マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

名鉄も撮りました

2009-08-29 07:56:00 | 列車・車輌カタログ(私鉄)
おはようございます。
昨日は午後が会議の手伝いで潰れ、自分の仕事を大量に残したまま打ち上げに参加。
来週は悲惨な状態になると確定した状態で帰ってきて、精神的にも疲れてしまいました。
そんなんで更新も送れちゃいましたが・・・。

さて、一連の撮影会ですが、飯田線の下地駅付近での撮影で、名鉄電車も撮ってまいりました。飯田線の豊橋口では、上下線で1線ずつ国鉄(現JR東海)と名古屋鉄道が線路を保有し、共同で複線の形態として使用するという、全国でも変わった使用方法を採る区間として有名です。

そんなこともあって、名鉄電車も必然的に撮ることになります。ただ、ここでは滞在時間がそんなになかったので、撮った枚数は少ないんですけど。

※撮影は、全て平成21年8月22日、飯田線下地駅及び下地~船町間にて。



3154



1200系 パノラマスーパー



1200系 パノラマスーパー



2200系



3100系 3223



3100系 3223

天気が悪いので、マジ精彩のない写真ばかりですね。もっとも、ピーカンだったら逆光になってしまうので、どのような写りになるのか分りませんが・・・。

実は、この区間は25年前にも来ており、懐かしいと言える駅なんです。当時はこのような形の電車は走っておらず、7000系・7500系パノラマカーばかり、白帯車ももバンバン走っていたんですよね。それでも当時は旧型国電がメインであり、名鉄電車は物の見事に荷電1枚しか撮っていないという悲惨さ。せめてパノラマカーぐらいは撮っておけば良かったという苦い経験のある場所です。

そう言えば、この撮影の翌日、東海道線を移動していたら、名古屋付近から名鉄線に鈴なりのテツが群がってました。7000系パノラマカーのさよなら運転でもあったのでしょうかね?

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快速「佐久間レールパーク号」

2009-08-28 07:06:00 | その他電車
おはようございます。
つい先日、久し振りに1泊の撮影に行ったばかりと思っていたのですが、あっという間に1週間経ってしまいました。今週はメチャクチャ早く過ぎ去った感じがします。
もう8月も終わりです。

さて、撮影旅行の続きです。
佐久間レールパークの見学が終わってからの行動計画はまったくの未定でしたので、『どうする?』ということなのですが、往路の新幹線の中で『佐久間レールパーク号に乗ると記念券がもらえる』との噂に乗り、豊橋に着いてから早速復路の「佐久間レールパーク2号」指定席券を購入しました。

※撮影は、全て平成21年8月22日です。



中部天竜留置線にて クハ116-209



中部天竜留置線にて クハ117-30

中部天竜駅に到着すると、早速「佐久間レールパーク号」のお出迎えを受けます。



中部天竜駅にて クハ116-209



中部天竜駅にて クハ117-30

返しの「佐久間レールパーク2号」として折り返しを待つ117系。本当は入線シーンを撮りたかったのですが、ホームの佐久間寄りはスゴイ数のテツで埋め尽くされていたので、記念写真的にホームで



ヘッドマーク

東海HPによると、デザインは公募だったらしいですね。しかも、かなり強引な巨大ヘッドマークです。



車内の様子

関東在住の者にとって、滅多に乗ることができない117系。車内の様子も撮っておきました・・・テツばっかりです・・・。



豊川駅にて クハ117-30



豊川駅にて 119系との並び

一行が乗ったのは3号車の指定席。期待した乗車記念券が貰えるのは往路だけなんですってhorori。なるほど、帰ってきてから東海HPを見たら、そう書いてあった・・・ちなみに往路は東京初発となる「こだま」に乗っても間に合わないんですよね。
3人とも別々の座席になったので、話をすることもできず、退屈で寝てしまいました。しかし、117系は揺れます。往路の373系特急車両と比較してはいけないのかも知れないですが、格段に乗り心地が違います。

「佐久間レールパーク号」は、豊川に着くと5分も停車します。ここから複線区間なので、特に停車する必要もないと思うのですが・・・途中から線路を共用する名鉄との関係でしょうか?その間に、豊川駅で記念写真。



豊川駅にて

「佐久間レールパーク号」の回送の写真を東海道線で撮ろうということになり、豊川駅から後続の119系単行に乗り換えます。そんなことで、発車後部も撮っておきました。
この日の編成は、豊橋方3両が1次車で、中部天竜方が2次車(100番代)のガチャ編成でした。






下地駅にて

名鉄との併用区間である下地駅で下車。豊橋で折り返してくる回送を狙います。
往路は名古屋発なのに、なんで返しは豊橋止まりなんでしょうね?
撮影場所探しで移動している時間はないと推測し、駅撮りとしました。カブられずにとることができました。

