
輝月ゆうまが専科!
下級生時より専科の貫禄があったし、有能だからまさに専科に相応しいけれど。
月城かなとの脇では使いづらいかなとも思うけど。
月組の輝月ゆうまを見れないのは寂しい。
香咲蘭は珠城りょうと一緒に退団なのね。
「ピガール狂騒曲」でせっかく“お見知りおき”した蒼真せれんも退団か。
そして配役発表だけでもおもしろい(笑)
そもそも上田久美子がこの作品を選んだことが凄いなと。
楠木正行の珠城りょうと楠木正時の鳳月杏が討死し、楠木正儀の月城かなとが跡を継ぐって、あてがきかと。
ポスターも綺麗。
配役は【楠木の郎党】一平太・二之輔・義三・伊四之介・金五・兵六・権七・喜八・九兵衛・清十郎・十一郎・十二右衛門
・・・なにこの男1~12を役名化しただけなの(笑)
四条隆資 白雪さち花
二条師基 晴音アキ
洞院実世 姫咲美礼
二条教基 清華蘭
南朝の公卿 妃純凛・花時 舞香
饗庭氏直 結愛かれん
花一揆 蘭世惠翔・菜々野あり・羽音みか
・・・娘役が公卿や花一揆で男役!
蘭世惠翔・羽音みかとか適任すぎる(笑)
楠木正行【少年】白河りり→楠木正行 珠城りょう
弁内侍【少女】きよら羽龍→弁内侍 美園さくら→弁内侍【老年】夏月都
楠木正時【少年】詩ちづる→楠木正時 鳳月杏
楠木正儀【少年】一乃凜→楠木正儀 月城かなと→楠木正儀【老年】 光月 るう
・・・娘役若手有望株は子役。
きよら羽龍が新公ヒロかな?
★★★★★
宝塚歌劇公式サイトより
月組 退団者のお知らせ
2021/03/27
下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。
月組
珠城 りょう -すでに発表済-
香咲 蘭
楓 ゆき
桜奈 あい
颯希 有翔
蒼真 せれん
美園 さくら -すでに発表済-
夏風 季々
摩耶 裕
2021年8月15日(月組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団
★★★★★
宝塚歌劇公式サイトより
組替え(異動)について
2021/03/27
このたび、下記の通り、組替え(異動)を決定しましたのでお知らせいたします。
月組
紫門 ゆりや・・・2021年8月16日付で専科へ異動
※異動後に最初に出演する公演は未定です。
輝月 ゆうま・・・2021年8月16日付で専科へ異動
※異動後に最初に出演する公演は未定です。
★★★★★
宝塚歌劇公式サイトより
主な配役
楠木正行 珠城 りょう
弁内侍 美園 さくら
楠木正儀 月城 かなと
後醍醐天皇 一樹 千尋
楠木正儀【老年】 光月 るう
弁内侍【老年】 夏月 都
高師直 紫門 ゆりや
仲子/四条隆資 白雪 さち花
ジンベエ 千海 華蘭
楠木正時 鳳月 杏
楠木久子 香咲 蘭
楠木正成 輝月 ゆうま
阿野廉子 楓 ゆき
名子/二条師基 晴音 アキ
大田佑則 春海 ゆう
北畠顕家 夢奈 瑠音
勝子 桜奈 あい
一平太【楠木の郎党】 颯希 有翔
高師泰 蓮 つかさ
百合 海乃 美月
北畠親房 佳城 葵
日野俊基 朝霧 真
洞院実世 姫咲 美礼
後村上天皇 暁 千星
南朝の女房 麗 泉里
二条教基 清華 蘭
二之輔【楠木の郎党】 蒼真 せれん
大田百佑 英 かおと
義三【楠木の郎党】 朝陽 つばさ
伊四之介【楠木の郎党】 蘭 尚樹
足利尊氏 風間 柚乃
南朝の女房 桃歌 雪
南朝の女房/郎党の子 夏風 季々
金五【楠木の郎党】 空城 ゆう
南朝の公卿/郎党の子 妃純 凛
中宮顕子 天紫 珠李
兵六【楠木の郎党】 彩音 星凪
権七【楠木の郎党】 礼華 はる
