<大型ドキュメンタリーシリーズ>
『ローマ街道物語~全長15万キロの旅~』
◆ローマ帝国の属州の遺跡が沢山見られて興味深かった。
◆ローマ史専門家や塩野七生さんの話だと興味がわかないんだけど、ヤマザキマリさんの話だと興味がわく不思議(笑)。
◆ローマ帝国が滅んだ200の理由の中のひとつ、
『フン族の侵攻によりゲルマン民族が難民となりローマ帝国内に侵入』
なんかシリア内戦により難民となったシリア人がEU域内へ移動と似てる・・・。
『ローマ帝国に寛容さがなくなった』
一神教であるキリスト教を国教にしたことで、団結するためにはよいが、それ以外の価値観を排除して、それに頼って考えなくなる弊害。
多神教は神を信じてはいるが、ある意味信じていない部分もあり、自分でしょうがないことだと考えたりする余地がある。
そういう考え方があるのか・・・八百万の神々万歳(笑)。
★★★★★
公式ホームページ
第1話「すべての道はローマに通ず~街道の起点ローマ~」
【今回の放送日時】2015年12月23日(水)17:00~18:55
「すべての道はローマに通ず」の言葉通り、ローマから放射線状に延びる全長15万キロのローマ街道。その街道は今でも引き継がれ、国道1号線=アウレリア街道、国道7号線=アッピア街道というように現在の国道と重なっている。全6回シリーズ、第1話は、帝国の中心地、街道の起点であるローマからはじまる。町全体が巨大な遺跡ともいえるローマ。帝国統治の心臓部フォロ・ロマーノ(広場)から出発。剣闘士たちが市民を喜ばせたコロッセオ、そしてカラカラ浴場、2000年近く堅牢で、現在も内部見学可能なパンテオン(神殿)など、帝国の栄華、皇帝たちの業績の数々を訪ねる。
そしてカッシア街道にある「テルマエ」(浴場)や、ティブルティーナ街道を通り、広大な帝国各地を旅した皇帝ハドリアヌスがローマ近郊ティボリに作ったまるでひとつの町のような広大な別荘にも足を伸ばす。
第2話「すべてはこの道から始まった 街道の女王~アッピア街道」
【今回の放送日時】2015年12月24日(木)17:00~18:55
「ローマ街道物語」第2話の舞台はアッピア街道。イタリアの首都ローマから、イタリア半島のかかと、ブリンディシまでを結ぶこの街道は、ローマ街道の手本となり「街道の女王」と呼ばれた。アッピア街道を辿れば、さまざまなローマの歴史が見えてくる。
首都・ローマの旧市街地には数多くの古代ローマ遺跡が存在する。
ローマの顔とも言われる円形闘技場・コロッセオ、目を奪われるドーム状の神殿・パンテオン…。そしてローマ帝国の中心地であったフォロ・ロマーノには古代ローマ帝国の繁栄をうかがわせるさまざまな遺構が残る。
その中にあるモニュメント「黄金の里程標」は全てのローマ街道の出発地点。そして今から2300年前、紀元前312年に、記録に残る最古の街道「アッピア街道」の建設が始まった。その長さはおよそ550km。日本であれば東京~大阪間ほどの距離にあたるこの街道。その始点であるサン・セバスティアーノ門から、今回の物語がスタートする。
2300年前とは思えないほどの技術力と構造で作られたアッピア街道が、現代の文化にどのような影響を与えたのか。当時の食文化、現存する遺跡などに触れ、知られざる物語を紐解いてゆく。
第3話「海の道、川の道」
【今回の放送日時】2015年12月25日(金)17:00~18:55
地中海全体を「わが海」として、船で駆け巡った古代ローマ人。ローマ帝国の繁栄は海の道、川の道によってもたらされたものであった。
例えばテムズ川河口から牡蠣、北アフリカから小麦などの食料が、船で、ローマの外港オスティアに運ばれ、市民に安価に提供されていた。
「海の道」は、オスティアから、カルタゴへのアフリカルートを航海する。
「川の道」は、古代ローマ人が持ち込んだワインを運搬するワインルートであり、現代でもクルーズ人気が高いローヌ川を遡る。
第4話「辺境街道をゆく~フランス・スペイン・イギリス~」
【今回の放送日時】2015年12月28日(月)17:00~18:55
ローマ帝国は地中海沿岸から、外に広がり大帝国となった。
今回は、拡大した領土3地域の街道を旅する。
フランスのアグリッパ街道は港湾都市アルルから、ガリア最大の都市リヨンまで。
水道橋と道路を兼ねるポン・デュ・ガールなど建築技術の粋を眺める。
また、スペインの「銀の道」は、セビリアからヒホンまでイベリア半島を縦断。
