Ever Green

子育て、ピアノ、日々のこと。

通夜

2012-07-23 09:58:11 | 実家
通夜は自宅で行いました。

お経の後食事をして、交代にりんをたたき続けました。

母と大阪から駆けつけた母の姉と妹。

たちまち女子会が始まりました。

まあよくしゃべること。

話はあっちへ飛びこっちへ飛び、たえず誰かが話してる。

隣の部屋でそれを聞いていた従妹と私。

「ほんとよくしゃべる姉妹やなあ。」
とここでも女子会の始まりです。

にぎやかなことが好きだった父です。

きっと仲間に入りたくてうずうずしながら聞いていたことでしょう。

入棺

2012-07-22 22:44:39 | 実家
家族や親戚や近所の人みんなに体を清めてもらっている間、
母は片時も父のそばを離れませんでした。

別れを惜しむように父の枕元に座って父の顔を見つめていました。



父は棺に納められました。

「もっと広い棺おけはないんか。寝返りもうてんが。」

と言ってむっくり起き上がってくれたらな。

でも父は静かに棺の中で眠っていました。

遺影

2012-07-22 00:15:18 | 実家
遺影は私の結婚式の時の集合写真を使いました。

写真屋さんから受け取って初めて見た瞬間、兄も私も「えっ・・・」

どこか変です。

父はおでこ側からはげあがっていくタイプでした。

最近では白髪が少し後頭部まわり?にあるくらいでした。

でも私の結婚式は25年ほど前。

今より髪はあったし、髪の色も黒かったのです。

しかし、集合写真だったのでいすに座った父の後ろはおじが立っていて、
父の頭に少しだけ残っていた黒い髪はおじの礼服の黒と重なって同化してしまっていたのです。

写真屋さんは困ったことでしょう。

肌色と黒色の境で切ってしまうとまるっきりつるっぱげになってしまうし、
黒色をどの分量で残すか。

いちばんぶなんな線で切ってくれたんでしょうが、びみょうにバランスが・・・


まあ、じっとながめているうちにすぐに見慣れてしまいましたが。



思わず笑っちゃったよ、お父ちゃん、ごめんなあ。

でも、お父ちゃんも自分の遺影を見てぜったい笑ったやろ。


父の支度

2012-07-20 22:56:54 | 実家
葬儀屋さんが来て家族で父の身支度を整えました。

白い着物を着せ、手甲や脚絆を付けました。

結び方は立て結びにするんですね。

そして父の手を組ませました。

父の手をじっと見つめて思いました。

ああ、そうだ、私は父の手が大好きだった。

父の大きくてあたたかい手が大好きでした。

100人の手だけを見て、父の手を見つける自信があります。

父の手を胸の上で組んでふとんをかぶせました。

ドライアイスを入れられて、冷たそうだったけど、もう文句も言えないね。

お父ちゃん。

父の最期

2012-06-25 23:01:12 | 実家
母から父の最期のようすを聞きました。

夜中の3時ごろ父がうなされていたので声をかけたそうです。

父はいったん目を覚ましました。

猫か泥棒を追い払おうとしていたようです。

ふとんも全部はいでしまっていたので
母は「風邪ひくがな。」とふとんをかけなおしました。

父は「おー」と言ってまた眠りにつきました。

しばらくしてなにかようすがおかしいと思った母は眠っている父を見てみました。

さっき寝かせた姿勢のままでした。

「お父ちゃん」

返事がありません。

すぐに2階の兄たちを呼んでようすをみてもらいました。

すでに脈はなく、心臓は止まっていました。



父は亡くなりました。

前日まで普段どうりの生活をして、夕飯を食べて、お風呂に入って・・・

眠ったままひっそりと逝ってしまいました。

父は自分が死んでしまったことに気付いているでしょうか。

父の魂は今どこにいるのでしょうか。


父の顔

2012-06-25 00:10:54 | 実家
実家に着くと、親戚や近所の人が集まってくれていました。