饗庭氏直 結愛 かれん
南朝の女房 佳乃 百合香
南朝の公卿/百姓の女 花時 舞香
喜八【楠木の郎党】 甲海 夏帆
南朝の女房/百姓の女 天愛 るりあ
祝子/花一揆 蘭世 惠翔
花一揆 菜々野 あり
九兵衛【楠木の郎党】 柊木 絢斗
清十郎【楠木の郎党】 一星 慧
十一郎【楠木の郎党】 大楠 てら
南朝の女房 摩耶 裕
楠木正行【少年】 白河 りり
十二右衛門【楠木の郎党】 彩路 ゆりか
花一揆 羽音 みか
南朝の女房 まのあ 澪
弁内侍【少女】 きよら 羽龍
楠木正時【少年】 詩 ちづる
楠木正儀【少年】 一乃 凜
※新人公演の配役は、決定次第ご案内いたします。
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宝塚歌劇公式サイトより
ロマン・トラジック
『桜嵐記(おうらんき)』
作・演出/上田 久美子
南北朝の動乱期。京を失い吉野の山中へ逃れた南朝の行く末には滅亡しかないことを知りながら、父の遺志を継ぎ、弟・正時、正儀と力を合わせ戦いに明け暮れる日々を送る楠木正行(まさつら)。度重なる争乱で縁者を失い、復讐だけを心の支えとしてきた後村上天皇の侍女・弁内侍。生きる希望を持たぬ二人が、桜花咲き乱れる春の吉野で束の間の恋を得、生きる喜びを知る。愛する人の為、初めて自らが生きる為の戦いへと臨む正行を待つものは…。
「太平記」や「吉野拾遺」などに伝承の残る南朝の武将・楠木正行の、儚くも鮮烈な命の軌跡を、一閃の光のような弁内侍との恋と共に描く。
★★★★★
Wikipedia饗庭 氏直より
饗庭 氏直(あえば うじなお/うじただ)は、南北朝時代の武将。足利尊氏の側近くに仕えた寵臣命鶴丸(みょうづるまる)として知られ、『太平記』では「容貌当代無双の児」と評されている。当初の諱は直宣であったが[1]、尊氏より偏諱を受けて尊宣を名乗る[2]。『園太暦』では氏直としている[2]。
饗庭氏は三河国饗庭御厨を根拠地とする武士で、大中臣氏を本姓とする[3]。
『太平記』流布本の記述では生年は建武2年(1335年)と推定される[4]。正平3年/ 貞和4年(1348年)、諏訪神社で行われた笠懸の射手を勤めたことが史料上の初見となる[4]。以降尊氏の近習として重要な使者や取次を勤めた。薩埵山合戦では部隊を率い、尊氏から感状を下されている[5]。
正平6年/観応2年(1351年)1月、尊氏と争った直義との和平交渉に当たっている。正平7年/文和元年(1352年)の武蔵野合戦では、僅か18歳にして三番隊六千人を率いた。その部隊はいずれも美しく飾り立てた鎧をまとい、梅の花を兜の真っ向に指していたため『花一揆』と呼ばれた。『太平記』では花一揆が思慮のない戦をしたために児玉党に追い散らされたと記述されている[6]。
正平9年/文和3年(1354年)、元服を行い尊氏の偏諱を受け「尊宣」と名乗り、五位近衛将監弾正少弼に叙任された[2]。正平11年/文和5年(1356年)には斯波高経の降参を働きかけ、高経を帯同して降参を実現している[7]。正平13年/延文3年(1358年)に尊氏が没すると出家し、以降は「尊宣入道」と呼ばれた[7]。その後は斯波氏に近い動きを見せ、正平21年/貞治5年(1366年)に高経が失脚すると、連座を恐れて越前に没落したという風聞が立っている。その後京都に復帰したと見られ、弘和3年/永徳3年(1383年)3月2日、足利義満に近侍している記事が最後の記録となる[8]。
優れた歌人でもあり[9]、『新後拾遺和歌集』にその作品が残る。