ITエンジニアの九十九折(新)

これまで経験したことや考えを思いつくままに綴って行こうと開設しました。マラソンをするように長く続けて行くつもりです。

23.これからのビジネス・キャリアの歩み方(1,226字)

2006-11-29 | Business Career
本日のテーマは、キャリアについてです。

私が所属しているIT業界は、技術進歩の速度が早く、「秒進分歩」で移り変わると言われて久しく、これまで業界全体で右肩上がりの成長を続けて来ました。
そのため、常に何かに追われて仕事に取り組まなくてはならないところがあり、慌しく通り過ぎて来たなというのが実感です。

また、自身のキャリアについても、あれこれ考えを巡らし、節目節目で決断しながら実践してきました。しかし、ここまでのキャリアを振り返ると、正直、「紆余曲折の難産事であった」と言うことができます。

かつて、この業界の構造がまだ単純だった頃には、以下のようなモデルが存在していたように思います。

「プログラマー」→「SE(システムエンジニア)」→「プロジェクト・リーダ」→「管理職」

しかし、新しい技術が開発され、情報システムが大規模かつ複雑化されて来るに伴ない、職務も細分化されるようになり、このような単線的なモデルでは限界が見られ、キャリアを模索する時代に突入したのではないかと思います。

現在の状況はどうかと言いますと、経済産業省の情報処理技術者試験(国家試験)を見ても、14区分に分けて実施されています。これだけを見ても明らかですが、一口にSEと言っても、多種多様な分野・領域が存在していることがわかります。

従って、一事業会社で一様にキャリアプランを用意したり、本人に合う形の研修プログラムを提供することがより困難になっているのだと思います。

最近では、「自立(律)的キャリアを歩む」ということが関連の書籍や論文等で述べられています(例えば、『キャリアショック』高橋俊介著)。

組織内で自立するとは、変な言い方にも聞こえますが、選択の幅が多岐にわたっている以上、予測がつけにくく、会社で予め、キャリアパスを用意したり、本人の意思と無関係に研修を受けさせることは時間と経費の無駄にもつながります。
(その一方で、官民が合同でITスキル標準を体系化して、実務に適用しようとする動きが活発化しています。)
ITスキル標準の詳細は、こちらよりhttp://www.meti.go.jp/policy/it_policy/jinzai/jinzai.htm

ここで重要な事項は、自らがキャリアを選び取るという自主的、能動的な行為だと思います。すなわち、自分の興味・関心(得意)分野から専門領域を定めて、専門性を高め、それに関連する仕事に従事できるように組織内でアピールすることです。

もちろん、本人が望んだからと言って、いつもそれに見合う案件が受注できたり、仕事を用意できるとは限りません。

最後に、これからのキャリアの歩み方には、以下に示す二つの大変さ、困難さが想定されると考えています。

1)職業選択
  細分化された多くの選択肢の中から一つの職業(職種)を選択をする

2)キャリア形成
  定職に就いても、仕事を選び取って、それをキャリア(仕事の実績としての軌跡)につなげて行く

皆さんはどのような考えをお持ちですか?
キャリアについては、今後も何度か取り上げる予定です。
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22.商売繁盛、妻の買い物で気づいたこと(791字)

2006-11-26 | Weblog
先日、妻がアクセサリー(ネックレス)を見たいと言うので、雨模様でもあり、また誕生プレゼントにしたら良いと思い、デパートの売場までついて行きました。

そのときに気づいたことが、「商売繁盛」と「門前市をなす」という言葉でした。
最近、このデパートは百貨店業界の中にあって業績が好調らしく、また話題も振りまいています。例えば、メンズ館をオープンして好評を博したり、他の同業者へ役員を派遣したりということです。

当日も週末の昼下がりも手伝ってか、たくさんの買い物客で溢れ返っていました。
率直に、「うーん、繁盛しているな」との感想を持ちながら、商売繁盛の理由がどこにあるか観察することにしました。

その結果、以下の三点を見つけることができました。

1)小さなテナントが軒を連ね、魅力的な商品を豊富に陳列している
 →アクセサリー売場に限定しますが、有名店が3~4㎡ほどの売場にところ狭しと商品を陳列していました。そして、どの売場にも数名のお客がいて、多くの店員が熱心に接客していました。