これで1日の撮影が終了!というわけではありません。ここで駅外に出て、昨日アップいたしました119系も含め、鉄橋で写真撮影となります。

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25年ぶり・・・飯田線119系

2009-08-27 01:21:00 | その他電車
こんばんわ。

途中まで打ったら飛んでしまってやり直しですhorori

佐久間レールパークへの道程で必然的に飯田線に乗ることになるわけですが、ほんと、25年振りなんです。旧型国電が全廃となり、さよなら運転と同時に119系に置き換わった日が最後の訪問でした。

特急「伊那路1号」到着したlineさんシービーさん率いる一行は、中部天竜駅に到着してイキナリこの子にお迎えを受けます。
※撮影は、全て平成21年8月22日です。





中部天竜駅側線にて E4編成 復活塗装

地方での話だったので、全然気にしていなかったんですよね。驚きました。ラッキーの一語に尽きます。
ただ、残念なことにパンタグラフを下ろしたままで、まったく動く様子はありませんでした。もっとも、翌日に豊橋から大垣に移動する際、新快速に乗っていたら、この子を下地付近で追い越したんですよね。カメラも用意していないし、窓も開かないので、ただ見送るしかありませんでした。
ちなみに、過去ログでご紹介いたしました登場当初の119系はこちら



中部天竜駅にて E17編成

中部天竜まで来ると、列車の本数はグッと少なくなります。駅外で一服していたらちょうど列車が来る時間でしたので、強引ですが駅の発車を撮ってみました。





中部天竜~佐久間間にて E7編成

佐久間レールパークの見学終了後、lineさんから「佐久間寄りに人が渡れる鉄橋がある」ことを聞いたので、行ってみることにしました。帰りに乗車する快速「佐久間レールパーク号」までの間にこの1本しかないので。1発勝負となります。
なるほど、現地に行ってみたら、通常の作業用通路を歩行者用に開放したような形態ですね。正直、電車が顔前を通り過ぎるの、メチャクチャ怖かったです。
今まで何回も電車で通ったことのある鉄橋なのですが、全然知らなかった・・・。



豊川駅にて E8編成他4連

途中下車した豊川駅で撮った写真。ただの駅撮りですけど。



下地駅にて E15編成

さらに途中の下地駅で途中下車。広い感じのロケーションですが、飯田線の下りには窮屈です。





下地~船町間にて

登場当初、119系電車は、クモハ+クモハ+クハ編成とクモハ+クハ編成が存在しました。これをクモハ+クハに揃えたことによりクモハ(片運)に余剰が発生し、これを両運転台に改造したのがこの100番代です。主に、豊橋~豊川間の区間列車に使用されているようです。
私が119系に逢った頃は、もちろん編成を崩してはいなかったので、両運転台の100番代を初めて撮ることができました。

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119系もそろそろ廃車ですか・・・25年・・・あっという間だな・・・。
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佐久間レールパークへ:展示車両(完)

2009-08-26 00:25:00 | 写真撮影
こんばんわ。

私がアップしているYou tubeにアメリカの方から連日コメントをいただいてしまい、どうやって英語で返したらよいか悩みが増えてしまったつばさです。

昨日は時間がなかったのであっさりと流してしまいましたが、今日も疲れているのであっさりと流します。

昨日に引き続き、佐久間レールパークの展示車両をご紹介したいと思います。
※撮影は、全て平成21年8月22日です。



キハ181-1

佐久間レールパークの主役といえば、やはりこの人でしょう。シンボルマークといって良いと思います。
キハ90・91形の試験結果を元に、強馬力エンジンによる勾配区間でのスピードアップに貢献した最初の量産車両です。最初は中央西線の「しなの」に、続いて奥羽本線対応として「つばさ」に導入されています。その後は「しおかぜ」「南風」といった四国初の特急として、岡山からの速達陰陽連絡特急として「やくも」にも導入されました。
※一時期、新大阪~伯備線~山陰を結ぶ「おき」として誕生していますが、「やくも」へと移行しています。



キハ48036

誕生時の形式に戻されていますが、称号改正によりキハ11となった車両です。
両運転台で便所付がキハ10(北海道用はキハ12)、便所無しがキハ11。同じく片運転台の便所付がキハ7、便所無しがキハ16です。他にも運転台の無いキハ18やキロハ18も存在しました。全国各地の非電化区間で活躍したディーゼルカーのパイオニアとなった車両です。
写真のキハ48036は、国鉄の廃車後茨城交通湊線で使用され、平成7年まで活躍しました。



モハ52004
こちらもレールパークの目玉車両、流電ことモハ52004です。
関西急電から撤退後、阪和線で茶色にされるなど悲惨な人生を送った時期もありましたが、飯田線に転入し快速列車として湘南色など様々にイメージチェンジされたこともあります。
最終的にはスカ色に落ち着き、クモハ52004として5両の兄弟とともに名物電車として活躍しました。
展示車両は、登場時の姿を見事に再現しており、相当な費用が掛かったのではないかと思われます。



