1月1日元旦の皇居前広場と中央通りの散策のあと、浅草の浅草寺へ初詣へ行ってきたのですが、ものすごい人の数で撮影どころではありませんでした。なので去年の12月、年の瀬の時期に一度、下見のつもりで浅草寺を散策してきたので、その時に撮影した写真をご覧下さい。
東京地下鉄銀座線の浅草駅を降りてしばらく浅草通りを歩くと正面に表参道入口である「雷門」が見えてきました。慶応元年(1865年)に焼失後、長らく仮設の門が建てられていたのですが昭和35年(1960年)に、約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建されました。浅草地区のシンボル的な存在として有名ですね。
浅草地区を東西方向に伸びている「浅草通り」を撮影してみました。大通りに沿って「浅草雷門商店街」のアーケードが続いていて、多くの人々で賑わっていました。対岸の東京スカイツリーの開業によって、観光客の数が増加傾向にあるそうです。
雷門から宝蔵門に至る表参道の両側にはみやげ物、菓子などを売る商店が立ち並び「仲見世」と呼ばれています。商店は東側に54店、西側に35店を数えます。寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後の大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。
散策路は年末らしく大勢の人々で賑わっていましたが、年明けの初詣時のような凄まじい混雑のレベルではありませんでした。
色鮮やかな仲見世をしばらく歩いていくと、前方に雷門と本堂の中間点に建っている「宝蔵門」の建物が見えてきました。仲見世の西側には浅草公園の広大な緑地帯が広がっています。
雷門をくぐり仲見世の商店街を抜けた先にあるのが「宝蔵門」です。入母屋造の二重門(2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)です。現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものです。
門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたのですが、昭和の再建後は宝蔵門と称しています。その名の通り門の上層は文化財の収蔵庫となっています。
「小舟町」と書かれている大提灯をズームで撮影してみました。東京都中央区の日本橋小舟町の有志が町内の個人や商店、企業約190件の寄付を集め実現したそうです。約340年前に同町の魚河岸商人の信徒らが提灯を奉納したのがきっかけで同町で受け継がれています。
宝蔵門前から敷地内に建つ「五重塔」を撮影してみました。塔自体の高さは約48メートルとなっています。基壇内部には永代供養のための位牌を納めた霊牌殿などがあり、塔の最上層にはスリランカ・アヌラーダプラのイスルムニヤ寺院から招来した仏舎利を安置しています。
東側に目を向けてみると、市街地の奥には東京スカイツリーがそびえ立っているのが見えました。634メートルという高さは、浅草地区の至る所から見上げることができます。
「本堂」は本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれています。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたのですが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失しました。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造です。
浅草寺は浅草地区の中で緑地帯としての性格も持っているのだと思います。