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筒井康隆著「誰にもわかるハイデガー」復習 1

2023年08月19日 | ハイデガー

 

昨日の朝の虹。

 

7月から始まった斜め上の階の改装工事も今月末で終わる。

音がちっとも気にならなかったのは、職人さんたちの腕がいいからなのだろうと思う。

 
 
 

筒井康隆著の「誰にもわかるハイデガー」を読んでいる。

 

現存在(人間)は、平均的日常性を平均的に、ごくあたりまえにさしあたって生きている、わたくしもその部類に入ると思われます。

現存在(人間)は、自分を気遣い生きている。

なぜ、自分を気遣い生きているのかというと、いつか死ぬし、まあ、基本的なことだと思います。

 

その自分は、身の回りにある道具も気遣うんです。

その道具たちを道具的存在者と言っています。

わたくしのまわりあるパソコン、建物であるマンション、電車、バス、あべのハルカスビル、都市など、そういうものも全て道具としてハイデガーは扱っている。

 

そういうものを通して、自分を気遣っている。

 

部屋をリフォームするのもそう、エレベーターを掃除するのもそう、火災保険に加入するのもそう、自給自足もそう、働くのもそう、ボランティアもそう、断捨離もそう、すべて配慮して気遣っているのは、道具的存在者に対しての配慮的気遣いなのです。

人間は、自然を自然として見るのではなく、すべて道具として見るというのは、まあ、そうなんだと思う。

現存在である人間は、道具を認識されて存在するんではなくて、最初から道具を了解している。

そういう現存在(人間)のことをハイデガーは、世界内存在と言ってます。

 

自然の草木とか動物、雨、地球、太陽などの事物は、事物的存在者といい、事物的存在者道具的存在者の背後にあるもので、例えば、自動車という道具的存在者の背景には、ガラスとか鉄板、ゴム、ビニールとかが満然にあります。

道具の背後には事物的存在者である自然の事物があるわけです。

 

なぜ、人間である現存在に対しては「」をつけないのかというと、まあ、人間のことなんだけど、自分の存在を引き受けて存在しているので、実存という存在の形なので、現存在と言っているのです。

自分の存在を自分で引き受けて生きていく、その実存という存在のしかた、それが現存在なのです。

 

 

うちにある植物のサンスベリアは事物的存在者のひとつなのかしら、だけどこれコーナンの園芸店で買って背景としては、事物的存在者だったのが、ビジネスのために人間の手によって処理されたので、道具的存在者に変化したともいえるのかしら、どっちなのか。

 

ハイデガーは、もっと、わたくしたちは、事物的存在者を意識して気遣いをしてその背景にあるこちら側にある道具的存在者として現象化しているのだということに目を向けなさいと言っているのだろうか。

そういう意識が、現象としての現れ方として、あなたはわたしに通じるようにも思う。

 

つづく。


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