УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

イーストウッド祭をやってきた

2016-10-29 23:17:08 | 映画
あ、昨日の詐欺ネタで書き忘れましたが、最近あの「女医ありさ」シリーズが今度は「女医さゆり」となって復活しているそうです。
まぁ、名前がちょっと変わっただけで登場人物設定はいつもと同じらしい。
何故、名前だけちょっと変えるか?っていうと、「検索で引っかからないようにするため」なんですね^_^;
ある程度、期間が長くなるとこのブログみたいに「晒されちゃう」から、それで引っかかりにくくするために名前だけ変えて同じ手口を使うわけです。
改めて、これ詐欺だから
くれぐれも、お金払っちゃダメですよ!!!

で、今日は、久々に映画のハシゴをしました。
しかも、クリント・イーストウッド祭、という^_^;

まずは、「午前10時の映画祭」でこれを見てきました

続夕陽のガンマン


続、ってついてるけど、別にそのまんまフツーに見られます。
原題はThe good The bad and Tha ugly、「良い奴、悪い奴、そして汚い奴」って感じですな。
1966年のイタリア映画で、監督はマカロニ・ウエスタンって言えばこの人!というセルジオ・レオーニ。
イタリア作品だけど主演はクリント・イーストウッド。
イーストウッドがいい奴、リー・ヴァン・クリーフの演じるエンジェル・アイが悪い奴、イーライ・ウォラック演じるトゥーコが汚い奴、ですな。
上映時間はなんと3時間10分!!
・・・なんですが、セリフが少ね~っ!!
シンゴジラの三分の一、いや四分の一くらいのセリフ量かなぁ?
多分、イーストウッドのセリフって、ほとんどシナリオ上では
「・・・・・・・・・・・・・・」なんだろうなぁ、って感じです。
しかし、その分細かいところで表情がついている、っていうか演出があるっていうか。
昔の映画って言えばそうなんだけど、なんつうか演出と編集が上手いね~。
ただ、寂れた西部の町をキャラが歩く、というシーンだけでも、キャラクターのクローズUP、背後から、上から、建物越しにとか、カット割りが多様で、そのカットが変わる場面がエンニオ・モリオーネのけれん味(っていうのかねぇ?)あふれる音楽とピッタリまるでミュージカルのように合ってるんですよ!
上に貼ったのが映画のOPなんだけど、ここでもぴったり音楽と映像っていうか画像が一致してるけど、本編全部そんな感じで映像と音楽のタイミングがピタッと合ってる感じで爽快感がありましたな~。
で、イーストウッドが主人公って言えば主人公なんだけど、「いい奴」かって言われると少々??って思うところもあるにはあるが、まあ基本的にはいい人なんだろう、酷い事するのはそれなりの行いをしてるやつに対してだからね。
でも、その反面、それが鼻につくっていうか(爆)言ってみればちょっと優等生っぽくて役柄としてはあんまり面白くないかな?という気も。
汚い奴、トゥーコの方が圧倒的に印象に残ります。
舞台は南北戦争下で、ほぼ北軍の勝利が決まりつつあるっていう状況。
戦争や戦場が直接の舞台、ってわけじゃないけど負傷兵とか沢山出てきて、戦争で手足を失った人々とかも結構出てきました。
当時だからCGってわけにもいかんだろうから、実際にそういう人々を集めたのかなぁ~?
なんとなく、アメリカの「ニューシネマ」を感じさせるようなウェスタンでありました。

で、もう1本は、
映画『ハドソン川の奇跡』予告編


こちらは、今年のアカデミー賞にかなり絡んでくるのでは?という感じの映画で、監督がイーストウッド、主演がトム・ハンクス。
そーいや、この映画の宣伝のために来日したトム・ハンクスが東京の居酒屋でほろ酔いオヤジの一般ピープルと違和感なく写真に収まってるのを見たけど・・・いや、ホント違和感ねーわな(苦笑)
この映画は、実際の事件に基づいているのですが、前作の「アメリカン・スナイパー」もそうだけど、最近のイーストウッド作品は、新聞とかにも載るような「事件」「事柄」を題材に、それを様々な視点から描き、その事件その当事者たちたけではなく、現在の私たち誰もが抱えている思いとか体験につなげていく感じの映画が多いねぇ。
ベテランパイロットのトムハンクス操縦の旅客機が離陸直後に、エンジンに鳥が飛び込み作動不能になってしまい、空港に引き返す、が間に合わない!と判断したトムハンクスはハドソン川に機体を不時着させる。
で、乗員乗客全員奇跡的に助かり、彼は一躍ヒーローとなる。
だが、航空界は「空港まで機体は持ったのに、なぜ危険な不時着をしたのか?」という感じで彼を追い詰める・・・という感じ。
あー、判る判るなぁ~と思った。
なんつうか「事件は会議室ではなく現場で起きてるんだっ!」(だったか?)みたいな事ですな。
確かに、後から当事者ではない第三者が冷静に分析して、その結果を後につなげるっていうのは重要だけど、後出しみたいに「あの時では何故そうしなかったのか?」「何故できなかった?(出来たはずなのに)」って後出し的に当事者を責めるっていうのも・・・残念ながら社会ではあるよね。
確かに、選択肢はその場でいくつかあったかもしれない、その人が取ったその選択よりも良い、相応しい選択はあったかもしれないけど・・・
その時のその人の「選択」「判断」の重さというか決断も大切にしとくべきだな~と思ったねぇ。
で、見ている間は結構「余計」なエピソードがあるような気がしたんだよね、本筋とは関係ないようなシーン。
例えば、搭乗締め切った直後に駆け込んでくる三人組とか、車椅子の母と娘とか。
でも、最後まで見てみると判るんだよね、この映画は機長の物語ではなくて、乗客乗員全て、そして救助に関わった沢山の人、役名も無いようなその一人一人を大事にしたい、っていう映画なんだと。
エンドロールに実際の本物の人々が出てくるところで、そう感じました。
そのせいか、ヘンにフィクション的な演出とかそーいう人がいなかったしねぇ。
例えば、「俺を先に助けろ!俺にはその価値があるんだぞ、金持ちだから」的なイヤな奴とかさ~、なんつうかいわゆる「フラグ」が立つような人がいないっていうか。
あえて言えば、機長の奥さんにちょっとイラッとさせられたけど、まぁ本音としてはそうなるかな?という気もするしね。
ここんとこ、飛行機乗ってないけど、あの離陸時の空気の圧迫感とかをスクリーンから感じたねぇ。
でもって、副機長がアーロン・エッカートだったんだけど、なんかすっかりおっさん化してた~^_^;
いや、そういう役柄だから役作りで?
以前の彼の役柄だと、大体金持ち二枚目ボンボンでカッコつけてるけど、実は情けない的な、そーいうヒーローのかませ犬的(?)な役柄、間抜けな王子様的役柄が多かったような気がするんだけどねぇ。
コメント (2)
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