Masaca's Blog 2

独り言・日記・愚痴・戯言・備忘録・・・。なんとでもお呼び下され(笑)。

続: 有朋自遠方来不亦楽乎

2008-10-08 19:06:18 | Weblog
行ってきました、会いに…。大変でした、何故か…

夕方の17:30頃にホテルにチェックインを済ませて、大学の先生に電話して場所と待ち合わせ時間を確認しましたところ、当の本人からちょうど電話があったところでして、なんと!今から大阪で新幹線に乗るところだというではありませんか!予定していた19時には到底間に合いそうにありませんが、そこは仕方がありません。予定通りに待ち合わせの別のホテルに移動しまして、ロビーで先生方と落ち合いました。

ロビーで先生方と四方山話をしながら時間を過ごして、当然の如く、予定の19時を過ぎまして、それでもまだまだ来る気配もなく、ただ時間が過ぎゆくばかり…。しかも予約しているレストランは21時でオーダーストップらしく、刻々とその時間に向かって時だけが過ぎていきます。…と、19時45分頃になってようやく駅に着いたとの知らせが入りまして、タクシーで来るとのことでしたので、15~20分くらいで来るだろうと、さらに待ち続けました。で、ようやく到着。見たこともない大きな黒人二人と共に、見覚えのある、けど何だか小さくなった彼がタクシーから降りてきました。ということで、やっとのことでロビーで再会を果たしたわけです。もの凄く久しぶりの再会で、彼は一瞬私の顔を見て「?」という表情を見せたあとに、突然思い出したらしく、「おー!マサカさん!お久しぶりですね!」といいながら思わず抱き合ってしまいました。
KBKさん「元気?」
Masaca「元気ですよ…何だか小さくなりましたね、Kさん」
KBKさん「そうですか?あなたはずいぶんと大きくなりましたね」
Masaca「ははは…
あいかわらず、達者な日本語で話してくれます。実は、彼は留学してきた当初、日本語はもちろんのこと、英語もカタコトでして、基本的にはフランス語とラテン語しか話せませんでした(# ラテン語ってのがまた凄いんですが…)。なので、そこから一生懸命英語と日本語を勉強して、今ではかなりの数の漢字まで読み書きできるようになっています。

さて、早速、レストランへ向かおうとすると、曰く「文科省から連絡がありまして、明日の夜の会合で使うPPTファイルを文科省に送らなければなりません」だそうでして、結局、レストランに同席できたのはKBKさんだけ…。残る二人は部屋でお仕事と相成りました。レストランはビュッフェ形式でして、乾杯したあとは好きなものを取ってきて食べながらの会食でした。そこで積もる話を一つずつ、まさに一つずつ話していきまして、知らなかった事実がだんだんと分かってきたのです。というのは、どうも彼は学位取得後に大阪へ行き、会社ではなくて大阪の某有名研究所に入ったらしく、しかもその所属先が、私たちのラボの共同研究先の一つだったこと、そこになんと!2003年までいたこと、今はナイロビに住んでいるけど、ほとんど海外を飛び回っているので滅多に家に帰れないこと、日本で生まれた長男は未だに日本語とカタコトの日本語英語しか話せないらしく、家では会話が基本的に日本語であること等々…。知らなかったことをあげたらキリがないくらいです。結局、母国の動乱時期には日本やケニヤにいたらしく、争乱には全く巻き込まれてはいなかったようです。心配していたことがアホらしくもなりましたが、無事で何よりでした

そんな話の途中、翌日の予定の話になりまして、13時から特別講義を…と先生方が話をしましたら、なんと!翌日は文科省から名古屋13:30発ののぞみの切符を渡されているので、それに乗らないといけないんだそうで、午後一番で講義なんてやっていられないということになってしまいました。で、急遽、講義時間を午前に変更したのですが、招待した当のKT先生は午前中は自分の講義があるとかで、全く参加できないんだとか…。仕方なくTS先生が場所の確保とか連絡をすることになりまして、そして何故か私が翌朝にホテルまでお迎えに行くことになってしまいました

