弱いのです。
ということで、グリーン家とヴァン・ダインの有名なアレを熟知してらっしゃるミステリ好きさんは、トリックがいろいろと超強引なのを苦笑いつつも楽しいんじゃないかな。と思う。
本当ーにトリックは厳しい(苦笑)
ただ、犯人特定のロジックは(そんなトリックの上に成り立ってるとはいえ)読み応えがありました。
名探偵もミスするし、ワトスンも失敗するし、警察はいつも後手後手で容疑者たちは現実離れしてて誰一人好きになれない(笑)
そして、後からか後から容疑者が湧いてくるわけでもなく(容疑者の関係者がぽつぽつ程度)むしろ被害者が増えるにしたがって容疑者はそのぶん減っていくのに、真犯人を最後まで見事に隠しおおせたこのミスリードっぷり!
まるで、作者が読者の腕を掴んで「こっちこっち!」と強引に引っ張っていくような、読者の頤をぐいっと「ねえこれ見て!」と向かせるような、有無を言わさないパワーがありましてね。
読者が、あれーこの人おかしいなーと思っても、「お、おう(汗)」みたいなw
で、よく出てくるセリフが「これが探偵小説だったら~」というものなんですが、名探偵・藤枝さんとワトスン役の小川さんのコンビを現実に繋ぎ止める錨のような存在にしてるんですよ。ほかの警察や容疑者たちがあまりにもフィクションじみてて(苦笑)、駒は駒でいいとして名探偵や語り手まで浮世離れさせたらただのヴァン・ダインになってしまう。
語り手か探偵が作者の投影を担ってるなら、どうしても「こんな奴おらんやろ」なキャラクタにはしたくなかったんでしょうね。法律家としても。
ここからは短編も含めた感想になるけど、やっぱり法律家としての見識があって、被告人の背景からをつぶさに見てきた人だからでしょうね、「事件は防げなかったのか」という視点よりも「もともと、人は弱く矛盾に満ちた生き物だ」という意識が、探偵小説を執筆するうえで根幹にあったのでは。
それぞれの短編に、皮肉の合わせ鏡のようなストーリーが多いなと思ったんですよね。犯人当てという遊びじゃない、人間の生き様死に様をなるべく自然に書こうとしたような気がします。
短編もデビュー作の〈彼が殺したか〉から七編収録。
探偵が出てくることはなく、罪は法と心で裁かれてます。
わたしは〈彼は誰を殺したか〉が好きかな。
たまにこういう戦前や戦後直後の探偵小説が読みたくなります。
このシリーズ、家にまだいくつか積んでるので、そのうち読もう。(積んだままフラグ)