日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

彼らはその奉仕に任命され 法に従って主の神殿に入った

2018-09-08 | Weblog
 歴代誌上24章 
   
  19節「このように彼らはその奉仕に任命され、イスラエルの神、主がお命じになったように、先祖アロンによって伝えられた法に従って主の神殿に入った」。(新共同訳)

 1節「アロンの子らも組に分けられた。アロンの子らはナダブ、アビフ、エルアザル、イタマル」小見出し「祭司の組織」。23章でレビ人の中から祭司の働きを担ったアロン系の祭司(1~19節)と、その他のレビ人(20~31節)とのそれぞれの家系が再度出てくる。前者は23章28~32節にある。アロンの子は四人いたが、エルアザルとイタマルの家系が取り上げられ、ナダブとアビフは死んだ(2節)。この二人の死は、レビ記10章1~2節、民数記3章4節にあり、相応しいことでないので省略している。
 3節「ダビデは、エルアザルの子らの一人ツァドクとイタマルの子らの一人アヒメレクと共に、それぞれ任命されている奉仕に従って、アロンの子らを組に分けた」。家系の数がエルアザルの方が多かったので十六組に、イタマルの方は八組に分けた(4節)。王と高官、祭司ツァドク、アビアタルの子アヒメレク、祭司とレビ人の家系の長たちの前で、双方の家系から籤引をした。先ずエレアザル組から始め、次にイタマル組がくじを引いて一つずつ選び出され、二四の組織となった。それを書記官ネタンエルの子シマヤが記録したのである(4~6節)。ツァドクとアヒメレクの二人の人物については、18章15~16節に出てくるようにダビデの側近として仕えていた。アヒメレクはサムエル記上22章20節と同一人物であろう。5節「聖所の長、神の長」は祭司長を指しているようだ。第八の「アビア」(10節)はルカ福音書1章5節祭司ザカリアの「アビア組」として書かれていることは興味深い。「大祭司」については、既に5章27~41節にあり、アロンの直系エレアザルの系譜に定められている。
7節「第一のくじはヨヤリブに当たった」。第二のくじはエダヤ、第三ハリム、第四セオリム、 第五マルキヤ、第六ミヤミン、第七ハコツ、第八アビヤ、第九イエシュア、第十シェカンヤ、第十一エルヤシブ、第十二ヤキム、第十三フパ、第十四イエシェブアブ、 第十五ビルガ、第十六イメル、第十七ヘジル、第十八ハピツェツ、 第十九ペタフヤ、第二十エヘズケル、第二十一ヤキン、第二十二のガムル、 第二十三デラヤ、第二十四マアズヤに当たった(8~18節)。
19節「このように彼らはその奉仕に任命され、イスラエルの神、主がお命じになったように、先祖アロンによって伝えられた法に従って主の神殿に入った」。二四人の祭司長を籤引きで決定したが、主がこれを決定したのである(箴言16章33節)。
 20節「レビの他の子孫として、アムラムの子らにはシュバエル、シュバエルの子らにはイエフデヤ~」。先ずケハトの組みから始めて、アムラムの一族(21節)、続いてイツハルの一族(22)、ヘブロンの一族(23節)、ウジエルの一族(24~25節)となる(23章12節see)。続いてメラリの組み(26~30節)であるが、この並行記事は13章21~23節にある。エルアザルの娘が従兄弟キシュと結婚してエラフメルが与えられたことが判る。20節にレビの他の子孫とあるが、何故かゲルション族(13章7~11節)を略している。31節には、19節までの直系となるケハト、アムラム、アロンの家系と同様に、傍系のレビの子孫の家系も「ダビデ王とツァドク、アヒメレク、祭司とレビ人の家系の長たちの前でくじを引いた」というのである。
平等性を表わしていよう。


毎朝主に感謝し、賛美し

2018-09-07 | Weblog
 歴代誌上23章 
   
 30節「更に彼らは、毎朝主に感謝し、賛美し、夕べにも同様に行うこと~」(新共同訳)

