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語学は「語楽」--英語を楽しく学びましょう

英語の学習をしていて、「おや?」と思われる点について、みんなで考えてみたいと思います。

番外編:「英会話」考(2)

2008-01-05 15:08:29 | 英語の学習と研究

 外国語教育は、その時代における言語学の主流派の影響を強く受ける。20世紀前半は、ソシュール等に代表される「構造主義言語学」。この言語学は、言語Aと言語Bはどれだけ違っているかという視点から、言語間の違いを際立たせることに躍起だった。その結果、特に音声学(=発音学)の分野において目覚しい業績を多く残した。これが外国語教育に取り入れられると、例えば英語と日本語の違い(文法・発音・意味)を徹底的に洗い出し、その違いを学習者に意識させる学習方法を取り入れた。簡単に言えば「暗記・暗誦・暗写」の励行である。私は中学時代、意味も分からずに、ひたすらテープレコーダが、あるいは教師が繰り返す英語を何度も復唱し、且つ暗写したものだが、さっぱり力がついたという実感はなく、おかげで英語が大嫌いになってしまった。
 ところが、1957年にチョムスキーという男が、個別言語同士は外見(=彼の言葉を使うと「表層構造」)は確かに違っているように見えるけれど、言語を発話する際の頭の働かせ方(=「深層構造」)には普遍性があるのではないかという革命的な言語理論を展開した。つまり、個別言語間では、違いはあるが、所詮人間の使う言語である限り普遍性が働いている。もっと簡単に言うと、言語Aと言語Bはどれだけ似ているか、と言う視点での言語研究だったのだ。後に彼の文法理論は「生成変形文法」と呼ばれ、今日の「認知主義言語学」へ発展していくのである。ところが、チョムスキー等の言語研究の手法は厳密すぎて、一部の教育者を除いて、外国語教育へ取り入れられるところまで行かなかったのは大変残念なことである。
 その後、1970年代後半あたりから、移民に英語を教える教授法が人気を博すようになる。TESOL(=Teaching English to Speakers of Other Languages)と呼ばれるものだが、異国に渡った移民が、生活を通して英語を習得する過程をそのまま外国語教育に取り入れたものである。この教育哲学はとてつもなく単純で 、英語は使っているうちに習得する、という楽観主義的なものだった。賃金交渉をしたり、物の値段を割り引かせたりと生活に直結する問題を英語で解決しなければいけない移民たちは、生活のためという強い動機付けがあってこそ英語を習得するが、そのような切迫した状況にはない外国人(=例えば日本人)にこれを導入するのは所詮無理がある。ところが、日本の文部科学省はこの路線で英語教育政策を推し進めている。文科省のこの姿勢が如実に反映されているのが、センター4問と5問のビジュアル問題である。
 TESOLに私が批判的なのは、教材論(=何を教えるか?)・方法論(=どんな風に教えるのか?)・到達目標(=どのレベルまで英語力を身に付かせるのか?)という視点が完全に欠落しているからだ。教師自ら方向性を持たずに生徒に対して、「英語は使っているうちに身に付くものだよ」と言うに等しい。これは、「頭がよければ、いつかは英語がしゃべれるようになるからね」と言っていることと同質のものだ。
 さて、なぜか熱を帯びてしまった。こうなったら、次回以降もこの稿を続けるつもりだ。次回は、それではどんな視点で外国語、とりわけ英語と接していけばいいのか考えてみたい。
 


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