関西のバスと電車

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【駅探索_JR西日本】№11 西九条駅{環状・桜島(JRゆめ咲)線}

2014-01-14 09:15:33 | 駅探索〈JR〉
(2005年12月)

にしくじょう - Nishikujō
所在地 大阪市此花区西九条一丁目32-18
北緯34度40分57.59秒
東経135度28分0.44秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 ニク
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 23,491人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1898年(明治31年)10月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 大阪環状線
キロ程 3.6km(大阪起点)
◄野田 (1.4km)(1.2km) 弁天町►
所属路線 桜島線(JRゆめ咲線)
キロ程 0.0km(西九条起点)
◄*(野田) (1.4km)(2.4km) 安治川口►
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
大阪市内駅
* 大阪環状線野田方面直通あり


☆当駅は管理駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大阪環状線の福島駅・野田駅・弁天町駅の3駅と、桜島線内のすべての駅を管轄している。


駅構造

島式ホーム2面3線を有する高架駅で、基本的に外側の2線(1・4番のりば)を大阪環状線、両ホームに挟まれた中央の1線(2・3番のりば)を桜島線(JRゆめ咲線)および新大阪方面からの直通列車が使用している。このほか、1番のりばの北側にはホームのない貨物線が2本あり、東海道本線支線(梅田貨物線)と桜島線を直通する貨物列車と、新大阪駅方面へ向かう通過列車が使用している。

大阪環状線の当駅から福島駅までは、旅客線のほかに単線の貨物線が並走する3線区間となっており、貨物線は同駅からそのまま東海道本線支線(梅田貨物線)として新大阪駅方面へ分岐する。実際の線路の分岐は福島駅ではなく当駅であるため、当駅 - 福島駅間の貨物線も梅田貨物線に含めて扱われることもある。特急「くろしお」「はるか」などの新大阪駅発着列車はこの貨物線を経由するため大阪駅は経由しないが、運賃は同駅経由で計算される。しかし、大阪環状線の天王寺駅 - 大阪駅間を通過する場合は、経路特定区間の特例が適用されるため、営業キロは当駅経由ではなく距離の短い反対側の鶴橋駅経由で計算される。

2面3線の構造や平面交差が原因により、東海道本線(JR京都線)・大阪環状線・阪和線・関西本線(大和路線)の遅延が広がることが多い。大阪環状線の西半分は普通電車と速度差の大きい関空快速・紀州路快速・大和路快速といった快速列車や各種特急が頻繁に運転されているが、待避可能な駅は当駅のみであり、列車本数の多い時間帯には待避線を使って優等列車の通過待ちなどを行う必要があり、全体的に余裕のないダイヤ編成である。

2001年からアーバンネットワーク運行管理システム導入まで日本語と英語の列車入線案内放送が流れた。同システム導入後は日英2か国語で次の列車予告放送も流れている。

ホーム 路線(方向) 行先 備考
1 ■大阪環状線(外回り) 大阪・京橋方面 主に天王寺方面からの列車
■JR京都線直通 新大阪・京都方面 阪和線からの特急・B快速
2 ■JRゆめ咲線 ユニバーサルシティ方面
■大阪環状線(外回り) 大阪・京橋方面 JRゆめ咲線からの直通
3 ■JRゆめ咲線 ユニバーサルシティ方面
■阪和線直通 和歌山方面 京都・新大阪始発の特急・快速
4 ■大阪環状線(内回り) 新今宮・天王寺方面
■関西空港線直通 関西空港方面
■阪和線直通 和歌山方面 京橋・大阪方面からの列車
■大和路線直通 奈良方面
■JRゆめ咲線 ユニバーサルシティ方面 環状線からの直通の一部
上表の路線名は旅客案内上の愛称で表記している。
中線である2・3番のりばは、1線を2つのホームで共有している。
大阪環状線とJRゆめ咲線の直通列車は、両方向とも原則として2・3番のりば(中央ホーム)に入線するが、時間帯により上りは環状外回りホーム、下りは環状内回りホームから発車する列車がある。一時期、日中の上り直通列車は環状外回りホームからの発車が基本となっていたが、2011年3月ダイヤ改正で大阪環状線およびJRゆめ咲線はダイヤパターンは大幅に変更され、再び中央ホームへの停車を基本とするパターンに戻った。

2・3番のりば発着の列車については、到着後最初の数分間は2・3番のりばの両ホームの扉が開くが、その後(おおむね発車1 - 2分前くらいから)は、上り列車(大阪方面に向かう列車)は3番のりば側、下り列車(JRゆめ咲線方面に向かう列車)は2番のりば側の扉を閉める。また、新大阪駅からの列車は3番のりば側のみから乗降可能で、2番のりば側の扉は開かない。この時、2番のりばの発車標には『通過』と表示される。

特急は「くろしお」の一部列車が停車する(「はるか」は2010年3月13日改正以降全列車通過)。特急の停車は USJ 開業後に始まったものである。
配線図



構内図


歴史

1898年(明治31年)10月1日 - 西成鉄道の野田駅 - 安治川口駅間に新設開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。
1906年(明治39年)12月1日 - 西成鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。当駅は西成線の所属となる。
1953年(昭和28年)4月1日 - 貨物の取り扱いを廃止。
1955年(昭和30年)7月15日 - 貨物の取り扱いを再開。
1959年(昭和34年)4月1日 - 貨物の取り扱いを再廃止。
1961年(昭和36年)4月25日 - 当駅から境川信号場までの新線開業により大阪環状線が全通。西成線は当駅を境に大阪駅方面は大阪環状線に編入され、桜島駅方面は桜島線に改称。ただし、大阪環状線については、当初は当駅で乗り換えを要した。
1964年(昭和39年)3月22日 - 高架駅化。大阪環状線が環状運転開始。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」供用開始。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2010年(平成22年)3月13日 - ダイヤ改正で、「はるか」の停車を取り消し。






◀︎野田(大阪環状線)| 弁天町(大阪環状線)▶︎


安治川口(JRゆめ咲線)▶︎





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【駅探索_JR西日本】№10 日根野駅{阪和・関西空港線}

2014-01-14 00:30:00 | 駅探索〈JR〉


ひねの - Hineno

所在地 大阪府泉佐野市日根野4035
北緯34度23分24.47秒
東経135度19分51.6秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 ヒネ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 7,865人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1930年(昭和5年)6月16日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■阪和線
キロ程 34.9km(天王寺起点)
◄熊取 (1.9km)(1.4km) 長滝*►
所属路線 関西空港線
キロ程 0.0km(日根野起点)
(4.2km) りんくうタウン►
備考 直営駅
みどりの窓口 有
* この間に近畿統括本部と和歌山支社の境界あり(当駅から熊取寄りは近畿統括本部管内)


構内図


駅構造

島式ホーム2面4線(有効長は9両)を持つ待避設備がある地上駅で、橋上駅舎を有する。駅の和歌山寄りの部分はカーブ上にある。

改札口および橋上駅舎のある跨線橋には、各ホームに1基ずつと、改札外東側に1基、それぞれエレベーターがあり、さらにホーム中央部には、1・2番のりばと3・4番のりばを行き来するために設けられた、エレベーターつきの跨線橋がある。

関西空港線の0キロポストは、駅ホームと駅南側の踏切道とのほぼ中間付近、上下線の間に設置。

関西空港駅が管理している直営駅で、ICカード乗車券「ICOCA」の利用エリアに含まれている。

日根野駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1・2 ■阪和線 下り 和泉砂川・和歌山方面 一部3番のりば
■関西空港線 - 関西空港方面
3・4 ■阪和線 上り 鳳・天王寺・大阪方面 ただし当駅始発の一部は1・2番のりば
2・4番のりばが本線、1・3番のりばが待避線である。



ダイヤ

国鉄時代は、当駅止まりの快速を除いて、快速・特急列車は通過していたが、国鉄分割民営化後の1994年(平成6年)には、関西国際空港が開港し、関西空港線が開通した。それを機に、日根野駅の位置づけが、主要駅に変わった。

関西国際空港開港後は、大阪・京橋方面の快速列車が停車するほか、当駅 - 関西空港駅間のシャトル列車(各駅停車)が朝晩に運行されており、関西国際空港開港以前に比べれば、大幅に利便性が改善された。また、ラッシュ時間帯など、一部の特急「はるか」・「くろしお」が停車している。当駅で関空快速・紀州路快速や、関西空港駅からの直通快速および、一部の和歌山駅発着の快速は増解結作業を行う。天王寺駅発着の快速・普通列車の約半数(特に、日中時間帯のほぼすべての区間快速)が当駅で折り返すため、和歌山方面への列車は、この駅を境に列車の本数が半減する。

当駅始発の天王寺・大阪方面の上り列車は、主に1番のりばか3番のりばから、また、数は少ないが2番のりばから発車している(ホームで直接折り返すか、日根野電車区からの出区となる。)。また、関西空港線シャトル列車は基本的に3番のりばで折り返す。そのほか、天王寺方面行きの上り始発列車が1番のりばに停車している場合、和歌山方面の下り列車が3番のりばで待避を行うことがある。このため、一部の天王寺方面は1・2番のりば、一部の和歌山方面および関西空港方面は3番のりばから発車している。一部の下り列車(主に熊取駅で快速列車または特急列車を待避した普通)は、1番のりばを利用して交互着発を行うことがある。

また、3番のりばで関空快速・紀州路快速が併結作業している間に、4番のりばを特急列車が通過(あるいは停車後に、先発)していくことがある。なお、誘導信号機が3番のりばにしか設置されていないため、当駅で増結を行う列車は、特急列車の待避の有無に関わらず全列車が3番のりばに入線する。

関西空港線開業後しばらくは、和歌山方面行および関西空港行の多くの列車を3番のりばで発着し、3・4番のりばの同一ホーム上で和歌山方面と関西空港方面の対面乗り換えができるように配慮していたが、1999年5月10日のダイヤ改正の関空快速・紀州路快速の併結運転以降は、この取り扱いは行われなくなった。


駅周辺

日根野駅
編集
日根野駅

東口
ひねの - Hineno
所在地 大阪府泉佐野市日根野4035
北緯34度23分24.47秒
東経135度19分51.6秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 ヒネ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 7,865人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1930年(昭和5年)6月16日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■阪和線
キロ程 34.9km(天王寺起点)
◄熊取 (1.9km)(1.4km) 長滝*►
所属路線 ■関西空港線
キロ程 0.0km(日根野起点)
(4.2km) りんくうタウン►
備考 直営駅
みどりの窓口 有
* この間に近畿統括本部と和歌山支社の境界あり(当駅から熊取寄りは近畿統括本部管内)
この表について

ホーム
日根野駅(ひねのえき)は、大阪府泉佐野市日根野にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。

概要
駅構造
ダイヤ
利用状況
駅周辺編集

駅前の南海ウイングバス南部乗り場

駅前のタクシー乗り場
駅前には、バスターミナルが設置されており、そこから、南海ウイングバス南部やタクシーが発着している。

■吹田総合車両所日根野支所
■ベストウェスタンホテル関西エアポート(旧 関空日根野ステーションホテル)
■セブン-イレブン 泉佐野日根野駅前店
■イオンモール日根野(黒崎窯業工場跡地)
■ABCハウジング 泉佐野住宅公園
■大阪観光大学
■大阪府立日根野高等学校
■大阪府立佐野高等学校
■大阪泉州農業協同組合本店・日根野駅前支店
■池田泉州銀行日根野支店(旧泉州店舗)
■紀陽銀行日根野支店
■関西アーバン銀行日根野支店
■国道481号
■慈眼院 - 国史跡、多宝塔が国宝
■日根神社 - 式内大社。
■総福寺天満宮 - 本殿が国の重要文化財

歴史


1930年(昭和5年)6月16日 - 阪和電気鉄道の和泉府中駅 - 阪和東和歌山駅(現在の和歌山駅)間延伸により、日根野停留場として開業。
1931年(昭和6年)3月3日 - 停留場から駅に格上げ。日根野駅となる。
1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され、南海山手線の駅となる。
1944年(昭和19年)5月1日 - 山手線が国有化され、国有鉄道阪和線の駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
1994年(平成6年)
6月15日 - 関西空港線が開業。それを機に、当駅の位置づけが主要駅となる。
9月4日 - 関西国際空港の開港に伴うダイヤ改正により南紀系統の特急(一部のみ)、快速列車(ライナーを除く)停車駅に昇格。
1997年(平成9年)3月8日 - 特急「はるか」がラッシュ時のみ停車するようになる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」供用開始。
2009年(平成21年)10月26日 - 駅近くの民間駐車場、パーク24「タイムズ」日根野駅前第2と「パーク&ICOCA」を開始。
2010年(平成22年)1月18日 - 改札口上にて異常時情報提供ディスプレイの使用開始。





◄熊取 (阪和線) |長滝(阪和線)►

りんくうタウン(関西空港線)▶︎





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【駅探索_JR西日本】№9 天王寺駅{環状・大和路・阪和線}