クモハ12054

飯田線とはあまり縁の無い車両です。鶴見線用として誕生した、17m片運車のクモハ11を両運化改造した車両です。50番代を名乗り、6両が改造されたにとどまりましたが、保存車両が複数もある幸運な電車です。クモハ11やクハ16の保存車はほとんど無く、両運化されたことにより晩年まで活躍を続け、保存されるに至るなど、明暗を分けた車両と言えるでしょう。



クヤ165-1

運転シミュレーション用の教習車で、種車は東海道・山陽で余剰となったサハシ153です。多くはサハシ169に改造されましたが、さらに余剰となった車両を活用したわけですね。まるで165系の顔をペシャンコにしたような顔立ちが特徴です。もちろん、側面もサハシ時代の面影を多く残しています。
兄弟車でクヤ153-1という車両もありましたが、前面は103系低運転台のような顔つき、側面のドア数も違うなど、多くの相違が見られました。



クハ111-1

帰り掛けに見つけたクハ11-1。この日は展示対象から外されていましたが、どうも9月の車内公開車両になるための整備が行われていたようです。顔を見ることができなかったのは残念ですね。このような近郊型の保存車は極めて珍しいと思います。



ソ180+チキ6132

操重車といって、脱線した車両などを吊り上げるための「線路を走るクレーン車」とでも言いましょうか。
その昔、大きな機関区などには良く配置されていたようですが、実際には脱線事故は少ないですし、道路を走ることのできるクレーン車でも性能的にカバーできるようになったということでしょうね。今ではこのような特殊車両の配置は皆無となってしまいました。



旧中部天竜機関区の庁舎は展示棟として使用されており、このようにヘッドマークも展示されています。飯田線と直接関係するものは少ないようですが・・・。
室内の撮影は遠慮しましたが、駅名板やサボ、乗車券類や模型等、かなりの展示物がありました。これらも無事に新しい博物館へ引き継がれることを望みます。




展示等の外観。たった18年で幕を閉じるテーマパーク。これがなくなってしまうと寂れてしまうのでしょうね。
新しいスタートに夢を託して、最初で最後の訪問を終わります。

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佐久間レールパークへ:展示車両

2009-08-25 07:22:00 | 写真撮影
おはようございます。
Fe4(3?)の撮影会の続きで、いよいよ佐久間レールパークへと入場します。
中部天竜駅までの乗車券を持っていれば無料で入場できます。電車で来ていない人でも、入場券を買えば入ることができます。




子供たちの記念撮影ができる場所。制服も貸してくれます。
子供を撮ろうと思ったら、気が利くお子さんで、わざわざ除けてくれました・・・どかなくても良いのに・・・。
カウントダウンの数字も物悲しく感じます。





新幹線0系 21-2023

持ってくるのが大変だったのか、カットモデルになっています。運転台は人気があるようで、次から次へと出入りしていました。



ED112

旧型国電廃止の頃、浜松工場を訪れた際に留置されているのを見ました。汚れていて正体が判らなかったのですが、この車両だったんですね。入換機械として使用されていたようですが、ED182にその座を奪われ、静かに余生を送っていたようです。大事にされていた結果の保存車両ですね。



ED6214

ご存知、飯田線を活躍の場としていた貨物機。元ED61で、中央東線に導入され、EF64の台頭により飯田線へ。入線に際しては遊車を増設、軸重の軽減を図っています。



オハフ33115


オハ35206

戦前から戦後にかけて製造された急行用3等座席車の代表的な形式。
製造期間が長かったため、車体形状から台車に至るまで、形態差が生じています。
展示車は、2両とも初期の丸屋根・絞り妻形となっています。



オロネ1027

戦後に製造された1等寝台車(旧2等)の決定版。
戦前型が多勢を占めていた中で、優等寝台車のグレードアップに貢献しました。
用途廃止後は寝台や冷房設備を活用し工事用宿泊車両として使用されました。工事用車両化に際しては、固定の客窓をユニット化する等、大幅に外観が変わっていましたが、展示に際して大工事の上、復元したようです。



マイネ407

旧一等寝台車で、保存車両としては大変貴重な形式です。
上のオロネ1027とペアで工事用宿泊車として使用されていたため、幸運にも保存されるに至ったものです。
冷房装置を撤去しており、オロネ1027から貫通路上のダクトを介して冷風を貰っていたという変わり者。貫通路上の四角い板は、その風道の名残です。



スニ3095

戦前の17m客車の標準型。オリジナルの荷物車、2等・3等客車などもあり、戦後には荷物車や救援車などに改造されたものが多数存在しました。
保存されたのも、そうした生き残りがあったこそ、ということになるでしょう。



オヤ3112

オイラン車と呼ばれる建築限界測定車。矢羽根を立てて走行し、それに接触すると内部で分かるようになっています。
国鉄時代は全国の主要客車区に配置されていましたが、現在では電気的なセンサーなどの技術が発達し、ほとんどなくなってしまいました。北海道では未だ現役車がいるようですが・・・。


残念ながら時間がなくなってしまいましたので、第2部に続きます。

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