先週の土曜日、学校でのいじめ問題にフォーカスした討論番組がテレビで放送されていました。
また先日、知り合いの教員の学校でも女児のいじめ問題が教育委員会に訴えられ、急遽、保護者会が開かれたと聞きました。
しかし、そもそもいじめがなぜ発生するのかを根本から考えて、手を加えて行かない限り、対症療法だけでは一時的な減少には寄与しても、根治させることは難しいのではないでしょうか。
私は解決に向けての一つのキーワードが、「父性」であり、父性の復権こそが、荒れた学校現場に泉を湧き出させる処方箋になり得るものと思っています。
今から10年ほど前に、林道義氏の『父性の復権』という小著がベストセラーになり、私もすぐに買って読みました。
当時も「いじめ」問題が存在し、神戸の高校では、遅刻者を見張っていた教師が、始業時刻ぎりぎりに登校して来た生徒を門柱と鉄製校門にはさんで、圧死させるという悲劇も起きたほどでした。これはいじめと言えるかわかりませんが、この事件を見る限り、教師の側の取り締まりの姿勢は見えても、生徒への愛情や長所を伸ばすという教育本来の姿は見えて来ません。
林氏の著作に込められた願いも空しく、その後、いじめはなくなるどころか、益々陰湿化し、深刻な状況にすら陥っています。
現在も差し当たって出口は見えず、昨12月の『教育基本法』改正も、現時点ではどのような成果が出て来るのか不透明に思えます。
いじめの一番の問題点は、「父性をなくした家庭教育の欠如」にあると言ったら、言い過ぎでしょうか。
私は、家庭は社会の最小構成単位であり、そこで暮らす中で、少なくとも以下のことが機能として必要なのではないかと考えています。
1)基本的な躾や礼儀・作法を教える
2)家族の情愛を育み、他人との関わりを教える
3)世の中で起きていることの(善悪)判断力をつける
4)日本固有の文化や親としての価値観を継承する
この機能すべてを母親や核家族化した夫婦だけでできるのかというと、それはできないと思います。それに、スーパーマンはいませんので、親だって知らないことやできないことは多数存在します。それでも、自信を持ち、他人の力も借りて、放棄せずに教えることが大事なのだと思います。
現代の家庭において母性は母親のそれとして存在しているように思われますが、それに対して父親は父性を発揮できず、存在感の薄い、そして透明な存在に据え置かれているような気がします。
ここで言いたいことは、二つあります。
子どもにとって親は、「友だちにはなり得ない」、そして、「子どもを教育する一番手は親に他ならない」ということです。
だからこそ、母親は父親をある面では立てて、子どもが父親に信頼を寄せる形を作る必要があります。また、父親も母親にすべてを任せ切りにせず、役割分担をしながら、子どもの世界観を広げ、秩序を作る役目を担うべきだと思います。
今日のテーマは、林氏の考え方に負う部分が多くありました。
(以下に著作を紹介しておきます。)
ただ、著作が書かれた10年前と異なる点は、教師の問題(適性や資質等)が大きくなってしまったことと大人の子供化が進んだことだと思います。
従って、この点を考慮に入れた解決法も模索する必要が出て、一層、複雑化の様相を見せているようです。このままでは日本の将来が危ないと思えてきます。
また先日、知り合いの教員の学校でも女児のいじめ問題が教育委員会に訴えられ、急遽、保護者会が開かれたと聞きました。
しかし、そもそもいじめがなぜ発生するのかを根本から考えて、手を加えて行かない限り、対症療法だけでは一時的な減少には寄与しても、根治させることは難しいのではないでしょうか。
私は解決に向けての一つのキーワードが、「父性」であり、父性の復権こそが、荒れた学校現場に泉を湧き出させる処方箋になり得るものと思っています。
今から10年ほど前に、林道義氏の『父性の復権』という小著がベストセラーになり、私もすぐに買って読みました。
当時も「いじめ」問題が存在し、神戸の高校では、遅刻者を見張っていた教師が、始業時刻ぎりぎりに登校して来た生徒を門柱と鉄製校門にはさんで、圧死させるという悲劇も起きたほどでした。これはいじめと言えるかわかりませんが、この事件を見る限り、教師の側の取り締まりの姿勢は見えても、生徒への愛情や長所を伸ばすという教育本来の姿は見えて来ません。
林氏の著作に込められた願いも空しく、その後、いじめはなくなるどころか、益々陰湿化し、深刻な状況にすら陥っています。
現在も差し当たって出口は見えず、昨12月の『教育基本法』改正も、現時点ではどのような成果が出て来るのか不透明に思えます。
いじめの一番の問題点は、「父性をなくした家庭教育の欠如」にあると言ったら、言い過ぎでしょうか。
私は、家庭は社会の最小構成単位であり、そこで暮らす中で、少なくとも以下のことが機能として必要なのではないかと考えています。
1)基本的な躾や礼儀・作法を教える
2)家族の情愛を育み、他人との関わりを教える
3)世の中で起きていることの(善悪)判断力をつける
4)日本固有の文化や親としての価値観を継承する
この機能すべてを母親や核家族化した夫婦だけでできるのかというと、それはできないと思います。それに、スーパーマンはいませんので、親だって知らないことやできないことは多数存在します。それでも、自信を持ち、他人の力も借りて、放棄せずに教えることが大事なのだと思います。
現代の家庭において母性は母親のそれとして存在しているように思われますが、それに対して父親は父性を発揮できず、存在感の薄い、そして透明な存在に据え置かれているような気がします。
ここで言いたいことは、二つあります。
子どもにとって親は、「友だちにはなり得ない」、そして、「子どもを教育する一番手は親に他ならない」ということです。
だからこそ、母親は父親をある面では立てて、子どもが父親に信頼を寄せる形を作る必要があります。また、父親も母親にすべてを任せ切りにせず、役割分担をしながら、子どもの世界観を広げ、秩序を作る役目を担うべきだと思います。
今日のテーマは、林氏の考え方に負う部分が多くありました。
(以下に著作を紹介しておきます。)
ただ、著作が書かれた10年前と異なる点は、教師の問題(適性や資質等)が大きくなってしまったことと大人の子供化が進んだことだと思います。
従って、この点を考慮に入れた解決法も模索する必要が出て、一層、複雑化の様相を見せているようです。このままでは日本の将来が危ないと思えてきます。
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だから、基本法、教師、親とそれぞれのレベルで課題を抽出して、粘り強く取組まないと全然出口は見えて来ないでしょう。
10年単位の大プロジェクトになるんじゃないですか。
すでに教育問題は多方面・多面的に深化、複雑化しており、解決して行くには、累積国債と同じで、数十年単位かかるのではないかと心配しています。
教育再生委員会の動向も気になりますが、教育現場から変わって行くことが、少しでも早期解決するには必要かなとも思います。
話は変わりますが、息子が通う園で、昨年、「親父の会」を発足させて、たまに集まって飲む機会を持つようになりました。まだ、本格的に教育問題を話し合うまでには至っていませんけどね。