2014-01-13 11:00:24 | 駅探索〈JR〉


阪和線ホーム駅名標

てんのうじ - Tennōji

所在地 大阪市天王寺区悲田院町10-45
北緯34度38分50.36秒
東経135度30分50.18秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 テン
駅構造 地上駅
ホーム 5面5線(頭端式)
4面7線(島式)
乗車人員
-統計年度- 134,728人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1889年(明治22年)5月14日
乗入路線 3 路線
所属路線 関西本線(大和路線)
キロ程 171.4km(名古屋起点)
加茂から50.5km
◄東部市場前 (2.4km)(1.0km) 新今宮►
所属路線 大阪環状線
キロ程 西九条駅経由:11.0km
京橋駅経由:10.7km(大阪起点)
◄新今宮 (1.0km)(1.0km) 寺田町►
所属路線 ■阪和線
キロ程 0.0km(天王寺起点)
◄[j 1](新今宮) (-km)(1.5km) 美章園►
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
大阪市内駅
^ 大和路線新今宮方面から阪和線への直通あり。


構内図




駅構造

上町台地上に位置する地上部と、それを東西に貫通する掘割部の2層構造になっている。地上部に阪和線ホームと中央コンコースがあり、掘割部に大阪環状線、関西本線(大和路線)のホームがある。かつて阪和電気鉄道が使っていた阪和線のホーム(1 - 9番のりば)と、かつて関西鉄道が使っていた関西本線(大和路線)、大阪環状線のホーム(11 - 18番のりば)とで構造的にも実務的にも分かれている。

のりば

阪和線ホーム

阪和線では1 - 9番のりばを使っている。櫛形ホーム5面5線の地上駅。2・3番のりば、4・5番のりば、6・7番のりば、8・9番のりばそれぞれが1本の線路を共有していて、3・4・7・8番のりばは乗車専用ホーム、2・5・6・9番のりばは降車専用ホームになっている。原則として3・4番のりばは快速列車、7・8番のりばは普通が使っている。10番のりばは欠番となっている。

1番のりばはかつて特急列車専用ホームで中間改札が設けられていたがのちに撤去され、主に早朝の関空快速やきのくに線に直通する列車を中心に使われていた。2011年現在は定期特急列車はすべて大和路線ホーム15、18番のりばから発着し、一部のきのくに線直通臨時列車のみが発着する。なお、朝晩には、降車専用ホームとしても使われ、ダイヤ乱れの際には1番線発車の列車がよく見られる。(大阪環状線との直通打ち切りの際に関空快速の発着によく使用されている。)

2007年(平成19年)のダイヤ改正で1番のりばはラッシュ時の快速列車、2番のりばは特急と「はんわライナー」が使い、3番のりばは使っていなかった。しかし、2008年(平成20年)のダイヤ改正により再度これが入れ替わり、1番のりばが特急と「はんわライナー」用、3番のりばが快速列車(2番のりばは降車用)という形に戻った。同時に3番のりばも有効長8両編成対応のホームに延伸された。

大阪環状線ホーム

大阪環状線の列車は11 - 14番のりばを使っている。ただし、関西本線(大和路線)・阪和線方面から大阪環状線に直通する列車は、17番・18番のりばを使っている。11 - 14番のりばは掘割部の島式ホーム2面3線の地上駅で、12番・13番のりばで1本の線路を共有している。12番のりばは内回り列車の始発専用となっている。

このホームでは、以前は接近時の自動放送はなく駅員が放送していた。自動放送が導入された当初はJR京都線・JR神戸線などで使われているものと同じタイプのもの(文言・抑揚は多少異なっていた)が使われていたが、2009年(平成21年)9月に大阪環状・大和路線運行管理システムが導入されたことにより、案内放送が変更された。なお、発車放送は大阪環状線のほかの駅と同じく車掌の押ボタン操作により流れるが、13番のりば側は自動である。

関西本線(大和路線)ホーム

関西本線(大和路線)の列車は、掘割部にある島式ホーム2面4線の15 - 18番のりばを使っている。本来は関西本線(大和路線)のホームであるが、1989年(平成元年)7月22日に阪和線と関西本線(大和路線)を結ぶ構内短絡線が設けられて以来、阪和線の列車もこのホームに乗り入れ、大阪環状線との直通が可能になった。短絡線は当初単線で関西本線(大和路線)と平面交差しており、阪和線との直通列車は16番・18番のりばに発着していたことから、ダイヤ編成上のボトルネックとなっていたが、2008年(平成20年)3月15日より短絡線は複線化され、平面交差も解消された。直通列車は15番・18番のりばに発着している。

15番のりばから発車する特急「くろしお」は車両形式によりドア位置が異なるため天井に設置されている行灯式号車案内(乗車口のものが点灯)で確認する。関空特急「はるか」はホーム上に乗車口案内が添付されている。一方、18番のりばの関空特急「はるか」の号車案内板が線路側にあるのみで、特急「くろしお」の乗車口案内は設置されていない。

一つのホームに大和路線と阪和線直通の列車が発着することから、2003年(平成15年)頃までは自動放送が全くなく、案内は全て駅員による放送で行われていた。

引き上げ線など

阪和線のホームの東側には引き上げ線が1本、大阪環状線ホームの西側には引き上げ線が2本設けられている。また、14番のりばと15番のりばの間にはホームのない線路が1本ある。引き上げ線から出区して奈良方面への回送や、大和路線JR難波駅への回送のため、大阪環状線の西側引き上げ線に入りきらない時などに使われる。(阪和線のダイヤ乱れの際には、223系や225系がよく留置されている。)







1 ■阪和線・きのくに線 (予備ホーム、定期列車の発着なし)休日臨時「くろしお81号」発車ホーム
2 ■阪和線 降車ホーム
3・4 ■阪和線・関西空港線・きのくに線 鳳・日根野・和歌山・御坊・紀伊田辺方面 快速・B快速・区間快速
■関西空港線 関西空港方面 当駅始発の関空快速・紀州路快速
5・6 ■阪和線 降車ホーム
7・8 ■阪和線 鳳・日根野・和歌山方面 普通(7番のりばは一部区間快速も使う)
9 ■阪和線 降車ホーム
11・12 ■大阪環状線 内回り 鶴橋・京橋・大阪方面 12番のりばは当駅始発のみ
13 ■大阪環状線 降車ホーム
14 ■大阪環状線 外回り 弁天町・西九条・大阪方面
15 ■阪和線 鳳・和歌山方面 大阪環状線からの直通
■関西空港線 関西空港方面 特急「はるか」・関空快速
■きのくに線(特急)(快速) 御坊・紀伊田辺・白浜・新宮方面 臨時「くろしお81号」を除く
■大和路線 上り 王寺・奈良・加茂・高田方面 朝ラッシュ時のみ
16 ■大和路線 上り 王寺・奈良・加茂・高田・京都(奈良線経由)方面
17 ■大和路線 下り JR難波方面
■大阪環状線 外回り 弁天町・西九条・大阪方面 大和路線からの直通
18 ■大和路線 下り JR難波方面
■大阪環状線 外回り 弁天町・西九条・大阪方面 阪和線・大和路線からの直通
■JR京都線 新大阪・京都・米原方面 特急およびB快速のみ
大阪駅は経由しない梅田貨物線経由
2・5・6・9・13番のりばは、降車専用ホーム。
かつて特急専用ホームだった1・2番線には中間改札があった。
旅客案内上ののりばと運転取り扱い上の番線は次の通り。

1番のりば …阪和5番線
2・3番のりば …阪和4番線
4・5番のりば …阪和3番線
6・7番のりば …阪和2番線
8・9番のりば …阪和1番線
11番のりば …1番線
12・13番のりば …2番線
14番のりば …3番線
ホームのない線路 …4番線
15番のりば …5番線
16番のりば …6番線
17番のりば …7番線
18番のりば …8番線




歴史

開業時
天王寺駅の歴史は、初代の大阪鉄道が1889年(明治22年)5月14日にのちの関西本線にあたる路線の、湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間を開通させたときに、その中間駅として開業したことに始まる。当時の天王寺駅周辺は、四天王寺に代表される寺社群の集まる地であり、また明治に入って東成郡の郡役所が置かれて発展しつつある場所であった。大阪市街と町続きであった天王寺村の南で上町台地に掘割を設けて線路を敷いた。大阪鉄道は引き続き、後の大阪環状線にあたる路線の建設を進め、1895年(明治28年)5月28日に玉造駅まで開業し、天王寺駅はその分岐駅となった。1900年(明治33年)6月6日に、関西鉄道が大阪鉄道を合併して関西鉄道の駅となったが、その関西鉄道も1907年(明治40年)10月1日には鉄道国有法により国有化され、国有鉄道の駅となった。この間、周辺は急速に市街地として発展しており、大阪馬車鉄道(のちの阪堺電気軌道上町線)が1900年(明治33年)9月20日に、南海鉄道(のちの南海電気鉄道)天王寺支線が10月27日に相次いで開業して、これらの路線の集まるターミナルとしても発展していくことになった。さらに大阪市電も順次建設が進み、1923年(大正12年)4月13日には2代目の大阪鉄道も後の近鉄南大阪線となる路線を開業した。

この時点で、天王寺駅は掘割の中に東西方向に伸びるプラットホームが3本南北に並ぶ構造となっていた。北側から城東線(現在の大阪環状線の一部)ホーム、関西本線上りホーム、関西本線下り、南海天王寺支線共用ホームの順だった。城東線ホームより北側には貨物積卸場と貨物上屋が並んで貨物扱いを行っており、この部分の西側の地上と同じ高さに駅本屋が設けられていた。駅本屋の北側を東西に抜ける貨物扱い用の道路があり、天王寺駅前交差点から貨物積卸場へ荷車が出入りできるようになっていた。駅本屋は地上の高さにあることから、本屋内からそのままの高さで南へ掘割を横断する跨線橋が架かっており、そこから各ホームへ降りる構造だった。また、駅前には大阪市電や阪堺電気軌道の路面電車が走っており、阪堺電気軌道は掘割を横断する橋で南へ延びていた。2代目大阪鉄道の駅はこの国鉄天王寺駅の南側に隣接して東西方向にプラットホームを設けていた。

阪和電気鉄道の開業による展開

ここにさらに昭和初期には阪和電気鉄道が乗り入れてこようとしていた。この段階で駅の南側には大阪鉄道の駅があり、これらの間に大阪市営地下鉄が建設される予定となっていた。一方、駅の北側には南大阪電気鉄道が駅を建設する予定となっており、既に天王寺駅に乗り入れる余地が残されていなかった。しかし1926年(大正15年)に南大阪電気鉄道は2代目の大阪鉄道に吸収合併されたことから、駅北側の用地は不要となり、この部分を阪和電気鉄道が手に入れて利用することになった。これにより、国鉄の駅の北側に隣接して1929年(昭和4年)7月18日に阪和天王寺駅が開業した。阪和天王寺駅へは、鉄筋コンクリート造の高架線で国鉄の線路を横断して西へ向きを変え、国鉄の貨物積卸場の北側に並んでプラットホームなどが建設された。上町台地の端で国鉄の掘割部分との関係もあり、西側は台地の地面上に直接建設されているが、その東側は盛土になっており、さらにその東側は高架橋となっている。

阪和天王寺駅の大きな特徴としては、資本系列を同じくする新京阪鉄道の天神橋駅や京阪電気鉄道の天満橋駅などと同様、完全に乗降分離されたプラットホームとなっていたことがある。開業時旅客は2面4線の構造であったが、いずれのホームも長い1本のプラットホームになっておらず、東側の降車専用プラットホームと西側の乗車専用プラットホームが区切られた構造になっていた。これにより、東側の降車専用プラットホームに到着した列車から乗客を降ろし、その後乗車専用プラットホームの位置まで移動して、乗客を乗せてから折り返すという運転を行っていた。東側の降車専用プラットホームの西の端には地下道へ降りる階段が設けられており、西側の乗車専用プラットホームの南側のホームの下にある地下道につながっていて、乗車客と完全に分離された形で西側の降車用の改札口へつながる構造であった。乗り場の番号としては、乗車専用が1番から7番の奇数が北から順に、降車専用が2番から8番の偶数が北から順に付番されていた。したがって、1番の乗車専用ホームと同じ線路になっているのは2番の降車専用ホームといった関係だった。

また、紀勢本線方面へ直通する列車は編成が長かった関係で、特別に1番乗り場と2番乗り場をつなげた形で使っていた。これらの旅客設備より北側に貨物の留置線があり、旅客ホームより東側に貨物積卸場が設けられた。さらに高架上にある阪和天王寺駅から急勾配のスロープで降りて、国鉄の城東線と結ぶ貨物の受け渡し用の線路が設置され、天王寺駅構内専用の貨車受け渡し用としてロコ1100形電気機関車が製造された。1931年(昭和6年)にはこの受け渡し用の線路の途中から分岐して、高架上の貨物積卸場の下にも引き込み線を造り、2階建ての貨物積卸場となっている。さらに1938年(昭和13年)になると、利用の激増に対応して本来は降車専用であった4番・6番のホームから直接折り返しができるように設備が改造され、降車客用の地下通路は出入り口部分の三面を折りたたんで平面にすることが可能なようにして、混雑時のみこれを展開して利用するように改良された。

