インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

八十年代を席捲した二つのロックバンド、アルフィー対BOØWY

2016-07-14 16:49:40 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
創作がらみでアルフィーファンのブログを読み込む毎日だが、アルフィーのファンは熱狂的といわれるだけあって、ブログもマニアックで詳しい。ただのコンサートの感想文、ミーハーのきゃあきゃあわーわーと違って、一端の音楽論を展開しているのもあるし、そもそもアルフィーをテーマにブログを書くくらいだから、狂信的かつ長年のコアファンでもあり、たかみーの女性ファンなど、双眼鏡でいちいち彼のギターをチェック、機種まで詳述しているほどだ。あたしは素人と断りながら、この詳しさはもうトーシロとはいえないだろう。まあ、たかみーのコアファンであれば、おのずとギターには興味を持たずにはいられなくなり、ネットなどでチェック、あるいは渋谷の楽器店ESPにエンジェルシリーズを見学に行ったりして、自然と詳しくなっていくのだろうが。

作家にとって、読者が侮れないのと同様、ミュージシャンにとっても、ファンは見下せない。中に目利きがいて、鋭い批評を下すセミプロ級のクリティックがいるからだ。アルフィーもそういうファンに磨かれてきたといえるし、私にとっても、それが酷評であれ的を得たものなら大変勉強になるし、次回に活かそうと殊勝な気持ちにもなる。

ねたがばれると困るので、ここに明かせないのだが、私の中で長編のテーマが少しずつ固まりつつある昨今、それはこの三ヶ月ほどのめり込んでいることと大いに関連性のあるテーマで、といっても、今すぐに書くというのでなく、少し時間をかけて温めたいと思っている。というか、これから歳月をかけて実体験して、その経験を元に主人公の心理を掘り下げたいので。音楽がテーマの一環であることだけは告げておく。

さて、アルフィーのコンサート感想をチェックしていて、以下のブログ記事にあたったので、紹介しておく。
ALFEE@東京国際フォーラム@超ネタバレ

一部感想を引用。
ハードロックにメタル、ユーロビート、フォーク、
洋楽カバー、珠玉のバラードまで詰め込まれるこの凝縮されたセトリ。
こんなのが聴けるLIVEはやはりALFEE以外にゃ無いな、と改めて(笑)。
ステージへの情熱、3人のチームワーク、曲とライティングの一体感・・・
何処を切り取っても素晴らしすぎるし、とにかく熱い。熱すぎる。
観る度に、この人たちが還暦だってのを未だ私は信じられないです。
歌詞の1文字1文字、メロディの1つ1つからから元気を貰え、背中を押され、
これでまた暫くの間、スッキリと日常を過ごせそうです。
あぁ、ホント良かった。

この方は本来はヒムロック(氷室京介、 1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位、94年以降アメリカでの活動が増え、1997年に家族と共にロサンゼルスに移住)の熱狂的なファンで、同じブログ内に、氷室京介の最後の引退コンサートとなったライブについても感想を書いているので、こちらも併せて紹介したい。
氷室京介ドキュメントの衝撃

ミュージシャンにとって耳をやられることは、死活問題、今現在目の問題を抱える作家の私にとっても、ひと事でなく、あまりの痛ましさに嘆息が洩れる。加瀬邦彦は喉頭がんで声帯切除、声が出せなくなったことを悲観して自殺した(2015年74歳没)。手術しようかどうか迷っていたとき、エレキギターの師匠的存在の加山雄三に命を優先すべきと手術を勧められ、踏み切ったそうだが、結果的には手術せずに余命は短くても歌えるところまで歌えたほうが、彼にとってもよかったのかもしれない。
絶望のあまりの自害だが、気持ちは痛いほどよくわかる。加瀬さんて、ジュリーのプロデューサー、恩人的存在でもあった。ワイルドワンズの頃から長年ミュージック活動に携わってきて最後に声が出せなくなる死病に見舞われるとは、あまりに悲惨すぎる。

ただ、氷室さんはライヴは無理でも、CDのほうは今後も出していくみたいなので、熱狂的なファンにとっては、救われるだろう。
私は彼がもてはやされた時代にはすでにインドに移住していたので、名前を少し聞いた記憶があるくらいでまったく詳しくないのだが、一時期音楽がらみで少し調べたことがあって、バンドのBOØWY(暴威)時代から始まって六年後にキャリアの頂点で解散(1981-1987)、その後ソロ活動で大物にのしあがった経緯はネット情報から得ている。

さて、同じ八十年代に活躍したアルフィーとBOØWYの接点だが、デビューは74年とアルフィーのほうが七年早い。ただアルフィーがブレイクしたのは83年なので、活動時期が重なるのだ。互いにどういう風に思っていたか、興味があるが、ある意味泥臭い、ださいともいえる(私はそこが好き)フォーク転身ロックグループ、アルフィーに比べ、BOØWYは都会的スマートさにあふれ、同じバンドでも対照的だ。氷室さんの動画を覗いたことがあるが、スタイリストぶりが際立っていた。