 1節「老人となり、長寿に恵まれたダビデは、その子ソロモンをイスラエルの王とし」。小見出し「レビ人の任務」。口語訳「老い、その日が満ちた」とあるが、三十歳で王位に就き四十年の治世であったからまだ耄碌していなかった。ソロモンに神殿造営準備だけでなく24~27章で神殿の祭儀と祭務の人材についても指示した。ここで、全イスラエルの高官、祭司、レビ人を招集し、三十歳以上を数えると三万八千人で、その内訳は①神殿で指揮する者二万四千人、②役人と裁判官六千人、③門衛四千人、④楽器を奏でる者四千人だったとある(2~5節)。二十歳以上(24、27節)というのは実務に服した者と考えられる。①は23章6~32節、24章1~30節にあり、②は26章29、27章25~31節に出ている。③は26章1~28節、④は25章1~31節にある。
 6節「ダビデはレビ人をレビの子ゲルション、ケハト、メラリの組に分けた」。レビ人の三つの家系が記される。ゲルション7~11節、ケハト12~20節、メラリ21~23節。この三人の息子については5章27節、6章1節にある。
 13節「アムラムの子らはアロンとモーセ。アロンは、その子らと共に選び分けられ、神聖なる物をとこしえに聖別し、主の御前で香をたき、主に仕え、主の御名によってとこしえに祝福する者となった」。アロン系の祭司が特別に扱われている箇所である。それは28節、32節にも出てくる。これまで幕屋とその奉仕に用いていた祭具を担ぐ働きをしていたレビ人は、もはやその必要ではなくなり、主の神殿の奉仕を職務とする者に加えられた(24~27節)。
  28節「彼らはアロンの子らの傍らで主の神殿の奉仕に就き、庭のこと、祭司室のこと、すべての聖なる物を清めることの責任を負うこととなった。彼らは神殿の奉仕に従事し~」。彼らの神殿における奉仕は祭司室の執務から、更に供え物のパン、穀物の献げ物用の小麦粉、酵母を入れない薄焼きパン、鉄板、混ぜ合わせた小麦粉、すべての量と大きさについてなど、多岐にわたって責任を負った(29節)。
 30節「更に彼らは、毎朝主に感謝し、賛美し、夕べにも同様に行うこと」、また安息日、新月祭、および祝祭日には、定められた数を守って常に主の御前にささげる、主への焼き尽くす献げ物すべてについても責任を負った(31節)。
彼らは、主の神殿の奉仕に際して、臨在の幕屋の務めと聖所の務めと彼らの兄弟アロンの子らの務めを果たした。

 アロン系の祭司がレビ人と区別された事由は23章12~13節、24章3~6節、レビ記(3章6~9節、18章1~7節)、エゼキエル書(40章46節、44章15節・ザドクはアロンの子孫)などから理解出来る。
  ヘブライの信徒の手紙では、イエス・キリストは「メルキゼデクに等しい大祭司」として、旧約のアロンの大祭司職を否定し、遥かに凌駕するお方として説かれている(7章1~28節)

賢明に判断し識別する力を主があなたに与え

2018-09-06 | Weblog
 歴代誌上22章   

  12節「賢明に判断し識別する力を主があなたに与え、イスラエルの統治を託してくださり、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように」(新共同訳)。

 1節「そこでダビデは言った。「神なる主の神殿はここにこそあきだ。イスラエルのために焼き尽くす献げ物をささげる祭壇は、ここにこそあるべきだ」。小見出し「神殿造営の準備」。ダビデは王位をわが子ソロモンに継承させることになるが、その最後の働きとして神殿造営の準備をする。まず場所の認定としてオルナンの麦打ち場と定めた。そして神殿の門の扉の釘と蝶つがいを造る大量の鉄、量ることができない青銅、数えられないレバノン杉を準備し(2~4節)、ソロモンに壮大な神殿を築き、その名声と光輝を万国に行き渡らせるようにと命じた(5節)。これは具体的には14~16節に示されている。
  7節「ソロモンに言った。『わたしの子よ、わたしはわたしの神、主の御名のために神殿を築く志を抱いていた』」。しかし主は多くの血を流し、戦争を繰り返したので、ダビデに許さず(列王記上5章17~19節参照・「戦争の人」)、わが子ソロモンにその志を与えると告げられたことを語った(8~9節)。その子は安らぎの子で「ソロモン」(シェロモー)と呼ばれるという。原名は「シャローム」である。
12節「賢明に判断し識別する力を主があなたに与え、イスラエルの統治を託してくださり、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように」。主がイスラエルのために、モーセにお授けになった掟と法を行うよう心掛けるなら、そのとき成し遂げることができる。勇気をもて。雄々しくあれ。恐れてはならない。おじけてはならない。彼に賢明に判断し識別する力を主が与えて下さるように、また主の律法を守り、モーセに授けられた掟と法を行うならば、建築の業は成し遂げられると告げられた(13節)。
 14~16節 建築に要する資材と、人材が記される。資材は金十万キカル(1キカル・34,2㎏×10万)、銀百万キカル(34,2㎏×100万)。この他に数えきれない青銅、鉄、材木と石材で想像に余る重量である。動員されるのは、多くの職人、採石労働者、石工、大工、あらゆる分野のあらゆる達人であった。
  17節「ダビデは、その子ソロモンを支援するように、イスラエルの高官たちすべてに命じた」。イスラエル各部族の指導者たちの協力と支援を要請した。そして
今こそ、心と魂を傾けてあなたたちの神、主を求め、神なる主の聖所の建築に立ち上がれ。主の御名のために建てられる神殿に、主の契約の箱と神の聖なる祭具を運び入れよと告げた(18~19節)。