国鉄の天王寺駅も利用が急増しており、改良工事を始めることになった。城東線の北側にある貨物扱場からは西側に取り付け道路があって駅前を通っており、物資の搬出入をする車両が駅前の混雑に拍車をかけていることもあり、関西本線を1 kmほど東側に行った場所に貨物扱場を移転させることになった。1934年(昭和9年)に着工して1935年(昭和10年)から利用を開始した。これにより城東線北側の貨物扱場が空き、このスペースに新しい旅客設備を建設して線路を切り替え、順次南側に改良工事を進めていくという方法で旅客設備の改良が行われた。これによりそれまで3面しかなかったプラットホームが5面に増強され、北側から城東線用第1、城東線用第2、関西本線上り、関西本線下り、南海天王寺支線用にそれぞれ割り当てられた。駅の建屋も阪和天王寺駅側に建設した木造の仮駅舎に1937年(昭和12年)3月19日に移転して、その南側で旧駅設備を撤去の上で鉄筋コンクリート4階建ての駅舎の工事が始められた。この工事は基礎まで完成したが、戦争の影響でその後の建設工事が中止された。しかしこれらの一連の改良工事により、大阪環状線と関西本線の旅客設備は現在の姿をほぼ完成させた。

第二次世界大戦中には、1940年(昭和15年)12月1日に阪和電鉄が南海に合併されて阪和天王寺駅は南海天王寺駅となったが、1944年(昭和19年)5月1日には旧阪和電鉄に相当する路線が国鉄に買収されて国鉄阪和線となり、南海天王寺駅が国鉄の天王寺駅に統合された。

阪和線ホームの増強

第二次世界大戦後はさらなる利用の増加に対応するための改良工事が行われた。阪和線の貨物列車は天王寺駅で関西本線方面への受け渡しを行っていたが、1952年(昭和27年)9月1日に竜華操車場と杉本町駅を結ぶ阪和貨物線が完成して、天王寺駅を通らずに運行できるようになった。そして天王寺駅の阪和線設備が大改良され、一番北側に南紀方面直通列車専用の機回し線を備えた長いプラットホームが建設された。その南側には合計4本のプラットホームが用意され、1本の線路の両側にプラットホームがあって両側の扉を開いて客扱いをできるような構造とされた。番号は北から順に1番から9番までで、1番・2番が紀勢方面直通列車、3番・4番が快速列車乗り場、5番・6番が降車専用、7番・8番が普通列車乗り場となった。当初は紀勢直通用以外は4両対応だったが、後に6両対応に拡張された。

また、戦争で中止されて木造の仮駅舎となったままだった天王寺駅舎の工事も再開されることになった。国鉄以外の会社も出資する「民衆駅」の形で工事を行うことになり、国鉄・近畿日本鉄道・鉄道弘済会・南海電気鉄道・日本交通公社・日本食堂・都ホテルの各社が出資する天王寺ステーションビル株式会社が設立されて、1960年(昭和35年)7月11日に着工した。鉄筋コンクリート5階建てで、阪和天王寺駅の駅舎のあった部分では地下2階・地上10階の建物とされた。戦前に完成していた基礎工事が流用されたが、建物が大型化したため補強工事を行って使っている。1962年(昭和37年)9月20日に竣工式典が行われ、翌日から使用が開始された。これに合わせて阪和線プラットホームがさらに南側に1面増設されて降車専用9番降り場となった。

阪和線の輸送需要の増加はさらに続き、8両編成に対応させるための工事が昭和50年代に実施された。紀勢本線直通ホームにあった機回し線を廃止し、スペースを確保して5面5線の現在に見る阪和線プラットホームを完成させた。しかし阪和電気鉄道時代に降車専用客を通す地下道として建設された構造がプラットホームの下に残されており、それに設計を制約された関係でプラットホームの幅がばらばらになったりプラットホームの屋根の柱の位置が中心からずれたりする影響を受けている。

1989年(平成元年)7月22日には阪和線と関西本線を連絡する短絡線の利用が開始された。2008年(平成20年)3月15日にこの線路は複線化されている。一方で、南海天王寺支線は新今宮駅が国鉄・JRと南海の乗換駅として機能するようになったことと、南海の貨物輸送廃止で国鉄との貨物受け渡しの必要性がなくなったことから存在意義が薄れ、1993年(平成5年)4月1日に廃止された。この土地を利用する形で駅ビルを建設する計画が進められ、1985年(昭和60年)4月5日に天王寺ターミナルビルが国鉄と南海の共同出資で設立され、1992年(平成4年)10月16日に起工、1995年(平成7年)9月14日に「天王寺MiO」としてオープンした。

年表

1889年(明治22年)5月14日 - 大阪鉄道(初代)が湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間(現在の関西本線の一部)を開通させた際に、同線の駅(一般駅)として開業。
1895年(明治28年)5月28日 - 大阪鉄道 天王寺駅 - 玉造駅間(現在の大阪環状線の一部)が開通。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継。関西鉄道の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称設定により、関西本線所属駅となる(玉造・大阪方面は城東線となり、その後1961年に大阪環状線に改称)。
1929年(昭和4年)7月18日 - 阪和電気鉄道の阪和天王寺駅(はんわてんのうじえき)が開業。
1934年(昭和9年)4月 - 貨物積卸場を東側約1kmの地点へ移転する工事に着手。
1935年(昭和10年) - 貨物積卸場使用開始。
1937年(昭和12年)3月19日 - 木造2階建ての仮駅舎に移転。
1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和電気鉄道が南海鉄道に合併、路線は南海山手線となる。同時に阪和天王寺駅が南海天王寺駅(なんかいてんのうじえき)に改称。
1944年(昭和19年)5月1日 - 南海山手線が国有化され国有鉄道阪和線となる。同時に南海天王寺駅を天王寺駅に統合。
1960年(昭和35年)
2月11日 - 天王寺ステーションビル株式会社設立認可。
7月11日 - 天王寺駅ビル鍬入れ式。
1962年(昭和37年)
9月21日 - 天王寺駅ビル竣工式。
9月22日 - 天王寺駅ビル(天王寺民衆駅)完成。
1963年(昭和38年)10月1日 - 貨物営業を廃止(旅客駅となる)。ただし、南海天王寺支線との貨車受け渡しは存続。
1977年(昭和52年)3月1日 - 南海天王寺支線との貨車受け渡しを廃止。
1981年(昭和56年)から1983年(昭和58年)にかけて5回にわたる線路切り替えで阪和線ホームの改良工事完成。
1982年(昭和57年)1月29日 - 阪和線ホームで当駅終着の区間快速電車が車止めに衝突する事故が発生。
1985年(昭和60年)4月5日 - 天王寺ターミナルビル株式会社設立。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
1989年(平成元年)
7月20日 - 構内の東側に阪和線と大和路線への短絡線が完成(7月22日使用開始)。
8月27日 - 阪和線ホームで当駅終着の快速電車が車止めに衝突する事故が発生。
1992年(平成4年)10月16日 - 「天王寺MiO」起工式。
1995年(平成7年)9月14日 - 駅ビルリニューアル工事完成し、「天王寺MiO」オープン。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」供用開始。
2008年(平成20年)3月15日 - 阪和線と大和路線の短絡線が複線化。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2013年(平成25年)9月28日 - 阪和線運行管理システムを更新。




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美章園(阪和線)▶︎




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【駅探索_JR西日本】№8 神戸駅{神戸線}

2014-01-13 05:30:08 | 駅探索〈JR〉


こうべ - Kōbe
◄*元町 (1.7km)(1.8km) 兵庫*►
所在地 神戸市中央区相生町三丁目1-1
北緯34度40分46.3秒 東経135度10分40.89秒 / 北緯34.679528度 東経135.1780250度
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 東海道本線・山陽本線
(以上、■JR神戸線)
電報略号 コヘ
駅構造 高架駅
ホーム 3面6線
乗車人員
-統計年度- 67,562人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1874年(明治7年)5月11日
キロ程 589.5km(東京起点)
キロ程 33.1km(大阪起点)
乗換 大倉山駅(地下鉄山手線)
ハーバーランド駅(地下鉄海岸線)
高速神戸駅(神戸高速線)
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
神戸市内駅(中心駅)
* 元町方:東海道本線
* 兵庫方:山陽本線






構内図


駅構造

島式ホーム3面6線のプラットホームを有する高架駅。上りの外側線のみ、待避線(1番のりば)を用いて列車の追い越しが可能である。

兵庫駅側の下り内側線と上り内側線の間及び5番線東側に引上線(6番線)があり、平日朝ラッシュ時と毎日深夜の折り返し列車が使用している。

当駅の前後は、両方向とも急カーブ(半径・400メートル)を描いている。

改札口は中央口とビエラ神戸口の2ヶ所。いずれもバリアフリーの一環として、段差が解消されている。改札口とホームを結ぶエレベーター・エスカレーターは、1番のりばには設置されていない。
駅弁
淡路屋が製造・販売を担当している。

■六甲山縦走弁当
■あなご三昧
■ひっぱりだこ飯
■花緑
■あっちっち穴子弁当
■肉めし
■あっちっちすきやき御飯
■タイガース勝めし
■明石海峡弁当
■N700系新幹線弁当
■0系新幹線 夢の超特急弁当
■あっちっちスキヤキ咖哩飯
■牛バラ神戸チャーハン
■あっちっちすきやき弁当
■あっちっち牛塩タン&焼肉弁当
■トーマスランチ
■神戸のステーキ弁当
■あっちっち大阪鶴橋風焼肉重
■しゃぶしゃぶ弁当松風
■神戸牛100% 牛肉王子

駅周辺
線路が南北方向に走り、周辺の地域はほぼ東西に相対している。多くの市民は、神戸ハーバーランド側の方角を「浜手」、六甲山側の方角を「山手」と言い表す。

東寄りの一帯は、市内でも有数の繁華街『神戸ハーバーランド』であり、大規模な商業施設や高層ビルが並んでいる。国鉄時代には貨物ターミナルの湊川駅があり、廃止後の駅跡地の再開発により誕生した。

駅地下街
■デュオこうべ
■メトロこうべ
山手(西側)
■タクシー乗り場(中型・小型)
■湊川神社
■神戸文化ホール
■神戸市立中央図書館
■神戸大学医学部・医学部付属病院
■神戸地方裁判所
■国道28号
■国道428号
*当駅元町寄りのガード近くが起点である。

南口前(HDCと神戸クリスタルタワー)

モザイク(神戸ハーバーランド)

駅浜手(東側)
■タクシー乗り場(中型)
■神戸中央郵便局(ゆうちょ銀行神戸店(大阪支店神戸出張所)・かんぽ生命保険神戸支店を併設)
■神戸ハーバーランド
■ホテルクラウンパレス神戸
■神戸ハーバーランドセンタービル
■プロメナ神戸
■umie
■キャナルガーデン
■神戸情報文化ビル
■神戸新聞社本社(神戸新聞・デイリースポーツ発行元)
■ラジオ関西本社・スタジオ
■ハーバーウォーク
■umie MOSAIC
■神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール
■高浜旅客ターミナル
■旧神戸港信号所
■煉瓦倉庫レストラン街
■神戸クリスタルタワー(川崎重工業神戸本社)
■国道2号

歴史

1874年(明治7年)5月11日 - 官設鉄道の駅として開業。新橋駅 - 横浜駅間の鉄道開通に続く2番目の鉄道の大阪駅 - 当駅間の路線の終着駅で、駅舎はレンガ造りだった。
1889年(明治22年)
7月1日 - 東海道本線の原型となる新橋駅 - 当駅間が全通、2代目の駅舎になる。また、神戸鉄道局(後の大阪鉄道管理局)が置かれた。
9月1日 - 山陽鉄道が兵庫駅から延長され、当駅に乗り入れ。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線の所属となる。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道が国有化され、国有鉄道のみの駅になる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。東海道線の本線部分が東海道本線となり、旧・山陽鉄道線は山陽本線となる。
1928年(昭和3年)12月1日 - 東海道本線貨物支線の湊川駅に貨物取扱業務を移管。当駅での貨物取扱廃止。湊川駅自体は神戸駅の敷地を客貨分離により分割したもの。
1930年(昭和5年)7月 - 駅高架化に先駆け、三代目の現在の駅舎に改築。近代的設備を備えたこの駅は、貴賓室などもそなえた豪華なものともなっていた。
1931年(昭和6年)10月10日 - 高架駅化。
1978年(昭和53年)10月2日 - 新快速の停車駅となる。
1985年(昭和60年)3月14日 - 湊川駅廃止。跡地は再開発され神戸ハーバーランドとなっている。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。





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【駅探索_JR西日本】№7 京都駅{琵琶湖・湖西・奈良・嵯峨野(山陰)線}