この道はスペイン北部で採掘された金銀などの豊かな鉱物資源をローマに 運ぶために築かれた。メリダを始めとしたローマ遺跡群のみならず、イスラムに由来する遺産も数多く残る、歴史と変化に富んだルートを辿る。
そしてイギリスでは、ロンドン(ロンディニウム)とコルチェスター(カムロドゥヌム)をつなぐ道へ。
ケルト民族との「ワトリング街道の戦い」として知られる地域を訪れる。
第5話「民族の十字路・東方世界への道」~ブルガリア・トルコ
【今回の放送日時】2015年12月29日(火)17:00~18:55
古代から数多くの民族が交差した、まさに東西文明の十字路が バルカン半島、小アジアと呼ばれた地域。
今回は、後に東ローマ帝国となった地域の一つである、バルカン半島を横断するディアゴナリス街道を旅する。
ブルガリアの首都ソフィア、最も大きく美しいと古代ローマ詩人に歌われたプロヴィディフ、そして東西世界の交差点イスタンブールなどを訪ね、ローマ帝国の歴史を紐解いて行く。
イスタンブールは、西ローマ帝国が滅びた後も、コンスタンティノープルとして、15世紀まで東ローマ帝国の首都として永らえた地。
ローマ帝国ゆかりの最後の首都には、どのようなローマの軌跡が残されているのか。
第6話「ローマ帝国の栄枯盛衰」
みどころ
【今回の放送日時】 2015年12月30日(水)17:00~18:55
“ローマ街道物語”。今回はいよいよ最終話となる第6話を放送。
皇帝のリーダーシップや、建築技術、帝国を繁栄に導いてきた力とはいったい何だったのか。
そして帝国内に縦横に張り巡らされた街道は、陸上だけにとどまらず川・海上の道へも続いていた。その交通網が人、物資の交流を盛んにさせ、ローマ市民の贅沢な生活を支えた。また現在とほとんど変わらぬ水道設備で、大量に水を消費する公衆浴場など健康と娯楽が生まれた。
豊富な食料、物資が運ばれ市民を満足させたローマ式市民生活が帝国の安定に寄与した。
ローマ帝国には、他の地域の技術や芸術、宗教を否定することなく自分たちのものとして取り組み、発展させていく寛容性があった。
そのような形で発展したローマがなぜ滅亡するに至ったか。
最終話となる今回は、ローマ帝国が広大な領土を維持し、長く続いた理由、そして滅んだ理由を紐解いて行く。
『ローマ街道物語~全長15万キロの旅~』
◆ローマ帝国の属州の遺跡が沢山見られて興味深かった。
◆ローマ史専門家や塩野七生さんの話だと興味がわかないんだけど、ヤマザキマリさんの話だと興味がわく不思議(笑)。
◆ローマ帝国が滅んだ200の理由の中のひとつ、
『フン族の侵攻によりゲルマン民族が難民となりローマ帝国内に侵入』
なんかシリア内戦により難民となったシリア人がEU域内へ移動と似てる・・・。
『ローマ帝国に寛容さがなくなった』
一神教であるキリスト教を国教にしたことで、団結するためにはよいが、それ以外の価値観を排除して、それに頼って考えなくなる弊害。
多神教は神を信じてはいるが、ある意味信じていない部分もあり、自分でしょうがないことだと考えたりする余地がある。
そういう考え方があるのか・・・八百万の神々万歳(笑)。
★★★★★
公式ホームページ
第1話「すべての道はローマに通ず~街道の起点ローマ~」
【今回の放送日時】2015年12月23日(水)17:00~18:55
「すべての道はローマに通ず」の言葉通り、ローマから放射線状に延びる全長15万キロのローマ街道。その街道は今でも引き継がれ、国道1号線=アウレリア街道、国道7号線=アッピア街道というように現在の国道と重なっている。全6回シリーズ、第1話は、帝国の中心地、街道の起点であるローマからはじまる。町全体が巨大な遺跡ともいえるローマ。帝国統治の心臓部フォロ・ロマーノ(広場)から出発。剣闘士たちが市民を喜ばせたコロッセオ、そしてカラカラ浴場、2000年近く堅牢で、現在も内部見学可能なパンテオン(神殿)など、帝国の栄華、皇帝たちの業績の数々を訪ねる。
そしてカッシア街道にある「テルマエ」(浴場)や、ティブルティーナ街道を通り、広大な帝国各地を旅した皇帝ハドリアヌスがローマ近郊ティボリに作ったまるでひとつの町のような広大な別荘にも足を伸ばす。
第2話「すべてはこの道から始まった 街道の女王~アッピア街道」
【今回の放送日時】2015年12月24日(木)17:00~18:55
「ローマ街道物語」第2話の舞台はアッピア街道。イタリアの首都ローマから、イタリア半島のかかと、ブリンディシまでを結ぶこの街道は、ローマ街道の手本となり「街道の女王」と呼ばれた。アッピア街道を辿れば、さまざまなローマの歴史が見えてくる。
