こんばんわ。
今日はメチャクチャ蒸し暑かったですね。エアコンの掃除をしていなくて、天然の中に住んでいる我家では、そりゃもう苦痛以外の何モノでもありません。
さて、今日は今までアップしたこと無かったと思うんですが、東北本線・磐越西線の特急「あいづ」のうち、クロ481が写っている画像をアップしたいと思います。
「あいづ」と言えば、上野~会津若松を結ぶ唯一の特急列車のイメージがありますが、特急列車としての起源を辿ると、昭和40年に誕生したキハ82系「やまばと」がルーツです。上野~郡山間は山形行きの編成と併結した多層建て特急でした。
昭和43年10月のダイヤ改正により会津「やまばと」を単独化・電車化し、ここに電車特急「あいづ」が誕生します。
高度成長期、特急列車の需要が増大する中で、東北特急は12両又は13両編成の列車が台頭していましたが、「あいづ」だけは磐越西線内の線路有効長の関係で9両編成に抑えられていたため、食堂車を連結する関係からグリーン車は上野方編成端にクロ481を連結することになりました。
この編成は、東北特急から食堂車が廃止されるまで維持され、東北特急唯一の貴重な存在となっていました。

昭和51年頃 撮影地不詳 上り「あいづ」
多分、私の人生の中で初めてキレイに撮れた写真。この写真の出来上がりを見たとき『なんてキレイな写真なんだ』と思ったくらいでした。じいさんから借りた一眼レフじゃない完全マニュアルカメラ。露出計も付いていないので全て勘を頼りに撮っていました。

昭和52年頃 東北本線 尾久~赤羽間にて 下り「あいづ」
赤羽駅が高架化される前、赤羽駅よりやや離れた上野寄りにクルマが通れない小さい踏切がありました。ここは東北本線と赤羽線が独立して遮断機が設置されていたため、堂々と間近で列車の写真を撮ることができました。

昭和53年 東北本線 蕨~西川口間にて 上り「あいづ」
当時の常連アングル。リバーサルからスキャニングしました。順光で適正露出が来たため、真っ青な空が写りこみました。おそらく冬。昭和53年初頭の頃でしょう。

昭和54年3月 西日暮里駅から 下り「あいづ」
昔の有名撮影地。私はこの頃望遠レンズも持っていなかったので、あまり行った記憶がありません。lineさんやシービーさんは常連だったみたいです。今では東北新幹線に邪魔されて、おそらく屋根くらいしか見えないのではないでしょうか。

昭和56年1月5日 東北本線 白坂駅付近にて 下り「あいづ」
唯一雪の中で撮ったクロ481「あいづ」。時間が16時くらいなので、暮色に染まり始めています。
黒磯に停車するので、交直切替えの際にパンタグラフを下ろすのが通常ですが、この「あいづ」は2丁上げたままで走っていますね。クロ481を撮った最後の写真となったようです。
「あいづ」の写真は、もちろんクハ篇もあります。また思い出した頃にアップしようと思います。
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今日はメチャクチャ蒸し暑かったですね。エアコンの掃除をしていなくて、天然の中に住んでいる我家では、そりゃもう苦痛以外の何モノでもありません。
さて、今日は今までアップしたこと無かったと思うんですが、東北本線・磐越西線の特急「あいづ」のうち、クロ481が写っている画像をアップしたいと思います。
「あいづ」と言えば、上野~会津若松を結ぶ唯一の特急列車のイメージがありますが、特急列車としての起源を辿ると、昭和40年に誕生したキハ82系「やまばと」がルーツです。上野~郡山間は山形行きの編成と併結した多層建て特急でした。
昭和43年10月のダイヤ改正により会津「やまばと」を単独化・電車化し、ここに電車特急「あいづ」が誕生します。
高度成長期、特急列車の需要が増大する中で、東北特急は12両又は13両編成の列車が台頭していましたが、「あいづ」だけは磐越西線内の線路有効長の関係で9両編成に抑えられていたため、食堂車を連結する関係からグリーン車は上野方編成端にクロ481を連結することになりました。
この編成は、東北特急から食堂車が廃止されるまで維持され、東北特急唯一の貴重な存在となっていました。

昭和51年頃 撮影地不詳 上り「あいづ」
多分、私の人生の中で初めてキレイに撮れた写真。この写真の出来上がりを見たとき『なんてキレイな写真なんだ』と思ったくらいでした。じいさんから借りた一眼レフじゃない完全マニュアルカメラ。露出計も付いていないので全て勘を頼りに撮っていました。