2014-01-11 12:30:30 | 駅探索〈JR〉


きょうと - Kyōto

京都市下京区東塩小路町901(JR西日本)
京都市下京区東塩小路高倉町8-3*(JR東海)
北緯34度59分7.65秒東経135度45分27.92秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
電報略号 キト
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅(橋上駅)(在来線)
ホーム 2面4線(新幹線)
9面14線(在来線)
乗車人員
-統計年度- (JR西日本)-2012年-
189,486人/日(降車客含まず)
(JR東海)-2012年-
33,000人/日(降車客含まず)
開業年月日 1877年(明治10年)2月6日
乗入路線 5 路線
所属路線 東海道新幹線
キロ程 513.6km(東京起点)
◄米原 (67.7km)(39.0km) 新大阪►
所属路線 東海道本線(琵琶湖線・JR京都線)
湖西線直通含む)
キロ程 513.6km(東京起点)
◄**山科 (5.5km)(2.5km) 西大路**►
所属路線 山陰本線(嵯峨野線)
キロ程 0.0km(京都起点)
(2.5km) 丹波口►
所属路線 ■奈良線
キロ程 0.0km(***京都起点)
(1.1km) 東福寺►
備考 JR西日本:直営駅(管理駅)
JR東海:駅長配置駅(管理駅)
みどりの窓口 有
京都市内駅(中心駅)
新幹線駅はJR東海、在来線駅はJR西日本管理
* 正式な所在地。一部ホームは南区にまたがる。
** 山科方 - 琵琶湖線
** 西大路方 - JR京都線
** 当駅 - 西大路間に京都貨物駅有(当駅から1.8km)
*** 奈良線の正式な起点は木津駅


構内図


(平面図)



(烏丸中央口)
(八条口)
(烏丸改札口)
現在のJR在来線と東海道新幹線の駅は、かつては同じ日本国有鉄道(国鉄)の駅であったが、国鉄分割民営化後は在来線がJR西日本、新幹線がJR東海の管轄に分かれ、駅長もJR西日本とJR東海で別に配置されている。なお、JR西日本の駅は管理駅として山科駅を管轄するが、山科駅は地区駅長が配置され、一定の権限を持っている。

ホームはJR西日本管轄部分は「のりば」、JR東海管轄部分は「番線」と表記・案内されるため、本項でもこれに従う。

JR西日本在来線ホーム(0-10・30-34番のりば)

JR西日本の在来線各線は地上駅であり、東海道本線(JR京都線・琵琶湖線)・湖西線用の島式ホーム3面6線と単式ホーム1面1線、構内西側に山陰本線(嵯峨野線)用の頭端式ホーム3面4線、南側に奈良線用の頭端式ホーム2面3線(このうち1線のみ大阪方面に延びている)を持つ。各ホームは西側橋上駅舎と東側改札内地下通路で結ばれている。橋上駅舎から各ホームにはエレベーターが設置されている。
北側の烏丸中央口に面しているホームは、全長558mで日本一長いホームとして知られているが、0番のりば(旧1番のりば)のホーム自体の長さは323mである。残りの部分は、西端に切り欠きホームとして設けられている30番のりば(235m)である。この30番のりばは関西空港行きの特急「はるか」専用で、1994年9月の運転開始当初は「はるかホーム」という名称が付けられていた。2002年に、1番のりばを0番のりばに改称したのは、配線上の番号(番線)とホーム番号(のりば)を一致させるための措置で、現在の1番線は0番のりばと2番のりばの間にある東海道本線上り通過線の番号になっている。これに関連して、東海道本線の下り通過線は現在廃止されており、当駅を通過する吹田方面行きの貨物列車は7番のりばを通過する形になっている。
西側にある山陰本線ホームは、以前は「山陰1・2番のりば」、1989年に増設され「山陰1 - 4番のりば」と呼ばれており、機回し線(電化後に撤去)が敷設されていたが、1994年12月にホーム番号の呼び名が整理され、「はるかホーム」を含めて30 - 34番のりばと呼ぶようになった。30番台にしたのは、山陰本線の「さん」にかけたものである。34番のりばは、日本一大きい数字のホーム番号である。
旧駅ビル時代は待合室が存在したが、その後長らくは、6・7番のりばにある小さな列車待ちスペース以外は、待合室は存在しなかった。2008年3月中旬、長距離列車の発着の多い0番のりばにも待合室が設置された。

JR東海新幹線ホーム(11-14番線)

JR西日本の各ホームの南側に、東海道新幹線用の島式ホーム2面4線を持つ高架駅である。全営業列車が停車するため通過線はない。
なお、新幹線ホーム(および新幹線車内)の乗り換え案内放送では、地下鉄線はアナウンスされない。
各ホームにはエレベーターが設置されており、11・12番線のエレベーターは1階の新幹線八条口まで繋がっている。

のりば

方面表記は2009年6月現在の駅構内ののりば案内標もしくは発車標に即している。また、特急列車専用ホームは、当該特急の直通路線名で案内されているのでそれに合わせた。

基本的に、0 - 3番のりばが東海道本線上り、4 - 7番のりばが東海道本線下り、8 - 10番のりばが奈良線、30番のりばが関空特急「はるか」、31番 - 33番のりばが山陰本線、11・12番線が東海道新幹線上り、13・14番線が同新幹線下りに用いられている。

駅周辺
周辺は商業地域である。

烏丸口

京都タワー
駅の北側に位置している。


駅付帯施設など

■京都駅ビル
■ジェイアール京都伊勢丹
■京都駅ビル専門店街 The CUBE
■ホテルグランヴィア京都
■京都劇場
■美術館「えき」Kyoto
■京都拉麺小路
■NHKキャラクターショップ
京都駅前地下街ポルタ ※地下鉄の副駅名となっている。
■京都駅前バスターミナル

名所・旧跡など

■京都タワー
■東本願寺(真宗本廟) - 真宗大谷派の本山。

公共施設

■京都市下京区総合庁舎 - 下京区役所などが入居している。 ※地下鉄案内放送あり。
■キャンパスプラザ京都 ※地下鉄案内放送あり。
■七条警察署跡 - 2012年4月、下京警察署発足に伴い廃止された。跡地は京都府により防犯および運転免許などに関する施設である「京都府民ステーション」(仮称)の整備が予定されている。
■ハローワーク京都七条(公共職業安定所)
■京都府赤十字血液センター 献血ルーム京都駅前


企業・金融機関など

■京都中央郵便局
■ゆうちょ銀行京都店
■京都ヨドバシ - ヨドバシカメラマルチメディア京都などが入居する複合商業施設。旧 近鉄百貨店京都店跡。
■オムロン 本社 ※地下鉄案内放送あり
■京都 新阪急ホテル
■ホテル法華クラブ京都

西洞院口

■ビックカメラJR京都駅店(JR京都駅NKビル)

八条口

駅の南側に位置している。

駅付帯施設など

■定期観光バスターミナル
■高速バスターミナル

名所・旧跡など

■東寺(教王護国寺) - 東寺真言宗の総本山。

公共施設

■京都市上下水道局
■京都市南図書館

企業・金融機関など

■京都アバンティ - 京都市による初の再開発事業として設置された複合商業施設。
■ホテル京阪京都
■イオンモールKYOTO
■京都駅八条口郵便局
■PHP研究所 本社
■新・都ホテル

ダイヤ
在来線

JR京都線・琵琶湖線
日中時間帯は1時間あたり新快速が4本、普通(高槻駅 - 大阪駅間で快速になる列車を含む)が6本で、普通の2本は当駅で折り返す。朝ラッシュ時の大阪方面は新快速・快速・普通ともそれぞれ8分間隔で発車する。夕方ラッシュ時は新快速が7分半間隔、普通が8本(4本は当駅止まり)停車する。

湖西線
日中時間帯は1時間あたり4本(新快速を含む。土曜・休日は5本)発着する。朝時間帯の到着は本数が多い。夕方は4本(19時台は5本)発車する。

嵯峨野線
日中時間帯は1時間あたり快速が1本、普通が3本発着する。朝晩は福知山駅始発・終着列車の設定がある。

奈良線
日中時間帯は1時間あたりみやこ路快速が2本、普通が4本発着する。朝晩は区間快速が発着する。

発着する在来線優等列車
当駅は、山陰方面へ向かう「スーパーはくと」、関空特急「はるか」、山陰本線経由で北近畿方面へ向かう各種特急の起点となっている(ただし、「はるか」の一部は米原駅へ直通する)ほか、南紀方面の特急の一部も当駅まで乗り入れてくる。また、大阪駅発着の北陸・信州方面行きの特急も停車する。

北陸方面
特急「サンダーバード」(大阪駅 - 金沢駅・富山駅・魚津駅・和倉温泉駅)
寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪駅 - 札幌駅)
東海道・中央・高山線方面
特急「しなの」(大阪駅 - 長野駅)
特急「ひだ」(大阪駅 - 高山駅。大阪発着列車には富山直通はない)
特急「びわこエクスプレス」(大阪駅 - 米原駅)
山陰方面(智頭急行線経由)
特急「スーパーはくと」(京都駅 - 鳥取駅・倉吉駅)
阪和線・きのくに線方面
関空特急「はるか」(米原駅・京都駅 - 関西空港駅)
特急「くろしお」(京都駅・新大阪駅 - 白浜駅・新宮駅)
北近畿方面(山陰本線・舞鶴線・北近畿タンゴ鉄道線経由)
特急「きのさき」(京都駅 - 福知山駅・城崎温泉駅)
特急「はしだて」(京都駅 - 福知山駅 - 天橋立駅 - 豊岡駅)
特急「まいづる」(京都駅 - 東舞鶴駅)
出入口
在来線の出入口は、北側地上に「烏丸中央口」、北側地下1階に「地下中央口」、南北自由通路に通じる西側橋上駅舎上に「西口」、地下自由通路に通じる地下1階に「地下東口」、南東側地上に「八条東口」、山陰線ホームからアクセスできるビックカメラJR京都店二階に「西洞院口(にしのとういんぐち)」がある。

新幹線の出入口は、南側地上に「新幹線八条口」、南東側地上に「新幹線八条東口」、新幹線コンコース西側に「新幹線中央口」がある。在来線と新幹線は「新幹線中央乗換口」と「新幹線東乗換口」を介して乗り換えできる。

乗り換えは、烏丸口のバス利用者は「烏丸中央口」、八条口のバス利用者は「八条東口」「新幹線八条口」など、在来線⇔近鉄線は西口、在来線⇔地下鉄は地下東口、新幹線⇔近鉄線は新幹線中央口、新幹線⇔地下鉄は新幹線八条東口が至近である。

他の京都市内にある各線の駅や大都市の主要駅と比べると、烏丸中央口は駅前のターミナル(バス・タクシー)が広くゆとりがあるのが特徴である。


駅弁

【萩の家】
◼︎岩魚寿し
◼︎鰻のねどこ
◼︎新撰組ゆかりの幕の内
◼︎平安弁当
◼︎加茂川弁当
◼︎笹うなぎ
◼︎竹籠弁当
◼︎精進弁当
◼︎鯛めし
◼︎京扇


【株式会社 ジェイアール西日本フードサービスネット】
◼︎京風幕の内
◼︎京洛弁当
◼︎こてまり
◼︎なごみ弁当
◼︎京友禅
◼︎味彩弁当
◼︎とんかつ弁当
◼︎中華弁当
◼︎こだわりおむすび弁当
◼︎洋風弁当
◼︎特製おむすび弁当
◼︎栗おこわ


【株式会社 ジェイアール東海パッセンジャーズ】
◼︎日本の味博覧
◼︎上方幕の内 温弁当
◼︎てまり寿司
◼︎花瓢
◼︎東山五条
◼︎大阪名物まむし丼
◼︎特選弁当『京都』
◼︎牛若丸御前
◼︎弁慶御前
◼︎上方幕の内
◼︎中華餐々
◼︎じゅうじゅう亭
◼︎とんかつ弁当
◼︎21世紀出陣弁当
◼︎五目釜めし

【株式会社 戸川】
◼︎味ごのみ
◼︎わらべ
◼︎京三昧



沿革

開業は1877年(明治10年)2月6日。 当初は、新橋駅 - 横浜駅間の鉄道に続いて2番目に開業した、神戸駅 - 当駅間鉄道の終着駅であった。

路線形状の都合や用地買収の楽な寂れた地域だったという理由から、旧来の繁華街である三条通などからは遠く離れた八条通付近に当駅が設置された。初代の駅舎の位置は現駅よりやや北側で、1914年(大正3年)に線路を付け替えて現在地に新駅が建設されるまで使用された。跡地は駅前広場の一部にあたる。

後に当駅から大津駅までの鉄道も開業するが、この時のルートは東山にトンネルを開削するだけの技術がまだなかったことから、現在のJR奈良線を稲荷駅周辺まで南下した後、現在の名神高速道路が走っている敷地を通って、大津駅へと向かうものとなった。

その後山陰本線が開通し、後に近鉄京都線となる奈良電気鉄道や、市内の路面電車(京都市電)も乗り入れるようになり、当駅周辺は急速に発展していった。

1921年(大正10年)8月1日に東海道本線のルートが新逢坂山トンネル・東山トンネルの開通によって馬場駅(現:膳所駅) - 当駅間で変更・短縮されることになった際に、利便性を上げるため五条の市街地近くに駅を移設する案と、新しい市街地の開発を図るため当地の北部を経由するルートに変えて、二条駅が現在設けられている付近に新しい京都総合駅を設けようという案もあったが、市街地付近に線路を引き込むのは予算や用地・工事の面で困難であったことと、当駅付近で線路を迂回させるのはトンネル開通に伴う距離短縮効果を失わせるということから、どちらも立ち消えになった。