2)店員の接客態度が一様に丁寧でそつがない
 →私の周囲にいた店員のしぐさを観察したところの結果からの判断です。

3)雨天時への配慮がなされている
 →プレゼントとして包装を依頼すると、手渡し時に、もし雨天対策が必要であれば、専用カウンターにて申し付けるように案内され、お客への心遣いが感じられました。

今、百貨店業界は、スーパーマーケットやコンビ二エンス・ストア、さらにはディスカウント・ストア等との競争にさらされ、業績を下げているようです(百貨店の売上推移等はこちらのURLより、http://www.depart.or.jp/)。

その中にあって、このデパートは元気が良く、たまにしか買い物をしない私であっても、サービスに接して、上に書いたようなことを感じさせることが好調さに結びついているのではないかと考えながら、お店を後にしました。
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21.中堅・中小企業の実態の一断面と役割(1,031字)

2006-11-21 | Management&Economics
通常、マスコミで取り上げられる企業は、有名企業や超大企業、そして、元気が良く目立つベンチャー企業が大半を占めています(ここでは不祥事等は省きます)。

本日は、日の当たらない中堅・中小企業の実態と役割が、どのようなものであるかを考えてみようと思います。

実態については、以下の四つに絞って考えてみます。

1)経営者の力量
 中小企業の経営者は、創業者自身だったり、オーナーの子息、それに子会社では親会社からの出向経営者であることが多く、経営の行方は、良くも悪くもこれら経営者の力量や感性に左右されることになります。

2)戦略の立案と実行
 大手企業の下請負を主業とする企業も多く、大上段に戦略は立てず、取引先の出方を伺って舵取りを行なうこともあります。また、仮に戦略を立てて臨んでも、途中で変更されたり、頓挫するケースも少なくありません。初志貫徹できるか否かという点が大手企業との差となって表れます。一方で、親会社に対して制約も多いので、その分、言い訳も多くなることが付け加えられます。

3)人材確保
 優秀な人材を確保することが難しく、採用は新人が中心になります。中途採用は粒を揃えるのが容易ではなく、色々な経歴を持った人が混在する結果となり、採用後の統合が容易ではないようです。

4)組織文化
 ワンマン経営が軌道に乗れば、従業員が一丸となって結束し、仲間意識を持ち易いのですが、行け行けどんどんの放漫経営に陥ると組織は沈滞化し、業績を維持するのが困難になります。

こうして見てみると、中小企業の悪い点ばかりを列挙してしまいましたが、全面否定をするわけではありません。それに、中小企業だから事業的に成功しないと断言することもできません。

長所を探すと、大手企業にはない点も多く持ち合わせていることも見逃してはならないと思います。例えば、①小回りが利く、②意思決定が早い、③結果が出易い等です。

最近、日本の上場企業の経常利益が連結(決算)ベースで過去最高という報道も聞かれますが、大手企業とその業績を下支えしているのが、数多ある中小企業の頑張りです。

これら企業の役割は、以下の二つが考えられます。
1)大手の下請けとして動く
2)独自技術を持ち、大手と補完関係を保つ

なお、元気な中小企業を毎回、取り扱っている媒体として、『日経ビジネス』の「小さなトップランナー」があります。
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20.ポスティングとメジャーリーグ・ビジネス(1,055字)

2006-11-20 | Sports&Health
先日、西武ライオンズの松坂大輔投手が、ポスティング制度を利用して、米国のメジャーリーグへ移籍することを表明し、入札が行なわれた結果、アメリカン・リーグのボストンレッドソックスが約60億円の入札額で落札し、交渉権を得たと報道されました。
ここでは、日米の両方から野球に対するビジネスの違いについて考えてみることにします。

まず、米国側からの一つの見方を示します。
レッドソックスは、先物取引で名を馳せた敏腕投資家がオーナーに就任し、名門復活をかけて改革を進めて来ており、一昨年のワールドシリーズで86年ぶりに6度目の世界一に輝いたことはまだ記憶に新しいと思います。