ところが、ひとつ共通点があった。
それはフランスのファッションデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチエである。
以下、ゴルチエのウイキから一部引用させていただくと。
日本のアーティストにもファンが多く、80年代に活躍したBOØWYが樫山とのタイアップで衣装を着用したり、1989年には、THE ALFEEのライブとゴルティエのファッションショーが融合したイベントツアー「THE ALFEE with Jean-Paul GAULTIERツアー」を催した。このツアーでは、ALFEEのメンバーの衣装をJean-Paul GAULTIERで統一。前半と後半の間では15分間のファッションショーが催された。
THE ALFEE WITH Jean Paul GAULTIER

と、ステージ衣装がゴルチエと共通した一時期があったのである。
で、推測するに、八十年代を席捲した両バンドは同じロックと言っても水と油くらいに性質は違いながらも、お互いライバルとして意識し合っていたように思える。とくに、アルフィーの高見沢俊彦とBOØWYの布袋寅泰は同じエレキギター巧奏者として、それとなく意識しあっていたのではなかろうか(布袋のほうが八歳年下。当時の二人のギターは前者が変形、後者がボディにオリジナルの幾何学模様を施したものだった)。
ただし、アルフィーはブレイク以降「夜のヒットスタジオ」の常連、BOØWYはテレビ出演を極力避け、「夜のヒットスタジオ」には数えるくらいしか出ていない。以下は、そのときの貴重な画像。
BOOWY 夜のヒットスタジオ

個人的に好きな曲は「わがままジュリエット」で以前は「夜のヒットスタジオ」版もアップされていたのだが、消されちゃったみたいなので、以下1986年3月の青山スパイラルホールでのライブ演奏をどうぞ。
BOOWY/わがままジュリエット

半年とたたない、同86年8月東京ベイエリア十万人コンサートでアルフィーが初披露した名曲、高見沢俊彦が13年かけてたどり着いたという、60年代の学生運動をテーマにしたナンバーを、BOOWYと比較しながらどうぞ(スタイルも歌も対照的なくらい違うな)。当日初演奏され、初めて聴くにもかかわらず、観客が一体となって最後のリフレイン部分を大合唱したという伝説のある名曲(歌詞はこちら)です。
アルフィー 「Rockdom ~風に吹かれて~」 1986年 TOKYO BAY-AREA


最後に最後部のファンにも見えるように高所にある聖火台を駆け上がって、十万人のファンにもろ手を挙げて挨拶するサービスがなんといえないな。
ちなみに歌詞に歌われている1969年は、全共闘運動が東京大学で勃発、燎原の火のごとく全国に広がって、国公立大学や私立大学の大半が何らかの闘争状態となった学生運動のエポック年です。


*以下、BOØWYについてウイキから一部引用加筆しておく。
エイトビートを基調としポップでありつつもシャープでエッジの効いた縦ノリのロックサウンドや、ジャン=ポール・ゴルチエをステージ衣装に使用したり、今日のロックシーンでは当たり前となった逆立てたヘアースタイルなどの斬新なビジュアル等が多くの支持を集め、5thアルバム『BEAT EMOTION』と6thアルバム『PSYCHOPATH』は当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録した。シングルでも1987年に「MARIONETTE」が初登場1位を記録し、名実共にトップバンドへとのし上がった。
しかし絶頂の最中にあった1987年12月24日に解散を宣言。この突然の出来事は世間に大きな衝撃を与えた。翌年1988年4月4日、5日に東京ドームで行った『LAST GIGS』にてバンド活動に終止符を打つ。9万枚以上用意されていたこのライブのチケットは僅か10分で完売、予約の電話が殺到した結果、文京区の電話回線がパンクするという事態も起こり、これら一連の流れからBOØWYボウイの人気は社会現象にまで発展した。
翌月にリリースされた『“LAST GIGS”』は、ライブ・アルバムとしては異例とも言える150万枚のセールスを記録している。
その音楽性、「誰にも似ない」「何処にも属さない」というバンドスタイル、メディアをほとんど利用しない強気な姿勢、斬新なビジュアル、絶頂期での解散、後に起こるバンドブームの火付け役となり、全国に数多くのロックキッズを産むなど、BOØWYボウイが及ぼした影響は絶大である。解散後も、ベスト・アルバムや未発表音源がリリースされると常にチャートの上位にランクインしており、今日もなお日本のロックシーンに変革をもたらしたバンドとしてその地位を確固たるものとしている。
音楽雑誌等ではしばしば「BOØWYボウイ以前」「BOØWYボウイ以後」と表記され、フォロワーと呼ばれるバンドやミュージシャンも数多く登場している。

アルフィーの東京ベイエリアにおける十万人コンサートが1986年であること考えると、アルフィーのピーク時、BOØWYはロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録しトップバンドにのしあがったことになるが、1987年の解散宣言で、彗星のごとく登場した天才バンドは短期で消滅した。


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