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インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

わが一族のカースト

2007-11-01 23:17:08 | 宗教・儀式
インドのカースト制度については、世界史で習ってうろ覚えの方もおら
れると思う。BC13世紀に侵入したアーリア民族がバラモン教の一部とし
て採り入れた制度で、肌色(ヴァルナ)の区分による身分の上下、すな
わち自分たち色の白い支配階級を上に据え、先住民を配下に置いたもの。
そもそもカーストの語源はポルトガル語から派生しており、16世紀に植
民地支配したポルトガル人が、母国語のカスタ(階級、血筋)の語を当
てたため、後にカーストと称されるようになったといわれる。

カーストは大別すると、ブラーミン(司祭)、クシャトリア(王族・戦
士)、ヴァイシア(商民)、スードラ(奴隷)の四姓に分かれ、いわば
日本の士農工商に相当するようなものだが、インドのヒンドゥ社会で
は、いまもってこの因襲的な身分制度が現存している。
現在のカーストは過去の生の業果によるもので、潔く受け入れて人生の
テーマを生きるべきという、ヒンドゥ教の根本思想でもある輪廻転生(
サンサーラ)と密接に結びついているのだ。

結婚ともなれば、同一カースト内の両家のアレンジする見合いとほぼ九
割方相場が決まっており、異カースト同士の結婚は忌み嫌われる。結婚
斡旋所の広告は新聞にしろネットにしろ、履歴の欄内に必ず、「肌白の
ブラーミン」とかいうカーストの項目があるほど。
ちなみに、身分の低い女性が高い男性と結婚した場合は、相手のカース
トに汲みいれられるため、下層階級出身の政治家など、金力にものを言
わせて娘をブラーミンと結婚させたがる。
                       

近年の潮流で、都会方面ではこの古い階級制度が徐々に廃れつつあり、
カースト内ヒンドゥであれば、現実の地位、名声、金力が社会的ステイ
タスを左右するようになってきている。が、アウトカーストといって、
カーストにすら入らない最下層のはいまだに根強い差別を受けてい
て、洗濯や庭・トイレ掃除など人が嫌がる職分につき、カースト内ヒン
ドゥからは汚れるといって接触を避けられたり、井戸水すら使わせても
らえない非人道的待遇を受けている。
かの独立運動の父、マハトマ・ガンジーが彼らをハリジャン、神の子と
呼んで、救済策を推し進めたのは有名な話。

ダリットだの、アチュート、スケジュールドカースト、シアルダーカー
ストらの別称でも呼ばれるこのアンタッチャブル(不可触)のハン
デを見事克服し、社会的成功を納めた政治家には、古いところでは、イ
ンド憲法の父として知られるアンベドカル、現代では、ウッタルプラデ
シュ州のマヤワティ女性首相らがいる。が、ごく一握りで、ほとんど底
辺で極貧にあえいでいる惨状。

出生(ジャーティー)によって決められるカーストを変えることは不可
能なため、排除する最も有効な手段として、キリスト、イスラム、仏教
などへの改宗も頻繁に行われる。が、改宗してもなお、元ダリットとの
レッテルを貼られ、本来の教徒たちからの差別があるそうだ。かの仏陀
が、人間全平等のカースト撤廃を説いたのは有名な話。
                          
                            

さて、当地プリーはヒンドゥ教の聖地のうえ小さな町のこともあって、
保守的な風土で、この因襲的な制度がより如実な形で生きているといっ
ていい。
私が昨年一年間言語を習った女先生は最上層のブラーミンで、ファミ
リーの話になると、とても誇らしげにしていたことを思い出す。現ヨガ
インストラクターもブラーミン出身。男性の場合、裸になると、白い紐
をたすき掛けにしているので、すぐわかる。当地はとくに聖地というこ
ともあって、ブラーミン階級はとりわけ大事にされているのである。
が、現実の金力がそれについていかず、ブラーミンというと、なぜか貧
乏のイメージが付きまとう。ちなみに、リキシャを引いているやからま
でいるのだ。その一方で、インテリジェントなイメージもある。そうい
えば、ノミター先生は頭の切れる女性で、教育家の家庭に育ったように
見受けられた。ブラーミンといえども、ピンからきりまであって、学識
僧から、下っ端の葬式僧までいるとか。

一口にカーストの四姓といっても、職業によって何千と細別されてお
り、そのうえ地域ごとに異なることもあって、滞印歴二十年になるにも
かかわらず、いまだに私には複雑極まりなく判然としない。
インド人同士でも、カーストの話はタブーとの風潮があって、みだりに
口にしたりしないこともあるようだ。その反面、これが上位カーストに
なると、途端に、「ぼくは良家の出だ」とかなんとかのたもうて、たら
たら自慢話が始まるので、閉口してしまう。
                          
                     

最後に、わがインド人夫のカーストについて、一言ふれておくと。
「カラン」といって政治をつかさどる階級で、クシャトリアの一種にあ
たる。クシャトリアというと、王族階級のことだが(ラジャスタン州の
ラジプート一族はつとに有名)、後に戦士族や政治をつかさどる階級も
組み入れられたようだ。現州首相が同じカーストで、社会の上層の権力
中枢は、ブラーミン、カランの上位カーストで占められている。州内の
人口比率にすると、前者が7%、後者が5%というから、ほんの一握り
である。この事実からも分かるように、上位カーストはごくわずかで、
インド全体から見ても、スードラ層やバックワードカーストといわれる
特別に政府から優遇措置を受けているアウトカースト&原住民が八割以
上を占めるのである。
カランというのは当オリッサ州特有のカーストで、ライター階級でもあ
るらしい。そういえば、ナビン州首相の前歴はライターで、やはり同
カーストの前州首相もジャーナリストだった。

不思議というか、別に夫のカーストを選んで結婚したわけではなかった
が、ライターだった私は納まるべき階級に納まったとも言える。ちなみ
に、現在IT勉学中の息子も、元々はジャーナリスト志望だったのであ
る。
                     

カーストというのは実に厄介な代物で、最下層になると、前述したよう
に改宗者も続出、何せ上層階級に無残に殺戮されたりと、虫けら同然の
扱いを受けているのだからと、無理もないと納得。が、反乱を起こすも
のはごく一握りで、大概はおのれのカルマと諦観して、もって生まれた
ジャーティーに甘んじている。
21世紀の現在、古い身分制度は廃止されてしかるべきとの声も一部にあ
るが、口で言うほど生易しくはない。何せ、職業の世襲制など幾千年に
もわたって連綿と続いてきたもので、もって生まれたカーストと不可分
に密着しているせいもある。必要悪と目をつむるしかないシステムで、
もし仮にカーストが廃絶されれば、ヒンドゥ社会のヒエラルキーは根底
からがたがたに崩れてしまうことだろう。

日本人にはちんぷんかんぷんのカーストだが、実はインドでは、姓を見
ただけでどの階級か、あえなく正体割れしてしまうのだ。夫はいうまで
もないが、息子も姓字から、どのカーストかたちどころにわかるよう
だ。オリッサ州なら、トゥリパティ、サトゥパティ、マハパトラ等がブ
ラーミンで、パトナイク、モハンティ等がカランである。息子が以前
通っていたダージリンの寄宿舎のチャクラバティ指導教官は、カルカッ
タ出身のブラーミンだった。



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