夕暮菜日記

私的日記、教育、社会、音楽、等々について

ボランティアに行って来た。--感想など--

2011年05月05日 02時06分21秒 | 日記
見渡す限りの瓦礫と廃墟、そして、ほとんど見当たらない人間。
この風景は、私の中で、未だ消化しきれていない。
言語化できない。
とにかく、この状態をマスコミも私も、手を替え品を替え伝え続けなければならない。
そうやって関心をつなぎ続ける事で、行政、ボランティアを動かしていかなくてはなるまい。
自分自身も。

家、自動車など人間の作ったものが、瓦礫と化している一方、サクラもタンポポもオオイヌノフグリもしっかり咲いていた。
ツバメも巣を作っていた。
カモメも舞っていた。

以下、ツイートと内容重複。

現地では、中学生2人組がテストの準備ということで、私は理科と数学の勉強の手伝いをさせてもらった。
漢字のテスト対策の話をするとき、私が
「教科書本文の新出漢字を練習しとけばいいじゃん」と言うと、
「教科書、流されちゃったんですよ」と返された。
私は、ものすごく無神経なことを言ってしまったように感じて、恥じた。
こちらが当たり前に前提としていることが、被災地では崩壊しているのだ。
そんなこと、知っていたはずなのに、私はわかってはいなかった。

彼女たちの会話には、こんなのもあった。
「今年の夏は海で泳げないよね」
「そうだよ! 海、死体いるよ! 死体!」

津波のあったことを報道で知っている私と、それを実際に体験して、津波=海に対して濃密なイメージをもっている彼らとは、こんなにも違うのか、と思い知らされた会話だった。

今回私は、GMJというグループに混ぜてもらい炊き出しを手伝ったのだが、それとは別に個人的にほんの少しだけ支援品を届けた。
現地のおばちゃんに直接渡したのだけど、支援品の中にバーボンを見つけたときのおばちゃんのニンマリ笑顔が忘れられない。
「酒を支援してくれ」とは言い難いからね。

ボランティアの皆で炊き出しをしたのだけれど、正直、段取り、手際に関して、もっとこうだったらいいのに、と思うところも多々あった。
ただ、皆向上心の強い人たちで、次の炊き出しは、きっともっと上手くやれるだろう、と感じた。
何事もトレーニングの積み重ねなのだ。
こういう活動は、年単位の継続が間違いなく必要だ。
もっと上手になれるだろう。



あなただからできる自然災害ボランティアABC (NATURE GAMEBOOKS―リーダー必携シリーズ)
クリエーター情報なし
ネイチャーゲーム研究所

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
支持 (通りすがり)
2011-05-07 23:21:29
お疲れ様でした。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。