goo blog サービス終了のお知らせ 

マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

原稿料もらえるんですね・・・

2008-03-22 15:57:23 | ノンジャンル
3日前に http://diary.jp.aol.com/marutetsu/666.html で鉄道ファン誌に投稿記事が採用されたことをお知らせしたところですが、届いたのが鉄道ファン掲載誌1冊だけで、なんのお知らせもステッカーとかボールペンなど記念品も何も無くて、チョットだったんです。
昨日、封書が届いていたのを知らなくて、今日気付いて開けてみたら、郵便局の振替払出証書というのが入っていました。
生命保険の保険料過払いでもあったかと思ったのですが、内容を良く見たら『原稿料』交友社の記載があり、チョビックリしました。

金額はそんな高いものではありませんが、現金で原稿料を貰えるとは思っていなかったので、貧乏人にとってこんな嬉しいことはありません。
ま、マイナス残高の足しにしかなりませんが、掲載されたことと合わせて非常に嬉しい出来事でした。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EF57の末路(宇都宮運転所)

2008-03-22 02:15:03 | 国鉄・JR機関車(直流型)
今日はちょっと悲しいネタかもしれません。
少年の頃大好きだった、EF57の最期の頃写真です。

私がEF57を好きになったのが中学1年生のとき。それまで興味が無かった茶色い機関車ですが、鉄道好きの友人にEF57について教えられ、俄然興味を持ったのでした。
しかし、興味を持って写真を撮り始めた頃が、EF57の活躍に終りを告げる頃だということ知る由も無く、ただがむしゃらに写真を撮り続けました。
当時使っていたカメラが性能が悪く、良い写真が全然撮れなかったのですが、それでもEF57に遭えることだけを楽しみにしていたような気がします。

そんな鉄活動も束の間、EF57を突然見なくなるようになりました。
余りにも見なくなったので、いてもたってもいられなくなり、中学1年生の分際で宇都宮運転所まで出掛けて行ったのでした。

そこで目にしたものは・・・


EF571


EF576


EF579

宇都宮運転所でいい加減に手を縛られ留置されているEF57たちでした。

それまで走っていたのは、1~11・13~15のうち1・3~7・9・11・13
だったと思います。おそらくですが、2・8・10・14・15の5両は一足早く廃車となってしまっていたようでした。
特にこの写真の中でも、6号機と9号機は走行している確かな記録がありませんので、先に廃車となった号機たちと大差なく休車になってしまったものと思われます。
そして、この2台はその後本線に復活することなく解体されてしまったようです。
昭和51年の下期くらいでしょうか。

この後奇跡が起きます。全て休車となっていたEF57たちですが、多客輸送でまた走り出したのです。残っていたのは、1・3・4・5・7・11・13だったと記憶しております。多客時の輸送に機関車が足りなかったのでしょうか、本線を走る姿を見られるようになりました。また彼らを追いかける日々となりました。

しかし、それも長くは続きませんでした。多客輸送が落ち着きだすと、またEF57の姿を見る機会が無くなりました。
そこで、また翌52年に再び宇都宮運転所を訪れました。


EF574


EF577


EF5711

この訪れたときには1・4・7・11の4台しか残っていなく、3・5・13は既に大宮工場に送られてしまった後のようでした。
結局、この写真を撮って以降、二度と本線に返り咲くことは無く、また、さよなら運転などのイベントも無く、ひっそりと姿を消してしまいました。
その後、7号機だけは解体を免れ、公園で静態保存されることになったのはせめてもの救いでしょうか。できれば、特殊なスタイルで人気のあった1号機も残して欲しかったと悔やまれます。

少年時代に最大に憧れた機関車EF57。写真も良いものが無く、記録としても全滅としか言えないほどの始末ですが、その存在を永遠に忘れることは無いでしょう・・・。







コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都営バス「オリンピックを東京に!」:大丈夫ですかね石原さん

2008-03-21 21:13:05 | バスの写真館
ちょっと久し振りのバスネタです。

昨日、お彼岸の墓参りで巣鴨に行き、その様子をアップいたしましたが、昼食のお店を物色しているとき白山通り(国道17号線)で都営のラッピングバスを見つけました。

国道17号線を挟んで地蔵通りと真反対側に都営バスの巣鴨営業所があります。
家族連れなのでまだ1度もお邪魔したことはありませんが、営業所が近いことだけあって都営バスがバンバン通ります。

歩道を歩いていたとき、「あれオリンピックのだよ!貴重になるんじゃない?」・・・「へ?」・・・女房に言われて初めてバスに着目しました。
腹が減っていたし、良い店がなかなか見つからないのでバスなんか全然気にならなかったのですが。「撮っておいた方が良いんだ!」と思うまで1分くらい掛かってようやくカメラをスイッチON!運良く営業所への右折待ちだったので捉えることができました。






平成20年3月20日撮影 巣鴨駅付近にて

ラッピングバス大嫌い派の私がラッピングに着目して撮影するのは極めて珍しいことです。
オリンピック招致のオリジナルロゴに卓球の福原愛ちゃん。頑張ってスマッシュしてますね。

2016年オリンピックは強敵が多いようで、絶望視されている向きも多いような話です。むしろ、前評判の悪い今年の北京と争った方が確率的には良かったんでしょうか?