東海道新幹線の計画当初は、当駅を経由せずに京都府南部を短絡させて同地に新幹線の駅を設け、速達列車の「ひかり」は同駅を通過させる案となっていたが、自治体や地元財界、地元住民などの猛反発を受けたことから、当駅に新幹線ホームを併設して全営業列車停車に落ち着いた経緯がある。また「のぞみ」が登場した1992年(平成4年)3月、東京発の一番列車「のぞみ301号」は名古屋駅と当駅を通過していた。JR東海の本社所在地である名古屋では「名古屋飛ばし」として問題となったが、京都では観光に適さない時間帯の列車であることから、ほとんど問題視されなかった。1997年(平成9年)11月29日のダイヤ改正で、この「のぞみ301号」は廃止されている。



年表
1876年(明治9年)9月5日 - 大宮通仮停車場(現在の京都貨物駅付近) - 向日町駅間の官設鉄道が仮開業。
1877年(明治10年)
2月5日 - 明治天皇を迎えて鉄道開業式を挙行。
2月6日 - 京都停車場(京都駅)開業。大宮通仮停車場を廃止。
1879年(明治12年)8月18日 - 官設鉄道が当駅から大谷駅まで延伸。この路線はその後大津駅(後の浜大津駅)まで延伸され、さらに後には東海道本線の一部となった。
1895年(明治28年)9月5日 - 奈良鉄道(現在の奈良線)が当駅 - 伏見駅間を開業させて乗り入れ。
1897年(明治30年)
4月1日 - 奈良鉄道の京都駅を七条駅として分離。
11月16日 - 京都鉄道(現在の山陰本線)が大宮駅(のちに廃止)から延伸して当駅に乗り入れ。
1905年(明治38年)2月7日 - 奈良鉄道が関西鉄道に事業譲渡。七条駅は関西鉄道の駅となる。
1907年(明治40年)
8月1日 - 京都鉄道が国有化。
10月1日 - 関西鉄道が国有化。七条駅は国有鉄道の駅となる。
1908年(明治41年)6月1日 - 旧・奈良鉄道の七条駅を当駅に統合。
1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道の線路名称制定。新橋駅(のちの汐留駅) - 当駅 - 神戸駅間は東海道本線、旧・奈良鉄道の路線は奈良線、旧・京都鉄道の路線は京都線となる。
1912年(明治45年)1月31日 - 線路名称改定。京都線が山陰本線に編入される。
1913年(大正2年)6月21日 - 貨物の取扱いを新設の梅小路駅に分離。
1914年(大正3年)8月15日 - 2代目駅舎供用開始。1915年10月完成。
1921年(大正10年)8月1日 - 新逢坂山トンネル完成により、馬場駅(現・膳所駅 - 当駅)間を新線に切り替え。同時に奈良線旧線(伏見駅 - 当駅間)が廃止され、桃山駅 - 稲荷駅間に新線を建設し、東海道本線旧線(稲荷駅 - 当駅間)を奈良線に編入。
1934年(昭和9年)1月8日 - 駅構内で呉海兵団入営臨時列車の見送り客圧死事故(京都駅跨線橋転倒事故)。
1950年(昭和25年)11月18日 - 駅構内の食堂からアイロンの不始末により出火し、駅舎全焼。
1952年(昭和27年)5月27日 - 3代目駅舎完成。
1964年(昭和39年)10月1日 - 東海道新幹線が開業。
1970年(昭和45年)10月1日 - 東海道本線で新快速の運転が開始され、当駅が東側の起終点となる。
1985年(昭和60年)3月14日 - 日中の快速が高槻駅まで各駅に停車するのに伴い、この時間帯の当駅始発・終着の普通の運行を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、新幹線部分を東海旅客鉄道(JR東海)、在来線部分を西日本旅客鉄道(JR西日本)が継承。
1989年(平成元年)3月11日 - 山陰3・4番のりば(現在の32・33番のりば)増設。
1991年(平成3年)3月16日 - 奈良線用ホーム8・9番のりば増設。従来の8番のりばを10番のりばに呼称変更。
1994年(平成6年)
9月4日 - 山陰1番のりばを「はるかホーム」に、山陰2 - 4番のりばを山陰1 - 3番のりばに呼称変更。
12月3日 - 「はるかホーム」を30番のりばに、山陰1 - 3番のりばを31 - 33番のりばに呼称変更。
1997年(平成9年)
7月12日 - 4代目駅舎となる新・京都駅ビル完成。駅部分供用開始。同時に近鉄京都駅と改札を分離する。
11月1日 - 駅ビル開業を控えて日中の当駅始発・終着の普通の運行を復活。
11月11日 - 京都駅ビル全面開業。ジェイアール京都伊勢丹開業。
1998年(平成10年)11月24日 - 全ての改札口に自動改札機を導入。
2002年(平成14年) - 1番のりばを0番のりばに呼称変更。
2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカードICOCA供用開始。
2007年(平成19年)8月23日 - JR京都駅NKビル開業。ビックカメラJR京都駅店が入店。店内に嵯峨野線ホームと直結する改札口の西洞院口を開設。
2008年(平成20年)2月13日 - 南北自由通路の西側橋上(西口改札前)に「スバコ(SUVACO)・ジェイアール京都伊勢丹」開業。
2009年(平成21年)7月20日 - 嵯峨野線当駅 - 丹波口駅間(京都駅構内は単線)が複線化。




◼︎東海道新幹線
◄米原 | 新大阪

◾︎琵琶湖線・湖西線
山科 | 西大路►

◼︎嵯峨野線
丹波口►

◼︎奈良線
東福寺►






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【駅探索_JR西日本】№6 高槻駅{京都線}

2014-01-09 23:30:16 | 駅探索〈JR〉
(南口)
(北口、バスターミナル)

※駅名標は、撮影次第追加予定。

たかつき - Takatsuki

◄島本 (5.3km)(2.9km) 摂津富田►
所在地 大阪府高槻市白梅町1-1
北緯34度51分6.17秒 東経135度37分3.65秒 / 北緯34.8517139度 東経135.6176806度
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 東海道本線(JR京都線)
キロ程 535.2km(東京起点)
京都から21.6km
電報略号 タツ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 62,469人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1876年(明治9年)7月26日
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有



駅構内

駅構内は8線あり、その内島式ホーム2面4線(12両編成対応)を持つ地上駅である。北側(上り方)には上下線間に挟まれた8両対応の留置線が2線あり、各駅停車の折り返しに使用されている。また留置線の先は高架で上り線(内外線とも)を乗り越え、その先の吹田工場高槻派出所(旧高槻電車区)につながっており、夜間滞泊などを行う列車はこの線を走行する。

改札口は橋上駅舎の中央口と地下通路でホーム・構外を結ぶ西口改札の2か所。自動改札機はICOCA・相互利用各ICカードに対応。

当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として東海道本線の島本駅 - 吹田駅間の各駅を管理しているが、茨木駅と吹田駅には地区駅長を配置し、茨木駅は千里丘駅を、吹田駅が岸辺駅を管轄しているため、当駅が全面的に管理下においているのは島本駅と摂津富田駅のみである。


高槻駅プラットホーム
ホ 路線


1・2 ■JR京都線 上り 京都・草津方面
3・4 ■JR京都線 下り 新大阪・大阪・三ノ宮方面
上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
新快速は外側線を走行するため、1・4番のりばのみ停車できる(当駅前後で外側線を走行する快速も該当)。
内側線走行の快速列車については、新快速に合わせて1・4番のりばを使用するのが基本である。これは当駅止まり・当駅始発の各駅停車が快速・新快速を連続で待ち合わせるためである。しかし早朝など2・3番のりばに列車が停車しない場合であっても1・4番のりばを使用する。ただし、事故などのダイヤ乱れで新快速との同時入線が生じる場合などに快速が2・3番のりばを使用することもある。
各駅停車は当駅止まり・当駅始発のものを含み、2・3番のりばを使用するのが基本である。
始終着列車が多く、また快速・新快速を1番・4番のりばで共用するため、当駅構内の開通待ちによる機外停車(または徐行)する列車も少なくない。これを解消するために、現在の1番線と8番線を廃止し、その位置に外側線用のホームを増設する工事が行われることが2013年4月17日にJR西日本から発表された[1]。完成予定は、2016年の春ごろ。

構内
運転取り扱い上の呼称(線名)は以下の通り。

1番線 - ホームなし、上り外側線(待避線)
2番線 - ホームなし、上り外側線(通過線)
3番線 - 1番のりば、上り内側線(待避線)
4番線 - 2番のりば、上り内側線(本線)
5番線 - 3番のりば、下り内側線(本線)
6番線 - 4番のりば、下り内側線(待避線)
7番線 - ホームなし、下り外側線(通過線)
8番線 - ホームなし、下り外側線(待避線)
1番線、8番線は回送列車や貨物列車の待避に使われる。

上り外側からは1・2・3番線に、上り内側からは3・4・5番線に進入でき、上り外側へは1・2・3番線から、上り内側には3・4番線から出発できる。下り外側からは6・7・8番線に、下り内側からは5・6番線に進入でき、下り外側へは6・7・8番線から、下り内側には5・6番線から出発できる。

電車区への進入・出発は3-6番線から可能。

配線図

JR西日本 高槻駅周辺の鉄道配線略図


大阪・尼崎・
西明石・姫路方面



京都・米原・敦賀
方面


歴史

京都駅 - 大阪駅間の鉄道が敷設された時、高槻にあった高槻城の石垣を切り崩して、鉄道建設に石材が流用された。そして大阪 - 向日町間が開業した際に、唯一の中間駅として当駅が設けられた。

その後、1877年(明治10年)に京都までの延伸がなされるが、この時は全線が単線であった。そして高槻は大阪と京都のほぼ中間地点にあったことから、大阪駅と京都駅をほぼ同時に発車した列車が、当駅で交換を行ったと言われている。

年表

旧高槻駅北口駅舎の最終日の姿(1979年6月30日)
1876年(明治9年)7月26日 - 官設鉄道向日町駅 - 大阪駅間の開通と同時に開業。一般駅。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1956年(昭和31年)3月1日 - 高槻電車区設置。面積5900m2、収容能力111両。
1957年(昭和32年)10月1日 - 京都駅 - 大阪駅間複々線完全復活、電車の内側線への完全移行に伴うダイヤ改正を実施し、急行電車の停車駅となる(同時に「急行電車」を「快速」と呼称変更)。
1979年(昭和54年)7月1日 - 橋上駅舎使用開始。高槻駅南側再開発完成。グリーンプラザたかつき竣工。国鉄高槻駅南バスターミナルの供用開始。
1981年(昭和56年) - 高槻駅北地区再開発事業準備組合が発足。
1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物の取扱を廃止。
1985年(昭和60年)3月14日 - 201系投入によるダイヤ改正に合わせ、昼間の快速を当駅以東で「普通」に変更。
1987年(昭和62年)
3月31日 - 貨物の取扱を再開、但し以降の貨物取扱実績は無い。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
1990年(平成2年)3月 - ダイヤ改正により一部の新快速停車駅となる。
1993年(平成5年) - 高槻駅北地区再開発事業が「第一種市街地再開発事業」の都市計画決定(1994年に丸井が、1999年十字屋が相次いで出店を辞退するが、2001年平和堂の出店が決定し着工)。
3月 - 休日の新快速が朝にも停車するようになる(夕方以降は通過のまま)。
1995年(平成7年)9月 - 新快速が土休日終日停車となる。(同日並行する阪急が値上げ)
1997年(平成9年)3月 - 新快速の全列車停車駅となる。
2002年(平成14年)7月29日 - JR京都・神戸線運行管理システム導入。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCAの利用が可能となる。
2004年(平成16年) - 高槻駅北地区再開発事業が完了。総事業費は4020億円。
2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物の駅が廃止され、貨物の取扱いが終了。





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【駅探索_JR西日本】№5 三ノ宮駅{神戸線}

2014-01-08 20:00:28 | 駅探索〈JR〉
(駅南側)

さんのみや - Sannomiya

◄灘 (2.4km)(0.8km) 元町►
所在地 神戸市中央区布引町四丁目1-1
北緯34度41分41.42秒
東経135度11分41.79秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 東海道本線(JR神戸線)
キロ程 587.0km(東京起点)
大阪から30.6km
電報略号 サン
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 117,800人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1874年(明治7年)5月11日
◆乗換◆ 三宮駅
神戸三宮駅(阪急電鉄)
三宮・花時計前駅(地下鉄海岸線)
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
神戸市内駅



接続路線
当駅は下記の路線との乗り換えが可能となっている。

阪急電鉄 神戸本線・神戸高速線⇒神戸三宮駅
阪神電気鉄道 本線⇒三宮駅
神戸新交通 ポートアイランド線⇒三宮駅
神戸市交通局 神戸市営地下鉄西神・山手線⇒三宮駅
また上記のほか、神戸市営地下鉄海岸線の三宮・花時計前駅とは地下街「さんちか」で連絡している。