# ん?俺も一応客だぞ?…

その後、ちょうど彼と同じようにコンゴから国費で留学してきている学生さんも同席していたので、その学生さんの状況の話になりまして、そこから雲行きが怪しくなってしまいました。どうも、その学生さんはD2なのですが、学位取得に必要な筆頭著者論文二報のうち、まだ一報もでていないらしいのです。そこからKBKさんの表情が険しくなりまして、説教というか罵倒というかが始まってしまいました。彼らの国は決して裕福ではなく、国費留学生には貴重な税金が投入されている上に、特に日本は物価が高いので年に一人も出せないんだそうです。なので、年限内に学位を取得するのが必須でして、延長は許されないどころか、学位なしに帰国すれば、将来の保証も全くなくなり、本人だけでなく家族にまで影響が出るんだそうです。そこはお国柄ですので、日本人の私たちがとやかく言えることではありませんから、ひたすらそのお説教が終わるのを待っておりました。そうこうしているうちにビュッフェの時間も終わりまして、そろそろ閉店という頃になって、ようやく残る二人が現れました。しかし、食べるものはほとんど残っているわけもなく、仕方がないのでホテルのロビーにあるバーで軽食をオーダーすることになりました。

バーに移っても学生さんへのお説教はとどまるところを知らず、それどころかさらに二人も加わってさらにパワフルに責め立て続けたのです。もうね、横で見ている我々も何も言うことが出来ないだけでなく、学生さんの方が心配になってしまいました。お説教は英語から母国語のフランス語に変わり、さらに細かい事情聴取をしたあとに再び英語でのお説教…。バーでの時間の大半を学生さんへのお説教で費やす形になってしまいました。KBKさん的には、せっかく自らが築いてきた信用まで失って、以後の学生さんが受け入れられなくなることまで心配しているようで、相当な勢いで怒り心頭に発していたようです。

ま、そんな説教もそろそろネタも尽きてきて、堂々巡りに陥ってきたので、一旦休止。ようやく今のお仕事とか昔の話を再開することが出来ました。で、そこで判明したこと…。なんと!先日YKに見学に来てラボツアーに参加していたアフリカからのご一行が当の彼らだったのです!しかも、彼らとは廊下ですれ違っていたのです!なんということでしょう…。もう次にいつ会えるか分からないからと、わざわざ休みまで取って大学まで新幹線で行き、ホテルまで取って会いに行ったというのに、その前に会っていたのです…。偶然というか巡り合わせというか…。で、私の開発した機械のことを聞いたら「見ました、見ました…大きな機械…凄いですね」…。で、こちらから一言「あれ、私が作りました」…。すると、しばし考えたあとで曰く「違うでしょう?あなたはエンジニアではありません」…は、はい?で、方法原理を開発して、それを自動化した機械をデザインして、エンジニアや会社と共同で開発したんだということを説明しましたら、ようやく信用してくれました

そんなことを話しているうちに夜も更けまして、時は23時過ぎ…。先生方もそろそろお開きにしましょうと行っているのに、KBKさんはまだまだ話したりない様子…。とうとう、KT先生の奥様が来るまでお迎えに来てしまいまして、これまた十数年以来の再会を果たしました。で、先生方がお帰りになるのでお開き…となるところが、KBKさんがまだ食い下がりまして、TS先生と私と、同じく駆けつけたOBのSY君と、先程の標的となった学生さんの四人でさらに続けることになったのです。それからは、どんな内容の研究をすべきかとか、予算のつく研究は何だとか、応用研究ばかりでいいのかとか、そんな話を延々としておりましたら、とうとうそのバーも閉店時間…。そりゃ、深夜零時ですもの、当然です。で、ようやくお開き。翌朝10時にホテルのロビーで待ち合わせの約束をして別れまして、SY君の車に乗せてもらって学生さんを降ろすために大学経由でホテルまで乗せてもらいました。SY君、ありがとう

さて、翌朝…。タバコの匂いの染みついたホテルを早々にあとにして、ホテルに近いバス停までのバスを携帯で検索し、そのバスに乗りまして、無事にバス停で下りてホテルに到着しました。時間は9:15…。早すぎたけど、あの匂いの部屋にとどまり続けるよりはまだマシだったので、全然OKです。すると、KBKさんがやってきまして曰く「マサカさん、早すぎますね~」…。けど、しばらくするとその後ろから同行の二人も荷物を持って現れまして曰く、風邪を引いたみたいだから薬局で風邪薬を買いたいとのこと…。仕方がないので、チェックインを済ませてから早々にホテルをあとにしました。タクシーには、KBKさんが助手席、同行のお二人が後ろに乗り込んだのですが、私は何故か当然の如く、二人の間…。でかい二人の間で肩をすぼめながら、まずは行く途中にある薬局へ直行。風邪薬とうがい薬をこれまた上手な日本語で買い込みまして、再びタクシーで大学へ向かいました。その道すがら、KBKさんはあまりの景色の替わりように感嘆の声を、これまた日本語で語り続けておりました。タクシーの運転手さんもその上手な日本語にかなり感心しておりました。