いずれにしても、開催国となるかどうか、現時点では分かりません。

2016年まであと8年もあります。果たして東京に、日本に招致することができるんでしょうか・・・幻のラッピングとなってしまうのか・・・石原さん、大丈夫ですかね?
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キハ58系急行「ときわ」「奥久慈」

2008-03-21 01:35:09 | 気動車(急行・その他)
過去ログで修学旅行用のキハ58系800番代のご紹介をしたことはありましたが、気動車急行列車に特化してご紹介したことが無かった思いますので、今日は1発ご覧頂きたいと思います。

今日ご紹介いたしますのは、常磐線全線電化後も走り続けた気動車急行「ときわ」「奥久慈」です。
「ときわ」は451・453系を中心とした電車急行で、特急「ひたち」がキハ81系による1往復運転時代からも常磐線の優等列車として活躍していました。
電車急行であると同時に、水戸から水郡線に乗り入れている気動車急行「奥久慈」を伴って、これを併結した気動車急行としても歴史があります。
「奥久慈」は上野に乗り入れる水郡線からの唯一の列車であり、通年2往復体制をとっていましたが、多客期には臨時列車も増発されています。水郡線内では何れも途中駅まで急行運転であり、その先は普通列車となっていました。

では、架線の下を疾走していたDC時代の「ときわ」「奥久慈」をご覧下さい。


昭和55年頃 上野駅にて 常磐線快速ホーム11番線に停車中のDC急行「ときわ」

時代によって変遷があるようですが、上野駅の11・12番線は京浜・山手ホーム同様に嵩がありますので、ステップ付きの車両は入口の1歩目が落ち込むため危険なんですよね。私がバイト時代に臨時の「ときわ」「奥久慈」が11番線発だったので、この写真も臨時かもしれません。旅客誘導中に何人かステップに足を引っ掛けて転びそうになった人がいましたな。



昭和55年頃 上野駅にて 上野駅を発車したDC急行「ときわ」「奥久慈」

上の写真の列車が発車したシーンと思われます。この時代でも上野発のDC急行は非冷房車が多かったのですが、関東のみを運用する水戸区には冷房車が中心に配置されていたようですね。同じ時代の「おが」や「いいで」「ざおう」と随分格差のある編成です。



昭和56年5月頃 常磐線 新松戸駅にて 快速線を疾走するDC急行

常磐快速線はこの区間でも95~100km/h運転していましたので、DC急行も結構カッ飛んでいましたね。



昭和56年8月30日 常磐線 新松戸~北小金間にて 下りDC急行

これは新松戸駅近くの築堤をよじ登って撮影したものです。未だ循環タンクの付いていないトイレの列車が走っていたので、実はこのアングル、ある意味命がけです。
今ではこんなところをよじ登ることすら出来ないんでしょうね。



昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて

この区間は交流区間ですが、DCだから「そんなの関係ねぇ。」

この翌年の昭和58年には、急行「奥久慈」は常磐線内のみとなり、水戸からは普通列車という直通しているだけの役割となり、年を追うごとに衰退し、昭和60年3月改正でとうとう廃止となっています。

私は個人的に常磐線には縁がなかったので、当急行列車には乗ったことはありませんが、その昔は編成中にキハ55も組み込まれており、注目していた列車でした。
しかし、現実にはバイト中に臨時の「奥久慈」にキハ55が3両連結されているのを見たことがあるだけで、晩年の定期急行はキハ58系に統一されていたようでした。
結果的に混成列車を撮ることができなかったのが非常に残念でした。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お彼岸の『とげぬき地蔵』

2008-03-20 22:25:22 | 鉄道以外の写真ネタ
今日はお彼岸の中日、春分の日。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、これまでの春を越したような陽気に比べて、今日はなんと寒かったことか。

我家の恒例で、お彼岸は我が本家と女房の実家のお墓参りに行っています。
我が本家のお寺はお隣の戸田市内にあり、早ければクルマで10ほどの近いところなのですが、女房の実家のお墓は、地蔵通りの入り口にあります「真性寺」というお寺なので、大体は女房のお母さんと現地待ち合わせで、お墓参りの後に『とげぬき地蔵』にお参りし、昼食を摂って帰るというのが結婚して以来のパターンとなっています。

いつもはお彼岸であろうと無かろうと、休みの日の「地蔵通り」はジジババたちで大変な混雑なのですが、予想通りといいますか、今日は通りも閑散といった感じです。
毎度毎度ですが、歩きの遅いジジババたちにぶつかりそうになったり踏み付けそうになったり、ある意味大変危険な場所ですし、生来人混みが嫌いな私としてはどうしても好きになれない場所です。ですから、こんな雨の日は面倒ではありますが、安心して歩くことガできるのです。




いつもの活気が全く感じられない「地蔵通り商店街」。
人通りはそれなりにあるものの、殆どが地元生活者たちという感じで、巣鴨駅へ向かう人、帰ってくる人たちばかりのようです。



いつもは3つ折の行列となる観音様(通称:洗い観音)。
今日はご覧のとおり、順番待ちも最大5分程度でしょうかね。
ちなみに私は一度も並んだことがありません。一度アタマの辺りでも洗っておいた方が良いかな・・・。


なんで行列が少ないかと言うと、境内自体がこんな感じだからです。つまり、今日は殆どのジジババは家でゆっくりしているのでしょう。
正解です。無理をして風邪引くより、今日は家でご先祖さまを供養していた方が良いですよ。

この後、家族でラーメン定食を食べ、家路に着きました。
道路も一部大通り同士の交差部分で若干の渋滞がありましたが、概ね空いていましたね。お彼岸はいつも渋滞と人混みでウンザリするのですが、今日はあまりストレスを溜めずに帰って来ました。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする