それは自分を知るため。
反対の意見を持つ方とも付き合ってみる。ツイッター上140字で、反対派の方
と付き合うのは凄い難しい。単純に相手と意見が合わない、それだけではない。
同じものを応援して、味方と思っている方々からも、反対側の人と同調する
姿は不愉快に思われる事があるから。下手すると両方から嫌われる。
ツイッター始めてだいぶ経って、そういう姿勢は様々な誤解を生んだ。一度
ズレたり、捻れて見られれば修復が効かない。ツイッターにはそういう性質がある。
人の数だけ思いや主張があってそういう世界で僕らは生きてる。だけど国家
とか都道府県民という形で、法に守られながら一つにまとまっている。
そういう様々なスタンダードがある中で、一つの集団としての方向性を打ち
出して行くところ。それが政治なんですよね。
選挙して、それぞれの思いを背負った代表者達が今後の社会の在り方を決め
ていく。それが政治なんですよね。その中で支持者同士も活発に議論します。
どれも、それぞれのスタンダードから生まれる民意なんですよね。だから否
定するところまではできないんですよね。確かにある民意だから。
暴言はゴメンですけどね。
結局意見を出しあってどれで行くか?対立意見はそれの弱いところを埋める
要素があるから、そういうの聞くのは凄い有用なんですよ。自分を知る事が
できるから。
弱い部分や足らないとこって自分では見たくないものですが、反対する人は
そういうとこ、ズバッとついてくる。これが結構、勉強になるんですよね。
ただ引くに引けない姿勢の見せ過ぎは損しますね。苦い思い出がよぎりま
す。それを胸にこれからもがんばりますね。
おしまい