今回の松坂獲得に向けても、大きく二つの視点から巨額の投資に動いたと見られます。一つは、先発投手を充実させるという目的があります。背景には、昨年は健闘しながらも地区シリーズで敗退、そしてリベンジで臨んだ今年は先発投手不足に泣き、地区3位に終わり、苦戦したことが挙げられます。松坂には即戦力(場合によっては大黒柱)として大きな期待が寄せられています。
もう一つは、対決の構図を作り、ジャパンマネーを引き寄せる効果を狙っていることがあります。松坂を同一リーグに入団させれば、マリナーズ・イチロー選手やヤンキ-ス・松井選手と対決する機会が何度も訪れ、エンターテイメント(演出効果)を高めることができます。それにより、日本人の観客動員を増やし、さらに日系企業の看板広告を誘致し、増収増益を期待することができます。 同オーナーは、ROI(投資利益率)のそろばんをしたたかにはじき出した上で、気前良く大金を支払うことを決断したようです。

次に日本側について示します。
松坂の場合、「小学生からの憧れだったメジャーでプレイしたい」という夢を実現させるために、本人の意志に、半ば球団側が折れる形となり、その夢を実現させる代わりに、西武は相手球団から移籍金を獲得することになります。その移籍金ですが、選手の年俸や球団の運営に充当すると言われています。他の選手の場合もポスティングには似たような傾向を見ることができます。

両方を比較すると、日米でビジネスに関するスタンスに大きな差異があることがわかります。
こうしたスポーツビジネスのダイナミズムや選手の傾向を理解しないまま、日本のプロ野球を改革しようと議論しても、明確な戦略無しには本場に勝てる見込みはないような気がしています。

ポスティング制度とレッドソックスの詳細は、以下のURLをご参照ください。
http://jpbpa.net/topics/04.htm
http://www.major.jp/news/news20061115-18559.html
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大人がいない?!(972字)

2006-11-15 | Weblog
最近、連日のように痛ましい事件や残虐な行為がマスコミをにぎわせており、「またか」という思いと共に、暗澹たる気持ちにさせられてしまいます。

さて、定点観測のため、最寄駅近くにある中規模の書店にときどき立寄りますが、いつの頃からか、『大人がいない』や『大人が危ない』という書名の本が目に付くようになりました。

そして、あるとき、新聞のコラム欄で、「ある知り合いのオーナーがいて、その人が古くから渋谷に所有して来た小劇場を最近、大人がいなくなったと言い残してさっさと閉めたのが非常に残念であった。」と紹介されているのを読みました(うかつなことに、掲載日や筆者は失念しました!)。

私は、大人と子供を区別しているのは、次の三つが大きいファクターであると考えます。すなわち、
①自立(自活)しているか
②責任を果たせるか
③社会(環境)への適応力があるか
ということです。

①が覚束ないとすべてにおいて前提が成り立ちません。
それでは、②や③については自問自答して、それぞれにどういう答えが返って来るでしょうか?

本来であれば、自己の責任をきちんと果たしており、かつ社会への適応力を持って自立して生きていると自信を持って言える大人が大半を占めるようでなければならないのでしょう。

しかし、昨今は、色々なコメンテイターから「実年齢の八掛けがちょうど収まる」と言われたりしており、大人の若返り≒幼稚化に拍車が掛かっている状況にあるとさえ思われます。

適応力を欠き、さらに責任回避や責任転嫁をする人が増えているとしたら、この国の将来は非常に憂いを帯びたものになって来ます。

なぜなら、子供は大人の背中を見て育つからです。
大人は模範を示す義務があることを忘れ、子供と一緒になって同一レベルに近い行動を繰り返すようでは、「おとなこども」と揶揄されても仕方がありません。

私が子供時代には、当時の大人の自由さと貫禄(余裕)に憧れを持ったものでしたが、今の子供たちは模範となる大人が身近にいないせいか、モラトリアム状態が続き、いつまで経っても大人になり切れなくなったのではないかと思っています。

かく言う私も、きちんと責任を果たしているか、分別をつけているか、にわかに自信がなくなって来ました。
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ブログ流行の理由(757字)

2006-11-14 | Weblog
早いもので、私がブログを開設して、ひと月が過ぎました。

内容はまだまだ完成の域に達したとは口にできないため、それは二の次に置くとして、本当に続けられるのかを一番に心配しました。しかし、意識的にネタ探しをすることで、何とか最初の苦しい立ち上げ期を乗り切ることができたように思います。

