『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

本能寺の変を分析してはならない!Ver.2

2014-07-25 23:23:00 | 純野のつぶやき、あるいは趣味と妄想
NHKの「官兵衛」も中国大返しをするところまで

きましたが、今回も「本能寺の変の解釈」には残念!

掘り下げの浅さに、逆に胸が悪くなりそうです。

下記の地図を見てもわかる通り、

*御所から至近の場所で闘乱をおこすものはならずものである。

 御所に弓引いたのは、平治の乱で平重盛と源義平が「左近の

 桜」と「右近の橘」を争った時や、明治直前に蛤御門の変で

 御所に在した薩摩軍を攻めた長州軍などがあり、歴史に永久

 に残る不敬の業である!山口県の出身者にこの話をすると

 唇を噛んで口惜しがります。

*織田右大臣信長を打つためならば羅城門を入るところで鬨の

 声を上げるのが礼儀。信長の居する本能寺まで鬨の声を

 揚げずに迫ったのは、本当は攻めるためでなく、面会に

 行ったのではないか?途中で他の大名から仕込まれた者

 (つまり斉藤利三)が突然の騒ぎを起こしたのではないか?

以前掘り下げた本能寺の変前後の文章を

再度とり上げますので参考まで。

**********************

連続読物のほうの尾三同盟清洲会見の場面がかなり

重くなったので、またちょっとスパークしてしまいました。

本能寺の変の黒幕とか分析して持論を展開している人

多いですね!でも小生としては、数値データ的分析が

全く無い議論が多く、とても残念です。

Photo

上記の図は手書きで織田信長が京都で訪れたことの

ある場所をマッピングしたものですが、いくつも解明しな

ければならないことがあります。前提条件として、

*まず京都は当時『平安城』と呼ばれる『城市』であり、

 京の七口と呼ばれる木戸からしか入れないこと

*京に入るためにはきちんとした通行証を持っているか

 木戸番が顔を見知っている者でないといけないこと

*当時京都の治安は村井春長軒貞勝が京都所司代と

 して管轄しており、京七口で何か起きればすぐ察知でき

 る態勢にあったこと

*亀山から引き返してきた明智光秀軍は桂川を越えて

 きているので羅城門から京都へ入っただろうこと

をまず頭に入れます。

京都の城市に入ると、羅城門(現在の九条千本)から

信長のいた本能寺(現在の四坊堀川界隈)まで朱雀大路

(現在の千本通り)を北にまっすぐ行き蛸薬師通りを東に

進み、都合4.3kmあります。本能寺から信忠のいた二条

新御所までは、堀川通りを北に行き押小路を東に進み、

都合1.3kmあります。二条新御所から内裏までは、

押小路を東に行き堺町通を北に進み、都合1km。この

位置関係を踏まえると、問題点がいくつも浮び上がり

ます。

 ①妙覚寺(現在の押小路衣棚)にいた織田信忠は信長

 が本能寺で襲撃されたことを聞いた後で二条新御所へ

 入り、親王(誠仁親王)と若宮(和仁王)を内裏へ移動

 させたことになっています。親王と若宮に目覚めてもら

 い衣装を正式の束帯に着替えお伴の者も準備させ輿

 か牛車を用意し1kmの道のりをいそいで明智勢に

 追いつかれる前に・・・となると、内裏につくまで軽く

 1時間はかかるでしょう。一方、明智光秀の勢が羅城

 門から本能寺まで4.3kmの道のりを1時間弱で進んだ

 と推測すると、実は親王・若宮は明智が平安城に入る

 前あたりに避難準備しないと間に合いません。これは

 どういうことか?

 ②もし羅城門の木戸口で問題が起きていれば即座に

 (4.3kmですから早馬あるいは早走りで15分程度で)

 本能寺まで伝わる態勢が整っていました。それが不測

 の事態として描かれるということは、木戸口では問題が

 起きていなかったということではないか?

 ③深夜は桂川から飛び立つ鳥の鳴き声さえ聞こえて

 いたほど静かな平安城の明け方です。明智勢は鎧の

 音も無く静かに桂川を渡り、木戸番にはきちんと挨拶

 しもめることも無く京都へ入り、朱雀大路を粛々と進ん

 だことになります。加えて信長が異常に気がついたの

 は本能寺の周囲が騒々しくなってきてからと描かれて

 います。こうなると「明智光秀が京都に入ることは予定

 通りであって信長も光秀と朝会うことは予定通りであっ

 た」のではないか?

 ④信長公記では信長は「如何なる者の企てぞ」といっ

 たことになっていますが、三河物語では「城介(信忠)

 の裏切りか」といったことになっています。これはどう

 いうことか?

いろいろ解決する必要があります。これ以上はまた別

の機会に・・・

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