昭和52年頃 東北本線 尾久~赤羽間にて 下り「あいづ」
赤羽駅が高架化される前、赤羽駅よりやや離れた上野寄りにクルマが通れない小さい踏切がありました。ここは東北本線と赤羽線が独立して遮断機が設置されていたため、堂々と間近で列車の写真を撮ることができました。

昭和53年 東北本線 蕨~西川口間にて 上り「あいづ」
当時の常連アングル。リバーサルからスキャニングしました。順光で適正露出が来たため、真っ青な空が写りこみました。おそらく冬。昭和53年初頭の頃でしょう。

昭和54年3月 西日暮里駅から 下り「あいづ」
昔の有名撮影地。私はこの頃望遠レンズも持っていなかったので、あまり行った記憶がありません。lineさんやシービーさんは常連だったみたいです。今では東北新幹線に邪魔されて、おそらく屋根くらいしか見えないのではないでしょうか。

昭和56年1月5日 東北本線 白坂駅付近にて 下り「あいづ」
唯一雪の中で撮ったクロ481「あいづ」。時間が16時くらいなので、暮色に染まり始めています。
黒磯に停車するので、交直切替えの際にパンタグラフを下ろすのが通常ですが、この「あいづ」は2丁上げたままで走っていますね。クロ481を撮った最後の写真となったようです。
「あいづ」の写真は、もちろんクハ篇もあります。また思い出した頃にアップしようと思います。
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新幹線開業後のいまでもビバあいづのような形で残っているのはこの特急の利便性が物語られていますね。
夏のFe4ツアー、こっち方面どうです?
土曜の朝ポチいっちょ
オハ!
「あいづ」は臨時を除くと終始1往復だけでしたね。
でも、午後のマッタリした時間に「ひたち」→「あいづ」、「あいづ」→「ひたち」と2度出現したので、遭遇率は高かったと思います。
この夏も「あいづ」が走りますね。ただ、朝早いんですけど・・・。我家の近辺では、「あいづ」「EL&SL奥利根」「あがつま草津」など臨時が目白押しですし、上りの「あけぼの」が未だ田端機が入っているなど話題は豊富ですね。400系「つばさ」の駅撮りなどを絡めても面白いかもしれません。そろそろ、計画を立てたいところですね。
朝ポチども!
ボンネットで絵入りマークだったら、イヤになっていたかも。
交流区間を2丁パンタ、珍しいっすね。
西日暮里では2.3回撮ったくらいですよ。南浦和~蕨間がテリトリーでした。貨物も撮れるイイ場所でした。
朝、マイPCでポチと、職場からのポチで重連ポチです。
ボンネットの最期といえば「あいづ」「ひたち」でしたね。「ひたち」は絵入りになって変な色になりましたが、「あいづ」はオリジナルのままでした。
私も南浦和は何回か行っていたようで、スキャニングしたら結構出てきました。でも、背の高い草が多かったようで、結構画面にカブっていました(悔)。
Wぽちども!
西日暮里のポイントは昭和51年頃まで通ってた場所なんですが、上の写真を見ると一番手前にコンクリートポールが立っちゃってるのですね。
これだとアングルも難しくなっちゃいますな。
このコンクリートポールは架線を引っ張るためのヤツですね。良く見ると明らかに新しく見えますので、設置されたばかりでしょうか。
今から考えれば良いアングルだと思うのですが、何故か鶯谷、日暮里、西日暮里は行かなかったです。やはり望遠レンズを持っていなかったのが原因でしょうかね。
今日は暑かったですがエアコンまともに体に当てると良くないし。お腹冷えたり頭痛の元になりますんで。
私も磐西に通うようになったのはクルマの免許を取ってからなので、ボンネットは既にいませんでした。年齢的な問題ですから仕方ないですね。
ご心配いただきありがとうございます。数日は扇風機のお世話になる予定です。しかし、今日歯医者に行ったのですが、涼しくて天国のようでした。
485系いいですね、昔東海道線でボンネット型こだまだった頃に一回乗っています。なんて懐かしいんですかね、それとよく写真が保存がされてます。特に80系の記事には泣けますね!80系のレプリカですが藤沢駅で毎日見ております。(キオスクの売店ですがね?)今度181系「しおじ・はと」Nですけど走行させます。(動画で)
昔は「これでもかっ!」てくらいに走っていた485系ですが、今では本当に見るのが大変になりました。特にボンネット型は489系「能登」を除いて全滅しちゃいましたんで、もうリバイバルでさえ望むことも出来ないので残念です。
湘南型の売店、知ってますよ。ちょっと前になりますが、このところ何回か東海道方面に出掛けていますので、車窓から見るようにしています。113系じゃなくて80系なのがミソですね。今度は中に入ってみたいです。