日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

永遠の救いの源

2019-10-23 | Weblog

聖書箇所 ヘブライ4章14~5章10節              

1 全く人性を持つ方として来られたイエス・キリストが神の本質の姿を持つという第1章の最初の部分で示されたわたし達は、その働きが神と人との間に祭司的働きを持つということを更に学ぶことが出来ます。旧約聖書に記されている祭司職は、イスラエルの民の中から選任されましたが、同時にその選任は神の指示によるものでした。イエス・キリストが終わりの時として来られるまでは、その任務は重要でした。
2 祭司は12部族の中でレビ族から立てられ、世襲で継承されました。最も大事な務めは、祭壇に犠牲をささげ、罪の赦しを神に祈ることでした。個人でも民族でも罪の赦しの為に焼き尽くす捧げ物をささげました(Lev1、4)。ですから祭司は、罪の問題を解決するために人びとが頼りとする専門職だったのです。今やこのレビ族の祭司たちとは別に、神自らが御子キリストを祭司として立てられたのです。7:22~28に、レビ系の祭司とイエスとを比較し、4つの違いを挙げています。
① 任期(v23~25) レビ族の祭司は死によって働きが中断されますから、替わりが立てられます。最初の大祭司アロンからAD70年のエルサレム神殿崩壊まで、83人の大祭司が立てられたと言います。しかしイエスは復活して常に生きておられるので、唯一人で永遠に祭司の務めを果たすのです。
② 罪の有無(v26) レビ族の祭司は、贖罪日には先ず自らの罪のために犠牲を捧げ、その後に民のために犠牲をささげました(Lev16:6)。しかし罪なきイエスは、直接民の罪を取り除くことに取り組むことができます。
③ 罪を除く力(v27) レビ族の祭司は日々罪を贖う犠牲を捧げました。それは毎日いけにえをささげても本当の意味で罪の贖いができなかったということです。しかしイエスは、十字架で唯一度ご自分を捧げることによって完全に罪を取り除かれました。
④ 任命の方法(v21、28) レビ族の祭司は律法の指示によって立てられましたが、イエスは神ご自身のv28「誓いの御言葉」によって祭司とされました。
3 このように見ますとイエスこそ「偉大な大祭司」と呼ばれるに相応しい方なのです。この大祭司イエスは4:15「わたしたちの弱さを同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」方です。これは人間が地上で経験する様々な苦悩や痛みです。これを5:7「肉において生きておられたとき激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」と記しています。由木康作詞・讃美歌121番1節「貧しき憂い、生くる苦しみ、つぶさになめし、この人を見よ」という歌詞がありますが、そこには飢えることや病むこともあったに違いありません。それは憐れみ深い大祭司として神の前に執成すために外なりません。だからv16「時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」という招きの言葉があるのです。
4 大祭司イエスが永遠に変らない資格を与えられているということが、次の聖句で証明されます。一つはPsa2:7から、5:5「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」です。王の戴冠式の詩ですが、それはキリスト預言詩でもあるのです。今一つはGen14:17~22、Psa110:4からの引用、v6「あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司である」です。メルキゼデクの祭司については、7:1~18に詳細に述べられています。この聖言の確証に立つ方としてイエスはv9「永遠の救いの源」と呼ばれるのです。この「源」とは創始者the authorとも訳されます。これは罪の源流に対比して新しい救いの源流ということになります。