さて、「鬼切りの太刀」のその後は・・・
検分師のお公家さんがその後、再度山に登り「鬼の墓が、500ほど並んでございました」と、適当に上役に報告し、
都の、はやり病も、、やがて収まり、
上皇様の自慢話も、しなくなり「鬼切りの太刀」も内裏から失せてしまい、ある女官が盗んだと罪を着せられて処刑”され、
「大江山の鬼退治始末記」と文書に残されて、役所的には終わり”
しかし町中では、読物になったり、芝居になったりし、しばらくは続いたようです。そして100年近くたち、同じ季節・・・・・・
僧乞は、「鬼切りの太刀」を背に、大江山へ向かいました、丹波からはさほど遠くもなく、鬼たちが、帰り住んでいると、噂に聞いていたのです。
その村の入り口に、一軒の鬼の鍛冶屋がありました、
「背にある太刀を見たい」と言われ・・・しばらくすると、その眼に涙が浮かんでいます、鍛冶屋鬼もまた、100人切りを信じていたようです。
しばらく、鋼のしつや、打ち手の確かさなど、凄い形相でながめ、
「これは鬼切りの太刀に相違ございません」と
涙を拭いながら
砦跡は、と聞くと「あれから、4,5人の鬼が帰り来、伝承の「鬼がわらの作り方などを、村びとに教え、ともに、そこの工場で働いております、
今では、小さな鬼の集落も出来ております」
「それよりも、この鬼切りの太刀を如何に?」
「おさの子孫は健在で鬼が城におられます、そちらに収められるべきかと存じます」
「いまさら、秀郷の縁者に戻すより、鬼殿に届けるか!」
「高野にも行きたいし、ぐるっと回って、お伊勢参りでもするか!」
僧乞は、鍛冶屋に別れを言い、砦跡の方に手を合わせ、経を唱え終わると、山を下り、高野山に向かいました。
終わり・・・ありがとうございました。
・・・温かくを待ち、鬼の背景写真を撮りに行きます、その都度差し替えして、投稿しますので、よろしくお願いします。