  キリスト者にとって神殿とは何かが問われる。ここでイエスが示された神殿のことを想う。ヨハネ福音書2章20~21節である。
 「…それでユダヤ人たちは、『この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか』と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」。

罪を犯し、悪を行ったのはこのわたしです

2018-09-05 | Weblog
 歴代誌上21章 
   

  17節「ダビデは神に言った。「民を数えることを命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪を行ったのはこのわたしです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。わたしの神、主よ、どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように。あなたの民を災難に遭わせないでください」(新共同訳)

  1節「サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った」。小見出し「ダビデの人口調査」。この並行記事はサムエル記下24章にあるが、比較して読むと少しずつ違っている。サムエル記では「主の怒りが…燃え上がった。主は、「イスラエルとユダの人口を数えよ」とダビデを誘われた」となっている。主は試練を与えることはあっても、誘惑はされない。試練と誘惑の違いはヤコブ1章12~15節に説かれている。同じ原語でも翻訳上一貫性を保つ場合、口語訳「ダビデを感動して彼らに逆らわせ~」が良い。サタンの誘惑はヨブ記1、2章、マタイ福音書6章13節にある。ここで何故人口調査がダビデにとって試練となるのか。それは「王よ、彼らは皆主君の僕ではありませんか。…どうしてイスラエルを罪のあるものとなさるのですか」というヨアブの言葉から明らかにされる(3節)。ダビデが王国の軍備力を知って勝敗の判断にすることは、臣下への信頼を欠き、何より神の主導的働きへの不信につながる。厳しい命令により、ヨアブはユダとイスラエルの徴兵の人数を9ヶ月20日かけて調べあげた。彼は王の命令は忌まわしいものだったのでレビ人とベニアミンの調査をしなかったとある(4~6節)。この手抜きはサムエル記にはない。尤もレビ人を数えなかった理由は、民数記1章49節によったと言える。
  8節「ダビデは神に言った。『わたしはこのようなことを行って重い罪を犯しました。どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました』」。この調査はダビデの心に呵責となり、主に悔改めの祈りをささげた。そこで神は預言者ガドから三つの選択肢が告げられた。(1)三年間の飢饉、(2)三か月間敵に蹂躙され、仇の剣に攻められること、(3)三日間この国に主の剣、疫病が起こることである(12節)。ダビデの選択は(1)の長期間、国中の飢餓による苦難は耐えられない。そこで(2)か(3)の人の剣か神の剣か。そして「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない。」と応えた(13節)。オルナンの麦打ち場に立つ御使いに出合ったダビデは「罪を犯し、悪を行ったのは、このわたしです。あなたの民を災難に遭わせないで下さい」と自らを差し出した(14~17節)。
18節「主の御使いは、ダビデにこう伝えるようガドに言った。「ダビデはエブス人オルナンの麦打ち場に上り、主のための祭壇を築かなければならない。」」御使いはオルナンの麦打ち場に祭壇を築くよう命じ、彼は金六百シュケルで買い取り、そこに祭壇を築き燔祭と酬恩祭(口語訳)を献げて主に赦しを祈り求めた(1~26節)。
  27節「主は御使いに命じて、剣をさやに納めるようにされた」。その頃は、モーセが荒れ野で造った主の幕屋も、焼き尽くす献げ物をささげる祭壇も、遠く離れたギブオンの地にあったので、ダビデは主の御使いの剣を恐れ、神を求めてその御前に行くことができなかったとある(29~30節)。そしてそこがエルサレム神殿の場所となったのである(22章1節)。

