音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

赤塚不二夫とダメおやじ

2008-08-08 06:12:19 | 本・雑誌
赤塚不二夫の葬儀は昨日だったんですね。訃報に接して思わずノートにニャロメの絵を描いてしまいました。でもなんだか無性に「ダメおやじ」が読みたくなりました。現首相も鼻毛をつければそっくりの顔してますが・・・。



古谷三敏の代表作である「ダメおやじ」は、我が家の3兄弟が少年時代に最も耽溺した漫画の一つだといえるでしょう。曙出版の全21巻と小学館の3巻まで(4巻で大和ヒミコと出会い社長に抜擢され、以降はアウトドア・薀蓄マンガに転換)は大変な傑作で、何度繰り返し読んだかわかりません。小学生の息子であるタコ坊の期末テストを身代わりに受けたのに却って惨憺たる結果だったとか、競輪にはまって家族に愛想をつかされたりとか、左遷されて知床をさまよい発狂するとか、思い出しても笑いがこみ上げてきますが、私も気がつくと実年齢が雨野ダメ助(41)のそれに近づき、恐妻^^に操られ、自分が立派なダメおやじになろうとしていることに愕然とします。

初期のフジオプロダクションに集ったのは、古谷三敏のほか、高井研一郎(総務部総務課山口六平太)、北見けんいち(釣りバカ日誌)という錚々たるメンバーでした。彼らは赤塚不二夫と年齢もほとんど変わりませんから、一般的にイメージされる漫画家―アシスタントという関係よりも遥かにフラットで、パートナーといった方がふさわしいでしょう。実際、天才バカボンやおそ松くんなどの時代を画した作品群も、完全な分業体制の中で生まれています。作画を全員でやるのはもちろん、赤塚本人はネームとコマ割りを担当し、あの印象的なキャラクターデザインは主に高井が、ストーリーのアイデアや下絵進行など製作実務は古谷がリードするなど、事実上の共同執筆だったといいます。逆に、1970年から「少年サンデー」で連載が始まった「ダメおやじ」は、1巻の表紙にフジオプロのクレジットを見ることができますが、「最初の半年は古谷の名前で俺が描いてた」と赤塚が後に述懐しています。トキワ荘コミュニティといい、このあたりのクロス感覚はクリエイティブファームというか、音楽のバンドに近いものがあり、悪くありません。赤塚不二夫は独特の吸引力を持っていたのと、タモリを発掘したのもそうですが、セッションが得意で人の才能を発揮させることが巧みだったことが窺えます。

いずれにせよ、「ダメおやじ」をヒットの軌道に乗せたのは他ならぬ赤塚不二夫だったというわけですが、彼が描いていた初期の初期は、毎回ダメおやじが家族にいびられ、最初から最後までバットやとんかち・釘などでメタメタにされる救いのないもので、この作品がマンガとしての本当の面白さが出てくるのは、オニババの暴力がやや沈静化する6~7巻以降です。そのあたりから古谷三敏の人情路線の本領が発揮されていくわけです。

一方で「天才バカボン」のパパは、バカ田大学を首席で出て健康体なのにもかかわらず、定職につくこともなく、いつも子どものバカボンと遊んでいます。それでも黒百合女子大を出た才媛で良妻賢母のママは寛容なことに、パパに文句の一つもいいません。ダメおやじの方が、㈱スヤスヤパジャマという三流会社の万年ヒラとはいえ、正社員として懸命に働いているのに、オニババと子どもたちから酷い虐待を受ける毎日・・・と両者の境遇は随分違ってみえます。

私は天才バカボンのパパとダメおやじは陽画と陰画の関係ではなかったかと考えています。いずれも赤塚不二夫という稀代の才能が生み出したキャラクターですが、ほのぼの路線のバカボンでフラストレーションが溜まっていたのか、人の名前で描いたから逆に興がのったのか知りませんが、「ダメおやじ」の方により強い毒と風刺性を感じるのです。

現在65歳~75歳くらいの方とお話していて、つくづく感じるのは、この世代の人は男性天国だったなあということです。ある人は大手鉄鋼メーカーの技術職で、若いときに地方の工場の立ち上げを担当した経験をお持ちですが、2年間に1日も休みをとらなかったといいます。またある人は広告代理店勤務で平日は毎日お酒で午前様、休日は毎週のように接待ゴルフに行っていたといいます。いずれも当時小さいお子さんがいたにもかかわらず、自らは風呂に入れた記憶もないと、悪びれることなく半ば誇らしそうに言うのです。でもそういう方々に僭越ながら申し上げるのですが、「好きなことができていい時代でしたね。でも今だったら奥さんが家を出て帰ってこないでしょう」と。見ず知らずの土地で乳飲み子を抱えているのに、旦那が2年も休日をとらなかったり、ゴルフに行っていたりしたら、現代においてはキレル、実家に帰る、離婚のいずれかになることは火を見るより明らかです。

このように、高度経済成長で仕事量(分野)が多く右肩上がりで給料が上がっていることだけを免罪符にして、「これでいいのだ」とばかりに、男性は家事・育児を全てお任せするという既得権を確保しました。その時代には男女雇用機会均等法などもありませんし、男尊女卑の気風が色濃く残る保守的な会社では、職場においても男性がやりたい放題だったんですね。

今でこそ、「実録鬼嫁日記」などというブログがドラマ化されても何の違和感もないほどに、奥さん主導の生活を営む家族が普通の世の中ですが、38年前は「父の威厳」なる幻想が少し残っていたし、夫が家庭内でのイニシアチブを握ることがまだまだ主流でした。だから、1970年の時点で「ダメおやじ」というのは、かなりラジカルだったのではないかと思うのです。

でも、北海道出張で羽を伸ばすダメおやじを、いじめる相手がいなくて物足りないオニババたちが出張先まで乗り込んでメタメタにするというエピソードを思い返すと、逆にダメおやじが家族にこよなく愛されていたともいえます。現代家族においては、父親に対する無関心が進行していますからね。

巨匠・赤塚不二夫に合掌。


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2 コメント

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ダメ親父17巻 (細渕邦子)
2012-12-02 03:01:58
ダメ親父17巻を探しています。
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マンガとアニメ (ゆり)
2018-03-29 23:01:06
ダメおやじマンガは笑えないギャグマンガ大阪万博の年48年前初めは絵がことなるユキ子の顔は赤塚風タコ坊も幼稚前一姫二太郎おやじと同じ会社ニート勤めるユキ子大学卒業して娘はおやじより稼ぎいいなんでオニババとの間にとびきりの美人の長女がオニババは婚約中はユキ子そのもの生き写しツヨシしっかりしなさいのお母さんはOL時代は凄い美人恵子姉さんの生き写しいつかはユキ子もオニババと同じくマンガによってタコ坊一人っ子映画は確かに戦争中にはオニババは優しさしいユキ子の前に男の子生まれて戦争中につまり話よってタコ坊一人も多くかかれている一人っ子イカ太郎生まれてからはいじめは減りオニババとダメおやじマンガによってユキ子の上に兄タコ坊妹イカ太郎掲載雑誌によりパチンコ雑誌はタコ坊一人とイカ太郎の二人アニメのいじめオニババ仕返しシーンは凄い台風はおやじは豪風の中にオニババタコ坊ユキ子は夕飯いじめデートの大雨嘘のラブレターユキ子のいたずらアニメはマンガよりひどいアニメはのユキ子は美人過ぎオニババも婚約中はユキ子と同じ顔美人も20数年立つと怖いいじめ顔にツヨシしっかりしなさいのお母さんのように間違いないユキ子はオニババの婚約中の時の美人だった頃生き写し
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