今日は久々にEF58シリーズをお送りいたします。
Fe4の事務局長lineさんが、EF5858について http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/89.html といった記事を出していただいているのですが、この中で、EF5858号機はHゴム改造を受けているのに窓が他の号機より大きいのではないか?ということが話題になりました。
確かに、他のHゴム機と比較すると、窓の下辺がやや下にあるため、窓全体が大きいような感じです。
本当は実測や資料で検証できれば良いのですが、当時そのような話題を見聞きしたことが無く、実車も廃車された今となっては謎というしかありません。
同機は幸か不幸か、上越形のツララ切りを装備しているため、窓に影がかかって全体像をハッキリさせてくれません。したがって、雰囲気からご覧の皆さんに判断していただくということで、過去ログ再掲と新規スキャンで出てきた写真をご覧下さい。
昭和51年 田端機関区にて 折り返し待機車
EF57の写真を撮りに初めて田端機関区に行った時。肝心のEF57は居なくて、この語呂の良い58号機を見て何だか得した気分になったことを記憶しています。
昭和51年 東北本線 大宮駅にて 125レ 福島行 普通列車
大宮駅で捉えた普通列車を牽引する58号機。この当時は未だツララ切りとかHゴムとかそんな区別は付かなかったし、気にもしていませんでした。
昭和53年頃 東北本線 蕨~西川口間にて 上り オールグリーン列車(再掲)
過去ログで掲載したオールグリーン(お座敷ではない!)の列車を牽引する58号機。
こんなリッチな編成が、昔なりにあったんですね。高嶺の花で、指をくわえて見ているだけの存在でした。
昭和53年頃 東北本線 蕨~西川口間にて 上り 急行「八甲田」(再掲)
こちらも過去ログ掲載の急行「八甲田」を牽引する写真です。
北海道の急行「ニセコ」から引き継ぐ郵便車オユ10と、その次にはワサフ8000、ハザを介してグリーン帯付きのスロ62と、急行黄金期を象徴する編成でした。
58号機のスペック
昭和28年5月2日落成 東芝製 初期配置は沼津区
エアフィルタは原形、パンタグラフはPS15に換装済。
耐寒装備済みだが、ツララ切り以外の装備は撤去済み。晩年にデフロスタが施工されたかは不明。
Hゴム改造済みだが、下辺が通常の改造機より下がっており、面積自体が大きい可能性あり。
昭和57年2月4日付 宇都宮区を最終配置として廃車
Fe4の事務局長lineさんが、EF5858について http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/89.html といった記事を出していただいているのですが、この中で、EF5858号機はHゴム改造を受けているのに窓が他の号機より大きいのではないか?ということが話題になりました。
確かに、他のHゴム機と比較すると、窓の下辺がやや下にあるため、窓全体が大きいような感じです。
本当は実測や資料で検証できれば良いのですが、当時そのような話題を見聞きしたことが無く、実車も廃車された今となっては謎というしかありません。
同機は幸か不幸か、上越形のツララ切りを装備しているため、窓に影がかかって全体像をハッキリさせてくれません。したがって、雰囲気からご覧の皆さんに判断していただくということで、過去ログ再掲と新規スキャンで出てきた写真をご覧下さい。
昭和51年 田端機関区にて 折り返し待機車
EF57の写真を撮りに初めて田端機関区に行った時。肝心のEF57は居なくて、この語呂の良い58号機を見て何だか得した気分になったことを記憶しています。
昭和51年 東北本線 大宮駅にて 125レ 福島行 普通列車
大宮駅で捉えた普通列車を牽引する58号機。この当時は未だツララ切りとかHゴムとかそんな区別は付かなかったし、気にもしていませんでした。
昭和53年頃 東北本線 蕨~西川口間にて 上り オールグリーン列車(再掲)
過去ログで掲載したオールグリーン(お座敷ではない!)の列車を牽引する58号機。
こんなリッチな編成が、昔なりにあったんですね。高嶺の花で、指をくわえて見ているだけの存在でした。
昭和53年頃 東北本線 蕨~西川口間にて 上り 急行「八甲田」(再掲)
こちらも過去ログ掲載の急行「八甲田」を牽引する写真です。
北海道の急行「ニセコ」から引き継ぐ郵便車オユ10と、その次にはワサフ8000、ハザを介してグリーン帯付きのスロ62と、急行黄金期を象徴する編成でした。
58号機のスペック
昭和28年5月2日落成 東芝製 初期配置は沼津区
エアフィルタは原形、パンタグラフはPS15に換装済。
耐寒装備済みだが、ツララ切り以外の装備は撤去済み。晩年にデフロスタが施工されたかは不明。
Hゴム改造済みだが、下辺が通常の改造機より下がっており、面積自体が大きい可能性あり。
昭和57年2月4日付 宇都宮区を最終配置として廃車
しかし、テールとかPS15とかいじられてますね。番号がいいので惜しい気もします。
言われると気がつきますが、そのまま流されて違いがわからないかもしれないです。
他のと比較すれば違いがわかるんでしょうが。
ググってみたら古い時代の画像を見つけました。
もうチョット研究して補足アップしたいと思います。
私、このテールはあまり嫌いじゃないので構わないのですが、Hゴムがそんな早い時代に活用されていた方が驚きました。
比較するにしてもビミョーなんですよね。下辺が低いのは判るのですが。
昔の写真をいくつか見ましたが、Hゴム改造車の第1号なんてこともあるかもしれません。そうすると、他のカマと時代的に相違があるのも納得行くのですが・・・。
個人的な好みもあるでしょうが、グレー色のやつが一番似合わなかった気がします。ただEF65なんか逆にグレーの方がよかったのですけど。
やはり見慣れた感じが一番なんでしょうね。
昔、写真を撮っている時にはあまり意識はしていなかったんですけど。原形とか大窓とか区別するようになったのは、もう殆どのEF58が引退してしまった頃のように思います。
好みの問題もありますが、むしろ窓よりブタバナが非常にイヤでした。強いて言えば、白Hゴムが目立ちすぎてちょっと・・・という感じですかね。
この時代のお座敷はそんなに編成数が多くないので、緑帯6両というのは意外に少なかったと思います。
もちろん、オール座席グリーンというのも編成数としてはほとんどなかったはずなのですが、運が良いとまれに見る機会がありましたね。
58号機の窓も微妙過ぎて、lineさんに言われるまで判りませんでした。良く見ればなるほどということなのでしょうが、他の写真を探して検証したいと思います。
PS15・・・関西線の103は私は見れずじまいでした。少なくても昭和52年ごろは居なかったように思うんですが。主に快速用の113系も阪和の新快速色を朱に変えた感じで101とともに妙に合ってた気がします。湊町駅もJR難波駅に変わってしまったし沿線風景も30年前とかなり変わっちゃったでしょうね。
EF5858についてはまた後ほど。
関西本線の103系化の詳しい情報が無いのですが、'80年代からのようですね。
ちなみに、仙石線の103系については、山手・京浜・青梅・横浜線からの寄せ集めという記事がWikiに記されていました。