家に入るとふとんに寝ている父と枕元に座っている母。

父の顔はおだやかで今にも目を覚ましそうでした。

父の頬に手をあて「お父ちゃん、お父ちゃん」
と何度か呼んでみましたが、返事もなく・・・

頬はまだほんのり温かいのに・・・



知らせを聞いて次々に親戚や知人が父の顔を見にかけつけてくれました。

その度に父の頭をなでながら「寝よるようやろ。今にも起き出しそうやろ。」
と話す母。

喪主である兄や伯父が葬儀の準備をしているなか、
寝ている父と枕元の母の一角だけ時が止まっているようで・・・

喪主をつとめるのは兄はもちろん初めてで、わからないこともいっぱいありそうで、
(兄ちゃん、だいじょうぶかなあ、わからんことはお父ちゃんに聞いたらええのに)

と私もまた頭が混乱してるので、何を考えてるのかわからない状況になってました。



午前4時の知らせ

2012-06-23 23:54:49 | 実家
4月14日午前4時ごろのことです。

実家から電話がありました。

こんな時間の電話、良い知らせのはずがありません。

この時点ですでに私はパニックになってたと思います。

受話器から聞こえた母の声。

「お父ちゃんがな、亡くなった」

「・・・なんで?」

「夢にうなされて起きたから、なだめて寝かして、そのまま・・・」

私の頭はその意味を理解できてはいなかったように思います。

「行くわ」とそれだけ伝えて電話を切りました。

頭の中が真っ白になって今何が起きているのかなんにも考えられない。

とにかくお父さんに言わなきゃ。

「お父さん、大野原のじいちゃんが亡くなったって・・・」

お父さんもびっくりして飛び起きてすぐ着替え始めました。

私も着替えなきゃ。

あ、ぷーちゃんも起こさないかん。

「ぷーちゃん、大野原のじいちゃんがな・・・」

ぷーちゃんは電話の様子ですべてを悟ったようで
布団の中で泣きじゃくってました。

「じいちゃんに会いにい行こうな」

頭の中はやっぱりわけがわからない状態のまま
あわただしく着替えて実家に向かいました。

もうすぐひと月

2012-05-12 00:18:09 | 実家
父が亡くなってもうすぐひと月になります。

父の死を受け入れることはまだまだできそうにありません。

でも実家に行っても父の姿がないことには少しずつ慣れてきました。

今、心配なのは母のことです。

兄とお義姉さんが仕事にでかけたら日中はひとりです。

電気屋だった父とずっと二人三脚で歩いてきました。

父という大きなささえを失った母の体はとても小さく見えます。

実際、背骨を骨折してからは体も弱っていたのに
父の死で食欲もなくなり体重は35㎏まで落ちてしまいました。

さいわい私は3時ぐらいまで時間があるので
できるだけ昼食は母といっしょに食べてあげられるように実家に通っている毎日です。

車で1時間ほどの距離でよかったです。

県外に嫁いでいればどんなに心配でも簡単に帰れませんからね。


2012-04-15 23:47:27 | 実家
4月14日の午前3時過ぎ、実家の父が亡くなりました。

通夜、葬儀とあわただしい土日をすごし、
今、家に帰ってきました。

突然逝ってしまったので、まだ実感がわきません。

これから少しずつ寂しさがつのっていくのでしょう。

父の食事

2012-02-01 00:43:45 | 実家
実家の父は先週、退院しました。

退院の前に家での食事についてお話がありました。

実家は同居といっても台所は別なので、父のご飯は母が作ります。

でもお義姉さんが「私もいっしょに聞いておきます」と言って仕事の都合をつけていっしょに行ってくれたそうです。

塩分は1日6g
たんぱく質も制限が付くので豆腐や豆もだめ
生の果物は禁止


母と兄夫婦が相談して一部宅配の腎臓病食を利用しながら足りないぶんは手作りで補っていくことにしたそうです。

これからいろいろ大変ですが、私もできるだけ顔を見せに行きたいと思います。