山陽新幹線への乗り換え特例

神戸市内における山陽新幹線の駅として新神戸駅があるが、同駅は新幹線単独駅であり、在来線に直接乗り換えることができない。そのため、特例で当駅が乗り換え最寄り駅とされており、神戸市内発着の乗車券により当駅で途中下車後、新神戸駅へ再入場することが可能である。但し、三ノ宮駅から新神戸駅への移動費用(地下鉄運賃、タクシー料金等)は別途支払う必要がある。

駅構造

島式ホーム2面4線を持つ高架駅。西口・中央口・東口がある。西口駅舎は阪急神戸三宮駅の東駅舎と改札外で直結している。ホームは外側線に面する方は15両対応で、内側線に面する方は12両対応になっている。


三ノ宮駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先 備考
1 JR神戸線 上り(外側線) 尼崎・大阪・京都方面 特急・新快速(快速の一部も使用)
2 上り(内側線) 快速・普通
3 下り(内側線) 西明石・姫路方面 快速・普通
4 下り(外側線) 特急・新快速(快速の一部も使用)



上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
上述の通り、特急・新快速(および当駅を通過する貨物列車)はすべて1・4番のりば、各駅停車はすべて2・3番のりばに停車する。日中は新快速と各駅停車(JR東西線直通)が当駅で相互接続する。
快速は基本的に2・3番のりばに停車する。ただし、大阪方面の快速で平日朝ラッシュ時のすべての列車と土曜・休日ダイヤの朝の一部列車は1番のりばに、姫路方面の平日朝の快速は4番のりばに停車する。
コンコースには売店がある。新型インフルエンザの影響で一時営業休止したが、後に営業再開された。

金の鈴広場

中央改札口付近に、天井から金色の鈴が吊り下げられている場所がある。このエリアは「金の鈴広場」と命名されている。神戸中央ライオンズクラブからの寄贈であることが明記されている。

郵便窓口
神戸中央郵便局三宮駅内分室(郵便窓口のみ)・ ゆうちょ銀行大阪支店JR三宮駅構内出張所 (ATM) が当駅内にある。なお、店名はいずれも「三ノ宮駅」ではなく「三宮駅」と呼称されている。

三ノ宮駅リニューアル構想

神戸の玄関口である当駅リニューアルに向けて、JR西日本が神戸市の要請を受けて協議を開始したと伝えられたが、構想は着手段階であり、駅舎改修も視野に2011年度中に決定、発表するとの運びであったが現時点で詳細は発表されていない。なお、同リニューアルは近年、近隣主要ターミナル駅においては京都駅ビルの開業(1997年)や大幅な増築がなされた大阪駅(2011年5月開業、総事業費約2,100億円)などの大規模なリニューアルが相次いでいることを背景に、神戸市側からJRに検討を要請しているものである。なお一部報道によると、JR西日本は駅南に併設する三宮ターミナルホテルの建て替えも視野に検討中とされていたが、同ホテルでは現在、建物の改装工事が実施されている。

自動改札機やトイレの新設、店舗の改良、構内レイアウトの変更など駅コンコースの改良工事が2011年4月より2012年度末を工期予定として実施されている。

ダイヤ

日中時間帯は1時間あたり新快速・快速がそれぞれ4本、各駅停車が8本停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は新快速・外側快速がそれぞれ8分間隔、各駅停車が4分間隔で発車する。夕方の姫路方面は新快速が7分半間隔で停車する。

駅弁

以前はみかどが販売していたが撤退し、神戸駅と同じ淡路屋が販売している。 主な駅弁は下記の通り。

◼︎六甲山縦走弁当
◼︎あなご三昧
◼︎ひっぱりだこ飯
◼︎花緑
◼︎あっちっち穴子弁当
◼︎肉めし
◼︎あっちっちすきやき御飯
◼︎タイガース勝めし
◼︎明石海峡弁当
◼︎あっちっちすきやき弁当
◼︎あっちっち牛塩タン&焼肉弁当
◼︎神戸のステーキ弁当
◼︎あっちっち大阪鶴橋風焼肉重
◼︎しゃぶしゃぶ弁当松風
◼︎神戸牛100% 牛肉王子


歴史

「三宮」の地名の由来でもある三宮神社が駅名の由来である。1931年までは現在の元町駅の位置、すなわち現在よりも三宮神社に近い位置に当駅があった。

他の交通機関の駅名などはすべて「三宮」であるのに対し、JRのみ「三ノ宮」と“ノ”の文字を含んでいるのは、開業が最も早く、駅創設時からあえて“ノ”をつけることによって地名の読み違いをさせないよう配慮していた名残であると考えられている[9]。ただし「三ノ宮」という表記は、三ノ宮駅開業前の1873年(明治6年)に三宮町が名づけられた際に生田宮筋の西側(おそらく現在の「トアロード」)の道路に「三ノ宮筋」という名称が付けられたのがはじまりのようである[要出典]。表記の相違は、今ではJRと他交通機関の駅名を区別するのに役立っている(一方で、近隣の類似事例であり当駅と同日に西宮町(現在の西宮市)に開業した西ノ宮駅は、市の長年の要望もあって2007年3月18日、“ノ”を省いた「西宮駅」に改称された)。

長らくプラットホーム上屋(屋根)は8両編成分のみ設置されていたほかホームの嵩上げもなされていない状態が続き、新快速が平日ラッシュ時や土曜・休日に12両編成での運転を開始して以降も大阪側の4両分には屋根がないほか、ホームと車両の床面が揃わず水平ではなかった。この部分は2003年ごろに整備されたが、それ以降もさらに大阪側(12両編成以上)の部分には上屋が設置されていない。また2008年11月には、ホームの電光掲示板6つがすべて高輝度のものに交換されたほか、各改札口の電光掲示板も2010年3月に交換された。

開業当初の阪神三宮駅は現在のJR三ノ宮駅南側の至近にあり、駅名も「三ノ宮」を名乗っていた。なお、阪神が地上にあった頃は現在の位置に駅はなかった。

かつては東京駅始発・終着の客車寝台列車が停車していたが、2005年3月1日のダイヤ改正をもって最後の停車列車であった九州方面の特急「富士」が通過となったことにより、同種の列車の停車は無くなった。なお、ダイヤ改正前日時点における下り「富士」の次の停車駅は、山口県の小郡駅(現在の新山口駅)であった。

年表

1874年(明治7年)5月11日 - 官設鉄道大阪駅 - 神戸駅間開通と同時に開業する。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称が制定され、東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1918年(大正7年)5月1日 - 神戸港駅に貨物取扱業務を移管し、当駅での貨物取扱が廃止される。
1931年(昭和6年)10月10日 - 高架駅化により現在の元町駅の位置から現在地に移転する。
三宮神社に近い旧駅舎からわざわざ現在地へ移転したのは、そごうが現在地へと移転するなど、三宮の地域を中心地として整備する計画があったためである。駅移転後の1934年に、旧駅舎に近い場所に元町駅が設置された。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1995年(平成7年)
1月17日 - 阪神・淡路大震災発生に伴い東海道本線が不通となったため、当駅も営業を休止する。
2月20日 - 神戸駅から灘駅までの運転再開にあわせて営業を再開する。この時点では、フラワーロードの真上部分のホームは撤去されたままであったため、中央口と東口のみで客扱いを行った。西口が再開したのは同年6月末で、この再開にあわせて旧神戸新聞会館から伸びていた新聞運搬用地下専用通路へのエレベーターが撤去され
2003年(平成15年)
中央口上階をリニューアルした、レストラン街「ダイニングロード」が開業する。
11月1日 - IC乗車カード「ICOCA」の供用を開始する。




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【駅探索_JR西日本】№4 京橋駅{環状・東西・学研都市線}

2014-01-06 12:40:45 | 駅探索〈JR〉


きょうばし - Kyōbashi
所在地 大阪市城東区新喜多一丁目2-31
北緯34度41分45.59秒
東経135度32分4.92秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 キハ
駅構造 高架駅(大阪環状線)
地上駅(片町線・JR東西線)
ホーム 各2面2線(計4面4線)
乗車人員
-統計年度- 130,045人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1895年(明治28年)10月17日
乗入路線 3 路線
所属路線 大阪環状線
キロ程 天王寺駅経由:17.5km
天満駅経由:4.2km(大阪起点)
◄大阪城公園 (0.8km)(1.8km) 桜ノ宮►
所属路線 片町線(学研都市線)[* 1]
キロ程 44.8km(木津起点)
◄鴫野 (1.8km)
所属路線 JR東西線[* 1]
キロ程 0.0km(京橋起点)
(0.9km) 大阪城北詰►
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
大阪市内駅
^ a b 両線で直通運転実施

☆当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大阪環状線の大阪城公園駅・桜ノ宮駅・天満駅の3駅を管轄している。



【駅構造】

相対式ホーム2面2線の高架ホームに大阪環状線の列車が、単式ホーム2面2線の地平ホームに片町線(学研都市線)とJR東西線の列車が停車する。一部の関空快速・紀州路快速は当駅で折り返す。

改札口は、大阪環状線ホームの北側にある北口、JR東西線ホームに接する南口、片町線(学研都市線)・JR東西線ホームの西側にある西口の3か所がある。最も大きな改札口は北口だが、駅長室のある駅本屋は南口側にある。西口はダイエー京橋店に接続しており、西口から京阪京橋駅方面へ行く場合はダイエー京橋店内の自由通路を通ることになる。また、大阪ビジネスパーク方面へのペデストリアンデッキがあり、傘をささずに主要なビルまで行けるようになっている。また北口は京阪京橋駅中央口と向かい合っており、かつ幅の広い京阪のガード下を通ることになるため、雨の日でも濡れずに互いの駅舎を行き来できる。

片町線ホームは1955年に複線化された当時島式ホーム1面2線だったが、1970年の南口の設置により南口と大阪環状線ホームに直結する1番のりば(設置当初は片町行きホーム、JR東西線開業後は同線方面ホーム)が設けられたため、単式ホームに変更された。

また、北口はかつて大阪環状線の東側にのみ向いており、西側(京阪京橋駅寄り)との間は大阪環状線の線路をくぐる通路でつながっているだけだった。もとは京阪の京橋駅も大阪環状線の東側にあったためだが、京阪の駅が高架化で西側に移転後も付近の商店に配慮して西側には入口を設けなかったといわれる。1980年代以降の改修で西側にも通じる様になり、1990年の国際花と緑の博覧会(花の万博)開催に際して現在の姿になった。
大阪環状線ホームは、当初のりば番号が与えられていなかったが、2008年3月に内回りが3番のりば、外回りが4番のりばとなった。この駅の付番をもって環状線内のすべての駅にのりば番号が設定された。

2008年3月15日以降、当駅からの奈良方面行きの列車は、従来の3番のりば(内回り)から大阪駅経由の大和路快速・区間快速が、2番のりばから松井山手駅・木津駅経由に、2番のりばからのおおさか東線経由で直通快速を加えた3パターンがある。ただし、日中は大阪駅経由の列車のみであり、2番のりばから奈良方面行は直通快速4本が夕ラッシュ時のみ、松井山手駅・木津駅経由は夜間の2本のみである。
国鉄型駅名標だった当時は、ローマ字表記の下に所在地名の表記がなかったが、これは正確には城東区新喜多に位置してはいるものの、実際には大阪環状線ホームが都島区にまたがっているためである。

【構内図】





ム 路線
1 JR東西線 下り 北新地・尼崎方面
2 学研都市線 上り 四条畷・同志社前方面
3 大阪環状線 内回り 大阪・西九条・ユニバーサルシティ・奈良・関西空港・和歌山方面
4 大阪環状線 外回り 鶴橋・天王寺方面


【歴史】

当駅がある地に鉄道が開通したのは、1895年8月に浪速鉄道が現在の片町線となる片町駅 - 四条畷駅間を開業してからであるが、開業当時は駅が設置されていなかった。当駅は、同年10月に大阪鉄道 (初代) が現在の大阪環状線となる天王寺駅 - 大阪駅(当時は梅田駅)間の鉄道を開業させた際に浪速鉄道との交差地点に設けられたのが始まりである。

両路線とも、関西鉄道を経て国有化された後、1912年、片町線片町駅に京橋口乗降場が設けられ、城東線(現在の大阪環状線)の京橋駅と連絡するようになる。これが翌1913年に当駅の片町線乗り場となった。

長らく片町線の終点で当駅の西隣にあった片町駅は、1997年のJR東西線の開業に伴い廃止され、以来当駅が片町線の終点駅・JR東西線の起点駅となった。

1895年(明治28年)10月17日 - 大阪鉄道が玉造駅 - 梅田駅(現在の大阪駅)間(現在の大阪環状線の一部)を延伸させた際に設置。
1898年(明治31年)1月1日 - 高橋常八駅長殉職。玉造駅発の列車が完全に停止する前に乗客達が先を争い扉を開けて下車しようとし、駅長は危険行為を制止しようと駆け寄ったが、開け放たれた扉に跳ね飛ばされ線路に落下、轢死した。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継。同社の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。当駅は城東線所属となる。
1912年(明治45年)4月21日 - 片町線の片町駅に京橋口乗降場を開設。城東線京橋駅と接続。
1913年(大正2年)11月15日 - 片町駅京橋口乗降場を格上げし城東線京橋駅と統合され、片町線京橋駅が開設。1面1線の地平駅。
1945年(昭和20年)8月14日 - 京橋駅空襲で1トン爆弾が片町線ホームに命中、避難していた700-800人以上が死亡。
1955年(昭和30年)1月25日 - 片町線複線化に伴い片町線ホームが島式1面2線になる。
1961年(昭和36年)4月25日 - 城東線が大阪環状線の一部となる。
1970年(昭和45年) - 片町線の片町行ホームが完成。長尾方面行ホームと分離。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
1997年(平成9年)3月8日 - JR東西線開業。隣駅が片町駅から大阪城北詰駅となる。片町線の当駅 - 片町駅間廃止。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2011年(平成23年)3月8日 - JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム導入。