ようやく大学に到着したあと、TS先生のお部屋に直行しましたら、お部屋には見当たらず、仕方なく事務受付に聞きに行きましたら、研究科長室を使うように案内されまして、三人を連れてその部屋に移動してようやく落ち着きました。そして現れたTS先生はKBKさんをつれて出張旅費精算のために別の建物へ。その間に、先程のタクシーの会社に連絡しまして、正午に出発したいから玄関前に待機するように連絡しました。すると今度はSY君の奥さんで、大学時代に一緒に実験していた後輩のYYさん(旧YKさん)が現れまして、これまた懐かしい話をひとしきりしておりました。で、ようやく講義室の準備も終えて特別講義が始まったのは11時ちょうど。小一時間しかないというのに、えらく長いイントロから入った特別講義は、大阪時代の仕事の紹介で、プロスタグランジン合成酵素に関する研究からトリパノゾーマの生理に及ぶお話で、それはそれで面白うございました。で、次に今いる学生さん方にお説教を始めようとしたのですが、もはや11:55…。お説教に入る前に質疑応答でかなりの時間を費やしまして、仕方がないので話している横でPCをプロジェクタから外して片付けを始めまして、強引に特別講義は終了。大急ぎでパッキングをしてエレベータで下りて玄関に出ると、行きに乗ったタクシーが待機してくれておりまして、別れの挨拶もそこそこに、そのまま乗り込んでJRの駅へ直行しました。

タクシーの運転手さんは、親切にも大急ぎで駅に直行してくれまして、予定の快速に無事に乗車しまして、20分足らずで名古屋に到着。すると「お弁当を買いましょう」だそうで、名古屋駅新幹線改札内の待合室にあるお弁当屋さんでお弁当を買い込みまして、そのままホームへ上がりました。で、乗車口に並んだところで時計を見ると13:10…。途端に同行の二人が「まだ20分もあるじゃないか」と呟いておりました。だってKBKさんが30分前には着きたいっていうんだもの、仕方がないじゃん…。んでもって、新幹線が来るまで写真を撮ったりホームから見えるでかいビルの話をしたり、漢字の話をしたりして時間を潰しましてようやく新幹線が到着。私自身は14号車なのですが、彼らが12号車だったので12号車の入口から乗車して席に着いたのを確認しまして、先程買い込んだ弁当を渡してようやくミッション終了。お別れの挨拶をしてから自分の席へ向かったのです。

よくよく考えると、何故か私が彼らをエスコートしていたんですよね、この間…。なんだかねぇ…。けど、久しぶりにいろんなお話が出来たし、いろんなことが分かったし、非常に有意義な時間を過ごせました。またいつか機会があればお会いして話をしてみたいです。あ、そうそう、彼自身からいわれて初めて気がついたんですが、彼にいろんな日本語を教えていたのは私自身だったみたいです。そういわれてみれば、話の中で彼が理解できない単語が出てくると、意味だけじゃなく使い方まで教えてあげたっけ。代わりに彼からは英語だけでなく、日本人ではない人間の考え方やディスカッションの仕方なんかも教えてもらっていたのかもしれません。今になってみると、いい感じのgive & takeが成り立っていたのかもしれませんね

# それにしてもえらく疲れた…

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2 コメント

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Re: 写真ありがとうございます (まさか)
2008-10-10 20:01:32
>KU君
> 写真受け取りました。ありがとうございました。

いえいえ、どういたまして

> ほとんど Masaca さんがエスコートしていたとは・・・。
> さすがは KT 先生って感じです (笑)

ええ、いいように使って頂きました

> しかし、コンゴの留学生、食事からバーまでかけて説教をうけてしまったんですね。なんともはや・・・。バーで説教は、私もTS先生にされたことがありますが、その時は、かなり腹が立って、その後ひとりで飲んだくれてました。

この学生さんは、普段も非常にシャイらしくて、KT先生も困っていたようです。なので、ある意味ではいい刺激になったのかもしれませんが、日本人にアレをやったら訴訟ものかもしれません
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写真ありがとうございます (KU)
2008-10-08 20:34:58
写真受け取りました。ありがとうございました。
ほとんど Masaca さんがエスコートしていたとは・・・。
さすがは KT 先生って感じです (笑)
しかし、コンゴの留学生、食事からバーまでかけて説教をうけてしまったんですね。なんともはや・・・。バーで説教は、私もTS先生にされたことがありますが、その時は、かなり腹が立って、その後ひとりで飲んだくれてました。
でも、私の時に受けた説教とはレベルが大違いですが。留学生の今後の活躍を祈りたいです。

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