散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

武相寅歳薬師5番・大蔵寺

2010年05月01日 | ☆横浜じゃん

地名は、中山町(横浜市緑区)。
曹洞宗。本尊は、釈迦牟尼佛。薬師如来を守本尊とする。
開創は、後鳥羽天皇の御代(1183-1198)とされ、鎌倉浪人・兵衛尉相原左近(源頼朝家臣)が頼朝の弔いと相原家の菩提寺として建立したと言い伝えられる。
天皇警護の組織として、左右の近衛府、衛門府、兵衛府があり、兵衛尉は兵衛府の尉という官位をいい、左近は左近衛府を意味する。
現在の寺の位置から東へ100mほどのところに、開創時の寺があったが、慶長年間に焼失し、相原左近の屋敷跡を境内地として現在の場所に再建された。
江戸中期享保年間に多くの里人が亡くなるという疫病が大流行、当時の住職は37日間の薬師如来千部経法会を行い、里人の病気を平癒させたことから、厄除薬師として厚く信仰されるようになった。


曹洞宗の祖・道元が 仏教の正法を求めて、中国(宋)に渡り、天童山で修行中、悟りを得、宗派を開くきっかけとなった逸話を伝えるモニュメントがある。
以前、映画「禅」についてのブログの中では、コメントしていない逸話だ。
道元を中村勘太郎さん、老典座を笹野高史さんが演じていたが、とにかく笹野さんが出てくると、緊張感が解けてしまうので困ったシーンだった。
その逸話の解説は、ここではやめておこう。


目を転ずると、閻魔大王の石像がある。
解説には、邪見をくじき悪を正し善へ導き慈悲心をもって判定し平和と平等を与える仏とある。
ほかにも、西村おたすけ稲荷社とか、法華塔、観音菩薩、第二次大戦戦死病没者の慰霊碑・英霊之碑、それに写真ギャラリーなど、結構楽しませてもらえる。


この寺には、今の中山小学校の前身・新治小学校が明治時代にあった。
そもそもは江戸時代に寺子屋を開き、多くの子どもたちに手習いを教えていたことによる。
その筆塚が墓地内にあるのだけれど、よくある筆塚と異なり、寺子屋で教えていた住職の墓碑と組み合わされているのが面白い。
その筆塚には、臺村、中山村、白根村、俣野村、猿山村、佛向村、佐江戸村、麻布十番、中山村の筆子中とあり、ずいぶん広範囲にわたっていたことがわかる。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 武相寅歳薬師6番・宝塔院 | トップ | 武相寅歳薬師4番・萬藏寺 »

コメントを投稿

☆横浜じゃん」カテゴリの最新記事