【大阪大空襲の被害】

南口改札口の駅前には、終戦の前日にあたる1945年8月14日の京橋駅空襲により駅構内で犠牲となった人を弔う慰霊碑と納経塔がある。

空襲時、城東線(現在の大阪環状線)の上下2列車の乗客が片町線ホームに避難していたが、1トン爆弾が落下して爆発し、避難していた乗客らが爆弾の直撃を受けた。1947年(昭和22年)8月14日に慰霊碑が建立され、1955年(昭和30年)以来、毎年8月14日には慰霊祭が営まれている。

他に大阪市内で空襲慰霊碑のある駅としては、1945年2月14日に空襲被害を受けた阪和線美章園駅(阿倍野区)がある。

日本で空襲が一番遅かったのは当駅と秋田市土崎である。




◀︎大阪城公園(大阪環状線)| 桜ノ宮(大阪環状線)▶︎

◀︎大阪城北詰(JR東西線)| 鴫野(学研都市線)▶︎









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【駅探索_JR西日本】№3 尼崎駅{神戸・東西・宝塚線}

2014-01-05 10:00:56 | 駅探索〈JR〉




な駅名標です。

あまがさき - Amagasaki

所在地 兵庫県尼崎市潮江一丁目1-1
北緯34度43分53.88秒 東経135度25分54.07秒 / 北緯34.7316333度 東経135.4316861度
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 アマ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 4面8線
乗車人員
-統計年度- 41,793人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1874年(明治7年)6月1日
乗入路線 4 路線
所属路線 東海道本線(JR神戸線)
キロ程 564.1km(東京起点)
大阪から7.7km
◄塚本 (4.3km)(3.0km) 立花**►
所属路線 東海道本線貨物支線(北方貨物線)
キロ程 10.7km(吹田起点)
◄***宮原(操) (5.6km)
所属路線 福知山線(JR宝塚線)
キロ程 0.0km(尼崎起点)
◄****(塚本) (-km)(2.5km) 塚口►
所属路線 JR東西線
キロ程 12.5km(京橋起点)
木津から57.3km
◄加島 (2.2km)
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
東海道本線・福知山線・JR東西線の3路線は相互に直通運転
* 1949年に神崎駅から改称。
** この間に大阪支社と神戸支社の境界標あり(当駅は大阪支社管内)
*** 実際はこの間で塚本駅構内を経由する。
**** JR宝塚線は大阪 - 尼崎間も含む。



☆JR線内では、兵庫県内で最東端の駅となる。第4回近畿の駅百選に選定された。


構内図



改良工事後


ダイヤ

いずれも、日中の1時間当たりの運行本数である。また朝晩は本数が多くなり、当駅発着便の設定もある。

JR神戸線
新快速と快速がそれぞれ4本、普通が8本、計16本が停車する。

普通は当駅で半数が入れ替わりとなり、当駅を出ると一部を除いて、上りは大阪駅、下りは芦屋駅まで後続列車より先着する。

JR宝塚線
快速8本と普通4本、それに特急『こうのとり』1本が加わり、計13本が停車する。

快速は『丹波路快速』を初めとする大阪駅発着と、JR東西線に直通する塚口駅発着のものが4本ずつとなる。また、下りの普通は当駅を出ると川西池田駅まで先着する。

JR東西線
快速と普通が4本ずつ、計8本が停車する。快速は東西線内の各駅に停車し、直通先の学研都市線内で通過運転を行う。

駅周辺


駅北側に屹立する高層マンション

駅北側ロータリー、バスターミナル

駅北側ペデストリアンデッキ


阪神本線にも尼崎駅があるが、直線距離で約2km程離れている。両駅間は尼崎市営バスで連絡している。
他社線で一番近い駅は、阪神杭瀬駅。こちらへも市バスで連絡している(徒歩では南東へ30分)。
タクシー乗り場は北口と南口の両方にある。

駅北側(潮江地区)

■あまがさきキューズモール
■阪神百貨店
■平和堂 アル・プラザあまがさき(つかしん店に次ぐ県内2店目)
■MOVIXあまがさき
■アミング潮江
■ホテルホップイン・アミング(JR西日本ホテルズグループ、キリンビールにより開設)
■尼崎市小田公民館
■尼崎潮江郵便局
■尼崎中央病院
■関西国際大学 尼崎キャンパス
■極楽湯 尼崎店(無料送迎バスあり)
■クボタ 阪神工場

駅南側(長洲地区)
■エディオン JR尼崎駅店(旧・ミドリ電化)
JR西日本の子会社が所有するビルに入居する形で、2002年オープン。ミドリ電化時代には、上層階に本社事務所が入居していた(阪急神戸本線塚口駅前にあった「塚口店」から移転)。
■尼崎市役所小田支所
■尼崎東警察署
■尼崎長洲本通郵便局
■梅花東幼稚園、梅花幼稚園
■尼崎市立清和小学校
■尼崎市立小田南中学校
■尼崎市記念公園
■尼崎市記念公園総合体育館(ベイコム総合体育館)
■尼崎市記念公園野球場(ベイコム野球場)
■尼崎市記念公園陸上競技場(ベイコム陸上競技場)
■ヤンマー 尼崎工場
■Jリーグ・セレッソ大阪が育成組織の練習で使用するサッカー練習場も併設されている。かつては、ヤンマー本体がサッカークラブを持っていた。

歴史

開業から国鉄分割民営化まで


尼崎港線仮乗降場駅名標 (1981年頃)


東海道本線の当駅は、1874年(明治7年)に神崎駅(かんざきえき)として開業した。1891年(明治24年)には現在の福知山線の前身にあたる川辺馬車鉄道が尼ヶ崎駅(のちの尼崎港駅) - 伊丹駅間を開業させたが、東海道本線との交差地点には連絡線が設置されなかった。

川辺馬車鉄道は1893年(明治26年)に摂津鉄道となり、さらに摂津鉄道を買収した阪鶴鉄道が有馬口駅(現在の生瀬駅)まで延伸開業した1898年(明治31年)、大阪駅乗り入れのために阪鶴鉄道の塚口駅と東海道本線の神崎駅を結ぶ連絡線が設けられた。

尼ヶ崎駅 - 塚口駅間は阪鶴鉄道国有化後は福知山線(国有化当初は、阪鶴線と呼称)の支線として扱われ、尼崎港線・尼港線と呼ばれることになる。1911年(明治44年)には、この支線上にも「神崎乗降場」が東海道本線との交差地点南側に設けられた(この時点では神崎駅と別駅扱いだが、運賃上は神崎駅と同一扱い)が、東海道本線の駅とは約300m離れていた。

「神崎乗降場」は東海道本線を越える築堤の上に片面ホーム1面1線で設置されており、「土手の上にある神崎駅」から「ドテカン」と呼ばれていた。そして1949年(昭和24年)、街の代表駅としての実状を考慮して尼崎港線の尼ヶ崎駅を尼崎港駅、神崎駅を尼崎駅に改称した。1969年に「尼崎乗降場」は当駅と同一駅扱いとなり「尼崎臨時乗降場」に変更されたが、実態には変化がなかった。

国鉄時代には、同一駅名の連絡駅にもかかわらず別の場所にそれぞれの路線の駅が設置されている例として、宇美駅(香椎線と勝田線)・石巻駅(仙石線と石巻線・現在は統合)・浜川崎駅(南武線と鶴見線)が存在したが、他の3つは私鉄買収によって路線が成立したのが要因であったのに対し、当駅は利用客の便宜を図ったことが要因となった。

駅自体は同一であるが、ホームの位置が大きく離れており、乗り継ぎには一旦職員通路のような線路脇を歩かなければならず、別駅にも見えた清水駅(東海道本線と清水港線)のような例もある。
この「尼崎駅」と尼崎港線は1981年に旅客営業が廃止された後、1984年に廃止された。

本線の「尼崎駅」は、駅西側に貨物駅を持ち、また麒麟麦酒の工場や周辺の工場への専用線を持つなど、尼崎市における国鉄の貨物取り扱いの中心となっていた。利用客は少なく、駅設備もホーム間をつなぐ地下通路と南北に小さい駅舎があるだけの駅であった。1964年9月30日までは、当駅で折り返す東海道本線の各駅停車が運転されていたが、翌10月1日の改正で甲子園口駅まで延長された。

当駅に停車するのは、各駅停車と福知山線の快速・普通のみで、東海道本線の新快速・快速は通過していた。特急・急行列車も全て通過していたが、1981年4月の福知山線の宝塚駅までの電化の時に、急行「丹波」が1往復停車し、1986年11月1日改正で特急「北近畿」に格上げされた後も、そのままで受け継がれた。



東西線の建設に伴う構内改良

JR化後も大きな変化は無く、3面9線のやや変則的な配線のままであった。しかし、JR東西線の建設に伴い当駅が東西線との分岐駅にもなるため、配線の変更やホーム1面の増設、駅舎の橋上駅化(地下通路は廃止)が行われ、面目を一新した。以下、計画の概要をJR西日本がまとめた講演資料に基づき説明する(「課題」「効果」といった事項も同様)。


当初の改良計画

最初の構内改良計画は1989年2月、運輸大臣より鉄道施設の変更認可を受けた。その内容は次のようなものであった。

駅起点方でのJR東西線と東海道線との相互乗り入れを考慮し、東海道線の内側線と外側線の間に東西線の線路が挟まれるようにトンネルへのアプローチを設定、配線する。
東西線終点方(神戸方)は東海道線内側上下線の間に折り返し設備を1線設ける。
形態的には4面7線となる。
しかし、計画作成後、福知山線と東海道本線の輸送量が予想以上に伸張したため、社内で次のような問題点が指摘された。

駅西方において東海道本線大阪方外側線と福知山線尼崎方の平面交差が発生し、福知山線から東海道本線・JR東西線への直通列車がラッシュ時計10本に制限される。
JR東西線-東海道本線間の相互乗り入れ、およびJR東西線の折り返し本数が増大すると運転支障が発生する。
貨物列車待避線を2番線とするため、JR東西線から当駅に進入する列車に支障が発生する。

最終的に決定した改良計画
このため、最終的に決定した計画では次のような考え方が打ち出された。

福知山線の上り(尼崎方面)を立体交差とし、ホームを4面7線から2線増やし4面9線とする。これは、上下線の行き先別案内を対称形とするためである。
東海道線とJR東西線の当駅折り返しを分離し、折り返し列車の集中を避ける。JR東西線は福知山線塚口駅での折り返しとする。
東海道線下り線(神戸方面)貨物待避線を尼崎駅から分離し、西ノ宮駅(現:西宮駅)に移設する。このことは、当駅の改良用地の生み出しにも資する。
次のような制約条件・要求が求められ、改良に盛り込まれた。

ホーム長は245m(12両対応)とする。
ホーム幅は、エスカレータ設置を考慮し、8.0mを確保する。
東海道線外側線の設定速度は130km/hとする。
分岐器は進入16番、進出12番とする。
上り貨物待避線の有効長は570mを確保する。
東海道線外側線・JR東西線・内側線の同時進入が可能であること。
駅舎は尼崎市から要望のあった橋上構造とし、幅2mの地下通路を廃止して幅6mの連絡通路を設置し、キャパシティを増強する。エスカレータのほかにエレベータを設置し、バリアフリー化に対応する。
改良工事は1駅に対する工事としては比較的規模の大きなものとなり、大規模な切り替えだけでも22回に及んでいるが、1997年3月8日のJR東西線開業に間に合わせることができた。


追加の改良

この改良で、次のような課題が社内で意識された。

東海道線内側線列車とJR東西線-福知山線直通列車:同一ホームで乗り換え可能となったのに対して
福知山線-東海道線(大阪方)間の直通列車と、JR東西線-東海道線(神戸方)間の直通列車:同一ホーム乗り換えできない
このため、当駅の大阪方にJR東西線-東海道本線内側線を結ぶ渡り線が追加され、1997年9月1日のダイヤ改正より使用を開始した。この改良で上記の問題は解決し、各ホームの行き先を統一した。また、一連の改良計画を扱った発表は日本鉄道施設協会より「総合技術講演会最優秀論文」を受賞した。


