こんばんわ。
また貴重な休みが終わってしまいました。今日はMY娘。の水泳大会のお付き合い。屋外だったのですが、日焼け予防の為に首にタオルを巻いていたのに、何故か日焼けしてしまいヒドイ目にあいました。まぁ、大気の状態が不安定ということだったのですが、雨が降らずに良かったです。
さて、過去ログで特急「はくたか」を何度かアップしたことがあったのですが、フィルムスキャンで新たな画像が出現、枚数も出揃いましたので、総集編として再掲も含めて全部アップしたいと思います。
昭和48年頃 東北本線 西川口~蕨間にて クハ481 赤スカート車
昭和54年頃まで、「はくたか」は向日町運転所の481系が使用されていたため、このように赤スカート車が上京する機会がありました。その後も何度か狙いましたが、このとき限りしか逢うことはできませんでしたけど。クハ481ボンネット車を好きになったきっかけとなった写真です。
昭和51年頃 上野駅にて クハ481ボンネット車
この頃の「はくたか」はボンネット車が圧倒的に多かったような気がします。ですので、それなりに写真に撮る機会も多かったような。まだ向日町運転所の481系時代が続きます。
昭和51年頃 東北本線 赤羽駅にて クハ481ボンネット車
高架化前の赤羽駅での写真。リコーオートハーフでの撮影のため、ブレてしまっています。今までアルバムに入ることすらなかった写真でしたが、今となっては懐かしい風景です。
昭和52年頃 東北本線 大宮駅にて クハ481 300番代 非貫通型
何度かは目にしたことのあった非貫通型の写真。もう1枚とってあったような気がするのですが、同じものの角度違いかもしれないので代表して載せます。
基本的には文字マーク時代の特急列車が好きな私ですが、何故かこの非貫通型の「はくたか」文字マークがしっくり来ないんですね。イマイチ格好良くない。
それでも遭遇率が低かっただけに、撮った枚数も極限に少なかったです。
昭和53年3月 東北本線 西川口~蕨間にて クハ481ボンネット車
後追いで撮影した下り「はくたか」。こちらが上野方なので、自連むき出しになっていないところからクハ481であることが判ります。
昭和56年頃 東北本線 蕨駅にて クハ489 300番代 非貫通型
53・10から特急ヘッドマークがイラスト化されたのですが、ボンネット型の多かった「はくたか」はイラストマークを見る機会が少なかったように思います。
この昭和56年頃には既にボンネット車にもイラストマークが導入されていましたので、そういう意味では見慣れてきた頃と思います。
このころは既に金沢運転所の489系に運用が変わっており、「白山」と共通運用でもあったために、非貫通型の遭遇率も高かったような気がします。
昭和56年10月 東北本線 蕨~西川口間にて クハ489-704 非貫通型
上り「はくたか」で、何故か流し撮りしています。ボンネット型じゃなかったので、どうでも良かったのでしょうか・・・。ピントもバリバリ合っているので、伸ばしても細部までキッチリ見ることが出来る、珍しくもクリーンヒットな作品。
昭和57年5月 東北本線 蕨~西川口間にて クハ489500番代
こちらは、EF63連結側の500番代ボンネット車。カブりそうになった写真を「離合」と称してエラそうにアップしたことのある写真。でも、こんな時代もあったんですな・・・。と思わせる1枚となりました。
昭和57年11月6日 上野駅にて クハ489500番代
廃止を1週間後に控えて最期の活躍をする「はくたか」。このショッカーの本部に付いていたようなマークともお別れ。この1週間は、上野口の最期となる列車の写真撮影に翻弄されていました。
赤スカート車との衝撃的な出逢いから10年。毎日身近で見ていた筈なのに、意外と撮影枚数が少なかったですね。途中でイラストマーク化されたことにも原因があると思いますが、下りの「はくたか」の時間に上りが通勤の普通列車ばかりという、撮影に非効率的な時間帯に走っていたことも不運だったような気がします。
その後、ほくほく線の開業によりまさかの復活を果たした「はくたか」。しかし、北陸新幹線の開業によりまた存続の危機が訪れています。どうなってしまうのでしょうか。
「はくたか」懐かしかったぞ!と思われたらポチ → 鉄道ブログランキング
