雪だというのに、行ってまいりました、だって今日は千円だしぃ。
まだ公開されて日が浅いのでどこまで書くかなぁとちらっと思いましたが、未見の方は絶対読まないようにしてくださいね。
最後まで書きますから。敬称略しますのであしからず。
ネタバレ
ネタバレ
ネタバレ
ネタバレ
話題騒然、主演のジョニー・デップはGG賞コメディ・ミュージカル部門主演男優賞受賞、アカデミー賞の主演男優賞にもノミネートされ、監督ティム・バートンとの6作目ということでも注目度が高い本作、俳優がみな自分で歌をこなしているところも話題のひとつである。
が、ミュージカルである必要はあったのだろうか?
ここまで過剰に猟奇殺人を見せられると、それはもちろん計算されての曲と場面の対比であっても、「ミュージカルだから」と理解して乗り切ろうとしても置いて行かれてしまうのだ。陰惨な場面も歌に乗せれば毒々しさがカバー出来るかもという計算か、はたまた歌と場面をより遠ざけつつ両方を立てようとしたのか、監督の意図はいろいろに汲み取れるだろうが、どっちつかずに終わってしまった気がした。
歌も決め手になる強いテーマ曲が無く、難しそうではあるが良くも悪くもキャッチーさに欠けているし、歌い上げるタイプのミュージカルではないにせよ、俳優が歌うにしてもやっとこなせたかというレベルなので苦しく、のど声で押し出す声はきしるようで耳に痛い。
アンソニーはジョアナジョアナしか歌っていなかったような?
悪徳判事に妻子を奪われ無実の罪で15年も流刑になっていた理髪師がスウィーニー・トッドと名前を変えて故郷に戻り復讐を始めるというのが大きな流れだが、無実の罪が何だったのか?ミセス・ラヴェット(ヘレナ・ボナム=カーター)が「愚かさゆえ」と歌うも描かれず、心理描写も薄いので、確かにひどい目に合わされて復讐を誓うのは判らなくもないが、本命の判事を殺すまで、全く無関係の人々を鳥を締めるより簡単にザックザックと切り殺すのは理解出来ない。
それは復讐ではなく単なる殺人である。というのが野暮であると言われても、いかにミュージカルが下敷きであっても、キャラクターの説得力がなければ物語は牽引できないのだ。復讐に凝り固まって周囲が見えなくなっているというところも伝わらず、歌いながら殺す、殺す、殺す。
かつて「シザーハンズ」で、異形の者の悲しみを見事に描き出したバートンとデップであるが、今回はどの登場人物にも感情移入は出来なかった。
トッドからは悲しみは伝わらず、最後に判る事実もかなり早い時点で見抜けてしまうが、トッドには何故か見抜けておらず、それが憎しみゆえに判断を狂わせたとも思えず、復讐を果たすまでの葛藤や、果たした後の心理状態も描かれず、見境がなくなるばかり。
トッドは最初から一貫して復讐に燃えているので、ほかの感情が見えないし、なぜ娘を自ら助けに行かないのか?などの基本的な欠落もあり、よく判らないキャラクターになってしまっている。誰でも殺す!だけ。
トッドの元大家で彼が戻ってからの「仕事」の共犯となるミセス・ラヴェットは道徳心のかけらもないが、それでもまだ若干人間らしい心も見せる。
それが仇になって身を滅ぼすのだが、自業自得でもあり、これもまた共感できないキャラクターである。トッドを愛しているのだが、それが主流の話でもない。
ラヴェットの店、「ミンサー」から押し出される「肉」、等々不潔さとグロテスクサのオンパレードで、バートンファンはこれぞバートンと喜ぶのだろうか、疑問。
悪徳判事のアラン・リックマンは憎らしい悪役で彼らしいが、深みのない役なのでこれもどうか。トッドとのデュエットが面白い。
いい味を出していたのは、トッドの正体を見破りゆすろうとして逆に最初の被害者となるピレリを演じたサシャ・バロン=コーエン。ボラットの影は全く無く、青い衣装で飾り立てた嫌らしい男を楽しそうに怪演。カウンターテナー?のような高音まで出して歌っていた。
ピレリに使われる少年を演じていた子がうまく、最後まで目が離せないが、あのラストはそうしてもらわないと困るのだが、いいのかなあ。
セット、美術、衣装、メイクとビジュアルは凝りに凝って見ごたえあり。
トッドとラヴェットは白い顔に赤黒い隈が目周りにあって、指抜け手袋までおそろいできょうだいのようだ。最後には少年まで同じ顔になってしまう。
シェアが大きい=納得出来ることにはならなかった作品。
後味極めて悪し。
それぞれの俳優は熱演しているが、キャラクターの魅力に欠けるため心が動かないまま終わった。
上映終了の時の劇場内の妙な空気は「A.I.」を観終わった時と同じであったのが印象的だった。
まだ公開されて日が浅いのでどこまで書くかなぁとちらっと思いましたが、未見の方は絶対読まないようにしてくださいね。
最後まで書きますから。敬称略しますのであしからず。
ネタバレ
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話題騒然、主演のジョニー・デップはGG賞コメディ・ミュージカル部門主演男優賞受賞、アカデミー賞の主演男優賞にもノミネートされ、監督ティム・バートンとの6作目ということでも注目度が高い本作、俳優がみな自分で歌をこなしているところも話題のひとつである。
が、ミュージカルである必要はあったのだろうか?