その後

最初の改良の以前、福知山線上り線は駅西方の貨物線群北側を沿っていた。最初の計画でもその経路を踏襲していたが、計画変更を行った際、貨物線群南側を回り込む下り線に平行する形に変更された。このため、上り線は駅西北の名神高速道路南側の地点に半径304mの曲線が設定された。半径300m程度の曲線は日本の在来狭軌鉄道としては珍しいものではないが、2005年4月25日に福知山線脱線事故が発生した後には、「魔のカーブ」として事故当初から一部マスコミがこの経路変更を問題視した。5年後、遺族団体が鉄道事故調査委員会の調査報告を検証する過程で、当該区間の運転経験がある運転士にアンケートを行った。このアンケートに回答した者の21.5%が速度超過の経験があったことや、41.5%が事故前より当該のカーブへATSを設置するべきと考えていたことなどが明らかになっている。



ダイヤ面からは、改良工事後当駅での折り返し列車が復活し、JR神戸線の新快速・快速に加え、福知山線の特急も全列車停車するようになった。このことで乗降客はさらに増加基調が続いた。貨物取り扱いは専用線の廃止や麒麟麦酒の工場の移転などもあって、後に廃止されている。

貨物取扱
かつて当駅はJR貨物の駅(国鉄時代は貨物取扱駅)であり、駅周辺の工場から多くの専用線が当駅に接続していた。専用線はクボタ阪神工場・神崎製紙神崎工場・麒麟麦酒尼崎工場・住友軽金属工業工場へ続くものがあった。

このうち最後まで使用されていたのは駅東側にある神崎製紙(当時は新王子製紙、現在の王子製紙)神崎工場へ続く専用線であった。この線は、東海道本線の北側に沿って東へ向かい、本線の盛土下を通り抜けて、その南側にある工場へ至っていた。主に有蓋車による紙製品の発送で使用されていたため、当駅から飯田町駅へ向かう貨物列車も運行されていたが、コンテナ化により1995年(平成7年)9月29日の発送をもって専用線は廃止された。これに伴い、当駅を発着する定期貨物列車も廃止された。

定期列車が廃止された後も、阪急電鉄が保有する専用線が敷設されていた。立花駅寄りにあるアルナ工機が製造した鉄道車両の搬出用に使用されていたが、2001年(平成13年)11月の発送をもって廃止された。




◀︎塚本(JR神戸線)| 立花(JR神戸線)▶︎

◀︎加島(JR東西線)| 塚口(JR宝塚線)▶︎







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【駅探索_JR西日本】№2 新大阪駅{京都・神戸・宝塚線}

2014-01-03 00:30:07 | 駅探索〈JR〉


しんおおさか - Shin-Ōsaka

【所在地】 大阪市淀川区西中島五丁目16-1
北緯34度44分0.54秒
東経135度30分0.41秒
【所属事業者】 西日本旅客鉄道(JR西日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
【電報略号】シオ
駅構造 高架駅(新幹線)
【地上駅】(橋上駅)(在来線)
【ホーム】5面8線(新幹線)
4面8線(在来線)
【乗車人員】
-統計年度- (JR西日本)-2012年-
49,839人/日(降車客含まず)
(JR東海)-2012年-
69,000人/日(降車客含まず)
開業年月日 1964年(昭和39年)10月1日
乗入路線 4 路線
所属路線 東海道新幹線*
キロ程 552.6km(東京起点)
◄京都 (39.0km)
所属路線 山陽新幹線*
キロ程 0.0km(新大阪起点)
(36.9km) 新神戸►
所属路線 東海道本線(JR京都線)
キロ程 552.6km(東京起点)
◄東淀川 (0.7km)(3.8km) 大阪
所属路線 東海道本線貨物支線
(梅田貨物線)
キロ程 3.8km(吹田起点)
◄吹田 (3.8km)(3.8km) (貨)梅田►
備考 JR西日本:直営駅(管理駅)
JR東海:駅長配置駅(管理駅)
みどりの窓口 有
大阪市内駅
新幹線駅はJR東海、在来線駅はJR西日本管理
* 両線で相互直通運転実施

大阪
【構内図】

ホームはJR西日本管轄部分は「のりば」、JR東海管轄部分は「番線」と表記・案内されるため、本項でもこれに従う。

3階に改札口とコンコース、2階に商店街と地下鉄への連絡通路がある。のりばは11 - 18番のりばが在来線ホーム(地平)、20 - 27番線が新幹線ホーム(4階)となっている、そのため1 - 10番のりば・19番のりばはない。ただし、新幹線ホームは1985年に20番線が設けられるまで1 - 6番線と称していた。 また、2013年のダイヤ改正より、東京方面行きの新ホーム『27番線』が新たに作られ、共用運用されている。

【在来線ホーム】
JR西日本の管轄で、島式ホーム4面8線を有する地上駅である。ホームはほぼ南北方向に延びており、新幹線ホームの東側と斜めに交差する。在来線と地下鉄とは距離があるため乗り換えの利便性はあまりよくない。「はるか」・「くろしお」は関西空港・南紀方面行も京都方面行も同じ11番のりばから発車するため、乗り間違えないように注意する必要がある。

当駅開業時から在来線の東部分には、おおさか東線の全線開業の際にホームを増設できるよう、広い用地が確保されていた。直上のコンコースにも階段等を設置するためのスペースがあらかじめ取られていた。だが、後におおさか東線は梅田貨物線に合流する計画に変更されたため、その用地には17、18番のりばのホームを新設し、更に既存の線路を東へ順番に移設する工事が2018年の完成を目途に、2012年より始まった。2012年12月16日に新17、18番のりばの供用開始された。旧17、18番のりばは約1年かけて改装され、2013年12月8日に新15、16番のりばとして供用開始された。。最終的には現在の11、12番のりばが(改番されて)おおさか東線、梅田貨物線(はるか、くろしお)用ホームとなる。

当駅の大阪方には網干総合車両所宮原支所への連絡線があり、大阪駅発着列車の送り込み・送り出し回送列車が通行するが、この連絡線自体も当駅の構内に含まれており、当該回送列車の運転取扱上でも当駅を通過駅かつ採時駅として扱っている。

【新幹線ホーム】
JR東海の管轄で、島式ホーム3面6線と単式ホーム2面2線を有する高架駅。ホームはほぼ東西方向に延びている。表示板はJR東海のデザインのものであるが、東海道・山陽新幹線の境界駅のためか、「JR東海」の表示やオレンジ色のJRマークは入っていない。博多方には上下本線の間に大阪仕業検査車両所新大阪支所がある。

東海道新幹線開業当初の設計では島式ホーム3面6線のみ(開通時は南側の2面4線のみで昭和51年に北1面2線が増設された)であったが、その両外側に現在の山陽・九州新幹線に当たる西方への延伸時に当駅通過となる列車用の通過線の準備がなされていた。現在の20・27番線の線路はこれを利用した物である。

山陽新幹線の「みずほ」・「さくら」・「ひかりレールスター」・「こだま」の多くは20番線に停車するため、東海道新幹線との乗り換えの便はあまりよくない。また、コンコースと20番線を直接行き来するエレベータがなく、21・22番線用のエレベータを利用して乗り換える必要がある。2011年3月の山陽・九州新幹線直通運転にそなえ、20番線のエスカレータ増設工事が行われた。

実際のJR東海とJR西日本の会社境界は駅西方の東京起点518.2kmである。ここにはATCの上り第1場内進路と地上信号機が設置されている。20番線で折り返す上り列車はここから下り線を走行することになるため、山陽新幹線の本数は大きく制限されている。また東海道新幹線側では同駅では一部相互発着という手法で列車を入線・出発させている。

2006年2月22日のJR東海社長定例会見で、新幹線ホームの改良に伴い、阪急新大阪連絡線の用地を一部転用して、現26番線の北側に27番線を新たに設けることと、博多方にある2本の引き上げ線を4本に増設することを明らかにしていたが、27番線は2013年3月16日のダイヤ改正より使用している。これにより、運転効率の向上ならびにさらなる本数増強が可能になる。また、引き上げ線の増設は2013年度中の完成予定である。

残る阪急電鉄所有地は、当駅北側の玄関口として活用するとともに、新大阪連絡線のうち免許が維持されている当駅 - 十三駅間を四つ橋線の十三延長(西梅田・十三連絡線(仮称))と合わせて一本の路線として、北ヤード・西梅田への接続路線として整備する意向であることを表明している。ただしこれらの計画についての着工・完成時期などは未定である。

また、新幹線コンコースはこれまでの中央入口(入場のみ)・中央出口(出場のみ)が、両者ともに入出場可能となる改良工事が行われた。これに伴い、前者は「中央口」、後者は「南口」と改称されている。

なお、2013年7月10日より新幹線ホームが全面禁煙化され、新たにコンコース内に喫煙ルームが設けられた。






JR新大阪駅プラットホーム
ホーム 路線 行先 備考
在来線ホーム
11
(※) 関西空港線
〔関空特急「はるか」〕 関西空港方面
きのくに線
〔特急・快速〕 和歌山・白浜・紀伊勝浦方面
関西空港線・きのくに線方面からの京都・米原方面行き特急
12 北陸(福井・金沢・富山)・信越方面〔特急列車〕
鳥取方面からの京都行き特急
13・14 JR京都線 吹田・高槻・京都方面 一部12番のりば
15・16 JR神戸線 大阪・尼崎・芦屋・三ノ宮方面 一部17番のりば
JR宝塚線 宝塚・新三田方面
17・18 福知山・城崎温泉方面〔特急「こうのとり」〕
山陰(智頭線・鳥取)方面〔特急「スーパーはくと」〕
北陸・東海道・中央本線方面からの大阪行き特急
新幹線ホーム
20 - 22 山陽新幹線 岡山・広島・博多・鹿児島中央方面 20番線は当駅始発のみ
23 - 27 東海道新幹線 名古屋・静岡・新横浜・東京方面



(※)11番のりばに発着する列車は、大阪駅を経由しない。
上表の路線名は当駅における旅客案内上の名称(愛称)で記載している。当駅は「JR京都線」と呼ばれる区間の途中駅であるが、当駅では便宜上、京都方面行のみ「JR京都線」と案内され、大阪・尼崎方面は、直通先の路線愛称である「JR神戸線」「JR宝塚線」と案内されている。広島方からの新幹線到着時の車内放送もこの形に準拠している(名古屋方からの到着時の車内放送では「東海道線」と案内される)。
通常は新快速と快速が13番・16番のりば、普通電車が14番・15番のりばを使用する。ただし、平日朝の時間帯には新快速と快速が本来特急用ホームである12番・17番のりばに入線(土曜・休日は湖西線からの大阪行き新快速のみ使用)し、普通電車は13番・16番のりばも使用する。
臨時列車がある場合、山陽新幹線博多方面の列車が、本来東京方面のホームである23番線から発車することもある。なお、21 - 26番線はいずれも両方向の発車に対応している。

ダイヤ
在来線
日中時間帯は1時間あたり新快速・快速がそれぞれ4本、各駅停車が8本停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は新快速と外側快速がそれぞれ8分間隔、各駅停車が4分間隔で発車する。夕方ラッシュ時の京都方面は新快速が7分半間隔で発車する。北陸・北近畿・山陰・南紀系統の特急・急行も当駅に停車し、新幹線との接続が図られている。

阪和線(きのくに線・関西空港線)からの直通列車は昼間時間帯は原則として特急列車で関空方面・南紀方面にそれぞれ1時間に1本運転されている。早朝・深夜時間帯には当駅発着の快速列車も運転されている。

発着する在来線優等列車
大阪駅と並んで在来線特急のターミナルとして機能しており、福知山線経由の山陰方面の特急や、南紀方面への一部の特急は当駅始発として運転されている。

北陸方面
特急「サンダーバード」(大阪駅 - 金沢駅・富山駅・魚津駅・和倉温泉駅)
寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪駅 - 札幌駅)
東海道・中央・高山線方面
特急「しなの」(大阪駅 - 長野駅)
特急「ひだ」(大阪駅 - 高山駅)
特急「びわこエクスプレス」(大阪駅 - 米原駅)
阪和線・関西空港線・きのくに線方面(梅田貨物線経由のため、大阪駅には入らない)
関空特急「はるか」(米原駅・京都駅 - 関西空港駅)
特急「くろしお」(京都駅・新大阪駅 - 白浜駅・新宮駅)
北近畿方面(福知山線経由)
特急「こうのとり」(新大阪駅 - 福知山駅・豊岡駅・城崎温泉駅)
山陰方面(智頭急行線経由)
特急「スーパーはくと」(京都駅 - 鳥取駅・倉吉駅)


西日本旅客鉄道
山陽新幹線
京都駅(東海道新幹線) - 新大阪駅 - 新神戸駅
JR京都線(東海道本線)
新快速
高槻駅 - 新大阪駅 - 大阪駅
快速
茨木駅 - 新大阪駅 - 大阪駅
普通
東淀川駅 - 新大阪駅 - 大阪駅
■阪和線直通(梅田貨物線経由)
■快速(和歌山方面行きのみ運転)・■B快速(到着列車のみ)
新大阪駅 - (梅田信号場) - (福島駅(全列車通過)) - 西九条駅
当駅 - 福島駅間は梅田貨物線、福島駅 - 西九条駅間は大阪環状線を経由。
東海旅客鉄道
東海道新幹線
京都駅 - (鳥飼信号場) - 新大阪駅 - 新神戸駅(山陽新幹線)






◀︎東淀川(JR京都線)大阪(JR京都線)▶︎









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