さて、「Gooブログ」の総数を見ると、約67万件も開設されていることがわかり、その数に驚くと共に、ブログという便利なツールの登場によって、万人に情報発信の文化が創生されて来つつあることを実感することができます。

先日、新聞の夕刊に劇作家で演出家でもある永井愛氏のブログに関するインタビューが掲載されていましたので、ここで一部を紹介します。

永井氏によると、
「ブログを始める人が増えている背景には、自分を他人に見せることが自らを確認したい、大げさに言えば、生きている証しをつかみたいのではないか。」
「書くことは自分を記録すること。記録しないと、漠然とした記憶やイメージだけで過ごしてしまう。」
と分析されていました。

私自身が開設した動機の中にも、これまで経験したことや考えを思いつくままに綴ってみたいという欲求(発意)があり、誰かに何かを伝えることで自分の拠り所を確認するということが根底にあるのだと思っています。

大半のブログは日常のありさまを記録した他愛の無いものばかりですので、当人や一部の関係ある人以外には、あまり有用と言える情報は少ないのかもしれません。

しかし、情報を受け取る一方だった人たちが、自ら発信するようになったことが大きな変化であり、ブログ発の単行本の刊行や新たなコミュニティの形成が私たちの文化や暮らしに貢献することにつながれば良いと期待を寄せています。

参考:「夕刊文化欄」『日本経済新聞(夕刊)』2006年11月8日号
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夜のリラクゼーションタイムとジャズ(775字)

2006-11-09 | Hobby

私の趣味の欄には「ジャズ」が入っていますので、一度、触れておく必要があると思っていました。本日のテーマはジャズです。

我が家は共稼ぎ(double income)のため、平日は朝から非常に時間に追われる状態が続いています。 子供は一人しかいませんが、未就学児でまだ手がかかることも「時間がない」と思わせる要因となっています。(子供は子供なりに頑張っていると評価しています。)

さて、誰でも1日のうちでオフタイムは必要で、仕事や職場の緊張感から解放されると、少しはほっとしたいと思うものです。 私の場合、リラクゼーションタイム(relaxation time)と言えるのは、夕食後、入浴から就寝するまでの僅かな時間に限られます。

その中でも、毎週水曜日21時30分から25分間だけ放送される『NHKラジオときめきジャズ喫茶』を聴きながら入浴するのが格別なひとときになります。

この番組は、俳優で先月亡くなられた藤岡琢也氏と写真家の浅井慎平氏の二人が隔週でマスターを務め、それぞれのジャズの思い出やミュージシャンのエピソードなどを紹介しながら、ディスクジョッキー形式で進められます。番組はもう3年ほど続いていますが、この中で流される3,4曲を二人の軽妙な語り口で聴くのを楽しみとしています。

平日の忙しい最中だから、30分足らずというすきまの時間帯を埋める番組編成方針が、却って視聴者にも好都合になっているような気がしています。

「ジャズは砕けすぎてよくわからないから嫌いだ」と言う友人もおりますが、私はクラッシック(特にシンフォニー)もどちらも好んで聴きます。私にとって、シンフォニーからは元気を、そしてジャズからはリラクゼーションをもらうことができるのです。

もっとも、ここ数年はあまりじっくりと聴く時間が取れていませんので、時間を作ってライブに出掛けたり、CDを聴きたいと思います。

参考: http://www.nhk.or.jp/radiodir/jazz/

 

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横並びに見る日本人の意識構造(826字)

2006-11-08 | Weblog

先日、高校の社会科で必修科目であるにも拘らず、学校側が虚偽の履修計画書を作成して管轄の教育委員会へ提出し、生徒に履修させずにいた事件が発覚しました。

その後、相次いで履修漏れが明るみに出て来たことを重く見た文部科学省が通達を出して集計したところ、出るわ、出るわ、芋づる式に全国各地から何と540校(全国高校設置数の1割相当)が履修漏れを起こしていたがことがわかりました。

このことからも未だに「みんなで渡れば怖くない」式の不正行為が公然と行なわれていることを知り、とても残念な思いがしました。 これは、後を絶たない公共工事を中心とする談合事件(最近厳しい摘発を受けています)の問題と本質は同じものに思えています。

