インドで作家業

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インドのピカソ死去

2011-06-12 07:09:58 | カルチャー(祭)・アート・本


インドのピカソとして名を馳せた現代絵画の巨匠、M.Fフセイン(Maqbool Fida Husain、1915-2011)氏がさる9日、亡命先のロンドンの病院で逝去した。死因は心不全で、享年95。最近メディアの取材に対し、インドへの望郷の念を語っていた矢先のことだった。

色鮮やかな抽象アートが特徴のイスラム教徒天才画家は、ヒンディ映画の看板書きから始まって、次第に頭角を現し、2008年の絵画オークションではその作品が160万ドル(約1億3000万円)の高値をつけるなど、インドの富裕層の間で特に人気が高かった。しかし、五年前ヒンドゥ女神のヌードを描いたことが右翼団体の怒りに触れて、国外に追われる羽目となった。近年は、カタール政府の申し出を受けて市民権を取得、ドバイと英国を行き来する亡命生活を続けていた。無類のダンディ家で通っていたが、裏腹に足元は常にはだしなのがトレードマークでもあった。

スタジオを持たず、ホテルの床やレストランの壁をキャンバス代わりに絵筆をふるうこともあった。テーマはマハトマ・ガンジーやマザーテレサの肖像画から始まって、マハーバラタ・ラーマーヤナの神話を題材としたもの、インドの街や田舎の生活と多岐に渡っていたが、とくに女性を描くことを好んだ。60000点もの自作を展示するための美術館を四軒造築、クラシックカーの収集家としても知られていた。巨万の富を築いたが、銀行通帳残金は常にゼロという、天才アーチストにありがちのエキセントリックな変り種でもあった。

フセイン氏は映画も何本か撮っており、理想の女神と仰いだ往年のトップヒロイン、マドゥリ・ディキシット(Maduri Dixit)主演の「ガジャ・ガミニ」(Gaja Gamini)はヒットしなかったものの、有名。マルチタレントの氏は写真家としても腕前を発揮した。

遺族は、国葬を示唆するインド政府をしりぞけて、英国でごく親しい参列者のみのこぢんまりとした葬儀を執り行った。遺体は英国最大の墓地に埋葬された。

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