めご の ひとりごと

ほぼ ひとりごと と おぼえがき

ブラタモリ 鳴門

2019-03-16 | ぶらたもり
#129 鳴門
~鳴門が四国の玄関口になるとは?~
放送日:2019年3月16日(土)

◆鳴門の渦潮
干満の差と海底地形による


◆今でも鳴門は玄関口

◆鳴門海峡ではなく小鳴門海峡を通っていた



◆撫養街道は中央構造線上



◆讃岐山脈が途切れた
泥岩地質だったから






◆八十八ヵ所は撫養街道から


◆お遍路さんが伝えた大谷焼は藍甕に



◆第一次大戦の捕虜収容所
ドイツ兵にもお接待しソーセージの作り方を教えてもらう
第9初演奏
第9の歌詞がお接待文化に同じ






★★★★★
NHK公式ホームページより

舞台は「渦潮」であまりにも有名な徳島県・鳴門市。兵庫県の淡路島と鳴門海峡をはさんで差し向かい。「大鳴門橋」までつくられた四国の玄関口です。
でもここ、実は橋ができるずーっと前から、四国に来る旅人の多くが足を踏み入れた場所。激しく危険な渦潮があるのに、なぜそんな重要な場所に?そこには鳴門海峡の横にあるもうひとつの「細長い海峡」と、四国の内部まで続く街道があったから。そのいずれもが、全国レベルのダイナミックな大地の動きによって生まれたものだったって、どういうこと!?しかもそれは、「渦潮」さえも生み出した!?次々に明かされる衝撃の事実にタモリさん大興奮!
鳴門が玄関口になったおかげで、四国には大勢の旅人が。彼らの名は「お遍路さん」。実はここ鳴門、四国八十八ヶ所の最初の霊場(札所)がある場所。タモリさんも遍路衣装を身にまとい、心静かに実地体験。「お遍路をしたい心境になってきた」…タモリさんがつい漏らした本音とは?
お遍路が鳴門にもたらしたもののひとつが、「焼き物」。その意外な使用目的とは?そして、斬新すぎる製作方法とは?
お遍路をもてなす「お接待」という文化が根付いた鳴門。人々にもてなされた中には、お遍路さんだけでなく、なんと外国人も?およそ100年前、鳴門を舞台に行われた、心温まる交流秘話とは?そして、日本で最初に演奏された「あの名曲」とは!

オープニング

01:鳴門海峡
ブラタモリ鳴門。スタートは鳴門市と淡路島をむすぶ大鳴門橋の近くから。
<番組のコースを巡る定期船はありません>
02:“鳴門が四国の玄関口になるとは?”
渦潮で有名な海の難所が、なぜ四国の玄関口になったのか?その謎に迫ります。

玄関口になった理由

01:小鳴門海峡を知る
細長く穏やかな小鳴門海峡を通ることで、船は安全に四国にやって来ることができます。
02:撫養(むや)街道
四国全土につながる幹線道路です。鳴門はそのスタート地点です。
03:傾斜している土地
街道が周りの土地より高い場所を通っているのが分かります。
04:傾斜している道
ここも緩やかに傾斜しています。
05:撫養街道の立地を知る
撫養街道の通る高まりは、日本で最も長い大断層・中央構造線の影響で生まれました。
06:中央構造線の上を歩く!
タモリさん、初めての中央構造線ウォークに上機嫌!
07:港と街道をつなぐ山の切れ目
目の前は讃岐山脈、後ろは妙見山。
元々ひとつづきだった山がこの辺りで切れています。

お遍路

01:一番札所
四国八十八ヶ所の霊場、札所を巡る「お遍路」。その1番目となる場所です。
02:一番札所(霊山寺)でお遍路体験
お参りの証しとなる「お札」に名前を書いて納めることから「札所」の名がつきました。
03:大谷地区
先に見えるのは登り窯。平地に築かれたものとしては日本最大と言われます。
04:大谷焼
200年ほど前、九州から来たお遍路さんが伝えた技術をもとに生まれました。

お接待の精神

01:100年前の兵舎の跡
第一次世界大戦で捕虜になったドイツ兵の収容所がありました。
02:ドイツ兵の慰霊碑
捕虜たちは温かく迎えられ、地元の人々と交流していました。

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