首都・ローマの旧市街地には数多くの古代ローマ遺跡が存在する。
ローマの顔とも言われる円形闘技場・コロッセオ、目を奪われるドーム状の神殿・パンテオン…。そしてローマ帝国の中心地であったフォロ・ロマーノには古代ローマ帝国の繁栄をうかがわせるさまざまな遺構が残る。
その中にあるモニュメント「黄金の里程標」は全てのローマ街道の出発地点。そして今から2300年前、紀元前312年に、記録に残る最古の街道「アッピア街道」の建設が始まった。その長さはおよそ550km。日本であれば東京~大阪間ほどの距離にあたるこの街道。その始点であるサン・セバスティアーノ門から、今回の物語がスタートする。
2300年前とは思えないほどの技術力と構造で作られたアッピア街道が、現代の文化にどのような影響を与えたのか。当時の食文化、現存する遺跡などに触れ、知られざる物語を紐解いてゆく。
第3話「海の道、川の道」
【今回の放送日時】2015年12月25日(金)17:00~18:55
地中海全体を「わが海」として、船で駆け巡った古代ローマ人。ローマ帝国の繁栄は海の道、川の道によってもたらされたものであった。
例えばテムズ川河口から牡蠣、北アフリカから小麦などの食料が、船で、ローマの外港オスティアに運ばれ、市民に安価に提供されていた。
「海の道」は、オスティアから、カルタゴへのアフリカルートを航海する。
「川の道」は、古代ローマ人が持ち込んだワインを運搬するワインルートであり、現代でもクルーズ人気が高いローヌ川を遡る。
第4話「辺境街道をゆく~フランス・スペイン・イギリス~」
【今回の放送日時】2015年12月28日(月)17:00~18:55
ローマ帝国は地中海沿岸から、外に広がり大帝国となった。
今回は、拡大した領土3地域の街道を旅する。
フランスのアグリッパ街道は港湾都市アルルから、ガリア最大の都市リヨンまで。
水道橋と道路を兼ねるポン・デュ・ガールなど建築技術の粋を眺める。
また、スペインの「銀の道」は、セビリアからヒホンまでイベリア半島を縦断。
この道はスペイン北部で採掘された金銀などの豊かな鉱物資源をローマに 運ぶために築かれた。メリダを始めとしたローマ遺跡群のみならず、イスラムに由来する遺産も数多く残る、歴史と変化に富んだルートを辿る。
そしてイギリスでは、ロンドン(ロンディニウム)とコルチェスター(カムロドゥヌム)をつなぐ道へ。
ケルト民族との「ワトリング街道の戦い」として知られる地域を訪れる。
第5話「民族の十字路・東方世界への道」~ブルガリア・トルコ
【今回の放送日時】2015年12月29日(火)17:00~18:55
古代から数多くの民族が交差した、まさに東西文明の十字路が バルカン半島、小アジアと呼ばれた地域。
今回は、後に東ローマ帝国となった地域の一つである、バルカン半島を横断するディアゴナリス街道を旅する。
ブルガリアの首都ソフィア、最も大きく美しいと古代ローマ詩人に歌われたプロヴィディフ、そして東西世界の交差点イスタンブールなどを訪ね、ローマ帝国の歴史を紐解いて行く。
イスタンブールは、西ローマ帝国が滅びた後も、コンスタンティノープルとして、15世紀まで東ローマ帝国の首都として永らえた地。
ローマ帝国ゆかりの最後の首都には、どのようなローマの軌跡が残されているのか。
第6話「ローマ帝国の栄枯盛衰」
みどころ
【今回の放送日時】 2015年12月30日(水)17:00~18:55
“ローマ街道物語”。今回はいよいよ最終話となる第6話を放送。
皇帝のリーダーシップや、建築技術、帝国を繁栄に導いてきた力とはいったい何だったのか。
そして帝国内に縦横に張り巡らされた街道は、陸上だけにとどまらず川・海上の道へも続いていた。その交通網が人、物資の交流を盛んにさせ、ローマ市民の贅沢な生活を支えた。また現在とほとんど変わらぬ水道設備で、大量に水を消費する公衆浴場など健康と娯楽が生まれた。
豊富な食料、物資が運ばれ市民を満足させたローマ式市民生活が帝国の安定に寄与した。
ローマ帝国には、他の地域の技術や芸術、宗教を否定することなく自分たちのものとして取り組み、発展させていく寛容性があった。
そのような形で発展したローマがなぜ滅亡するに至ったか。
最終話となる今回は、ローマ帝国が広大な領土を維持し、長く続いた理由、そして滅んだ理由を紐解いて行く。