こんばんわ。
調べ物をしていたら遅い時間になっちゃいました。新年仕事始めから飛ばし過ぎ。
さて、この間コメントでいただきました、東京機関区で最後までHゴム化されずに残っていたEF15形のうち、157号機の写真がありますのでご覧ください。
昭和54年頃 蕨~南浦和間にて EF15157
自分で現像したフィルムのようなので、時期的に昭和54年から55年にかけての頃だと思います。後に貨車の影が見えないので、単機かもしれませんね。
正面窓はもちろんですが、側窓も一切Hゴム化されておりません。もうちょっとサイドの判る写真だと良かったんですが、この角度だと返って側面に凸凹がないのが良く判別できます。
東京機関区にこのほかにも最後までHゴム化されずに美しい姿を保ち続けた153号機がいました。今から3年ほど前ですが過去ログ『東京機関区のEF15 153・178』でアップしておりますので、時間があったら覗いてみてください。
データ
昭和32年10月29日 日立製 新製配置 新鶴見機関区
昭和34年 1月 7日 長岡第二機関区へ移動
昭和37年 9月30日 沼津機関区へ移動
昭和39年 5月13日 広島機関区へ移動
昭和54年 5月22日 東京機関区へ移動
昭和58年 8月 5日 廃車
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調べ物をしていたら遅い時間になっちゃいました。新年仕事始めから飛ばし過ぎ。
さて、この間コメントでいただきました、東京機関区で最後までHゴム化されずに残っていたEF15形のうち、157号機の写真がありますのでご覧ください。
昭和54年頃 蕨~南浦和間にて EF15157
自分で現像したフィルムのようなので、時期的に昭和54年から55年にかけての頃だと思います。後に貨車の影が見えないので、単機かもしれませんね。
正面窓はもちろんですが、側窓も一切Hゴム化されておりません。もうちょっとサイドの判る写真だと良かったんですが、この角度だと返って側面に凸凹がないのが良く判別できます。
東京機関区にこのほかにも最後までHゴム化されずに美しい姿を保ち続けた153号機がいました。今から3年ほど前ですが過去ログ『東京機関区のEF15 153・178』でアップしておりますので、時間があったら覗いてみてください。
データ
昭和32年10月29日 日立製 新製配置 新鶴見機関区
昭和34年 1月 7日 長岡第二機関区へ移動
昭和37年 9月30日 沼津機関区へ移動
昭和39年 5月13日 広島機関区へ移動
昭和54年 5月22日 東京機関区へ移動
昭和58年 8月 5日 廃車
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このカマはマド回りをはじめ殆ど手をつける事なく最期を迎えましたけど、ゴハチとは異なり茶ガマであるが故に黒ゴム支持でも遠目でみるとその見分けがあまり付かなかったと思います。
本日はこれをもちまして私は失礼します。
当時ではEF58でさえ窓回りなんて気にしないで撮っていましたから、ことEF15については全く関心なくただ撮っていた感じでしたね。
写真の焼き増しをしていたころ、知り合いに言われて初めて気がついたくらいでした。
EF15を意識するようになった覚えがありますね。
鹿児島に住んでる私にとっては「東京機関区」「品川客車区」
「田町電車区」などとか、憧れの存在だった中、東京機関区の中でも
地味だったEF15を改めて見ると、格好いいですね。
大宮にこの機関車、保存されてました?
私ら首都圏に住む者が地方の列車に憧れるように、地方に住んでらっしゃる方は大量にある首都圏の形式に憧れるのでしょうね。
EF15は168号機のお面だけと、公開してはいませんが192号機が大宮センターにいるようです。見たことあったかな・・・。
これらの初期車に比べると個性が無いですが、正面は原形の美しい感じですね。
竜華のカマみたいにいじり倒されないのがいいです。
余談ですが竜華といえばEF52も昔居ましたね。
カマ番は忘れましたが、エアフィルターの形状が少しづつ違ってたり、4号機?は引っ掛けテールではなく貫通扉に寄った位置に埋め込まれていたり・・・。
ただ、実際に見たのは5,7が多かったような。
当時、子供でしたので記憶が曖昧ですが。
7,8号機は後にEF541,2となって戦時中か終戦直後にギア比を貨物用に変更されその後中央線、最後は大阪駅構内の入換用に使われていました。
大阪駅のそれは見た記憶があり、確かエンド部分をトラ塗りにされたいたようです。
何分子供の頃の記憶なんで不安ですが。
EF54もDD54ほどではないにしろ、54番の不幸なカマの1つ(C54もそうらしい)として語られるようです。
模型でもEF52は私の知る限り16番で2社、Nで2社製品化されたようです。
15の記事に余計な事書いてすみません。
この車両のように、車体が少しペコペコしている方が、貨物機らしい感じがして好きでした。
ただ茶色でなく青色機ですと、みすぼらしい感じがしますが。
EF10~EF13を知っている私の世代からすると、EF15はゴロゴロいていつでも見られるような存在でしたので、EF58と同様に、晩年になるまで注目していないカマでした。59・2の大合理化が無ければ、もっと長生きできたでしょうね。それでも、1桁ナンバーのカマには注目していました。
54は不遇の番号として知られていますが、その後、クモハ54やスロ54、キハ54は結構活躍しましたので、今のところカマだけの特定範囲のようですね。
EF15は他のデッキ付機と違い、戦後生まれなんですよね。そういう意味では、EF60なんかと比べても、それほどの年代差は無いわけで。
それでも旧型然としたスタイルは、青ガマとは違った貫禄があったんですね。