また貴重な休みが終わってしまいました。今日はMY娘。の水泳大会のお付き合い。屋外だったのですが、日焼け予防の為に首にタオルを巻いていたのに、何故か日焼けしてしまいヒドイ目にあいました。まぁ、大気の状態が不安定ということだったのですが、雨が降らずに良かったです。
さて、過去ログで特急「はくたか」を何度かアップしたことがあったのですが、フィルムスキャンで新たな画像が出現、枚数も出揃いましたので、総集編として再掲も含めて全部アップしたいと思います。
昭和48年頃 東北本線 西川口~蕨間にて クハ481 赤スカート車
昭和54年頃まで、「はくたか」は向日町運転所の481系が使用されていたため、このように赤スカート車が上京する機会がありました。その後も何度か狙いましたが、このとき限りしか逢うことはできませんでしたけど。クハ481ボンネット車を好きになったきっかけとなった写真です。
昭和51年頃 上野駅にて クハ481ボンネット車
この頃の「はくたか」はボンネット車が圧倒的に多かったような気がします。ですので、それなりに写真に撮る機会も多かったような。まだ向日町運転所の481系時代が続きます。
昭和51年頃 東北本線 赤羽駅にて クハ481ボンネット車
高架化前の赤羽駅での写真。リコーオートハーフでの撮影のため、ブレてしまっています。今までアルバムに入ることすらなかった写真でしたが、今となっては懐かしい風景です。
昭和52年頃 東北本線 大宮駅にて クハ481 300番代 非貫通型
何度かは目にしたことのあった非貫通型の写真。もう1枚とってあったような気がするのですが、同じものの角度違いかもしれないので代表して載せます。
基本的には文字マーク時代の特急列車が好きな私ですが、何故かこの非貫通型の「はくたか」文字マークがしっくり来ないんですね。イマイチ格好良くない。
それでも遭遇率が低かっただけに、撮った枚数も極限に少なかったです。
昭和53年3月 東北本線 西川口~蕨間にて クハ481ボンネット車
後追いで撮影した下り「はくたか」。こちらが上野方なので、自連むき出しになっていないところからクハ481であることが判ります。
昭和56年頃 東北本線 蕨駅にて クハ489 300番代 非貫通型
53・10から特急ヘッドマークがイラスト化されたのですが、ボンネット型の多かった「はくたか」はイラストマークを見る機会が少なかったように思います。
この昭和56年頃には既にボンネット車にもイラストマークが導入されていましたので、そういう意味では見慣れてきた頃と思います。
このころは既に金沢運転所の489系に運用が変わっており、「白山」と共通運用でもあったために、非貫通型の遭遇率も高かったような気がします。
昭和56年10月 東北本線 蕨~西川口間にて クハ489-704 非貫通型
上り「はくたか」で、何故か流し撮りしています。ボンネット型じゃなかったので、どうでも良かったのでしょうか・・・。ピントもバリバリ合っているので、伸ばしても細部までキッチリ見ることが出来る、珍しくもクリーンヒットな作品。
昭和57年5月 東北本線 蕨~西川口間にて クハ489500番代
こちらは、EF63連結側の500番代ボンネット車。カブりそうになった写真を「離合」と称してエラそうにアップしたことのある写真。でも、こんな時代もあったんですな・・・。と思わせる1枚となりました。
昭和57年11月6日 上野駅にて クハ489500番代
廃止を1週間後に控えて最期の活躍をする「はくたか」。このショッカーの本部に付いていたようなマークともお別れ。この1週間は、上野口の最期となる列車の写真撮影に翻弄されていました。
赤スカート車との衝撃的な出逢いから10年。毎日身近で見ていた筈なのに、意外と撮影枚数が少なかったですね。途中でイラストマーク化されたことにも原因があると思いますが、下りの「はくたか」の時間に上りが通勤の普通列車ばかりという、撮影に非効率的な時間帯に走っていたことも不運だったような気がします。
その後、ほくほく線の開業によりまさかの復活を果たした「はくたか」。しかし、北陸新幹線の開業によりまた存続の危機が訪れています。どうなってしまうのでしょうか。
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