  神は打ち砕かれ悔いる心を、侮られない方である(詩51篇19節)。

冠を王の頭から奪い取った

2018-09-04 | Weblog
歴代誌上20章 
   
  2節「ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った。それは一キカルの金で作られ、宝石で飾られていた。これはダビデの頭を飾ることになった。ダビデがこの町から奪い去った戦利品はおびただしかった」(新共同訳)

  1節「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍隊を率いてアンモン人の地を荒らし、ラバに来てこれを包囲した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。ヨアブはラバを攻略し、破壊した」。19章に続くアンモンとの戦いであるが、「年が改まり、王たちが出陣する時期」とある。これは民族の争いがしばしば春の収穫時期に行なわれたことを表わす。畑の収穫物を襲って横取りするのである。「涙と共に種を蒔く人」が喜びの歌と共に刈り入れるのは特別なことで、しばしば裏切られるという背景がここにはある(詩126篇5節)。この戦いでアンモン人の王冠をダビデは奪ったとある(2節)。この並行記事はサムエル記下11章1節、12章26~31節だが、そこで省略されている記事が二つある。サムエル記を読むとこの時ヨアブは王に使者を送り、残りの兵士を連れて来て町を陥れるように伝えた。「わたしがこの町を陥れると、この町はわたしの名で呼ばれてしまいます」(12章28節)というのが理由だが、これが省略され、直ちにダビデは出陣してその王冠を奪い取り、自らの頭に飾ったのである(12章29~30節)。これは戦勝の儀式であり、彼の王位は既に確立して揺るがぬことを示している。
  省略の二つ目は、サムエル記下11章2~12章25節である。そこにはウリヤの妻バト・シエバとのスキャンダル、これを厳しく糾弾する預言者ナタン、また不義の子の死亡、その後のソロモン誕生である。これもダビデ王朝が形成され確立していく過程では、省略される事柄だった。
  4節「その後、ゲゼルでペリシテ人との戦いが起こった。このときは、フシャ人シベカイがレファイムの子孫の一人シパイを打ち殺し、彼らは服従することとなった」。ペリシテ人との戦いで、家臣の武勇記事である(5~7節)。この並行記事はサムエル記下21章18~22節であるが、ここでも13章から21章17節までが大きく省略されている。その大半はアムノンとタマルのスキャンダルに対するアブサロムの兄弟殺し、父ダビデに対する反逆と、ダビデ王逃避行の記事である。すべてダビデに対するマイナス・イメージを取り除いている。
  何故「省略」があるのかをここで考えたい。実際にあった出来事を省略し、無かったかのようにすることは神に対して不誠実である。すべてを見通される主の前に悪と不義は悔改めて、憐れみに縋るほかない。歴代誌史家が覆い隠している出来事を、サムエル記下で暴露していると読むことが出来るが、ダビデは自らの罪を悔い改めて言い表し神の憐れみと赦しを求めていることを知ることが出来る(詩51篇see)。ここで罪を厳しく糾弾し暴くだけではなく、「罪を覆い、咎を数えられない」慈愛の神であることを知ることが必要なのである(詩32篇see)。今一つ心に響く詩篇がある。
    「主はわたしたちを罪に応じてあしらわれることなく
    わたしたちの悪に従って報いられることもない。
    天が地を超えて高いように
    慈しみは主を畏れる人を超えて大きい」(103篇9~10節)。



主が良いと思われることを行ってくださるように

2018-09-04 | Weblog
 歴代誌上19章 
  
  13節「我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように」(新共同訳)