ここまで過剰に猟奇殺人を見せられると、それはもちろん計算されての曲と場面の対比であっても、「ミュージカルだから」と理解して乗り切ろうとしても置いて行かれてしまうのだ。陰惨な場面も歌に乗せれば毒々しさがカバー出来るかもという計算か、はたまた歌と場面をより遠ざけつつ両方を立てようとしたのか、監督の意図はいろいろに汲み取れるだろうが、どっちつかずに終わってしまった気がした。
歌も決め手になる強いテーマ曲が無く、難しそうではあるが良くも悪くもキャッチーさに欠けているし、歌い上げるタイプのミュージカルではないにせよ、俳優が歌うにしてもやっとこなせたかというレベルなので苦しく、のど声で押し出す声はきしるようで耳に痛い。
アンソニーはジョアナジョアナしか歌っていなかったような?
悪徳判事に妻子を奪われ無実の罪で15年も流刑になっていた理髪師がスウィーニー・トッドと名前を変えて故郷に戻り復讐を始めるというのが大きな流れだが、無実の罪が何だったのか?ミセス・ラヴェット(ヘレナ・ボナム=カーター)が「愚かさゆえ」と歌うも描かれず、心理描写も薄いので、確かにひどい目に合わされて復讐を誓うのは判らなくもないが、本命の判事を殺すまで、全く無関係の人々を鳥を締めるより簡単にザックザックと切り殺すのは理解出来ない。
それは復讐ではなく単なる殺人である。というのが野暮であると言われても、いかにミュージカルが下敷きであっても、キャラクターの説得力がなければ物語は牽引できないのだ。復讐に凝り固まって周囲が見えなくなっているというところも伝わらず、歌いながら殺す、殺す、殺す。
かつて「シザーハンズ」で、異形の者の悲しみを見事に描き出したバートンとデップであるが、今回はどの登場人物にも感情移入は出来なかった。
トッドからは悲しみは伝わらず、最後に判る事実もかなり早い時点で見抜けてしまうが、トッドには何故か見抜けておらず、それが憎しみゆえに判断を狂わせたとも思えず、復讐を果たすまでの葛藤や、果たした後の心理状態も描かれず、見境がなくなるばかり。
トッドは最初から一貫して復讐に燃えているので、ほかの感情が見えないし、なぜ娘を自ら助けに行かないのか?などの基本的な欠落もあり、よく判らないキャラクターになってしまっている。誰でも殺す!だけ。
トッドの元大家で彼が戻ってからの「仕事」の共犯となるミセス・ラヴェットは道徳心のかけらもないが、それでもまだ若干人間らしい心も見せる。
それが仇になって身を滅ぼすのだが、自業自得でもあり、これもまた共感できないキャラクターである。トッドを愛しているのだが、それが主流の話でもない。
ラヴェットの店、「ミンサー」から押し出される「肉」、等々不潔さとグロテスクサのオンパレードで、バートンファンはこれぞバートンと喜ぶのだろうか、疑問。
悪徳判事のアラン・リックマンは憎らしい悪役で彼らしいが、深みのない役なのでこれもどうか。トッドとのデュエットが面白い。
いい味を出していたのは、トッドの正体を見破りゆすろうとして逆に最初の被害者となるピレリを演じたサシャ・バロン=コーエン。ボラットの影は全く無く、青い衣装で飾り立てた嫌らしい男を楽しそうに怪演。カウンターテナー?のような高音まで出して歌っていた。
ピレリに使われる少年を演じていた子がうまく、最後まで目が離せないが、あのラストはそうしてもらわないと困るのだが、いいのかなあ。
セット、美術、衣装、メイクとビジュアルは凝りに凝って見ごたえあり。
トッドとラヴェットは白い顔に赤黒い隈が目周りにあって、指抜け手袋までおそろいできょうだいのようだ。最後には少年まで同じ顔になってしまう。
シェアが大きい=納得出来ることにはならなかった作品。
後味極めて悪し。
それぞれの俳優は熱演しているが、キャラクターの魅力に欠けるため心が動かないまま終わった。
上映終了の時の劇場内の妙な空気は「A.I.」を観終わった時と同じであったのが印象的だった。