 今日は、事件が起きてしまった原因ではなく、何故起きてしまうのかに焦点を絞って考えてみたいと思います。

誰かが嘘の計画(カリキュラム担当者)を作り、仮に内部で承認(学校長)されたとしても、外部や第三者(教育委員会)が客観的に評価して、これはおかしい、不正であるという意見を述べるような仕組みが整備されていれば、不正や違法行為はある程度は防ぐことができます。この際、書類審査だけではなく、実際の立会い検査が必要となります。 これは企業会計、すなわち上場企業の会計(法定)監査等で採用されている考え方です。

それでも、犯行がエスカレートして巧妙になり、客観的立場の人まで巻き添えにしてしまうと、米国のエンロン、ワールドコム、日本のカネボウ事件のように会計士まで不正に加担し、全く牽制機能が働かなくなってしまいます。

私たちの意識構造と言うより、人間が持っている弱さは簡単には変えられないものがあります。そのため、制度や仕組みを変えて行くしか、これらの事件を防ぐ手立てはないのだと思います。最近、日本のビジネス界でも「内部統制」というキーワードが大流行しています。しかし、こうして、関連する法律や条令が増えて行ってしまうのです。

 参考: http://www.asahi.com/edu/news/TKY200611010184.html 

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ゆとりを楽しむこと(897字)

2006-11-07 | Weblog

かつて、「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という交通標語が流行したことがありました。

近頃感じることですが、私たちは西暦2000年代に入り、また戦後60年を過ぎて、本当に公私の生活にゆとりを持てていると実感できているでしょうか。

先を見過ぎてはいないか、先の幸せを追い求めていないか。また、求めることばかりに夢中になって、味わうことを十分体験していないのではないか。次々に疑問が湧いて来ます。

そして社会も企業も学校も、老若男女も、改めて何かに突き動かされているのではないかと思えて来る昨今のご時世です。

私はヨーロッパを旅したことはありませんが、以前、旅行した人から「あちらには成熟した文化的な香がする街が多い。」「古い街並みを大切にしている。」という話を聞いたことがあります。

そこからは落ち着いた佇まいや住む人たちのゆとりを連想してしまいますが、翻って私たちが住むオフィス街や住宅街はどうでしょう。一部の古都(鎌倉や奈良等)や都市を除き、喧騒の只中にあるような街や家並みが非常に多いように感じられます。
これも十全な都市計画を策定しないまま、開発を優先させた高度経済成長と効率重視の所産と言えるものです。

ところで幸せを求める対象は各人各様で一つずつ異なるものです。
人は大きな夢を実現させようと思うとき、その夢を実現させるために必要な時期に集中して努力を傾けようとします。
その一方、小さな夢だと、手に入れることが比較的容易なために、手に入れてもそれで満足できないという人間の習性(飽くなき欲求の追求)が働いてしまうことが考えられます。

東洋の心として「足ることを知る」という言葉があります。
最近、私たちは分不相応のことを望み、叶えられずに苦しみ、焦ってさらに急ぐという悪循環を繰り返しているような気がします。今一度、言葉の意味を噛みしめて問い直したいと思います。

どうも思ったようにまとまらず、大雑把なままここまで来てしまいました。つくづく知識の無さを痛感しました。

ゆとりは個人の感じ方の問題かもしれませんが、一度取り上げてみたいと思っていました。続きはまたの機会に譲ることにします。最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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入り鉄砲と出女

2006-11-06 | IT(ICT)

これは、江戸時代に関所が設けられていた時に使われた言葉らしいのですが、現在の情報セキュリティの考え方に通じる便利な言葉にもなっています。

江戸幕府は主要街道に関所を設け、江戸市中に出入りする人及び物資を厳しく制限しており、その中でも、特に鉄砲の流入と大名子女の流出には監視の目を光らせていたと考えられます。

と言うのも鉄砲は武器として、また大名子女は人質として脅威や価値を有するものであり、これらの流入や流出により、治世が脅かされることになるのは明らかです。

従って関所は、江戸幕府を守る最前線の要塞として重要な職務を担っていたと考えることができます。

このような境界線は、国の内外を問わず、人類が定住を始めた古代より領土の境界やお城の城郭として見ることができます。これを情報セキュリティの世界ではぺリメータモデル(perimeter model)として抽象化して考えています。