  1節「その後、アンモン人の王ナハシュが死に、その子が代わって王となった」。18章11節にダビデがアンモンと対戦したことが判るが、その詳細な記述が19章で、20章3節まで続く。サムエル記下10章1~19節に並行記事がある。アンモン対戦の原因は、ダビデがアンモン人の王ナハシュの死に対してその子ハヌンに使節を送って哀悼の意を表わそうとしたことから起きた(2節)。ダビデが王ナハシュから厚意を受けた出来事は不明であるが、サウル王に追われた長い逃避行中であったろうと想像する。ナハシュ王の忠実に応えようとしたダビデの人柄が伺える。しかし息子ハヌンは側近にそそのかされ、ダビデを疑い使節に侮辱を加えて追い返した(4~5節)。
  6節「アンモン人はダビデの憎しみをかったことを悟った。ハヌンとアンモン人は銀千キカルを送って、アラム・ナハライム、アラム・マアカ、ツォバから戦車と騎兵を借り受けようとした」。両軍の戦闘準備が7~13節にある。アンモンは優秀な武器製造で周辺民族に知られるアラム人から戦車と騎兵を借り受け、イスラエルに対して陣を張ったのである(7~9節)。18章5節でも、この時ツォバの王ハダドエゼルの援軍としてアラム軍が参戦している。三万二千の戦車隊という強力な敵との対戦に際して、イスラエルの軍司令官ヨアブは、兄弟アブシャイと謀り二つの戦列を組んで向うことになる(10~12節)。アラム人がヨアブの率いるイスラエルより強ければ援軍を頼み、アブシャイ軍と対戦するアンモン人が強いならアブシャイの戦列に加勢するとした。
  13節「我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように」。ヨアブが告げた言葉である。第一回の対戦が14~15節にある。アラム軍もアンモン人も敗退して逃げ出したのである。
  16節「イスラエルに打ち負かされたと見ると、アラムは使者を遣わして、ユーフラテスの向こうにいたアラム軍を出動させた。ハダドエゼルの軍の司令官ショファクが彼らを率いていた」。この情報を知ったダビデもイスラエル全軍を集結して対戦した。第二回はツォバのハダドエゼルがアラム軍と一緒になって対戦したが、ダビデが指揮をとったイスラエルに敗北し、和を請い彼に隷属した。ダビデはアラムの戦車兵七千、歩兵四万を殺し、軍の司令官ショファクも殺した。ハダドエゼルに隷属していたアラム人は、二度とアンモン人を支援しなかったとある(19節)。
  厚意を恥辱をもって対応した憎しみの出来事(5節)に対して、これが13節「主が良いと思われることを行ってくださるように」とある結論なのかも知れない。しかし戦いを肯定する理由は無い。
  主イエスは『目には目、歯には歯』を否定し、「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と言われた(マタイ福音書5章39節)。


ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った

2018-09-03 | Weblog
 歴代誌上20章 ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った
    
  2節「ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った。それは一キカルの金で作られ、宝石で飾られていた。これはダビデの頭を飾ることになった。ダビデがこの町から奪い去った戦利品はおびただしかった」(新共同訳)

  1節「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍隊を率いてアンモン人の地を荒らし、ラバに来てこれを包囲した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。ヨアブはラバを攻略し、破壊した」。19章に続くアンモンとの戦いであるが、「年が改まり、王たちが出陣する時期」とある。これは民族の争いがしばしば春の収穫時期に行なわれたことを表わす。畑の収穫物を襲って横取りするのである。「涙と共に種を蒔く人」が喜びの歌と共に刈り入れるのは特別なことで、しばしば裏切られるという背景がここにはある(詩126篇5節)。この戦いでアンモン人の王冠をダビデは奪ったとある(2節)。この並行記事はサムエル記下11章1節、12章26~31節だが、そこで省略されている記事が二つある。サムエル記を読むとこの時ヨアブは王に使者を送り、残りの兵士を連れて来て町を陥れるように伝えた。「わたしがこの町を陥れると、この町はわたしの名で呼ばれてしまいます」(12章28節)というのが理由だが、これが省略され、直ちにダビデは出陣してその王冠を奪い取り、自らの頭に飾ったのである(12章29~30節)。これは戦勝の儀式であり、彼の王位は既に確立して揺るがぬことを示している。
  省略の二つ目は、サムエル記下11章2~12章25節である。そこにはウリヤの妻バト・シエバとのスキャンダル、これを厳しく糾弾する預言者ナタン、また不義の子の死亡、その後のソロモン誕生である。これもダビデ王朝が形成され確立していく過程では、省略される事柄だった。
  4節「その後、ゲゼルでペリシテ人との戦いが起こった。このときは、フシャ人シベカイがレファイムの子孫の一人シパイを打ち殺し、彼らは服従することとなった」。ペリシテ人との戦いで、家臣の武勇記事である(5~7節)。この並行記事はサムエル記下21章18~22節であるが、ここでも13章から21章17節までが大きく省略されている。その大半はアムノンとタマルのスキャンダルに対するアブサロムの兄弟殺し、父ダビデに対する反逆と、ダビデ王逃避行の記事である。すべてダビデに対するマイナス・イメージを取り除いている。
  何故「省略」があるのかをここで考えたい。実際にあった出来事を省略し、無かったかのようにすることは神に対して不誠実である。すべてを見通される主の前に悪と不義は悔改めて、憐れみに縋るほかない。歴代誌史家が覆い隠している出来事を、サムエル記下で暴露していると読むことが出来るが、ダビデは自らの罪を悔い改めて言い表し神の憐れみと赦しを求めていることを知ることが出来る(詩51篇see)。ここで罪を厳しく糾弾し暴くだけではなく、「罪を覆い、咎を数えられない」慈愛の神であることを知ることが必要なのである(詩32篇see)。今一つ心に響く詩篇がある。
    「主はわたしたちを罪に応じてあしらわれることなく
    わたしたちの悪に従って報いられることもない。
    天が地を超えて高いように
    慈しみは主を畏れる人を超えて大きい」(103篇9~10節)。



