こんばんわ。
久しぶりに101系の写真をアップしたいと思います。今日は、中央線快速の101系時代の写真です。
昭和51年6月6日 東京駅1番線にて 中央線「特別快速」
101系といえば中央線、中央線といえば特別快速ですね。新性能車で「特別快速」という早い列車が注目を集めた時代もありました。
101系オンリーだった中央線快速でしたが、山手線や京浜東北線の103系冷房車投入に遅れをとってはいけないため、冷房改造が施工されるようになり、特に「特別快速」に重点を置いて運用を組むほど重要視されていました。言わば、首都圏を、そして、全国を代表する国電区間であったわけです。
写真は、現在の東京駅の3番線にあたる、当時の1番線です。ポケットカメラでネガにかなり傷が付いてしまったので、画像を修復して掲載しています。
昭和55年10月頃 中央線神田駅にて 101系800番台で編成された快速電車
中央線快速の101系は、古くから臨時で相模湖や大月方面への乗り入れを行っていました。トンネル断面の小さい中央本線では、乗り入れる車両は181系を除いて低屋根構造の800番台を使用しました。これは70系・73系の「山ゲタ」時代から続いています。
低屋根構造の新性能4扉車は101系の他に例が無く、大変注目を集める存在でありました。
おって、続きの画像をお届けいたしますのでお楽しみに!
参考までに、過去ログから101系関係のリンクを貼っておきます。
鶴見線(73系・101系)→http://diary.jp.aol.com/applet/marutetsu/20070701/archive
武蔵野線(101系1000番台)→http://diary.jp.aol.com/marutetsu/162.html
南武線(101系)→http://diary.jp.aol.com/marutetsu/147.html
赤羽線(101系・103系)→http://diary.jp.aol.com/marutetsu/111.html
久しぶりに101系の写真をアップしたいと思います。今日は、中央線快速の101系時代の写真です。
昭和51年6月6日 東京駅1番線にて 中央線「特別快速」
101系といえば中央線、中央線といえば特別快速ですね。新性能車で「特別快速」という早い列車が注目を集めた時代もありました。
101系オンリーだった中央線快速でしたが、山手線や京浜東北線の103系冷房車投入に遅れをとってはいけないため、冷房改造が施工されるようになり、特に「特別快速」に重点を置いて運用を組むほど重要視されていました。言わば、首都圏を、そして、全国を代表する国電区間であったわけです。
写真は、現在の東京駅の3番線にあたる、当時の1番線です。ポケットカメラでネガにかなり傷が付いてしまったので、画像を修復して掲載しています。
昭和55年10月頃 中央線神田駅にて 101系800番台で編成された快速電車
中央線快速の101系は、古くから臨時で相模湖や大月方面への乗り入れを行っていました。トンネル断面の小さい中央本線では、乗り入れる車両は181系を除いて低屋根構造の800番台を使用しました。これは70系・73系の「山ゲタ」時代から続いています。
低屋根構造の新性能4扉車は101系の他に例が無く、大変注目を集める存在でありました。
おって、続きの画像をお届けいたしますのでお楽しみに!
参考までに、過去ログから101系関係のリンクを貼っておきます。
鶴見線(73系・101系)→http://diary.jp.aol.com/applet/marutetsu/20070701/archive
武蔵野線(101系1000番台)→http://diary.jp.aol.com/marutetsu/162.html
南武線(101系)→http://diary.jp.aol.com/marutetsu/147.html
赤羽線(101系・103系)→http://diary.jp.aol.com/marutetsu/111.html
当時の中央線は通勤電車にヘッドマークという姿が異彩を放ってましたね(総武線も101系が快速やってたころはつけてましたけど)
この赤い電車もまもなく見納めですね。乗り心地は快適になりますが、東京の風景から赤い電車が消えるのは寂しい限りです。
私は、KATOの101系は中央快速レジェンドしかもってないので、臨時収入があったら黄色も欲しいですぅ~。(定期解約覚悟でマイクロの24系「ゆうづる」フル編成予約しちゃいました。)
自分も撮ったのですが、日差しが強くてコントラストが激しくて変な写りになっちゃってます。
101系といえばギロチンのようなドアの閉まり方、あれが印象に残ってます。
只今、雷と共に猛烈な雨が降っています。
現在ではこの番線も京浜東北線になってしまいましたし、高架の中央線が覆ってしまったので、この雰囲気は出せないかもしれませんね。
ポケットカメラの写真でキズだらけになってしまったのは非常にショックです。もっと早くデジタルと言う技術があれば復元させられたんでしょうがね。
101系のドアね(笑)。あれはベルト式だったので遊びが無く、遠慮の無い閉まり方をしましたね。今では秩父鉄道に行かないと体験できないでしょうか。
昭和59年の夏休み最後の日に、当時中学生だった私は故郷大宮を訪ねての帰りに大船行きの電車=天然冷房車でしたのでマドを開けてましたが=で神田を出たときに中央快速の101と併走して東京へと向かって行きましたけど、高尾寄りのクモハ100のナンバーを確かめたところなんと[クモハ100-3]という当時現役のクモハ100のなかにおける最若番だったので出会うことが出来、とても嬉しかった記憶があります。
その頃になると中央快速の101の淘汰は大詰めを迎えており、このクモハ100-3も翌9月には廃車となってしまいましたが、新製配置時より101が撤退する直前まで中央快速においてよく頑張ってた事にはホントにスゴいなと思います。
今日はこの辺にて失礼します。
私はあまり101系というか通勤型の写真を撮っていなかったので、最後の頃はもう番号なんて気にしていられる状況じゃなかったですね。低屋根の800番代だけは外観からも判りますので、やはりコイツが来るとラッキーと思ってました。
関西に行ったとき、大阪環状線も関西本線も101系ばかりだったんですけどね。国電を撮るほどフィルムに余裕が無かったんですよ。勿体無かったです。