すなわち、外敵から身を守り、陣地を安全な場所として確保するという考え方です。

最近、情報セキュリティの強化や個人情報の漏えい防止等国家や企業が総力を挙げて対策に取組んで来ており、また採用される技術も進化していますが、基本となる考え方は昔から存在していたという事実を知ると戦記や歴史小説等から重要なヒントをもらえるのではないかという気がして来ます。

参考:
『セキュリティはなぜ破られるか』岡嶋裕史著(講談社ブルーバックス)

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トヨタの戦略、ホンダの目論見

2006-11-02 | Management&Economics

今日は自動車製造・販売会社の二つの対照的な戦略について見てみようと思います。

両社とも日本を代表する自動車メーカであり、世界でも十傑に入るグローバル企業であることは、周知の通りで、今さら触れるまでもないことです。 しかし、両社にはそれぞれ異なるビジョンやフィロソフィ(経営哲学)があり、その違いに興味を惹かれます。

トヨタは昨年、「世界ナンバーワンになる」という強気とも取れるグローバル戦略を打ち出しました。しかし、今や米国GMに次ぐ生産台数(海外生産分を含む)を誇り、しかもその差は年々縮小して、もはや僅差となり射程圏内にあることから、現実性を帯びた戦略として注目されます。

何と言っても、トヨタの強みは「リーン生産方式」と呼ばれる独自の生産システムを確立していることであり、また、大衆車市場でも圧倒的なシュア(国内40%台)を占めている点に特徴を見ることができます(カローラの場合)。それでも、現在の繁栄は、過去の朝鮮戦争特需の時期に品質問題から大量返品を受け、瀕死の憂き目にあった苦い経験からの再出発に基づいており、失敗を糧にしていることは、一般にはあまり知られていないようです。

一方、ホンダは戦後、本田総一郎(故人)によって創業され、二輪車製造から出発して基盤を作り、その後、四輪車にも進出し、最後発ながら、自動車メーカとしての地位を不動のものにしました。

ホンダのビジョンは、現在使っている標語である「The Power of Dream」に集約されているのかなとも思います。

と言うのも、世間をあっと驚かすニュースに事欠かないからです。かつて、F1レースで圧倒的なホンダ・パワーを見せつけてグランプリを席巻したかと思うと、二足歩行型ロボット「ASIMO」の開発に乗り出して、話題をさらい、そうかと思っていたら、今度は何と、小型ジェット機を開発し、米国市場で売り出すというニュースが飛び込んで来ました。

この話には逸話があり、何でも、創業者が40年程前に、社告として新聞に軽飛行機のデザイン募集をしたことがあり、反応が少なく、その後、しばらくは皆がそれを忘れていたそうです。しかし、ある時、そのことを社内のエンジニアが言い出して、それから20年の歳月をかけて、自前のジェットエンジンと機体を設計して実用化に目処をつけたというのです。航空機の分野で両方の設計を自前で行うことは非常に珍しいそうです。

これらを総合すると、トヨタには「堅実」が、ホンダには「挑戦」という言葉が似合うと個人的には思います。もちろん、トヨタに挑戦の気風がないわけではありませんし、ホンダに堅実さがないと言っているわけでもありません。要するに企業風土の違いに根ざしたものと言えます。

トヨタもホンダも日本、あるいは世界の代表企業として、地球環境や国際経済問題に配慮しながら、これからも長きにわたって良きライバルとして存続して欲しいと思います。

参考:

http://www.toyota.co.jp/jp/vision/index.html

http://www.honda.co.jp/guide/dreams/philosophy/

 「技術フロンティア 夢をかなえた技術者たち」

 『日経ビジネス』(2006年10月2日号)P.160-P.163

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ブログを開設しました

2006-11-01 | Weblog

ようこそ、MyBlogへ

本日、ブログを開設しました。

と言っても、他所で1ヶ月ほど運用しておりました。

そこが海外サイトだったため、こちらへ移そうと思っているところです。

前回同様、皆さまから、「開設した以上、3日坊主で終わらせるなよ」という激励の声が聞こえてきそうです。気張らず、気負わず、細く長く続けて参ります。

なお、過去分の記事はこちらより、ご覧ください。

http://kuwakuwa.blogspot.com/

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