ダビデはそのすべての民に公道と正義を行った

2018-09-01 | Weblog
 歴代誌上18章 

  14節「こうしてダビデはイスラエルの全地を治め、そのすべての民に公道と正義を行った」【口語訳】

 1節「その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からガトとその周辺の村落を奪った」。小見出し「ダビデの戦果」。込み出しにある通りサムエル記下8章に並行記事があるが、違った記述もある。ペリシテ人に続いてモアブ人を討ち(2節)、ハマト地方のツォバの王ハダドエザルを攻撃し、騎兵、歩兵を捕虜とし、戦車の馬は僅か残して腱を切った(4節)。この時援軍を送って参戦していたダマスコのアラム軍も討って、ダビデに隷属し貢を納めることになる。「主はダビデの行く先々で勝利を与えられた」とある(5~6節)。13節でも繰り返し記される。この対ハダドエザル戦で得た大量の戦利品をエルサレムに運び、ティブハトとクンの町からも大量の青銅を奪って持ち運び、これらはソロモンが神殿建設の時に用いることとなった(7~8節)。
  9節「ハマトの王トウは、ダビデがツォバの王ハダドエゼルの軍勢を討ち滅ぼしたと聞き…」。ダビデがモアブ軍を討って貢ぎ物を納めさせ、さらにこれに加勢した援軍のハダドエザルも破ったという情報を聞いたハマトの王トウは、ハダドエザルと交戦中であったので、ダビデに戦勝祝いとして、金、銀、青銅の器を贈ったのである。彼はダビデ王に対して恭順の意思を表わしたのである(10節)。彼が戦勝で得た品々は、7~8節にあるが、同じように神殿建設のために聖別することになる(11節)。
 12節「ツェルヤの子アブシャイは塩の谷でエドム人一万八千人を討ち殺し~」。アブシャイがエドム人を討って、その地に守備隊を置き、全エドム人がダビデに隷属することになる(13節)。しかし、この箇所はサムエル下8章12節では「ダビデはアラムを討って帰る途中…エドム人を討ち殺し、名声を得た」となっている。この変更は彼もツェルヤの子ヨアブの兄弟であることから、15節の重臣の一人に加えられる意図が考えられる。
  14節「ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った」。小見出し「ダビデの重臣たち」。「裁きと恵みの業」は新共同訳がなぜ訳を変えたか判らないが、口語訳では「公道(ミシュパッート)と正義(ツェダーカー)を行った」とある。イスラエルの政治理念となるべきもの、これこそ現代でも求められている、変わらない、変えてはならないものである。
  重臣の肩書きが新共同訳・口語訳・新改訳それぞれ統一を欠いている。翻訳の問題が感じられる箇所である。
 15節ツェルヤの子ヨアブ・軍の司令官=軍の長(口語訳)・軍団長(新改訳)
   アフルドの子ヨシャファト・補佐官=史官(口語訳) ・参議(新改訳)
 16節アヒトブの子ツャドクとアビアタルの子は共に祭司。シャウシャ・書記官=書記官(口語訳)・書記(新改訳)
 17節ヨヤダの子ベナヤ・監督官=長(口語訳)・上に立つ者(新改訳)。ダビデの息子たちは王の側近として仕えた。